アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第107話 何でもない旅人

 坑道を出ても、すぐには街道へ戻らなかった。

 

 木々の間を歩き、関所から伸びる道を遠くに見ながら進む。

 

 道がある。

 

 平らで、幅があり、枝を避ける必要もない。

 

 そのありがたみは、使えない時ほどよくわかった。

 

 足元の根を跨ぎ、低い枝を手で持ち上げる。後ろから来るオトフリートが抜けるまで待って、枝を戻す。

 

 それを何度か繰り返したところで、ノクティアが立ち止まった。

 

「ここからなら、戻れる」

 

 木々の向こうに街道が見えた。

 

 関所はもう見えない。

 

 風に乗って人の声も届いてこなかった。

 

 僕は頷きかけ、仲間を見た。

 

 土のついた靴。

 

 岩へ擦った荷物。

 

 裂けた僕の外套。

 

 そして、死体の臭い。

 

「その前に、少し何とかしよう」

 

 ゼフィーリアが、僕の右手へ視線を落とした。

 

「賛成です。特に、その手を」

 

 骨を殴った手だった。

 

 僕は黙って水袋を出した。

 

     *

 

 洗うといっても、使える水には限りがある。

 

 布を湿らせて手を拭き、顔の汚れを落とす。服についた土は、乾いているところから払った。

 

 ノクティアが、僕の背中へ回った。

 

「動かないで」

 

「何かついてる?」

 

「枝」

 

 引き抜かれる感触があった。

 

 次に、小石が一つ落ちた。

 

 さらに、枯れ葉。

 

「僕、森を運んでた?」

 

「少し」

 

 ゼフィーリアが口元を押さえた。

 

 オトフリートは自分の袖を見て、それから黙って裾を払った。

 

 裂けた外套は、きれいには戻らない。

 

 ひらひらして枝へ引っ掛かる部分だけ、内側へ折って留める。

 

 怪しいものを隠すためではなく、歩きやすくするための手入れだったが、それだけでも随分と見た目が変わった。

 

「杖は、どうしましょうか」

 

 オトフリートが尋ねた。

 

 僕は彼の手元を見た。

 

 今さら全部の魔法の道具を隠せるわけではない。

 

 慌てて荷物へ押し込んでも、いざ必要になった時に困る。

 

「普通に持っていて。聞かれてもいないのに、こっちから説明しない。それくらいで」

 

「わかりました」

 

 彼は頷いた。

 

 ゼフィーリアも外套を整える。

 

 ノクティアは最後に、僕の腰を指した。

 

「ベラ」

 

「わかっておる」

 

 返事がした。

 

「今から黙る」

 

 僕らは顔を見合わせた。

 

 そして、街道へ出た。

 

     *

 

 道を歩くだけで、こんなに楽なのか。

 

 数歩進んだところで、僕はそう思った。

 

 傾斜はあっても、足を置く場所を一歩ごとに探す必要がない。天井を気にせず立てる。荷物が壁に擦れない。

 

 何より、相手の顔を見ながら話せる。

 

 僕らは声を潜めるのをやめた。

 

「夕方までに、泊まる場所があるといいね」

 

「屋根があれば、ありがたいですね」

 

 オトフリートが答える。

 

「私は湯を希望します」

 

 ゼフィーリアが言った。

 

「僕も。できれば、ちゃんと座って食べられるものも」

 

「今も座って食べた」

 

 ノクティアの指摘に、首を振る。

 

「地面以外で」

 

 そんな話をしているうちに、前方から荷車が来た。

 

 荷台には籠が積まれている。

 

 僕らは道の端へ寄った。

 

 御者がこちらを見て、軽く顎を引く。

 

「どうも」

 

 僕も挨拶した。

 

 荷車は、そのまま通り過ぎた。

 

 車輪の音が遠ざかる。

 

 僕は、無意識に止めていた息を吐いた。

 

「見すぎ」

 

 ノクティアが小声で言った。

 

「荷車を?」

 

「行った後まで」

 

「……気をつけます」

 

 何でもない旅人になるのは、意外と難しかった。

 

     *

 

 しばらく進むと、道端に小さな集落があった。

 

 旅籠と呼ぶには小さいが、食事を出す家がある。

 

 軒先には水桶が置かれ、荷車を寄せる場所もあった。戸口から漂う煮炊きの匂いに、腹が鳴った。

 

 僕の腹だった。

 

 誰も何も言わない。

 

 その沈黙が、かえってつらい。

 

「……食べようか」

 

「そうですね」

 

 オトフリートが、非常に穏やかに答えた。

 

 中には、先客がいた。

 

 仕事帰りらしい男が二人。

 

 旅装の男女。

 

 奥の席には、槍を壁へ立て掛けた男が座っていた。

 

 僕はそちらへ目を向け、すぐに店の人へ視線を戻した。

 

 槍を持っているからといって、衛兵とは限らない。

 

 衛兵だったとしても、僕らを捕まえるために座っているとは限らなかった。

 

「四人です。食事はできますか」

 

「煮込みとパンなら。泊まりかい?」

 

 店の女が尋ねる。

 

 僕は仲間を見た。

 

 ノクティアが、わずかに頷いた。

 

「部屋があれば」

 

「上が空いてる。荷物を置くなら、先に手を洗っておいで。床へ泥を上げないでくれると助かるよ」

 

 僕は素直に従った。

 

 魔術師かどうかより、今は靴の方が問題だったらしい。

 

     *

 

 煮込みには、豆と根菜、それに小さな肉片が入っていた。

 

 湯気が顔へ当たる。

 

 木の匙を取った時、ようやく指の力が抜けた。

 

 オトフリートは、最初の一口を飲み込んでから目を閉じた。

 

「……温かいですね」

 

「うん」

 

 それだけで、しばらく会話が止まった。

 

 ノクティアは食べながらも、戸口へ目を向けることを忘れない。

 

 ゼフィーリアは姿勢を崩さず、ゆっくり匙を動かしていた。ただ、器が空になるまでの時間は、僕とそう変わらなかった。

 

 僕はパンを割り、汁へ浸した。

 

 これを食べるために、あの鉄の拳を避けてきた。

 

 そう言われても、今なら納得できそうだった。

 

 奥の席で、槍を持った男が立った。

 

 椅子が鳴る。

 

 僕は匙を止めそうになり、何とかそのまま口へ運んだ。

 

 男は代金を払い、店の女へ何か言って、出ていった。

 

 僕らの席には、来なかった。

 

 その背中を、今度は追わなかった。

 

     *

 

「どっちから来たんだい?」

 

 空いた器を下げながら、店の女が尋ねた。

 

「湖の方からです」

 

 僕が答える。

 

 それは、本当だった。

 

「船かい。今日は風がよかったろう」

 

「ええ。ただ、慣れなくて。陸へ上がってもしばらく揺れてる気がしました」

 

「ああ、あるねえ」

 

 女は笑った。

 

「これから先は?」

 

「オランへ」

 

「そりゃ、まだ歩くね。靴は大事にしなよ」

 

 言いながら、彼女は僕の外套の裂け目を見た。

 

「服もね」

 

「はい」

 

 返事が、少し小さくなった。

 

 何を研究しているのか。

 

 何の神へ祈るのか。

 

 どの道を通ってきたのか。

 

 そこまでは聞かれなかった。

 

 旅人が来て、食べて、泊まる。

 

 この家にとっては、それで十分なのだろう。

 

 僕は器の底に残った汁を、パンで拭った。

 

     *

 

 部屋へ入って戸を閉めた途端、ベラが言った。

 

「長い!」

 

 僕は危うく吹き出すところだった。

 

「よく我慢したね」

 

「食事中まで黙っておったのじゃぞ!」

 

「剣は食べないから、話す必要もないでしょう」

 

 ゼフィーリアが荷物を下ろしながら言う。

 

「食べぬからこそ、話すしかないではないか!」

 

 筋は通っている。

 

 通っている気もする。

 

 僕はベラを腰から外し、布を敷いた卓へ置いた。

 

「今日は助かったよ。本当に」

 

 剣が、少し黙った。

 

「……うむ」

 

 機嫌は直ったらしい。

 

 その間に、ノクティアは窓と戸を確かめていた。

 

 オトフリートは建造書の箱を開けず、外側の包みだけを見る。

 

 濡れていない。

 

 壊れていない。

 

 それを確かめると、椅子へ腰を下ろした。

 

 深い息が出た。

 

 僕も、ようやく荷物を床へ置いた。

 

     *

 

 眠る前に、地図を書き直した。

 

 歩きながらつけた線は歪み、文字はところどころ読みにくくなっていた。

 

 ノクティアが横から指を伸ばす。

 

「そこの階段、曲がってる」

 

「どっちへ?」

 

「下りて右。今の書き方だと、穴の向こうへ出る」

 

「危ない地図だなあ」

 

「だから、今直す」

 

 オトフリートも加わった。

 

 入口を基準に、上った場所と下った場所を並べる。

 

 平面図だけでは重なってしまう通路を、別に描き分ける。

 

 僕らが通った道が、ようやく紙の上でもつながった。

 

 老人へ送る手紙も、下書きを作った。

 

 橋のこと。

 

 坑道を抜けられたこと。

 

 死者と、動く鉄の番人が残っていること。

 

 安全な道として人へ教えられる状態ではないこと。

 

 書いていると、ゼフィーリアが僕の手元を見た。

 

「原石らしいものを見つけたことは?」

 

「……書く」

 

「黙っておくのかと思いました」

 

「そんなことしないよ」

 

 場所は書く。

 

 価値は、わからないと書く。

 

 自分が見たことだけを伝える。

 

 老人との約束は、それだった。

 

 最後まで書いてから、僕は筆を置いた。

 

 手紙を託すのは、送り先まできちんと届けられる便が見つかってからだ。

 

 今は紙を乾かし、地図とは別にしまっておく。

 

     *

 

 窓の外が暗くなっていた。

 

 階下では、まだ人の声がする。

 

 誰かが笑い、食器が鳴った。

 

 坑道の音とは違う。

 

 聞こえても、剣へ手を伸ばさずに済む音だった。

 

 僕は寝台へ腰を下ろし、靴を脱いだ。

 

 足が、急に自分のものへ戻った気がした。

 

「今日は、ここまでだね」

 

 オトフリートが頷く。

 

「ええ。明日、また進みましょう」

 

 ゼフィーリアが灯りを調整し、ノクティアが窓の鎧戸を閉じた。

 

 僕はベラを、手の届く場所へ置いた。

 

「おやすみ」

 

「主よ」

 

「何?」

 

「明日は、何でもない道を歩くのじゃな?」

 

 僕は少し考えた。

 

 約束できるほど、この先を知っているわけではない。

 

 だから、正直に答えた。

 

「できるだけ」

 

「頼りない返事じゃ」

 

「でも、嘘じゃない」

 

 ベラは、それ以上文句を言わなかった。

 

 階下から、また笑い声がした。

 

 今夜の僕らは、この家に泊まった四人の旅人だ。

 

 僕は外套の裂け目を見て、明日は針仕事もしなければと思った。

 

 巨人でもゴーレムでもない、そういう用事があることが、今は少し嬉しかった。

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