アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
地面の下から響く鐘に合わせ、黒い糸が石畳の上で蠢いていた。
切断された端が互いを探し、絡み合い、一本へ戻ろうとしている。
気を失っていた四人の信者も同時に目を開いた。
「聖女様が、お目覚めになる」
声も、抑揚も、笑みを浮かべる瞬間まで同じだった。
「気持ち悪っ!」
ルクスンは妖姫殺しを構えた。
「糸を斬るぞ!」
「すでに斬ったから動き始めたのではないか?」
「じゃあ、もっと細かく斬る!」
「任せるのじゃ!」
妖姫殺しが嬉々として黒い糸を切り刻んでいく。
細かくなった糸は、それでも芋虫のように石畳を這い、気を失った信者たちへ戻ろうとしていた。
オトフリートが背負っていた魔術師の杖を抜く。
「待ってください。これは物理的に切断しただけでは止まりません。新しく修得した魔法で、術そのものを解除してみます」
「頼む。こっちは殴ったり斬ったりする以外、どうにもならない!」
オトフリートは杖を黒い糸へ向け、古代語による呪文を唱える。
「全知全能、万能たるマナよ。偽りの力を打ち消し、かのものをあるべき姿へ戻せ――《ディスペル・マジック》」
杖の先端から青白い光が放たれ、黒い糸の一片を包み込んだ。
糸に宿っていた魔力が引き剥がされる。
それまで生き物のように動いていた糸が、ただの黒い繊維となって石畳へ落ちた。
「成功です。魔法で操られているだけで、糸そのものが怪物になったわけではありません」
「全部解除できる?」
「一本ずつなら可能ですが、先ほどの儀式で精神力を奪われています。全員分を解除する余裕はありません」
「なら、残りは燃やす」
ノクティアが近くに積まれていた木箱を壊し、細い木片を集めた。
火を起こし、回収した黒い糸を投げ込んでいく。
糸は甲高い悲鳴のような音を発し、黒い煙となって燃え上がった。
捕らえた信者たちが一斉に身体を反らす。
「聖女様とのつながりが! やめろ、聖女様が見えなくなる!」
「見えなくなって正解だ!」
最後の糸が焼け落ちる。
地面の下から聞こえていた鐘も、同時に止まった。
信者たちは再び意識を失った。
今度は、全身から力が抜けたように眠っている。
「黒い糸が、聖女と信者をつなぐ魔法の道具だったのですね」
オトフリートは魔力を解除した糸を拾い上げた。
「ただし、既存の古代語魔法ではありません。魔力を解除することはできましたが、どのような術式で作られたのかまではわかりません」
「カーディスと狂気の神の力を混ぜた、新しい魔法?」
「その可能性はあります。しかし、糸だけがつながりとは限りません。私たちは儀式の中で、自分の望みを口にしました」
ノクティアの表情がわずかに動いた。
「わたしは、帰る場所がほしいと言った」
「祭壇の魔力が触れたとき、何かを奪われた感覚は?」
「少し眠くなった。それだけ」
「その『それだけ』が怖いんだよ」
ルクスンは自分の右手を見た。
祭壇から伸びた魔力の糸は、聖属性を宿した右手に触れた瞬間に消滅した。
ゼフィーリアも、自らの内にあるファラリスの神聖力によって弾いたらしい。
しかし、オトフリートとノクティアは違う。
黒い糸を焼いたとしても、口にした望みまで取り戻せたとは限らない。
「ひとまず、こいつらをペイルへ引き渡そう。地下礼拝所も押さえてもらう」
「この者たちは、私の正体を知りません」
黒猫姿のゼフィーリアが捕虜を見た。
「聖女と呼ばれる何かが、私を暗黒の祭司へ至る扉と呼んだだけです」
「それでも、次に捕まったら調べられる。人間の姿へ戻されれば終わりだ」
「その前に殺します」
「即答するな。怖いから」
◇
闇司祭ペイルは、王都の表通りに面したファラリス神殿ではなく、裏路地にある小さな礼拝所で待っていた。
ファラリス神殿の内部にも聖女を信じ始めた者がいる。
そのため、ペイルが個人的に信用している二人の神官しか呼ばれていなかった。
四人の信者は荷車へ乗せられ、裏口から運び込まれる。
ルクスンたちも、人目を避けて礼拝所へ入った。
ペイルは卓上へ置かれた黒い糸を見下ろす。
「これを、地下ミサの参加者全員へ配っていたのか?」
「はい。身につけた者を監視し、離れた場所から命令を伝える機能があるらしい。連中は糸を通して、黒猫を捕らえろと命じられました」
ペイルがノクティアに抱かれた黒猫を見る。
「なぜ、猫を?」
「魔法の猫だからです」
「先ほど喋っていなかったか?」
「魔法の猫です」
「便利な言葉だな」
ゼフィーリアは完全に普通の猫を装い、前足で顔を洗っている。
ペイルは追及せず、地下ミサの報告書へ目を落とした。
「カーディス神官と、名もなき狂気の神に仕える神官。異なる暗黒神の神官が協力し、存在しない聖女を作っているというのか」
「祭壇の椅子には誰も座っていませんでした。ただし、僕の目には人型の魔力が集まっているのが見えた。信者が望みを口にするたび、輪郭が濃くなっていました」
「死者を蘇らせたのは?」
「カーディス神官でしょう。死体からは、黄色い負の精霊のオーラが出ていた。間違いなくアンデッドです」
ペイルは記録を読み進める。
「笑う仮面の神官が信者の精神を操り、カーディス神官が死者を蘇らせる。だが、それだけではファラリスの聖女にはならない」
「だから本物のファラリス神官が必要になる」
ルクスンは黒猫を見ないようにしながら続けた。
「祭壇の何かは、僕たちが連れていた魔法の猫に、ファラリスの神聖力と関係するものがあると気づいたらしい」
「猫を触媒として、ファラリスの力まで取り込むつもりか」
「おそらく」
ペイルはしばらく考え、二人の神官へ命じた。
「動かせる者を集めろ。ただし、聖女の噂を口にした者は外せ。染物工房の地下礼拝所を押さえる」
「僕たちも行きます」
「先ほど戻ったばかりだろう?」
「向こうには、僕たちにしか見つけられない痕跡があるかもしれない。第一、六百ガメルも払って買った場所を、勝手に片づけられたら困る」
「情報料を惜しんでいる場合か?」
「大金を持ったからこそ、六百ガメルを大切にするんです!」
◇
染物工房へ戻ったとき、地下礼拝所から人の気配は消えていた。
見張りもいない。
床板の下にある階段は開け放たれている。
ペイルの配下を先頭に、ルクスンたちは地下へ下りた。
つい先ほどまで三十人を超える信者が祈っていた空間は、完全にもぬけの殻だった。
蝋燭は消されている。
祭壇を覆っていた黒い布もない。
空の椅子さえ運び出されていた。
「撤収が早すぎる」
オトフリートが床へ触れた。
「我々が尾行者と戦っていた間に、すべて運び出したのでしょう」
「黒い糸を通して、こっちの状況を見ていたのか」
ルクスンのセンス・マジックには、魔力の残滓が見えている。
祭壇があった場所。
信者たちが跪いていた場所。
そして、礼拝所の奥から排水路へ続く道。
「こっちへ運んだみたいだ」
奥の通路へ入る。
ゼフィーリアが黒猫の鼻を動かした。
「香の匂いと、死体の臭いが残っています」
「追える?」
「臭いを辿るだけなら。ただし、罠はわかりません」
「そこはノクティアが見る」
排水路をしばらく進むと、三本の水路へ分かれていた。
香の匂いは水の臭いに紛れ、そこで途切れている。
床の足跡も、流れ込んだ水によって消されていた。
「最初から、逃げ道を用意していたんだな」
ノクティアが壁へ近づいた。
「ここに何かある」
黒い糸が、石壁へ何本も打ちつけられている。
糸は文字を作っていた。
ルクスンが声に出して読む。
「聖女は、すでに王都にいる」
その直後。
頭上から、大勢の悲鳴が聞こえた。
◇
ルクスンたちは地下水路を駆け戻り、染物工房から地上へ飛び出した。
悲鳴は大通りから聞こえている。
人々が道の両側へ逃げ、中央には葬送の列が取り残されていた。
粗末な棺が一つ。
棺の内側から、何かが蓋を叩いている。
どん。
どん。
どん。
葬儀に参列していた家族が、恐怖に震えながら棺を見つめている。
「生きている! まだ生きているんだ!」
「待て、開けるな!」
ルクスンの制止は間に合わなかった。
家族が棺の蓋を外す。
中から、死装束を着た老人がゆっくりと起き上がった。
老人の全身から、黄色い負の精霊のオーラが立ち上っている。
死者だった。
老人は白く濁った目で周囲を見回し、幸福そうに笑った。
「聖女様が、私をお呼びになった」
逃げていた群衆が立ち止まる。
恐怖ではない。
死者が本当に蘇ったという、驚きと期待が広がっていく。
「聖女は実在する……」
「死んだ者を蘇らせた」
「私の子供も救ってくださるかもしれない」
噂が、奇跡へ変わる。
ペイルが低く呟いた。
「遅かったか」
死者が蘇ったという報せは、その日のうちに王都全域へ広がった。
存在しなかったはずのファラリスの聖女は、いまや誰もがその実在を信じ始めていた。