アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
「女の声。帰る場所をあげるって言っている」
ノクティアの手首には、黒い糸の痕が残っていた。
糸そのものは焼き捨てている。
それでも、地下ミサで口にした望みを通じて、存在しない聖女とのつながりが残っていた。
「返事をしてはいけません」
オトフリートが魔術師の杖を手に取った。
「黒い糸は道具にすぎなかったのでしょう。自らの望みを口にしたことで、精神へ直接つながりを作られた可能性があります」
「切れる?」
「《ディスペル・マジック》で解除できるかもしれません。しかし、相手の術式も、どこに魔法の中心があるのかもわかっていません。まずは抵抗力を高めます」
オトフリートはノクティアを正面から見て、古代語の呪文を唱えた。
「全知全能、万能たるマナよ。かの者の心を守り、侵す力を退けよ――《カウンター・マジック》」
青白い魔力がノクティアの身体を包む。
手首に残る黒い痕が一瞬だけ浮かび上がり、すぐに薄くなった。
「声は?」
「まだ聞こえる。でも、遠くなった」
「魔法の抵抗力を高めただけです。つながりそのものを切ったわけではありません」
「北区の共同墓地を片づけてから考えよう。死体が何体起き上がってるかわからないんだ」
ルクスンは妖姫殺しを腰へ差し、礼拝所の扉へ向かった。
ペイルの配下が用意した荷馬車に乗り、一行は北区へ急ぐ。
黒猫姿のゼフィーリアだけが、出発前にノクティアの手首を見つめていた。
「何?」
「その聖女が見せるものを、信じてはなりません」
「わかってる」
「あなたが本当に欲しいものと、聖女に与えられたものは違います」
「……わかってる」
◇
北区の共同墓地へ近づくにつれ、棺を叩く音が大きくなった。
どん。
どん。
どん。
一つではない。
墓地全体から、数え切れないほどの音が聞こえている。
墓地の周囲には、すでに百人近い住民が集まっていた。
死んだ家族が蘇るかもしれない。
聖女の奇跡を一目見たい。
そんな期待を抱いた者たちが、墓地の門を囲んでいる。
ペイルの配下が門を閉ざし、住民を中へ入れないよう押し留めていた。
「ここを開けろ! 妻が中に埋葬されているんだ!」
「息子が帰ってくるかもしれない!」
「聖女様の奇跡を邪魔するな!」
闇司祭ペイルが荷馬車から降りる。
「門を開ける。ただし、住民は入れるな。中にいるのは蘇った家族ではない。死体を操るアンデッドだ」
「また聖女様を否定するのか!」
「昼間、蘇った老人を殺したのもお前たちだ!」
ルクスンは外套の頭巾を深く被った。
「僕、完全に顔を覚えられてるよね?」
「額へ石を当てられていましたから」
「助けたのに!」
「人は、自分が信じたいものを邪魔されると怒る」
ノクティアの言葉には、妙な実感がこもっていた。
墓地の門が開く。
ペイルと二人の神官を先頭に、ルクスンたちは中へ入った。
門はすぐに閉じられた。
墓地には、大小さまざまな墓標が並んでいる。
新しい墓。
古い墓。
石棺。
貧しい者をまとめて埋葬した共同墓穴。
そのすべてから、棺を叩く音が聞こえていた。
地面が盛り上がる。
土の中から、腐敗した手が突き出した。
右。
左。
前方。
至るところから、死者が這い出してくる。
ルクスンの視界が、黄色い負の精霊のオーラで埋め尽くされた。
「うわあ……これ、全部アンデッドだ!」
「数は?」
「多すぎて数えたくない!」
死者たちは墓から這い出しながら、同じ方向へ顔を向けた。
王都の中心部。
まだ存在しない聖女のいる方角へ。
「聖女様……」
「聖女様の御許へ……」
「我らを、お導きください……」
死者たちが歩き始める。
門の外には、家族の復活を信じる住民が集まっている。
ここから出せば、何人の犠牲者が出るかわからない。
ペイルが聖印を掲げた。
「我が神ファラリスよ。死によって縛られた者たちを退け、その魂を偽りの救いから解き放ちたまえ――《ターン・アンデッド》!」
神聖な力が墓地へ広がる。
前列にいた死者たちが動きを止めた。
数体がその場へ崩れ落ち、古い死体へ戻る。
しかし、後方から次々に新たな死者が現れる。
「数が多すぎる!」
ペイルの配下である二人の神官も、続けて死者を退ける祈りを捧げた。
墓地の右側では死者が倒れたが、左側からはさらに多くの死体が起き上がる。
黒猫姿のゼフィーリアが、ノクティアの肩から地面へ飛び降りた。
「私も行います」
「待て。ここで使ったら、ペイルたちに正体の一部が知られる」
「この数を門の外へ出せば、正体を隠す意味もなくなります」
黒猫はペイルの横へ歩み出た。
猫の口から、人の言葉による祈りが紡がれる。
「我が神ファラリスよ。偽りの聖女に隷属させられし死者を退け、望まぬ束縛を断ち切りたまえ――《ターン・アンデッド》!」
ペイルの祈りを上回る神聖な力が、墓地全体へ広がった。
死者たちの黄色いオーラが激しく揺れる。
前列が倒れる。
その後ろも。
さらに奥から歩いてきた死者たちまで、見えない壁に押し返された。
何体ものアンデッドが土へ還り、残った死者も動きを鈍らせる。
ペイルが、隣に座る黒猫を見下ろした。
「お前、本当に何者だ?」
「魔法の猫です」
「その一言で押し通すには、神聖魔法が強すぎるぞ」
「いまは死者を見てください」
「事件が終わったら、必ず話を聞く」
ゼフィーリアがルクスンを見る。
「主よ」
「僕に助けを求めるな。自分から唱えたんだろ!」
ターン・アンデッドに耐えた死者が、なおも門へ向かって進んでくる。
強力なアンデッドというわけではない。
遠くにいる聖女から魔力を送り込まれ、無理やり立たされ続けているのだ。
「妖姫殺し!」
「待ちかねたぞ! わらわを自由にせよ!」
ルクスンは妖姫殺しを抜き、能力を発動させた。
「《リバティ・ソード》!」
ミスリル銀のショートソードが、ルクスンの手を離れて宙へ浮かぶ。
自ら切っ先を死者へ向け、飛翔した。
「わらわの初陣じゃー!」
「初陣じゃないだろ!」
「大きくなってからの初陣じゃ!」
妖姫殺しが死者の間を飛び回る。
魔法のショートソード+1となった刀身が、アンデッドを操る魔力の糸ごと切り裂いていく。
ルクスンは空いた右手を握った。
「こっちは物理的に浄化する!」
門へ近づいた死者の顔面へ、右拳を叩き込む。
打撃力五十の聖属性攻撃。
黄色いオーラが弾け、死体が地面へ崩れ落ちる。
二体目。
三体目。
右拳が命中するたび、アンデッドを支えていた負の精霊力が吹き飛んだ。
「主よ! 右! 次は左じゃ!」
「指示するだけじゃなくて、お前も斬れ!」
「わらわは優雅に戦っておる!」
「僕だけ墓場で殴り合ってるんだけど!」
ノクティアは短槍を片手に持ち、もう一方の手を前へ伸ばした。
墓地には、夜風とともに光の精霊が存在している。
「光の精霊よ。死者を縛る闇を焼いて――《ウィル・オー・ウィスプ》」
精霊の光が死者へ飛ぶ。
魔法は狙いを外さない。
死者は抵抗を試みたが、光を完全には退けられなかった。
魔力の糸が焼き切れ、死体が倒れる。
オトフリートは戦いの後方で、墓地と王都中心部の位置を地図へ書き込んでいた。
「ルクスン! すべて倒す必要はありません! 魔力の糸が伸びている方角を確認してください!」
「そうだった!」
目の前のアンデッドを右拳で浄化し、ルクスンは墓標の上へ登った。
墓地全体を見渡す。
視界に入る範囲だけで、何十本もの魔力の糸が見えた。
すべての死者から伸び、墓地の外へ向かっている。
建物や地面の向こうを見ることはできない。
センス・マジックは視覚に依存する。
それでも、糸がどの方角へ消えているかは確認できる。
「南南西! さっきの老人から伸びていた線とは、角度が違う!」
「十分です!」
オトフリートが地図へ二本目の線を引く。
昼間の葬列から伸びていた線。
北区共同墓地から伸びる線。
二本の線が、王都中央部で交わった。
「交点は、旧神殿街の地下です」
ペイルが地図を覗き込む。
「そこには、かつて複数の暗黒神殿が共同で使用していた地下納骨堂がある。数十年前に崩落し、閉鎖されたはずだ」
「大量の死体があって、地下ミサも開ける。カーディス神官にとっては最高の場所ですね」
「しかも旧神殿街なら、ファラリスを含む暗黒神の祭具や記録も残されている可能性があります」
黒猫姿のゼフィーリアが、地図の交点を見つめた。
「彼らが求めている暗黒の力も、そこで補えるかもしれません」
墓地に残っていた最後の死者が、ルクスンへ襲いかかる。
右拳がその胸を捉えた。
黄色いオーラが消滅し、共同墓地から棺を叩く音が消える。
門の外からは、家族を返せと叫ぶ住民の声が聞こえていた。
その声に混じり、ノクティアの耳へ女の囁きが届く。
「帰っておいで」
ノクティアの視界に、存在しない道が現れた。
墓地の奥から王都中央部へ続く、黒い糸で作られた道。
道の先では、黒衣の女が両腕を広げている。
「あなたの帰る場所は、ここにある」
ノクティアが一歩踏み出す。
その腕を、ルクスンが掴んだ。
「そっちは墓だぞ」
ノクティアの目の前には、蓋の開いた石棺があった。
あと一歩進んでいれば、中へ落ちていた。
「また、見せられた」
「カウンター・マジックをかけても、完全には防げないのか」
「でも、場所はわかった」
ノクティアは地図の交点を指した。
「聖女は、ここで待っている」
その瞬間、王都中央部の地面の下から鐘が鳴った。
墓地にいた全員が聞き取れるほど、大きな音だった。
一度。
二度。
三度。
旧神殿街の地下で、存在しない聖女の誕生が始まろうとしていた。