アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
金策の相談をするには、朝食の後がいい。
空腹のときに大きな話をすると、たいてい機嫌まで悪くなる。かといって夕食の後では、眠いから明日にしようと言われかねない。
だから僕は、全員が食べ終わったところで、宿の部屋に船の絵を広げた。
昨日までは、これを見るだけで少し嬉しかった。
今日は横に置いた紙が、その喜びを削ってくる。
材木。金具。人手。運搬。試作。
まだ金額の入っていない欄が、かえって恐ろしい。
「昨日のお話の続きですね」
オトフリートが椅子を引いた。
「うん。船を造るためのお金について」
「妾の部屋は削らせぬぞ」
寝台に腰を下ろしたベラが、早くも釘を刺した。
今日は人の姿だ。銀色の髪を肩の後ろへ払い、図面を覗き込んでいる。
「部屋を一つ減らして何とかなる額じゃないと思う」
「ならばよい」
「よくはないんだけど」
ノクティアは窓際に立ったまま、腕を組んだ。
「当てはあるんでしょう?」
「ある」
「昨日から、言いたそうな顔をしてた」
隠せていなかったらしい。
ゼフィーリアが卓上の湯飲みを脇へ寄せる。
「では、伺いましょう。どなたのお財布を開けるおつもりですか?」
「まだ誰かの財布って決まったわけじゃ——」
そこで、ふと思いついた。
横を見る。
オトフリートも僕を見た。
「……何ですか」
「あとはオトフリートの実家名義で——」
「しませんよ? 金策はご自分でやってください」
早かった。
まだ借りるとも、保証を頼むとも言っていない。
「最後まで聞いてからでも」
「最後まで聞くと、私が断るまでが長くなるだけでしょう」
「信用がない」
「ありますよ。今の笑顔で、私の実家に利益のある話をする方ではないと信用しています」
ベラが腹を抱えた。
ゼフィーリアまで口元を押さえている。
僕は咳払いをして、もう一枚、何も書かれていない紙を取り出した。
「本命は別にある」
「でしょうね」
ノクティアが窓辺を離れた。
「場所は?」
「カーン砂漠」
卓を囲む空気が変わった。
僕は紙に大まかな線を引いた。
船の絵よりは、まだましなものになったと思う。
「カーン王国の王墓。そこに、欲しい物がある」
*
「ビカム・ノーライフキング」
僕がその名を口にすると、オトフリートの手が止まった。
紙を押さえていた指が、ゆっくり離れる。
「……その魔導書が、王墓にあると?」
「うん」
「場所も分かるのですか」
「どの王墓かは分かる。ただ、そこまでの旅程や、今の入口の状態までは確認しないといけない」
砂漠の道を、記憶だけで歩くつもりはなかった。
知っていることと、現地で調べることは別だ。
ノクティアが僕の描いた線を見た。
「墓の中は?」
「全部を知ってるわけじゃない。守っている奴は分かる」
「何?」
「マスターマミー」
ベラが笑うのをやめた。
オトフリートが椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
「船を造るお金の相談でしたよね」
「そうだよ」
「どうして死者の王になる魔導書と、その墓守の話になるのでしょう」
「高く売れそうだから」
口に出すと、ひどく単純な理由だった。
でも、単純な理由で危険な遺跡へ入るのは、冒険者には珍しくない。
古代王国の財宝を持ち帰る。
魔法の武器を手に入れる。
希少な書物を見つける。
今回は、船が欲しい。
「魔術師ギルドに買い取ってもらう。内容が内容だから、値段だけじゃなくて、持ち帰ったこと自体も実績になると思う」
オトフリートは、すぐには頷かなかった。
「価値があることには同意します。ただ、買い取り額を決めるのは私たちではありません。現物の状態も、記述が完全かどうかも分からない」
「うん。船一隻分になるって、先に約束するつもりはないよ」
「それなら結構です」
「前金と、試作を始める分くらいにはしたいけど」
「希望は持っていて構いません」
言い方が、妙に先生らしかった。
ゼフィーリアが頬杖をつく。
「ルクスン様ご自身が、お使いになるのではないのですね」
「ならないよ」
「永遠に船の完成を待てるようにはなりますが」
「僕は、生きてるうちに乗りたいんだ」
「妾も、干からびた主と同じ部屋には入りとうない」
ベラが顔をしかめる。
「だから、ならないって」
否定してから、僕は卓上の船を見た。
風が通る甲板。
食事をする場所。
眠る部屋。
あれを手に入れるために、自分が食事も眠りも要らない身体になるのは、どう考えても順序がおかしい。
*
「それで」
ノクティアが、僕の右手を見た。
「その顔は何?」
「どんな顔?」
「殴れば済むと思ってる顔」
「そこまでは思ってない」
「少しは?」
「……少し」
僕は右の拳を握った。
相手がアンデッドなら、僕には頼れる手段がある。
魔法の武器を買い揃えるところから始めなくてもいい。実体のない相手に、普通の剣を振って途方に暮れることもない。
そこは大きい。
大きいけれど。
「主よ。殴るには近づかねばならぬぞ」
「分かってる」
「近づけば向こうも殴れる」
「それも分かってる」
ゼフィーリアが、握った拳へそっと指を添えた。
「手が届けば勝ち、というお話にはしないでくださいね。こちらの手が届く前に、何をされるかも考えましょう」
静かな声に、僕は拳を開いた。
レイスのいた要塞でも、右手だけで全部片づいたわけではない。
そこへ至るまでに通路があり、扉があり、罠がある。休む場所も必要だった。
墓守を知っているからといって、墓そのものを攻略したことにはならない。
「まず、旅の用意と情報を集める。王墓の中では、ノクティアに先を見てもらう。僕が勝手に突っ込まない」
「最後のところ、覚えておいて」
「はい」
オトフリートが紙を手前へ寄せた。
「書物を運び出す準備も必要ですね。見つけたものを、その場で無造作に開かないこと。保管状態によっては、触るだけで傷めます」
「丈夫な箱を用意しよう」
「砂を入れない工夫も欲しいところです」
「水も」
ノクティアが付け加えた。
「帰りの分まで」
話が旅の準備へ進んだところで、ベラが僕の袖を引いた。
「主よ」
「何?」
「船の金を稼ぐために出かけるのに、その旅にも金がかかるのじゃな」
僕は、船の絵の横に置かれた費用の紙を見た。
余白はまだあった。
そこへ、砂漠へ行くための準備、と書き足す。
船が少し遠ざかった気がした。
*
その日の午後、僕たちはフリージアを訪ねた。
王墓の位置を、いきなり卓の上に広げるつもりはなかった。まず必要なのは、砂漠へ向かう旅の足と、物資の手配についての相談だ。
「人数は五人です」
僕が言うと、フリージアは一度ベラを見てから頷いた。
ベラは剣の姿に戻り、僕の腰に収まっている。
「水と食料は、皆さん同じ量でよろしいですか」
「妾の分は主の分に回してよいぞ」
「それでお願いします」
僕が答えると、フリージアは帳面へ書き込んだ。
余計な驚きも、聞き返しもない。
助かる。
窓際で干した果物を食べていたタムロンが、こちらへ顔を向けた。
「お墓に行くの?」
僕は彼を見た。
「まだ墓とは言ってないよね」
「砂漠にある、古い物を取りに行くんでしょう? さっきからそんな話し方だよ」
当てずっぽうか、顔を読まれたか。
どちらにせよ、ここで慌てて否定しても仕方がない。
「遺跡を調べるつもり」
「王様の?」
「詳しい場所は、今は話さない」
「そっか」
タムロンはあっさり引いた。
そのまま、もう一つ果物を口へ放り込む。
「じゃあ、帰ってきたら教えて。王様が怒ったかどうか」
「怒る前提なんだ」
「自分のお墓から物を持っていかれるんだよ。怒るんじゃない?」
そう言って笑った。
悪いことだからやめろ、という意味ではない。
怒った王様と、それでも宝を持っていこうとする僕たち。
彼は、その場面を見たいのだ。
「怒って追いかけてきたら、町まで連れてこないでくださいね」
フリージアが帳面から目を上げずに言った。
「そこは分かってる」
「よかった。では、目的地の細部を伏せたまま手配できる範囲から、ご相談しましょう」
現実的な話に戻ると、僕は少し安心した。
タムロンは退屈したのか、今度は壁に立てかけてあった船の絵へ近づいていた。
*
打ち合わせの終わりに、フリージアが尋ねた。
「職人のお二人には、どこまでお伝えしますか」
「冒険に出て、資金を作るつもりだと。戻る日付は、まだ約束できない」
「留守中の作業は?」
僕は、すぐには答えられなかった。
帰るまで待っていてほしい。
そんな気持ちはあった。
でも、ガルドにもエッダにも生活がある。僕たちが砂漠を歩いている間、他の仕事を断って待たせるわけにはいかない。
「大きな材料の買い付けや、本格的な製作は頼まない。出発までに、今の絵を一度まとめたい。それから先は、払える分の仕事だけ相談する」
フリージアが頷いた。
「では、明日、お二人にもお越しいただきましょう」
窓際から、タムロンの声がした。
「船の名前は?」
「まだ決めてない」
「お金より先に決められるよ」
確かに、そのとおりだった。
僕は彼の持っている絵を見た。
まだ飛ばない。
造り始めてもいない。
けれど、船に乗る仲間がいて、造ってくれる職人がいる。
少し前まで僕の頭の中にしかなかったものが、今は、誰かの手から誰かの手へ渡っていた。
「名前は、もう少し考える」
「じゃあ、今は何て呼ぶの?」
答える前に、ベラが口を挟んだ。
「主の皮算用号じゃな」
タムロンが吹き出した。
ノクティアは横を向き、オトフリートは眼鏡を直した。
ゼフィーリアだけが、いたわるように僕の腕へ手を添えた。
「正式なお名前が決まる前に、定着しないとよいですね」
「絶対、明日までに考える」
僕は船の絵を取り返した。
王墓へ出かけている間に、その名前を船首へ彫られてはたまらなかった。