アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
狩人の罠から、一匹の狐が逆さに吊られていた。
赤褐色の毛並みをした、少し大きめの狐だ。
後ろ足を縄に取られ、前足を胸元へ揃えたまま、じっとルクスンたちを見下ろしている。
助けを求めて鳴くことも、逃れようともがくこともしない。
ただ、ひどく不機嫌そうだった。
「罠に引っかかるなんて、間抜けな狐だなぁ」
狐の目が細くなる。
「言葉、わかっているかも」
ノクティアが呟いた。
「まさか。狐だぞ?」
「怒っている」
「狐だって馬鹿にされたら怒るだろ。いま助けてやるから、大人しくしてろよ」
ルクスンは罠の周囲を調べた。
村の狩人が仕掛けた、一般的なくくり罠である。別の罠や、獲物を狙う待ち伏せは見当たらない。
ただし、《センス・マジック》が妙な反応を示していた。
狐の全身を覆う毛皮から、淡い魔力が漂っている。
使い魔なのか。
変身させられた人間なのか。
あるいは、狐に似た魔法生物なのか。
少なくとも、黄色い負の精霊力は見えない。アンデッドではなかった。
ルクスンは妖姫殺しで縄を切った。
狐は地面へ落ち、三本の足で危なげなく着地する。
罠に締めつけられていた後ろ足から、血が流れていた。
「骨までは折れてなさそうだな。ノクティア、薬草を――」
狐が口を開いた。
甲高い鳴き声ではない。
明確な意味を持つ、呪文の詠唱だった。
ルクスンの《センス・マジック》が、集まってくる魔力を捉える。
淡い光が後ろ足を包み、裂けた傷が塞がっていく。
「狐が呪文を唱えた! 人狼か!」
「狐なのに?」
「変身する獣人という意味では近いだろ!」
「人狼ごときと一緒にしないでください」
「喋った!」
狐が冷ややかにルクスンを見た。
直後、その赤褐色の毛皮が大きく割れた。
いや、毛皮ではない。
狐の外皮そのものに見えていたものが、鷹の羽を思わせるマントとなって、ふぁさぁ――と左右へ開いたのだ。
魔力に包まれた狐の輪郭が引き伸ばされる。
細い四肢が人間の手足へ変わり、狐の頭部が銀色の長髪を持つ女性の顔へ変わっていく。
鷹の羽根を連ねたマントが完全に開く。
その内側から、一人の女性が現れた。
褐色の肌。
銀色の長髪。
人間よりも長く尖った耳。
女性は羽根のマントを背後へ広げ、威厳を示すように胸を張った。
「人狼ごときに間違われるのは不服です。私はターシャスの森のダークエルフ十二支族を束ねる祭司の血統よ」
ルクスンは即座に顔を伏せた。
自分のマントを外し、相手を見ないまま差し出す。
「いいから、服を着てください」
女性は自分の身体を見下ろした。
「…………」
「その羽根のマント、狐になるときは外皮になるんですね」
「見るな!」
「見てません! 種族を確認するために一瞬見ただけです!」
「見たのではないか!」
「不可抗力だろ!」
ノクティアはルクスンからマントを受け取り、女性の肩へかけた。
前を閉じ、紐をきつく結ぶ。
「これでいい」
「あなたは少しも動じないのね」
「女同士だから」
「僕が悪いみたいになってない?」
妖姫殺しが楽しそうに声を上げた。
「主よ。責任を取って娶るのじゃ!」
「話をややこしくするな!」
◇
女性はルクスンのマントで身体を隠し、倒木へ腰を下ろした。
その背には、鷹の羽を思わせる魔法のマントが残っている。
狐へ変身するときには身体を包み、そのまま狐の外皮になるらしい。
「改めて名乗りましょう。私はゼフィーリア。ターシャスの森に住まうダークエルフ十二支族、その祭司を継ぐ血統の者です」
ルクスンの頭には、『ソード・ワールドRPG完全版』の知識が浮かんでいた。
ダークエルフ。
人間社会と敵対し、妖魔として分類される種族。
村人や一般の冒険者に発見されれば、話し合うより先に武器を向けられる可能性が高い。
人狼事件との関係など関係ない。
ダークエルフというだけで、討伐対象になり得る。
「十二支族を束ねるような偉い人が、どうして遠く離れた森で狐になって逆さ吊りに?」
「罠を調べていたのです」
「後ろ足で?」
「実地調査です」
「完全に引っかかってましたよね?」
「それ以上言えば、次はあなたを吊るします」
ルクスンは黙った。
「旅の途中なんですか?」
「ええ」
「どこへ?」
「自由へ」
「地名で答えてください」
ゼフィーリアは顔を背けた。
ノクティアが、その横顔を見つめる。
「追われている?」
ゼフィーリアの尖った耳が、わずかに動いた。
「追われているのではありません。自分の意思で故郷を離れただけです」
「何から逃げた?」
「結婚です」
「……結婚?」
ルクスンは聞き返した。
「十二支族の結束を固めるため、族長の息子と婚姻を結べと命じられました。私の意思など、誰も尋ねなかった」
「だから逃げた?」
「自由を選んだのです」
ゼフィーリアは当然のように言い切った。
「私はファラリスの祭司。己の欲するままに生きることこそ、神の教えです。私は結婚したくない。祭司の座にも、十二支族の政治にも興味がない。ゆえに、すべて捨てました」
「神官としては筋が通ってるな……」
「当然です」
「人として正しいかは別だけど」
「私はダークエルフです」
「そうだった!」
ただのダークエルフでも、人間に見つかれば危険である。
そのうえ、暗黒神ファラリスの神官。
正体を知られた場合、命を助けてもらえる可能性はほとんどない。
「絶対に、その姿で村へ入らないでください」
「人間の村になど興味はありません」
「人狼事件の関係者だと思われる以前に、ダークエルフとして殺されますからね」
「人族は相変わらず野蛮ですね」
「お前らにだけは言われたくないと思うぞ!」
妖姫殺しが鞘の中から声を上げる。
「主よ。この女を倒せば経験点になるのではないか?」
「本人の前で言うな!」
「魔剣ごときが、私を倒せるとでも?」
「ごときとはなんじゃ! わらわは吸血姫を滅ぼした魔剣ぞ!」
「僕が勝手につけた名前だけどね」
ゼフィーリアは妖姫殺しへ冷たい視線を向けた。
「うるさい剣ですね」
「ノクティアと同じ感想だ!」
ノクティアが小さく頷く。
「仲良くなれるかもしれない」
「そこで意気投合するの?」
◇
ルクスンは、ゼフィーリアへ森の様子を尋ねた。
「この森へ入ったのは、いつです?」
「三日前です」
「人狼を見ましたか?」
「姿は見ていません。ただ、普通の森ではありません」
ゼフィーリアは周囲へ目を向けた。
「獣たちが姿を隠しています。兎も鹿も、鳥さえも巣から出てこない。大きな捕食者が縄張りへ入ったときの反応に似ていますが、狼や熊とは違う」
「人狼の可能性は?」
「否定はしません」
「罠を調べていたのも、そのため?」
「私は狐の姿で森を抜けようとしていました。ところが獣道のいたるところに、人間の罠が仕掛けられていたのです。何を警戒しているのか調べようと――」
「引っかかった」
「調査したのです」
「身体を張って」
「吊るしますよ?」
ルクスンは再び黙った。
ゼフィーリアは人狼を目撃していない。
だが、この森に普通の獣ではない何かがいることは、彼女も感じていた。
「協力してくれませんか?」
「なぜ私が?」
「狐の姿なら、人間より臭いを追いやすい。森の獣道にも入れる。事件を解決するまで正体を隠す代わりに、人狼探しを手伝ってほしい」
「私を脅しているのですか?」
「取引です」
「断れば?」
「村から離れた安全な場所まで案内します。助けた相手を村人へ売るつもりはない」
ゼフィーリアが、初めて値踏みするようにルクスンを見た。
「人族にしては、甘いのですね」
「人狼を探しに来たのに、罠にかかった狐を殺してどうするんだよ」
「私はダークエルフです」
「知ってます」
「ファラリスの神官です」
「それも聞きました」
「それでも見逃すと?」
「いまのところ、僕たちに何もしてないからな」
ゼフィーリアはしばらく黙っていた。
やがて、尊大に顎を上げる。
「よいでしょう。あなたたちだけでは、森の中で迷うでしょうから。私が手を貸してあげます」
「罠にかかった人に言われたくない」
「吊るします」
「もう言いません」
◇
遠くで枝の折れる音がした。
ノクティアが短剣へ手を伸ばす。
「誰か来る。三人」
「村の狩人か?」
「たぶん」
ルクスンはゼフィーリアを振り返った。
「狐に戻ってください!」
「命令しないでください」
「見つかったら殺されるぞ!」
「それは困ります」
ゼフィーリアが鷹の羽根のマントを広げる。
羽根が前方から身体を包み、褐色の肌も銀色の髪も、その内側へ呑み込まれていく。
マントはみるみる形を変え、赤褐色の毛皮となった。
次の瞬間、そこには一匹の狐が立っていた。
鷹の羽根のマントは消えている。
正確には、狐の外皮そのものへ変化していた。
ただし、ルクスンが貸した普通のマントだけは変身へ巻き込まれず、その場へ落ちた。
「僕のマント!」
ルクスンが慌てて拾い上げた直後、三人の狩人が茂みを掻き分けて現れた。
先頭の男が、ノクティアの足元に座る狐を見つける。
「何か見つかったか?」
「狐が罠にかかっていました。いま外したところです」
「その狐、この辺りでは見ない毛色だな」
狩人の一人が弓へ手を伸ばした。
「人狼の手掛かりがないなら、そいつでも持ち帰るか。毛皮にはなる」
狐の耳がぴくりと動く。
ルクスンは慌てて抱き上げた。
「駄目です! こいつは僕たちの猟犬です!」
「狐だぞ?」
「狐型の猟犬です!」
沈黙が落ちた。
腕の中のゼフィーリアが、前足でルクスンの胸を叩く。
余計なことを言うな、と抗議しているらしい。
「変わった冒険者だな」
「よく言われます」
狩人たちは疑わしそうに狐を見たが、それ以上は追及しなかった。
ゼフィーリアの狐姿は、魔力を感知できない者には普通の狐と変わらないらしい。
ルクスンは狐を抱えたまま、村へ戻り始めた。
人狼を探すために訪れた村へ、人狼以上に正体を知られてはならない妖魔を連れて。
ルクスンとノクティアの初仕事は、依頼二日目にして、すでに余計な秘密を抱え込んでいた。