アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
ノクティアが戻ってきた時、僕は宿の卓に紙を広げていた。
船の絵だ。
先端を尖らせ、後ろに部屋らしい四角を載せた。その下へ線を何本か引いてみたが、船底というより、籠に見える。
「何、それ」
覗き込んだノクティアが言った。
「船」
「……どっちが前?」
僕は黙って、先端へ矢印を書いた。
卓の向こうで、オトフリートが咳払いをした。
笑ったのだと思う。
「会ってくれる人がいる」
ノクティアは椅子へ腰を下ろした。
僕も炭筆を置く。
「船大工のことを?」
「それと、職人や材料の紹介。表で話をまとめにくい取引を扱ってる」
「信用できそう?」
「そこまでは、まだ。別々のところで名前を聞いて、同じ窓口を教えられた」
彼女は水を飲んでから続けた。
「お金を払えば何でも教える、とは言わなかった。用件を聞いて、会うか決めるって」
「それで、会ってくれることになったんだ」
「うん。明日の昼。四人で来ていいって」
「五人じゃ」
ベラが言った。
ノクティアは剣へ目を向けた。
「入口で説明して」
僕は、嫌な予感がした。
*
案内された建物は、思っていたより普通だった。
大通りから少し入った場所にある、荷を扱う店。
入口には秤があり、壁際には木箱が積まれている。客が荷札を確かめ、店の男が帳面へ何かを書き込んでいた。
地下へ続く秘密の階段も、髑髏を飾った扉もない。
僕らが名前を告げると、店の男は奥へ声を掛けた。
「四人、お着きだ」
「五人じゃ」
腰でベラが言った。
男の手が止まる。
僕は剣へ手を添えた。
「これが、もう一人です」
男は僕の顔を見た。
剣を見た。
ノクティアへ視線を向けると、彼女は小さく頷いた。
「……武器を預けろとは言われてねえ。持って入りな」
それだけ言って、奥の扉を開けた。
僕はベラへ小声で囁いた。
「満足?」
「正確な人数を申したまでじゃ」
間違ってはいない。
間違ってはいないのだが、毎回これをやるのだろうか。
*
奥の部屋には、風が通っていた。
窓には薄い布が掛かり、外の強い光を和らげている。卓の上には帳面と紙束が置かれ、隅に、水差しと杯が揃えてあった。
その向こうに、女が座っていた。
長い耳。
褐色の肌。
人間に見せようとする様子はない。
ダークエルフだった。
「お待ちしていました。お掛けください」
静かな声だった。
僕らが座るのを待ってから、女は名乗った。
「闇マーケットギルドの副マスター、フリージアです」
ノクティアから聞いていた名前だ。
『氷の妖姫』。
冷たい女なのかと思っていたが、表情が乏しいわけではない。薄く微笑んでいるし、客を迎える態度も丁寧だった。
ただ、僕らの誰か一人へ、余分に愛想を向けることはなかった。
話す相手を見る。
返答を聞く。
必要なことを、次に尋ねる。
その手順が、妙に澄んでいた。
「船大工の仕事と、負債についてお知りになりたいと伺っています」
「はい。それから、仕事を頼む職人や、材料を扱う人を探しています」
「船を造るのですね」
「その相談から、です」
彼女は頷いた。
「では、まず、棟梁から何をお聞きになりましたか」
*
僕は、昨日の話を伝えた。
注文主からの支払いが止まったこと。
材木を買い、職人を集め、その賃金を払うために借りたこと。
作りかけの船を、簡単に売って済ませることはできないということ。
フリージアは途中で口を挟まなかった。
聞き終えてから、紙へ短く書きつける。
「確認したいのは、負債の額だけですか。それとも、その仕事が止まった経緯まで?」
「経緯まで。僕らが仕事を頼んで、同じことで止まると困るので」
「借金を引き受ける約束は?」
「していません」
「結構です」
僕は少し身構えた。
褒められたのか、単に話が簡単でよかったのか、わからなかった。
「棟梁の腕は確かです。ですが、誰にいくら支払えば仕事を再開できるかは、腕とは別の話です。注文の契約と、借入れの契約、その両方を見る必要があります」
「そこまで調べられるんですか」
「調べる仕事を、お受けできます。ただし、調べた結果がお望みの内容になるとは限りません」
言い方は穏やかだった。
僕は頷いた。
「都合のいい答えより、本当のところを知りたいです」
「では、そのように」
彼女は紙をこちらへ向けた。
調査する範囲と、報酬。
追加の調査が必要なら、勝手に費用を増やさず、一度こちらへ知らせるという条件も書かれていた。
オトフリートが目を通し、ノクティアも確認する。
僕はその紙を読んでから、顔を上げた。
「仕事を頼む前に、一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「僕らが何を調べているか、相手へ伝わることは?」
「調査の仕方によります。直接、書類の提示を求めれば、誰かが関心を持ったことはわかるでしょう。あなた方の名を出す必要が生じた場合は、先に相談します」
絶対に漏れない、とは言わなかった。
その方が、判断しやすかった。
*
話がまとまりかけたところで、フリージアが僕らを見た。
「差し支えなければ、どちらからエレミアへ?」
「ザインを抜けてきました」
答えると、彼女の目がオトフリートの杖へ向いた。
ほんの一瞬だった。
「船と街道ですか」
「途中で、古い坑道を使いました」
フリージアの指が止まった。
「……ドワーフの搬出路を?」
僕は頷いた。
彼女は帳面を一冊取り、何枚か捲った。
「鉄の番人は?」
「いました。壊してはいません。脇の通路を使って、抜けました」
今度は、はっきりと僕らを見た。
「全員で?」
「全員で」
「五人ともじゃ」
ベラが付け加えた。
フリージアは、剣にも視線を向けた。
「承知しました」
普通に返事をした。
ベラは、少し嬉しそうだった。
「その道は、ご存じなんですね」
僕が尋ねると、フリージアは帳面を閉じた。
「以前、通過の候補に入っていました。今は、お客様へ案内できる状態ではありません」
「そうでしょうね」
あの拳を思い出す。
あれがいる道を、安全な抜け道として売られたら、僕も怒る。
「現状を記録していらっしゃいますか」
「地図と、通った時の記録なら」
「内容を確認して、対価をお出しすることはできます」
僕は思わず、ノクティアを見た。
彼女は、ほんの少し眉を上げた。
金になるとは考えていなかったらしい。
「老人に、道の様子を知らせる約束をしています。同じ内容を、その人へ送っても構いませんか」
「こちらが独占を求めるなら、その条件も含めて相談します。今、お話ししているのは、あなた方が見てきた情報を買うということです」
僕は椅子へ座り直した。
坑道では、何も拾ってこなかった。
けれど、持ち帰ったものが、何もなかったわけではないらしい。
*
「それから、鍛冶屋も探していると?」
フリージアに尋ねられ、僕は盾を直してもらった工房のことを話した。
「先代の銘を求める客が多いところですね」
「今の職人の仕事も、いいと思ったんです」
「何を頼むおつもりですか」
「船に使う金具や、仕掛けを。まだ、図面から考えなきゃいけないんですけど」
「棟梁と、その職人を会わせることはできます。ですが、今のお話だけでは、普通の船の注文にしては手順が多いですね」
僕は口を閉じた。
オトフリートが、こちらを見る。
ノクティアは何も言わなかった。
話すなら、僕が決めることだった。
「変わった船なんです」
「変わった、とは?」
僕は、卓の上の紙へ目を落とした。
調査の範囲。
報酬。
名前を出す前に相談するという約束。
まだ、相手のすべてを知ったわけではない。
それでも、職人を紹介してもらう以上、何を造りたいかを、いつまでも隠してはいられなかった。
「空を飛ぶ船です」
フリージアは、動かなかった。
僕が冗談を続けるのを待っているようにも見えた。
「古代の船を、引き揚げる話でしょうか」
「いえ。これから造りたいんです」
その時、窓の外で声がした。
「それ、もう飛んだ?」
*
僕は窓へ顔を向けた。
布が持ち上がる。
小柄な者が窓枠へ腰を掛け、こちらを覗き込んでいた。
子供のように見えるが、グラスランナーだ。
いつからいたのか。
少なくとも、僕は気づかなかった。
「まだ。これから、形を考えるところで」
思わず答えると、相手の顔が明るくなった。
「じゃあ、最初から見られるんだ!」
「マスター。入口は向こうです」
フリージアが言った。
「こっちの方が近かったよ」
「窓ですので」
グラスランナーは気にした様子もなく、部屋へ入ってきた。
空いた椅子を引き寄せる。
座る前に、僕の顔を覗き込んだ。
「飛んだら、どこへ行くの?」
「行きたいところへ」
「関所も越える?」
「越えられるなら」
「止まれって言われたら?」
僕は、少しだけ笑った。
「止まる理由を聞く」
グラスランナーも笑った。
同じような笑顔なのに、僕は何故か、返事を値踏みされた気がした。
「いいね。止まるかどうか、まだ決めてないんだ」
彼は椅子へ飛び乗った。
フリージアが、静かに紹介した。
「当ギルドのマスター、タムロンです」
『微笑む魔獣』。
ノクティアから聞いていた、もう一つの名前だった。
目の前のタムロンは、船の値段も、僕らの資産も尋ねなかった。
代わりに、こう言った。
「見せて。空飛ぶ船の絵」
僕は、懐の紙へ手を伸ばした。
朝、描いたばかりのものだ。
船に見えるかも怪しい。
だが、ここまで来て、出さないのもおかしかった。
卓へ広げる。
タムロンが覗き込む。
フリージアも目を落とした。
しばらくして、マスターが尋ねた。
「これ、籠?」
オトフリートが顔を背けた。
今度は、咳払いでは済まなかった。