アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第108話 魔法を使わない魔術師

 朝、外套の裂け目を縫った。

 

 針を通し、糸を引く。

 

 もう一度、針を通す。

 

 布が妙に寄った。

 

「……何で?」

 

 ノクティアが、向かいから手元を見ていた。

 

「引きすぎ」

 

「緩いと、すぐ切れない?」

 

「布が縮むほど引かなくていい」

 

 言われた通りに少し戻す。

 

 裂け目は塞がったが、傷跡のような縫い目が残った。

 

 僕は外套を持ち上げた。

 

 着られる。

 

 引っ掛かりもしない。

 

 十分だろう。

 

「味があるの」

 

 卓の上のベラが言った。

 

「慰めてる?」

 

「傷を隠しきれぬところが、主に似合う」

 

「褒められた気がしないなあ」

 

 ゼフィーリアが、僕の横から針を取った。

 

「最後の糸を留めてください。そのまま切ると、ほどけます」

 

 戦いでは何とか生き延びても、外套一枚を直すのに全員の助けがいる。

 

 僕は言われた通りに糸を留めた。

 

     *

 

 宿を出る時、店の女が包みを渡してくれた。

 

 頼んでおいた旅の食事だった。

 

「道で食べるなら、先にこっちを食べな。日持ちしないから」

 

 包みの端を指され、僕は頷いた。

 

 食事と宿代を精算する。

 

 金額を控えた紙をしまい、荷物を背負う。

 

「気をつけて」

 

「お世話になりました」

 

 そうして外へ出た。

 

 何も起こらなかった。

 

 夜中に戸を叩かれることも、朝になって衛兵が来ることもなかった。

 

 道へ出てから、僕は一度だけ宿を振り返った。

 

 女はもう、別の客へ声を掛けていた。

 

 僕らの旅がどれだけ面倒でも、あの家の朝は続いていく。

 

「行こう」

 

 ノクティアに促され、僕は前を向いた。

 

     *

 

 その日の街道は、よく乾いていた。

 

 足取りが軽い。

 

 少なくとも、昨日よりは。

 

 オトフリートも疲れた顔をしていなかった。肩へ荷物を掛け直し、道端に咲く花を眺める余裕まである。

 

 僕は彼の横へ並んだ。

 

「眠れた?」

 

「ええ。寝台というものの価値を、改めて知りました」

 

「僕も」

 

「ただ、夢の中でずっと階段を上っていました」

 

「それは、休めてるのかな」

 

 彼は少し考えた。

 

「目覚めた時には、上り終えていましたので」

 

 なら、よかったのかもしれない。

 

 ベラが何か言いそうになった気配を感じ、僕は柄へ指を置いた。

 

 前方に、人がいた。

 

 荷車が一台、道の端へ傾いている。

 

 その周りを、男が二人動き回っていた。

 

 近づくと、車輪の片方が路肩へ落ちているのがわかった。

 

 車を避けたのか、端へ寄せすぎたのか。

 

 柔らかい土へ沈んだ車輪が、荷台を斜めにしていた。

 

「止まれ、引くな! 軸を折る!」

 

 年嵩の男が、馬の手綱を持つ若者へ叫んでいた。

 

 僕らは少し手前で足を止めた。

 

     *

 

 通り抜けることはできた。

 

 道の半分以上は空いている。

 

 向こうも、僕らへ助けを求めてはいない。

 

 僕は車輪と荷台を見た。

 

 布を掛けた荷が、傾いた側へ寄っている。もう少し傾けば、荷台から崩れそうだった。

 

 ノクティアが、僕を見た。

 

「手を貸す?」

 

「……少しだけなら」

 

「少しで済むかは、見てから」

 

 もっともだった。

 

 僕は荷車へ近づいた。

 

「押しましょうか」

 

 男は振り返り、僕の肩と腕を見た。

 

「助かる。だが、待ってくれ。先に荷を下ろさねえと、戻してもまた落ちる」

 

 話のわかる人でよかった。

 

 僕らは荷台の布を外すのを手伝った。

 

 袋が幾つも積まれている。

 

 一つ持ち上げて、思わず息を詰めた。

 

 重い。

 

 冒険で鍛えた身体でも、重いものは重かった。

 

「腰から曲げない方がいいですよ」

 

 オトフリートが隣で言った。

 

「わかってる」

 

 返事をしながら、膝を曲げ直した。

 

 彼も荷を抱えた。

 

 杖は道の脇へ立て掛けている。

 

 魔術師だからといって、持ち上げられないわけではない。

 

 荷を下ろしながら、僕は彼が以前、剣の扱いも学んでいたことを思い出した。

 

 研究書を抱え、眼鏡を直している姿ばかり見ていると、こちらが勝手に忘れてしまう。

 

     *

 

「そのまま押すと、また土が崩れる」

 

 ノクティアが車輪の脇で言った。

 

 彼女は沈んだ場所と、道の固い部分を見比べていた。

 

「ここを埋めてから。石と、板があれば」

 

「板なら荷台にある」

 

 男が答える。

 

 僕と若者で石を集める。

 

 ゼフィーリアは道の上へ下ろした袋を寄せ、通り道を空けていた。

 

 オトフリートは、荷車の下を覗き込んだ。

 

「軸は、まだ大丈夫そうです。ですが、車輪だけを無理に持ち上げるのは避けた方が」

 

「持ち上げるなら、どこ?」

 

 僕が尋ねる。

 

 彼は車の枠を指した。

 

「こちらです。下へ手を入れずに」

 

 男と相談し、長い棒を差し込む。

 

 棒の下に石を置き、てこの支点にする。

 

 見れば、やること自体は難しくなかった。

 

 ただし、全員が勝手に力を入れたら危ない。

 

 僕は男を見た。

 

「合図、お願いします」

 

「よし。馬はまだ引くな。……せえの!」

 

 棒へ体重をかけた。

 

 車が、少し浮く。

 

 ノクティアが、横から石を入れる。

 

 一度下ろす。

 

 位置を確かめ、もう一度。

 

 たったそれだけの作業で、背中へ汗が流れた。

 

     *

 

 蹄の音が聞こえたのは、その時だった。

 

 道の先から、馬に乗った者が近づいてくる。

 

 武器を帯びていた。

 

 その後ろにも、一人。

 

 僕は顔を上げかけた。

 

「手を離すな!」

 

 男に怒鳴られ、慌てて棒へ体重を戻す。

 

 車が軋んだ。

 

 オトフリートも、隣で棒を押さえている。

 

 視線が合った。

 

 彼も気づいていた。

 

 だが、手を離さなかった。

 

 馬が近づく。

 

 速度が落ちる。

 

「どうした」

 

 騎乗の男が尋ねた。

 

 荷車の持ち主が答える。

 

「見ての通りで。車輪を落としましてな。今、戻すところです」

 

「道を塞ぐなよ」

 

「荷は脇へ寄せております」

 

 僕は棒を握ったまま、顔を上げなかった。

 

 背中が熱い。

 

 汗のせいだけではない。

 

 目の前の車を浮かせている間に、何を聞かれるのか。

 

 オトフリートの杖を見られたら。

 

 荷物を開けろと言われたら。

 

 考えはした。

 

 けれど、そのどれにも答える前に、持ち主が声を上げた。

 

「もう一息だ! 押してくれ!」

 

 僕は力を入れた。

 

 オトフリートも、歯を食いしばった。

 

 車輪が石へ乗る。

 

 若者が馬を進ませた。

 

 荷車が、大きく揺れた。

 

 そして、固い道の上へ戻った。

 

     *

 

 棒を下ろした時には、騎乗の二人は先へ進んでいた。

 

 誰も止められなかった。

 

 荷物を開けられることもなかった。

 

 僕は大きく息を吐いた。

 

 その横で、オトフリートが掌を見ていた。

 

 赤くなっている。

 

「痛めた?」

 

「少し擦れただけです」

 

 彼は指を曲げ、また伸ばした。

 

「魔法を使うより、手間がかかりますね」

 

 僕は声を落とした。

 

「使いたかった?」

 

「楽になる方法は、考えました」

 

 眼鏡の奥の目が、少し笑った。

 

「ですが、私が楽をして、皆さんの旅が面倒になるのも困ります」

 

 僕は何も言えず、彼の肩を軽く叩いた。

 

 魔法を使えることは、彼の力だ。

 

 使わないで働けることも、彼の力だった。

 

     *

 

 荷を戻し終えると、持ち主は何度も礼を言った。

 

 銅貨を出そうとしたので、僕は首を振った。

 

「道を教えてください。この先、泊まれるところと、エレミアへ向かう道を」

 

「それくらい、いくらでも」

 

 男は街道の先を指した。

 

 僕らは説明を聞き、わかりにくい分かれ道だけを確かめた。

 

 最後に、彼が僕の外套を見た。

 

「兄さんも、ひどく引っ掛けたな」

 

「ええ。ちょっと」

 

「森の枝は、欲張りだからな」

 

 僕は笑って頷いた。

 

 鉄の拳だったとは、言わなかった。

 

     *

 

 荷車と別れてから、ベラが小声で言った。

 

「主よ、銅貨を断るとは珍しい」

 

「貰うほどじゃないかなって」

 

「随分、汗をかいておったぞ」

 

「だから、道を聞いた」

 

 ノクティアが横から言った。

 

「騎馬の二人が戻ってきたら、あの人が覚えてる」

 

 僕は彼女を見た。

 

「僕らのこと?」

 

「荷車を戻した四人。少なくとも、森から出てきた怪しい四人じゃない」

 

 なるほど。

 

 そこまで考えていたわけではなかった。

 

 ゼフィーリアが僕を見る。

 

「役に立つ口実ができましたね」

 

「口実のために助けたみたいに言わないでよ」

 

「では、親切心で?」

 

 僕は少し黙った。

 

 ベラが笑う。

 

 ノクティアも、口元だけを緩めた。

 

「……あのままだと、車が壊れそうだったから」

 

「ええ。それで十分でしょう」

 

 ゼフィーリアは、それ以上追及しなかった。

 

     *

 

 その後の道では、僕らは魔法を使わなかった。

 

 水を汲み、火を熾し、食事を買い、靴の泥を落とす。

 

 宿がなければ野営し、宿があれば、ほかの旅人と同じように代金を払って眠った。

 

 オトフリートは野営の支度を手伝い、ゼフィーリアは疲れた足を休める時間を取った。

 

 ノクティアと僕は、交代で道と周囲を見た。

 

 誰も、必要以上に急がなかった。

 

 ただし、長居もしなかった。

 

 街道沿いで酒を飲み交わして、出身や仕事を詳しく語るようなことは避けた。

 

 僕らの目的は、この国で顔を売ることではない。

 

 通り抜けることだった。

 

     *

 

 ザインを離れたと確かめられた時、オトフリートは足を止めた。

 

 僕も立ち止まった。

 

 道の土が急に変わったわけではない。

 

 木々も、風も、それまでと同じだ。

 

 それでも、彼の表情は違っていた。

 

「……ようやくですね」

 

「うん」

 

 僕は頷いた。

 

 彼は杖を握り直した。

 

 それから、自分の赤くなった掌を見て、少し笑った。

 

「これで、手を休められます」

 

「魔法で荷車を持ち上げる旅にするつもり?」

 

「できれば、荷車は落ちていない方が」

 

 その返事に、全員が笑った。

 

 僕は荷物を背負い直した。

 

 まだオランではない。

 

 建造書の中身を相談する相手にも会っていないし、塔を建てる準備が整ったわけでもない。

 

 それでも、一つの国を越えた。

 

 牢屋へ入らず、仲間を失わず。

 

 ベラが、ようやく遠慮のない声を出した。

 

「主よ!」

 

「何?」

 

「今度こそ、普通に喋ってよいな?」

 

 僕は道の前後を見た。

 

 近くに人はいない。

 

「どうぞ」

 

「長かった!」

 

 その声は、森の縁へよく響いた。

 

 僕らは笑いながら、エレミアへ向かう道を進んだ。

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