アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第116話 名工の名前がない金具

 翌朝、エッダの工房へ行くと、机の上に金具が六つ並んでいた。

 

 どれも手のひらに収まる大きさで、両端に穴が開いている。真ん中だけが少し膨らみ、その内側に別の部品を挟めるようになっていた。

 

「船の部品?」

 

「試しに作っただけ。昨日の話を聞いて、口だけで説明するより早いと思ったから」

 

 エッダは一本を取り、短い木材二本の間に置いた。

 

 片側を固定し、もう片側は少し動く。

 

 僕が首を傾げると、隣からガルドの太い指が伸びてきた。

 

「こっちを押してみろ」

 

 言われたとおりに木を押す。

 

 金具の中で軸が回り、二本の木材の角度が変わった。

 

「船は動く。波を受けりゃ船体もたわむ。空の上でどうなるかは知らんが、何もかも固めりゃ丈夫になるってもんでもねえ」

 

「魔力導管の継ぎ目に使うんですか?」

 

 オトフリートの問いに、エッダは首を振った。

 

「そこは分からない。魔力が通る部分を曲げていいのかも、まだ聞いてないし。これは、その外側を支える金具のつもり」

 

「なるほど。導管そのものと支持部を分けるわけですね」

 

 オトフリートが眼鏡を押し上げた。

 

 僕はもう一本の木を押した。

 

 動いた。

 

 戻した。

 

 また動いた。

 

「……面白い」

 

「主よ。それは玩具ではないぞ」

 

「分かってる」

 

「分かっておる者は、そう何度も動かさぬ」

 

 腰のベラに言われ、僕は手を離した。

 

 その直後、窓の外から小さな手が伸びてきた。

 

「それ、ぼくにもやらせて」

 

「入口はあっちだ」

 

 ガルドが親指で示す。

 

 タムロンは窓枠に片足をかけたまま、そちらを見た。

 

「遠いね」

 

「三歩だ」

 

「もう片足上げる方が早いよ」

 

「窓を踏むな」

 

 結局、タムロンは外へ戻り、入口から入ってきた。

 

 その後ろにフリージアがいた。

 

「お待たせしました。ガルドさん、お話しできる場所はありますか」

 

 ガルドの顔から、さっきまでの職人同士の気安さが消えた。

 

 僕も、手元の金具を置いた。

 

     *

 

 工房の奥で、フリージアは持参した紙を広げた。

 

 船の発注書と支払いに関する記録。その写しだ。

 

 ガルドは椅子に腰を下ろしたまま、紙を見ようとしなかった。

 

「俺が持ってるやつと同じだろ」

 

「同じ内容かを確認しました。相手方の説明と食い違う箇所がありましたので」

 

「……何だと?」

 

「相手は、作業が遅れたから支払いを止めた、と説明しています」

 

 ガルドの指が膝の上で丸まった。

 

「金が来ねえから材木が買えなくなったんだ。順番を逆にしやがって」

 

「材料商の帳面と、職人への支払い記録は、その説明を裏づけています」

 

 フリージアの声は変わらなかった。

 

「ただし、これで借金が消えるわけではありません。ガルドさんに貸した側は、約束した金を実際に渡しています」

 

「分かってる」

 

 短い返事だった。

 

 僕は紙へ目を落とした。

 

 船を注文した者。

 

 船を造る者。

 

 材料を売った者。

 

 作業をした者。

 

 金を貸した者。

 

 ガルドが借金を抱えている、とだけ聞けば一つの問題に見えたものが、紙の上では幾つもの約束に分かれていた。

 

「つまり、僕が借金を払っても、あの船を自由に使えるようにはならない?」

 

「なりません」

 

 フリージアは即答した。

 

「それを先に確認しておきたかったのです。借金を肩代わりした後で、未完成の船の扱いを巡って争うことになりますから」

 

 危なかった。

 

 金ができたら借金を払って、造りかけの船を飛空船に改造すればいい。

 

 少しだけ、そう考えていた。

 

 ガルドが僕を見た。

 

「それに、あれは海に浮かべるつもりで造った船だ。昨日の話をそのまま詰め込むなら、途中から無理をさせることになる」

 

「買ってから言われなくてよかった」

 

「金を出す前に言ってるだろうが」

 

「うん。ありがとう」

 

 ガルドは鼻を鳴らして、ようやく紙に目を向けた。

 

 フリージアが一枚を手前へ動かす。

 

「まず、止まっている発注をどう終わらせるか。その交渉と、借入金の返済条件の相談を進めます。新しい船の仕事は、分けて扱うべきです」

 

「僕の船の前金を、そのまま昔の穴埋めにしないってこと?」

 

「材料を買うはずのお金で過去の支払いをすれば、また材料を買えなくなります」

 

 返す言葉がなかった。

 

 ガルドも黙っていたが、やがて低く言った。

 

「同じことは二度もやらん」

 

「そのために、最初に決めておきましょう」

 

 フリージアは責める調子ではなく言った。

 

 タムロンは椅子の背から身を乗り出し、紙を逆さまに眺めていた。

 

「この人、船が欲しかったのかな」

 

「発注者ですか?」

 

「うん。欲しかった船ができなくなって、それで困らないのかなって」

 

 フリージアが彼を見る。

 

「そこも確認中です」

 

「ふうん」

 

 タムロンは、それ以上は聞かなかった。

 

 もう興味が金具へ戻っているらしく、工房の方を振り返った。

 

 僕は逆に、その言葉が気になった。

 

 ガルドにとっては、職人を散らし、仕事場を止めるほどの出来事だった。

 

 相手にとっては、どうなのだろう。

 

「ルクスンさん」

 

 フリージアに呼ばれ、顔を上げる。

 

「今は、直接会いに行かないでください。相手に何を言わせたいのか、こちらで整理してからです」

 

「……顔に出てた?」

 

「少し」

 

 隣のノクティアが、僕の肘を軽くつついた。

 

「かなり」

 

     *

 

 話を終えて工房へ戻ると、タムロンが金具を動かしていた。

 

 左右に。

 

 上下に。

 

 最後に、力いっぱい逆方向へ。

 

「そこまで曲げるな!」

 

 エッダの声と同時に、木材が机を叩いた。

 

 タムロンが手を放す。

 

「どこまで動くか知りたくて」

 

「なら聞いて」

 

「聞くより、やってみた方が分かることもあるよ」

 

「壊れたら、あなたに請求する」

 

「じゃあ、壊れるところまでやっていい?」

 

 エッダの口が止まった。

 

 ガルドが笑った。

 

「試すための物なら、悪い話じゃねえぞ」

 

「……これは動きを見せるための物。強さを試すなら、別に作る」

 

「分かった。そっちも見たい」

 

 タムロンは楽しそうだった。

 

 飛ぶ船も、壊れる金具も、彼の中では同じくらい見たいものなのかもしれない。

 

 僕は、自分の船の完成時に彼をどこへ座らせるか、少し考え直した。

 

 舵から遠い場所がいい。

 

 できれば、触ってはいけない物が一つもない場所だ。

 

 そんな場所が船にあるのかは分からなかった。

 

 オトフリートが、持参した塔の図面の写しを広げた。

 

「昨日の続きですが、ここを見てください」

 

 指先が止まったのは、壁の中を通る導管と、その周囲の構造が描かれた箇所だった。

 

 古代語の注記を読み、僕は顔をしかめた。

 

「点検口から確認して、損傷した部分を交換する……これ、船にも必要だよね」

 

「ええ。読めば当然のことに見えますが、昨日の間取りには、交換する部品を引き抜く場所がありませんでした」

 

 ガルドが図面を引き寄せた。

 

「どのくらい長い?」

 

「まだ決められません」

 

「なら、長い物をそのまま入れるな。外すときに部屋を壊すことになる」

 

「私の部屋でしょうか」

 

 ゼフィーリアが穏やかに尋ねた。

 

 誰も答えなかった。

 

 彼女の部屋の横には、昨日、動力設備を置く予定の区画ができていた。

 

「壁を外すたびに寝台を動かすのは、少々困りますね」

 

「廊下側から外せるようにしよう」

 

 僕が言うと、ノクティアが図面を指した。

 

「そこ、あなたの部屋」

 

 僕は黙った。

 

 ベラが笑った。

 

「よかったではないか。主の部屋なら、主に断るだけで済むぞ」

 

「僕にも断る権利はあるよね?」

 

「船主であろう。責任を持て」

 

「さっきまで船主を廊下に寝かせるなって話だったのに!」

 

 ガルドが図面の上に手を置いた。

 

「だから、先に外し方を決めるんだ。誰の寝台を動かすかで決めるな」

 

 正論だった。

 

 僕たちは、設備を置く区画の脇に、部品を運び出すための場所を取り直した。

 

 その分だけ、別の場所が狭くなる。

 

 ゼフィーリアが寝台の線を守り、ノクティアが通路の幅を守り、オトフリートが書物を置く場所を守った。

 

 僕も自分の部屋を守った。

 

 結局、最初に負けたのは、誰の物でもなかった大きな空き場所だった。

 

「余裕があると思ったのになあ」

 

「使い道が決まってねえだけで、余ってたわけじゃねえ」

 

 ガルドは言いながら、削った場所へ小さく書き込んだ。

 

 ――荷を積む場所、再検討。

 

 まだ積む荷物すら揃っていないのに、船はもう狭かった。

 

     *

 

 昼近く、一人の商人が工房を訪れた。

 

 エッダへ声をかけるより先に、壁の武器を見上げる。

 

「親方が最後に打った品は、もう残っていないかね」

 

「売れる物は、残っていません」

 

「そうか。あの銘なら、欲しがる客がいるんだが」

 

 商人は机の上にも目をやった。

 

 金具を見た。

 

 図面を見た。

 

 それから、興味をなくしたように入口へ戻った。

 

「何か出てきたら知らせてくれ」

 

 エッダは返事をした。

 

 愛想が悪かったわけではない。

 

 けれど商人が去った後、並べてあった金具の向きを揃える手が、妙に丁寧だった。

 

 ガルドが、そのうちの一本を持ち上げた。

 

「これを十個作ったら、全部同じにできるか」

 

「できる」

 

「百なら?」

 

「数を作るための道具を用意して、材料を揃えれば。納期は変わる」

 

「途中で寸法を変えたら?」

 

「変えた人に文句を言う」

 

 ガルドが僕を見た。

 

「覚えとけよ」

 

「何で僕を見るの?」

 

「船主だからだ」

 

 反論できなかった。

 

 僕は金具を一つ取り、別の木材の間へ入れてみた。

 

 軸が通った。

 

 最初の物と同じように動いた。

 

 当たり前のようでいて、船のどこかで部品が壊れたとき、この当たり前がなければ困る。

 

「交換用も積みたいな」

 

 エッダが顔を上げた。

 

「同じ物を?」

 

「うん。旅先で壊れるたびに、ここまで帰ってくるわけにはいかないから」

 

「どこが壊れやすいかも、まだ分からないよ」

 

「それも一緒に考えてほしい」

 

 彼女は僕を見て、それからガルドを見た。

 

 ガルドは金具を机へ戻した。

 

「船は造って終わりじゃねえからな」

 

 エッダが、初めて少し笑った。

 

「じゃあ、部品を入れる箱も必要だね」

 

 ノクティアが図面へ目を落とす。

 

 オトフリートも同じ場所を見た。

 

 ゼフィーリアが僕を見る。

 

 僕は急いで、自分の部屋の上に手を置いた。

 

「ここは駄目だからね」

 

     *

 

 帰り際、フリージアから薄い紙を渡された。

 

 今後、金が必要になる項目が書かれていた。

 

 材木。

 

 運搬。

 

 金具。

 

 職人の手間。

 

 魔術に関する調査と試作。

 

 まだ値段を出せない欄も多い。

 

 それでも、僕は紙を持ったまま立ち止まった。

 

 船を一隻買う、という考えでは足りなかった。

 

 誰も造ったことのない船を造るために、試して、失敗して、直す。その間にも職人は食事をするし、工房には燃料が要る。

 

「完成する船の代金だけではありません」

 

 フリージアが言った。

 

「完成に至るまでの仕事にも、お金を払う必要があります」

 

「……うん」

 

 昨日までの絵には、僕たちが暮らす部屋があった。

 

 今日の紙には、それを造る人たちの暮らしがあった。

 

 どちらも削って済ませたくはない。

 

 僕は紙を折り、懐へ入れた。

 

 金を手に入れる当てなら、一つある。

 

 砂の下で、長いこと持ち主を待っている魔導書だ。

 

 ただ、取りに行って帰ってこなければ、当ては当てのままだった。

 

「主よ」

 

 腰から声がした。

 

「妙な顔をしておるぞ」

 

「ちょっと、金策を考えてた」

 

「ろくでもないことを考えておる顔じゃな」

 

 僕は否定せず、右手を開いた。

 

 何も起きない。

 

 まだ、目の前に死者はいなかった。

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