アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第104話 巨人を通すには狭すぎる

 巨人の手が、階段の角を掴んだ。

 

 爪の欠けた指が曲がり、石へ食い込む。

 

 次の瞬間、腐った肩が持ち上がった。

 

 天井に頭がぶつかる。

 

 鈍い音とともに砂が降ったが、ジャイアントゾンビは止まらなかった。首を横へ傾け、顔を岩へ擦りつけながら、なおも身体を引き上げようとする。

 

 痛みが、動きを止めない。

 

 こういう時、アンデッドという相手の嫌らしさを実感する。

 

 生きていれば躊躇する狭さでも、骨が引っ掛かるまで進んでくる。

 

「右、来る」

 

 ノクティアの声がした。

 

 巨人の肩が動く。

 

 僕は盾を上げた。

 

 腐った腕が、低い天井を擦りながら伸びてくる。

 

 受け止めるつもりはなかった。

 

 盾の面を傾け、腕を外へ流す。

 

 それでも、衝撃は重かった。

 

 左肩が押し込まれ、靴底が砂の上を滑る。

 

 巨人の指が盾の縁を掻いた。

 

 掴まれる。

 

 そう思った瞬間、盾を引き、身体ごと斜めへ逃がした。

 

 指が空を切る。

 

 僕は踊り場の奥へ一歩退いた。

 

「……重いな、くそっ」

 

 弱い相手なら狭い場所へ誘い込めばいい。

 

 そんな雑な話ではなかった。

 

 狭い場所にいても、大きいものは大きかった。

 

     *

 

 巨人が次の手を伸ばす前に、僕はベラを振った。

 

 刀身が手首へ食い込む。

 

 腐った肉が裂け、骨へ硬い手応えが返った。

 

 切り離せてはいない。

 

 僕は欲張らず、剣を抜いた。

 

「下がれますか」

 

 オトフリートの声。

 

「いける!」

 

 僕は壁際へ身を寄せた。

 

 後ろから、杖の先が見えた。

 

「全知全能たる万能たるマナよ——」

 

 詠唱が石壁に反響する。

 

 巨人の顔が、声の方へ向いた。

 

 僕を越えて、オトフリートを見ている。

 

 その顎が上がりきる前に、魔力の矢が走った。

 

 光が腐った胸へ撃ち込まれる。

 

 肉が裂け、巨体が揺れた。

 

 だが、倒れない。

 

 壁へ肩をぶつけ、崩しかけた姿勢を、力任せに戻してくる。

 

 僕はすぐに元の位置へ出た。

 

 魔術師の前を空けたままにはできない。

 

「もう一度、撃ちます」

 

「待って。腕を見て」

 

 傷ついた右手ではなく、左腕が上がっていた。

 

 肘を曲げる余地がないせいで、動きが大きい。

 

 僕はその肩を見て、踏み出す時を測った。

 

     *

 

 ノクティアは、僕のすぐ後ろにはいなかった。

 

 踊り場の脇へ身体を寄せ、巨人の腕が届く範囲を見ていた。

 

 僕が退いた時にぶつからない。

 

 それでいて、床へ落ちた石や、背後の段差を知らせてくれる位置だった。

 

「踵、石」

 

 短い声に、足を置く場所を変える。

 

 視線を下げずに済んだ。

 

 その小さな助けが、今はありがたかった。

 

 巨人の左腕が伸びる。

 

 僕は半歩退き、掴もうとする手を避けた。

 

 指先が胸の前を通る。

 

 近い。

 

 悪臭が、顔へ押しつけられたようだった。

 

 しかし、避ければ終わりではない。

 

 腕を引かれる前に、僕はベラを下から斬り上げた。

 

 手首の内側が裂ける。

 

 巨人の腕が落ちた。

 

 切断したのではない。力を失った腕が、階段へ叩きつけられたのだ。

 

 その上へ、巨体の重さがかかる。

 

 ゾンビが前へ崩れた。

 

「主よ!」

 

 ベラが叫んだ。

 

 僕は跳び退いた。

 

 巨人の額が、踊り場の縁へぶつかった。

 

 石が鳴る。

 

 爪先へ、砕けた欠片が飛んだ。

 

 あと少し残っていたら、足を下敷きにされていた。

 

「倒れた時も危ないのかよ……!」

 

 文句を言っても、相手は聞いてくれない。

 

 巨人は、顔を床へ擦りつけたまま、腕を引き寄せようとしていた。

 

     *

 

 その頭が、目の前にあった。

 

 僕はベラを持った右手を見た。

 

 剣。

 

 盾。

 

 ここまでの戦い方を、そのまま続ける必要はない。

 

「ベラ、持ち替える」

 

「よい!」

 

 僕は一歩下がって盾を外し、ノクティアへ渡した。

 

 彼女は受け取った盾を脇へ寄せ、僕の退路を空ける。

 

 ベラを左手へ持ち替えた。

 

 右の拳を握る。

 

 黄ばんだ気配が、巨人の身体へ絡みついていた。

 

 かつて生きていた肉を、今も無理に動かしているもの。

 

 僕の右手は、それに届く。

 

 ただし、殴れるところまで近づけば、向こうも僕に触れられる。

 

 巨人の右腕が動いた。

 

 僕は踏み込まず、待った。

 

 焦るな。

 

 ここで勝手に飛び込んで掴まれたら、仲間がどうにもできなくなる。

 

「腕を押さえます」

 

 ゼフィーリアの声が聞こえた。

 

 祈りが続く。

 

 僕は彼女の方を振り返らず、巨人の肩を見ていた。

 

 その肉体に、暗黒の神へ捧げられた祈りが作用した。

 

 傷が開き、巨人の動きが乱れる。

 

 持ち上がりかけた肘が、石へ落ちた。

 

 今だ。

 

 僕は一段だけ下りた。

 

 左手のベラを身体の外へ逃がし、右の拳を振り下ろす。

 

 巨人の顔へ、拳が当たった。

 

     *

 

 硬い感触があった。

 

 その奥で、何かが崩れる。

 

 骨だけではない。

 

 死体を動かしていた力へ、右手が食い込んだ。

 

 黄色い気配が乱れた。

 

 巨人の口が開く。

 

 声にならない空気が、喉から漏れた。

 

 僕は拳を引き、すぐに退こうとした。

 

 その足首へ、指が触れた。

 

 右腕。

 

 まだ動いている。

 

 靴の外側を、太い指が滑った。

 

 掴まれる前に足を引く。

 

 しかし、踵が段の角へぶつかった。

 

 身体が後ろへ傾く。

 

「ルクスン!」

 

 ノクティアが、背中の衣服を掴んだ。

 

 引き上げるほどの力ではない。

 

 それでも、倒れる向きが変わった。

 

 僕は左肩を壁へぶつけ、そこで身体を止めた。

 

 巨人の手が、目の前を掠める。

 

 その胸へ、二本目の魔力の矢が突き立った。

 

 オトフリートの声が、まだ耳に残っていた。

 

 巨体が痙攣する。

 

 右手の指が開いた。

 

 黄色い気配が、薄れていく。

 

 僕は壁へ背をつけたまま、それが完全に消えるまで見ていた。

 

 巨人は、もう動かなかった。

 

     *

 

 誰も、すぐには喋らなかった。

 

 水の落ちる音がする。

 

 自分の呼吸が、やけに大きい。

 

 僕はベラを右手へ持ち直し、床へ座り込みそうになるのを堪えた。

 

「……ありがとう」

 

 ノクティアへ言った。

 

 彼女は僕の背中から手を離した。

 

「服、少し伸びた」

 

「伸びたくらいで済んで、よかった」

 

「うん」

 

 ゼフィーリアが近づき、僕の左肩へ目を向けた。

 

「動かせますか」

 

 動かした。

 

 痛い。

 

 盾で受けた時と、壁へぶつけた時の痛みが、今になって重なってきた。

 

「動くけど、あんまり嬉しくない」

 

「では、無理に回さないでください」

 

 彼女は必要なところだけ確かめ、祈った。

 

 肩の奥にあった熱が和らいでいく。

 

 息を吐くと、身体の強張りも少し抜けた。

 

「助かった」

 

「次は、退く段の高さも覚えておいてください」

 

「はい」

 

 僕は素直に頷いた。

 

 敵の動きばかり見て、自分の足を置く場所まで忘れかけていた。

 

 知識で相手を知っていても、それで全部うまくいくわけではない。

 

 それは、今さら教わるような話ではなかったのだが。

 

「主よ」

 

 ベラが言った。

 

「妾を左手へ持ち替えた後も、刀身を壁へぶつけなんだな」

 

「そこは頑張った」

 

「うむ。褒めてつかわす」

 

「もっと心を込めて」

 

「調子に乗るでない」

 

 少しだけ、笑えた。

 

     *

 

 ジャイアントゾンビは、階段を塞いでいた。

 

 肩が狭い壁の間に挟まり、頭と片腕だけが上へ出ている。

 

 引きずり出せる大きさではない。

 

「下へは通れませんね」

 

 オトフリートが言った。

 

「下へ行く用事は、なくなったよ」

 

 僕は横の点検通路を見た。

 

 さっき引き返した、縦穴の壁を渡る道。

 

 下から手が伸びてこなければ、まだ通る見込みはある。

 

 ノクティアが先に確認し、僕らは縄を使って、一人ずつ向こうへ移った。

 

 僕は渡る前に、穴の底を見た。

 

 折れた木材と石の間に、小さな骨があった。

 

 頭蓋骨。

 

 肋骨。

 

 あの巨体とは、大きさが違う。

 

 灯りを追った者が、僕らより前にもいたのかもしれない。

 

 僕は目を閉じず、骨の位置を覚えた。

 

 今は、降りて拾い上げることもできなかった。

 

     *

 

 向こう側の階段を上ると、板を敷いた穴の先へ出た。

 

 橙色の灯りは消えていた。

 

 僕は周囲へ目を走らせたが、見える範囲に黄色い気配はない。

 

「逃げた?」

 

 ノクティアが尋ねる。

 

「少なくとも、ここにはいない」

 

「追わない」

 

「うん」

 

 ジャック・オー・ランタンを仕留めたわけではない。

 

 次の曲がり角で、また会うかもしれない。

 

 そのことは、全員で確かめた。

 

 灯りが見えても近づかない。

 

 僕が先に正体を見て、ノクティアが足元を調べる。

 

 一度見破ったから、次も同じ仕掛けだと決めつけない。

 

 僕は地図へ穴と点検通路を書き足した。

 

 紙の上では、短い迂回だった。

 

 実際には、肩を傷め、魔法を使い、全員で息を詰めて渡った道だった。

 

 その違いまでは、線では書けなかった。

 

     *

 

 その先の通路には、荷車の車輪が擦った跡が残っていた。

 

 曲がり角の外側だけ、壁の低い部分が磨かれている。角へぶつけないよう削り広げた場所もあった。

 

 運搬路は続いている。

 

 僕らは足を進めた。

 

 やがて、先頭のノクティアが手を上げた。

 

 またアンデッドかと身構えたが、彼女が示したのは床だった。

 

 砂の上に、跡がある。

 

 大きな足の形。

 

 腐った肉が擦れた跡ではなかった。

 

 輪郭が、硬い。

 

 足を引きずったところでは、石の表面に新しい傷が走っていた。

 

 僕は屈んだ。

 

 穴の底の巨人とは、違う。

 

 この足は、重いものが、形を崩さずに踏んでいる。

 

 オトフリートが、僕の横で床を見た。

 

「……鉄でしょうか」

 

「たぶん」

 

 答えた時、奥から音がした。

 

 ごん。

 

 間を置いて、もう一度。

 

 ごん。

 

 金属が、石の床へ置かれる音だった。

 

 腰元でベラが囁いた。

 

「主よ。こちらも、狭いところへ誘うか?」

 

 僕は通路の幅を見た。

 

 壁には、長く深い擦り傷が続いている。

 

 それをつけたものは、この狭さを通ってきたのだ。

 

「……まず、どこまで来るか見よう」

 

 剣の柄を握り直す。

 

 思い出していた障害が、ようやく足音を立てて現れた。

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