アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
音が、止まった。
僕らも止まっていた。
曲がり角の向こうには、まだ姿が見えない。
石を擦る微かな音がした。
それから、もう一度。
ごん。
今度は近かった。
「脇へ」
ノクティアが、壁の窪みを示した。
古い道具置き場らしい。奥行きは浅いが、通路から身体を引くことはできる。
僕らが荷物を寄せると、角の向こうから、鉄の足が現れた。
四角く、大きな足だった。
続いて脚。
胴。
肩が壁へ近づき、鈍い擦過音を立てる。
人の形をした鉄の塊が、通路へ姿を現した。
黄色い気配はない。
代わりに、魔力が、その全身へまとわりついている。
「アイアンゴーレム」
口の中で名前を確かめた。
パーフェクト・アイアンゴーレムではない。
だから安心だ、とは、まったく思えなかった。
鉄の腕が、身体の脇で揺れる。
あれに殴られる。
想像しただけで、さっき治してもらった肩が痛くなりそうだった。
*
ゴーレムの頭が動いた。
顔と呼ぶには簡素な造りだった。表情などないのに、こちらへ向いたことだけはわかった。
「見つかった」
僕は窪みの外へ出た。
背後に仲間を押し込んだままでは、逃げ道まで塞がれる。
ベラを構え、通路の奥を見た。
ゴーレムの向こうには、少し広い場所があるらしい。天井が高く、壁が遠い。
ただし、そこへ行くには、目の前の鉄を通り抜けなければならない。
ゴーレムが一歩、近づいた。
僕も退いた。
「広いところへ戻る?」
ノクティアが低く尋ねる。
「穴のあるところまで下がるのは、まずい」
足場を失えば、あの腕を避けようがなくなる。
それに、後ろにはジャック・オー・ランタンが残っている。
戻る道も、もう安全な道ではなかった。
僕は横の壁を見た。
削れた石。
鉄が擦った跡。
この通路は、あいつが通れる。
こちらが頭を下げるような狭さでも、壁へ肩を擦りつけながら来るだろう。
「僕が少し引く。その間に、右の脇道を見て」
ノクティアが頷いた。
僕が退くと、ゴーレムは前へ出た。
腕が持ち上がる。
僕は盾を上げかけ、途中でやめた。
受けてはいけない。
壁際へ身体を捻る。
鉄の拳が、僕のいた場所を通り過ぎた。
風を感じた。
次に、石の割れる音がした。
壁へ当たった拳の下から、破片が落ちる。
僕は唾を飲み込んだ。
「うん。受けちゃ駄目だね、これは」
「試すでないぞ」
ベラの返事が、妙に早かった。
*
攻撃の後、鉄の腕が引かれる。
僕はその間に距離を取った。
踏み込んで斬れば、当てられるかもしれない。
ベラなら、傷をつける可能性もある。
だが、それを何度繰り返すのか。
一度でも退くのが遅れたら、何が残るのか。
弱点を探るために身体を張るには、相手が悪すぎた。
「ルクスン」
ノクティアが戻ってきた。
「脇道、階段。上に出る」
「向こうへ回れる?」
「そこまで、まだ」
「見てきて。長くは待てない」
彼女は返事の代わりに身を翻した。
オトフリートとゼフィーリアも、僕が退くのに合わせて移動していた。
誰も、むやみに魔法を撃たない。
残った力を、効くかもわからない一撃へ投じる余裕はなかった。
僕はゴーレムの足を見た。
一歩進む。
身体の重さが移る。
腕が動く。
命令に従う魔法生物でも、身体は鉄だ。
何を考えているかはわからなくても、重さのかかり方は見えた。
それが、今の頼りだった。
*
ノクティアが戻るまでの時間は、ひどく長かった。
僕は二度、拳を避けた。
二度目には外套の端が掠められた。
引っ張られたかと思った時には、布が裂けていた。
身体ごと持っていかれなかったのが幸運だった。
「上、通じてる」
ようやく聞こえた声に、息を吐く。
「どこへ?」
「向こうの荷扱い場。上の足場に出る。反対側へ下りる階段もある」
「通れる?」
「人は。こいつは、肩が入らない」
僕は脇道を見た。
確かに狭い。
荷を運ぶ道ではなく、人だけが通るための入口だった。
「みんな、先に」
オトフリートが口を開きかけた。
「荷物を引っ掛けないで。僕もすぐ行く」
ノクティアが先導し、ゼフィーリア、オトフリートの順に脇道へ入る。
僕は入口の正面へ立たなかった。
少し離れた場所でゴーレムを待った。
鉄の頭が、動く。
腕が上がる。
僕は早めに退き、拳が届かないところまで離れた。
そして、横へ走った。
背後で床が鳴る。
ゴーレムが向きを変える。
僕は脇道へ滑り込み、肩を壁へぶつけながら駆け上がった。
次の瞬間、入口で激しい音がした。
石屑が背中へ当たる。
振り返ると、鉄の腕が穴へ突き込まれていた。
指が開く。
届かない。
僕は、届かないことを確かめるために立ち止まらず、そのまま階段を上った。
*
階段の先には、石の足場があった。
荷扱い場の壁に沿って、上部をぐるりと回っている。
下には木製の荷台の残骸と、横倒しの樽。中央には、荷を吊り上げる設備があったらしい石の土台が残っていた。
壁際の柱は太い。
天井も高かった。
採掘したものを集め、行き先ごとに分けた場所なのだろう。
反対側には、下へ続く階段。
その先に、大きな搬出用の通路が見えた。
僕は追いつくと、壁へ手をついた。
「……通れた」
「まだ」
ノクティアが下を指した。
床を叩く音がする。
ゴーレムが、荷扱い場へ戻ってきた。
上へ来られなくても、下を通って先回りできる。
僕らが下りる階段は、あいつからも見える場所にあった。
「徹底してるなあ」
思わず呟いた。
「何のために働いているんだろう」
「元の命令が残っているのか、壊れて別のものになっているのか……外から見ただけでは」
オトフリートが言葉を切った。
ゴーレムが頭を上げた。
僕らを見ている。
鉄の腕が、ゆっくり持ち上がった。
届く高さではない。
そう思った直後、拳が足場を支える柱へ叩きつけられた。
足元が震えた。
*
「止まらないで!」
ノクティアが声を上げた。
僕らは壁沿いに進んだ。
落ちないように、しかし足を止めずに。
もう一度、下で音がする。
石の柱に亀裂が入ったのか、古い欠片が剥がれただけなのか。
そんなことを覗き込んで確かめる余裕はない。
反対側の階段へ近づくと、ゴーレムも下を横切ってきた。
このまま下りれば、待ち受けられる。
僕は足を止めた。
「先へ行って。まだ下りないで」
「ルクスン?」
「こっちを向かせる」
ノクティアの目が細くなった。
僕は彼女の視線を受け止めた。
「戻れる距離でやる」
ベラを掲げた。
銀色の刀身が、灯りを返す。
「おい、鉄の番人!」
声が広間へ響いた。
ゴーレムの頭が動いた。
僕は足場の縁へ半歩だけ近づいた。
「こっちだ!」
言葉が通じるとは思っていない。
だが、動くものと音のする方へは、今まで向いていた。
ゴーレムが進路を変える。
僕の下へ来た。
拳が上がる。
僕は柱の真上を離れた。
衝撃。
足場が震える。
今度は、縁の石が一つ落ちた。
下へ落ちる音を聞きながら、僕は笑いそうになった。
いや、笑えない。
こんな真似、卓で仲間が言い出したら止める。
少なくとも、落ちた後の手段を聞いてからにしろと言う。
今の僕にあるのは、戻る足だけだった。
*
向こうの階段で、オトフリートが下り始めた。
ゼフィーリアが続く。
ノクティアは上に残っていた。
僕はゴーレムから目を離さず、壁沿いに少しずつ移動した。
同じ柱を何度も殴らせない。
足場が壊れそうなら、すぐ退く。
それ以上の立派な策ではなかった。
ゴーレムの足が止まった。
頭が、階段の方へ動く。
下りた二人に気づいた。
「おい!」
僕が叫んでも、今度は向き直らなかった。
そうだよね。
そんなに都合よく、最後に呼んだ相手だけを狙ってくれるものか。
鉄の身体が、搬出路へ向かう。
僕も走った。
ノクティアのところまで戻る。
「下りる!」
「わかってる」
二人で階段を駆け下りた。
荷扱い場へ降りたところで、床の振動が靴へ伝わった。
ゴーレムは近い。
オトフリートが通路の脇から手を振っている。
「こちらへ!」
搬出路の横に、小さな戸口があった。
木の扉は失われている。
人が出入りするだけの狭い口。
ゼフィーリアがそこへ入り、オトフリートが続いた。
ノクティアを先へ行かせ、僕は最後に飛び込んだ。
背後で鉄が石へぶつかった。
*
狭い部屋だった。
壁には棚の跡。
床には、割れた板と古い縄。
奥へ、もう一つ戸口がある。
ノクティアが先を確認していた。
「向こうへ出る。搬出路の先」
僕は入口から離れた。
ゴーレムの手が差し込まれる。
壁を探るように動き、指が石へ当たった。
身体は入らない。
それでも、入口のそばに立っていれば掴まれる。
全員が奥へ抜けるまで、僕はその腕を見ていた。
「主よ、もうよい!」
ベラに促され、僕も部屋を出た。
通路を進む。
角を曲がる。
さらに進む。
背後では、まだ鉄の拳が壁を叩いていた。
*
足音が追ってこないとわかってから、ようやく歩調を落とした。
僕は膝へ手をついた。
息が荒い。
口の中が乾いていた。
「倒してないけど」
息を継ぎながら言った。
「通れた」
「倒すために来たのではありませんから」
オトフリートも、壁へ背を預けていた。
ゼフィーリアが、僕の外套の裂け目を見た。
「身体は?」
「無事。布だけ」
「でしたら、布に感謝しておきましょう」
ノクティアは来た方を見張っている。
僕も振り返った。
ゴーレムは壊していない。
閉じ込めてもいない。
今は狭い戸口へ気を取られていても、元の搬出路へ戻れば、こちらへ来られるかもしれない。
ここで休み込むわけにはいかなかった。
水を一口飲み、袋を回す。
それだけにした。
「帰りに同じ手が使えるとは、思わない方がいいね」
僕が言うと、ノクティアは頷いた。
「だから、先の出口を探す」
地図へ書き足した。
荷扱い場。
上部の点検足場。
狭い脇部屋。
アイアンゴーレム。
その名の下へ、短く『健在』と記す。
書き終える頃には、手の震えも収まっていた。
*
先へ進むと、空気が少し変わった。
湿った冷たさの中に、土の匂いが混じる。
腐臭ではない。
水を含んだ、生きた土の匂いだった。
ノクティアが立ち止まり、頬へかかる髪を押さえた。
「風」
僕も感じた。
通路の奥から、細い空気の流れが来る。
外へつながっている。
人が通れる穴かどうかは、まだわからない。
それでも、足は自然と速くなりかけた。
僕は自分で止めた。
明かりを追って、穴へ落ちるところだったばかりだ。
風も、出口の保証ではない。
「足元を見ていこう」
声に出す。
ノクティアがこちらを見て、小さく頷いた。
腰のベラが囁く。
「主よ。今度は鉄より細い相手を希望する」
「僕は、何もいない方がいい」
「たまには意見が合うの」
背後の遠くで、また石を叩く音がした。
僕らは振り返らず、風の来る方へ歩き始めた。