アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
翌朝、エッダの工房へ行くと、机の上に金具が六つ並んでいた。
どれも手のひらに収まる大きさで、両端に穴が開いている。真ん中だけが少し膨らみ、その内側に別の部品を挟めるようになっていた。
「船の部品?」
「試しに作っただけ。昨日の話を聞いて、口だけで説明するより早いと思ったから」
エッダは一本を取り、短い木材二本の間に置いた。
片側を固定し、もう片側は少し動く。
僕が首を傾げると、隣からガルドの太い指が伸びてきた。
「こっちを押してみろ」
言われたとおりに木を押す。
金具の中で軸が回り、二本の木材の角度が変わった。
「船は動く。波を受けりゃ船体もたわむ。空の上でどうなるかは知らんが、何もかも固めりゃ丈夫になるってもんでもねえ」
「魔力導管の継ぎ目に使うんですか?」
オトフリートの問いに、エッダは首を振った。
「そこは分からない。魔力が通る部分を曲げていいのかも、まだ聞いてないし。これは、その外側を支える金具のつもり」
「なるほど。導管そのものと支持部を分けるわけですね」
オトフリートが眼鏡を押し上げた。
僕はもう一本の木を押した。
動いた。
戻した。
また動いた。
「……面白い」
「主よ。それは玩具ではないぞ」
「分かってる」
「分かっておる者は、そう何度も動かさぬ」
腰のベラに言われ、僕は手を離した。
その直後、窓の外から小さな手が伸びてきた。
「それ、ぼくにもやらせて」
「入口はあっちだ」
ガルドが親指で示す。
タムロンは窓枠に片足をかけたまま、そちらを見た。
「遠いね」
「三歩だ」
「もう片足上げる方が早いよ」
「窓を踏むな」
結局、タムロンは外へ戻り、入口から入ってきた。
その後ろにフリージアがいた。
「お待たせしました。ガルドさん、お話しできる場所はありますか」
ガルドの顔から、さっきまでの職人同士の気安さが消えた。
僕も、手元の金具を置いた。
*
工房の奥で、フリージアは持参した紙を広げた。
船の発注書と支払いに関する記録。その写しだ。
ガルドは椅子に腰を下ろしたまま、紙を見ようとしなかった。
「俺が持ってるやつと同じだろ」
「同じ内容かを確認しました。相手方の説明と食い違う箇所がありましたので」
「……何だと?」
「相手は、作業が遅れたから支払いを止めた、と説明しています」
ガルドの指が膝の上で丸まった。
「金が来ねえから材木が買えなくなったんだ。順番を逆にしやがって」
「材料商の帳面と、職人への支払い記録は、その説明を裏づけています」
フリージアの声は変わらなかった。
「ただし、これで借金が消えるわけではありません。ガルドさんに貸した側は、約束した金を実際に渡しています」
「分かってる」
短い返事だった。
僕は紙へ目を落とした。
船を注文した者。
船を造る者。
材料を売った者。
作業をした者。
金を貸した者。
ガルドが借金を抱えている、とだけ聞けば一つの問題に見えたものが、紙の上では幾つもの約束に分かれていた。
「つまり、僕が借金を払っても、あの船を自由に使えるようにはならない?」
「なりません」
フリージアは即答した。
「それを先に確認しておきたかったのです。借金を肩代わりした後で、未完成の船の扱いを巡って争うことになりますから」
危なかった。
金ができたら借金を払って、造りかけの船を飛空船に改造すればいい。
少しだけ、そう考えていた。
ガルドが僕を見た。
「それに、あれは海に浮かべるつもりで造った船だ。昨日の話をそのまま詰め込むなら、途中から無理をさせることになる」
「買ってから言われなくてよかった」
「金を出す前に言ってるだろうが」
「うん。ありがとう」
ガルドは鼻を鳴らして、ようやく紙に目を向けた。
フリージアが一枚を手前へ動かす。
「まず、止まっている発注をどう終わらせるか。その交渉と、借入金の返済条件の相談を進めます。新しい船の仕事は、分けて扱うべきです」
「僕の船の前金を、そのまま昔の穴埋めにしないってこと?」
「材料を買うはずのお金で過去の支払いをすれば、また材料を買えなくなります」
返す言葉がなかった。
ガルドも黙っていたが、やがて低く言った。
「同じことは二度もやらん」
「そのために、最初に決めておきましょう」
フリージアは責める調子ではなく言った。
タムロンは椅子の背から身を乗り出し、紙を逆さまに眺めていた。
「この人、船が欲しかったのかな」
「発注者ですか?」
「うん。欲しかった船ができなくなって、それで困らないのかなって」
フリージアが彼を見る。
「そこも確認中です」
「ふうん」
タムロンは、それ以上は聞かなかった。
もう興味が金具へ戻っているらしく、工房の方を振り返った。
僕は逆に、その言葉が気になった。
ガルドにとっては、職人を散らし、仕事場を止めるほどの出来事だった。
相手にとっては、どうなのだろう。
「ルクスンさん」
フリージアに呼ばれ、顔を上げる。
「今は、直接会いに行かないでください。相手に何を言わせたいのか、こちらで整理してからです」
「……顔に出てた?」
「少し」
隣のノクティアが、僕の肘を軽くつついた。
「かなり」
*
話を終えて工房へ戻ると、タムロンが金具を動かしていた。
左右に。
上下に。
最後に、力いっぱい逆方向へ。
「そこまで曲げるな!」
エッダの声と同時に、木材が机を叩いた。
タムロンが手を放す。
「どこまで動くか知りたくて」
「なら聞いて」
「聞くより、やってみた方が分かることもあるよ」
「壊れたら、あなたに請求する」
「じゃあ、壊れるところまでやっていい?」
エッダの口が止まった。
ガルドが笑った。
「試すための物なら、悪い話じゃねえぞ」
「……これは動きを見せるための物。強さを試すなら、別に作る」
「分かった。そっちも見たい」
タムロンは楽しそうだった。
飛ぶ船も、壊れる金具も、彼の中では同じくらい見たいものなのかもしれない。
僕は、自分の船の完成時に彼をどこへ座らせるか、少し考え直した。
舵から遠い場所がいい。
できれば、触ってはいけない物が一つもない場所だ。
そんな場所が船にあるのかは分からなかった。
オトフリートが、持参した塔の図面の写しを広げた。
「昨日の続きですが、ここを見てください」
指先が止まったのは、壁の中を通る導管と、その周囲の構造が描かれた箇所だった。
古代語の注記を読み、僕は顔をしかめた。
「点検口から確認して、損傷した部分を交換する……これ、船にも必要だよね」
「ええ。読めば当然のことに見えますが、昨日の間取りには、交換する部品を引き抜く場所がありませんでした」
ガルドが図面を引き寄せた。
「どのくらい長い?」
「まだ決められません」
「なら、長い物をそのまま入れるな。外すときに部屋を壊すことになる」
「私の部屋でしょうか」
ゼフィーリアが穏やかに尋ねた。
誰も答えなかった。
彼女の部屋の横には、昨日、動力設備を置く予定の区画ができていた。
「壁を外すたびに寝台を動かすのは、少々困りますね」
「廊下側から外せるようにしよう」
僕が言うと、ノクティアが図面を指した。
「そこ、あなたの部屋」
僕は黙った。
ベラが笑った。
「よかったではないか。主の部屋なら、主に断るだけで済むぞ」
「僕にも断る権利はあるよね?」
「船主であろう。責任を持て」
「さっきまで船主を廊下に寝かせるなって話だったのに!」
ガルドが図面の上に手を置いた。
「だから、先に外し方を決めるんだ。誰の寝台を動かすかで決めるな」
正論だった。
僕たちは、設備を置く区画の脇に、部品を運び出すための場所を取り直した。
その分だけ、別の場所が狭くなる。
ゼフィーリアが寝台の線を守り、ノクティアが通路の幅を守り、オトフリートが書物を置く場所を守った。
僕も自分の部屋を守った。
結局、最初に負けたのは、誰の物でもなかった大きな空き場所だった。
「余裕があると思ったのになあ」
「使い道が決まってねえだけで、余ってたわけじゃねえ」
ガルドは言いながら、削った場所へ小さく書き込んだ。
――荷を積む場所、再検討。
まだ積む荷物すら揃っていないのに、船はもう狭かった。
*
昼近く、一人の商人が工房を訪れた。
エッダへ声をかけるより先に、壁の武器を見上げる。
「親方が最後に打った品は、もう残っていないかね」
「売れる物は、残っていません」
「そうか。あの銘なら、欲しがる客がいるんだが」
商人は机の上にも目をやった。
金具を見た。
図面を見た。
それから、興味をなくしたように入口へ戻った。
「何か出てきたら知らせてくれ」
エッダは返事をした。
愛想が悪かったわけではない。
けれど商人が去った後、並べてあった金具の向きを揃える手が、妙に丁寧だった。
ガルドが、そのうちの一本を持ち上げた。
「これを十個作ったら、全部同じにできるか」
「できる」
「百なら?」
「数を作るための道具を用意して、材料を揃えれば。納期は変わる」
「途中で寸法を変えたら?」
「変えた人に文句を言う」
ガルドが僕を見た。
「覚えとけよ」
「何で僕を見るの?」
「船主だからだ」
反論できなかった。
僕は金具を一つ取り、別の木材の間へ入れてみた。
軸が通った。
最初の物と同じように動いた。
当たり前のようでいて、船のどこかで部品が壊れたとき、この当たり前がなければ困る。
「交換用も積みたいな」
エッダが顔を上げた。
「同じ物を?」
「うん。旅先で壊れるたびに、ここまで帰ってくるわけにはいかないから」
「どこが壊れやすいかも、まだ分からないよ」
「それも一緒に考えてほしい」
彼女は僕を見て、それからガルドを見た。
ガルドは金具を机へ戻した。
「船は造って終わりじゃねえからな」
エッダが、初めて少し笑った。
「じゃあ、部品を入れる箱も必要だね」
ノクティアが図面へ目を落とす。
オトフリートも同じ場所を見た。
ゼフィーリアが僕を見る。
僕は急いで、自分の部屋の上に手を置いた。
「ここは駄目だからね」
*
帰り際、フリージアから薄い紙を渡された。
今後、金が必要になる項目が書かれていた。
材木。
運搬。
金具。
職人の手間。
魔術に関する調査と試作。
まだ値段を出せない欄も多い。
それでも、僕は紙を持ったまま立ち止まった。
船を一隻買う、という考えでは足りなかった。
誰も造ったことのない船を造るために、試して、失敗して、直す。その間にも職人は食事をするし、工房には燃料が要る。
「完成する船の代金だけではありません」
フリージアが言った。
「完成に至るまでの仕事にも、お金を払う必要があります」
「……うん」
昨日までの絵には、僕たちが暮らす部屋があった。
今日の紙には、それを造る人たちの暮らしがあった。
どちらも削って済ませたくはない。
僕は紙を折り、懐へ入れた。
金を手に入れる当てなら、一つある。
砂の下で、長いこと持ち主を待っている魔導書だ。
ただ、取りに行って帰ってこなければ、当ては当てのままだった。
「主よ」
腰から声がした。
「妙な顔をしておるぞ」
「ちょっと、金策を考えてた」
「ろくでもないことを考えておる顔じゃな」
僕は否定せず、右手を開いた。
何も起きない。
まだ、目の前に死者はいなかった。