アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
棺の中から起き上がった老人は、幸福そうに笑っていた。
「聖女様が、私をお呼びになった」
老人の全身から、黄色い負の精霊のオーラが立ち上っている。
ルクスンには、それが生き返った人間ではなく、死体を動かすアンデッドであることがはっきりと見えていた。
しかし、周囲の人々には見えない。
「父さん!」
葬列に加わっていた中年の女が、老人へ駆け寄ろうとした。
「待て! 近づくな!」
ルクスンが女の腕を掴む。
「離して! 父が生き返ったのよ!」
「生き返ってない。死体が動いてるだけだ!」
「喋っているじゃない!」
「アンデッドだって喋る奴はいる!」
完全版の知識があるルクスンにとって、それは常識だった。
だが、愛する家族が棺から起き上がった者に、冷静な怪物知識を求めることはできない。
老人が棺から足を下ろす。
動きは遅い。
それでも、娘だという女へ向かって両腕を伸ばしている。
「おいで。もう別れなくてもいい。聖女様の御許なら、ずっと一緒にいられる」
「父さん……」
「駄目だ!」
ルクスンは女を背後へ引き寄せた。
群衆から非難の声が上がる。
「何をする!」
「聖女の奇跡を邪魔するな!」
「その男は、銀冠を売った冒険者だ!」
「魔法の宝を独り占めした次は、聖女の奇跡まで奪うつもりか!」
「売ったことまで悪く言われるの!?」
闇司祭ペイルが棺の前へ進み出た。
「この者は死んでいる。胸を見ろ。息をしていない。脈もなく、肉体もすでに冷えている」
「ファラリス神殿は、聖女様を恐れているんだ!」
「聖女様のほうが、神殿の司祭より強い!」
「奇跡を認めたくないだけだ!」
ペイルが公に否定したことで、かえって群衆の疑いが強くなった。
死者を蘇らせる聖女。
その存在を隠そうとするファラリス神殿。
人々が聞きたがる物語としては、そちらのほうが魅力的なのだ。
「これ、完全に向こうの狙いどおりじゃないか?」
オトフリートは外套の頭巾を深く被り、顔を隠していた。
「騒ぎを起こし、ペイル司祭に聖女を否定させる。そのうえで奇跡を目撃させれば、人々は神殿よりも聖女を信じるようになります」
「どうすればいい?」
「この場で偽物だと証明するしかありません」
「証明って、どうやって?」
「それを考えているところです」
黒猫姿のゼフィーリアが、ノクティアの肩で低く唸った。
「死者を弄び、人々の悲しみにつけ込む。あれは自由ではありません」
「わかってる。でも、ここで僕が殴ったら、蘇った老人を殺したようにしか見えないぞ」
「殴らずに済めばよいのですが」
「そういう言い方をすると、絶対に殴る流れになるんだよ!」
老人が再び娘へ手を伸ばした。
その指が、女の頬へ触れる。
ルクスンの視界に、新たな魔力の糸が現れた。
老人の指から娘へ。
娘から老人へ。
そして老人の背中から、王都のどこかへ向かって伸びている。
「離れろ!」
女の顔から急速に血の気が失われた。
膝が折れ、老人の腕の中へ倒れ込む。
老人は笑みを深くする。
「苦しまなくていい。命を聖女様へお渡しすれば、あなたも救われる」
「父……さん……?」
「やっぱり奇跡じゃない! こいつを通して、生きている人間の生命力まで吸い上げてる!」
ルクスンは老人へ駆け寄った。
老人が娘を盾にするように抱き締める。
妖姫殺しを使えば、娘まで斬りかねない。
ならば、使うのは右手だ。
「その人を離せ!」
「あなたも、聖女様に救われなさい」
「誰かに考えることをやめさせて、死体の仲間にするのが救いか!」
ルクスンは老人の胸へ右拳を叩き込んだ。
相手はアンデッド。
普段の人間や魔法生物には発揮されない、聖属性の力が解放される。
打撃力五十。
老人の身体から黄色い負の精霊のオーラが吹き飛んだ。
王都のどこかへ伸びていた魔力の糸も、右拳を通じて流れ込んだ聖なる力に焼き切られる。
老人の腕から力が抜けた。
ノクティアが倒れかけた娘を受け止める。
老人の身体は、糸を切られた人形のように棺の中へ崩れ落ちた。
もう動かない。
今度こそ、ただの死体へ戻っていた。
群衆が静まり返る。
「……殺した」
誰かが呟いた。
「聖女様が蘇らせた人を、あの冒険者が殺した!」
「違う! あれは最初から死んでいた!」
「死者が喋るものか!」
「だから、喋るアンデッドはいるんだって!」
完全版の知識が、まったく通じない。
石が飛んできた。
ルクスンの額へ当たり、小さく血が流れる。
「聖女様の敵だ!」
「ファラリス神殿の手先め!」
「奇跡を返せ!」
「話を聞け!」
さらに石が飛ぶ。
オトフリートがルクスンの前へ立ち、外套で顔を守った。
「ここで反論しても無駄です。いったん退きましょう」
「でも、倒れた人が!」
「生命は残っています」
ペイルは娘から十メートルほど離れた場所で祈りを捧げ、神聖魔法による治療を施していた。
老人に吸われた生命力すべてを取り戻せるわけではないが、命を失う危険は去ったらしい。
娘が浅い呼吸を始める。
「連れていけ。ここは私が引き受ける」
ペイルがルクスンたちへ告げた。
「でも――」
「この場にファラリス神殿の人間が残らなければ、我々が奇跡を恐れて逃げたことにされる。早く行け」
ルクスンは唇を噛み、ノクティアたちとともに人混みから離れた。
背後では、群衆が聖女の名を叫び続けている。
アンデッドを一体浄化した。
生きた人間を一人救った。
それでも人々の目には、聖女の奇跡を壊した悪党にしか見えていなかった。
◇
ルクスンたちは、ペイルが用意した裏路地の礼拝所へ戻った。
オトフリートが卓上へ王都の地図を広げる。
「老人から伸びていた魔力の糸は、どちらへ向かっていましたか?」
「南西。正確な場所まではわからないけど、こっちだ」
ルクスンは地図へ直線を引いた。
葬列があった大通りから、王都南西部へ。
「魔法のつながりが、聖女のいる場所まで伸びていたと?」
「少なくとも、何かへ力を送っていた。老人が娘から吸い取った生命力も、同じ方向へ流れていた」
「ならば、別の場所で蘇った死者を見つけ、そこから伸びる糸の方向を調べれば――」
「線が交わる場所を探せる」
「聖女が本当に一か所にいるなら、ですが」
ノクティアが地図を見下ろす。
「次の死者は、どうやって探す?」
「探さなくても、向こうから出てくると思う」
ルクスンの予想は、すぐに当たった。
礼拝所の扉が激しく叩かれる。
ペイルの配下である若い神官が、息を切らして飛び込んできた。
「北区の共同墓地で、埋葬された死者が起き上がりました! 一体や二体ではありません。墓地全体から、棺を叩く音が聞こえています!」
「もう次が始まったか」
ルクスンは妖姫殺しを腰へ差した。
「北区なら、さっきとは別の方向から線を引ける。行こう!」
「待って」
ノクティアだけが動かなかった。
「どうした?」
「声が聞こえた」
「誰の?」
ノクティアは自分の手首を見た。
黒い糸は焼き捨てた。
そこには何も巻かれていない。
それでも、地下ミサで糸が触れていた場所に、細い黒い痕が残っていた。
「女の声。帰る場所をあげるって言っている」
礼拝所の鏡に、一瞬だけ黒衣の女が映った。
ルクスンが振り返ったときには、すでに消えている。
黒い糸を焼いても、聖女とのつながりは切れていなかった。