アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
北区共同墓地の死者をすべて退けても、王都中央部の地下から響く鐘は止まらなかった。
一定の間隔で鳴り続けている。
一度。
二度。
三度。
鐘が鳴るたび、ノクティアの手首に残された黒い痕が濃くなった。
「聖女が呼んでいる」
「従う必要はありません」
オトフリートが告げる。
「でも、声のする方向はわかる。地図の交点と同じ」
ノクティアは王都の地図を指した。
旧神殿街。
現在は使われていない暗黒神殿や、崩れかけた礼拝堂が並ぶ一画である。
その地下には、かつて複数の暗黒神殿が共同で使用していた納骨堂があるという。
「正面入口は、崩落した旧神殿の地下だ」
ペイルが地図へ二つの印をつけた。
「もう一つ、死体を運び入れるための通路が残っている。共同墓地側から地下水路を通り、納骨堂の裏へ出られるはずだ」
「二手に分かれる?」
「私と神官たちは正面から入る。お前たちは裏へ回れ。地下にアンデッドがいるなら、こちらで引きつける」
「ゼフィーリアは?」
黒猫がルクスンを見上げた。
「私も行きます」
「連中の狙いはお前だぞ」
「ここに残っても、すでにつながりを作られています。離れていれば安全という保証はありません。それに、偽りの聖女へ与えられたファラリスの力は、私自身で取り戻します」
「頑固だな」
「自由意志です」
「ファラリス神官って、その一言で全部押し通そうとするよね?」
ペイルが黒猫を見下ろす。
「お前が本当にファラリス神官なら、事件が終わったあとで所属と名を聞く」
「生きて戻れたら、お答えするかもしれません」
「答えるとは言わないのか」
◇
ペイルの配下が持ってきた装備の中から、ルクスンは金属製の胴鎧を借りた。
左手にはラウンドシールド。
腰には妖姫殺し。
右手にはメイスを持つ。
「ようやく前衛らしい装備に戻った」
「地下ミサへ鎧を着ていくわけにはいかなかったからな」
ノクティアは短槍と数本のナイフを確認する。
オトフリートは魔術師の杖を持ち、十点分の魔力を蓄えた魔晶石を懐へ収めた。
「精神力が尽きた場合は、銀冠の遺跡から持ち帰った魔晶石を使います」
「一万ガメルだから大事に使ってくれよ」
「命と一万ガメルのどちらが大切なのです?」
「命に決まってるだろ。ただ、一万ガメルも大切だ!」
「主よ。大金を手に入れてから、金に細かくなったのう」
「大金を維持するには細かさが必要なんだよ!」
ノクティアを先頭に、一行は共同墓地の奥にある地下水路へ入った。
ペイルたちは旧神殿街から正面入口へ向かう。
水路の中には、死体を運んだ車輪の跡が残っていた。
ゼフィーリアが猫の鼻を動かす。
「香と腐敗臭。それに、先ほどより強い魔法の臭いがします」
「魔法にも臭いがあるの?」
「動物の鼻で嗅げるのは、香と死体です。魔法は別に感じています」
「紛らわしい言い方をするな」
地下水路を進むにつれ、鐘の音が大きくなる。
やがてノクティアが足を止めた。
「罠」
通路を横断するように、細い黒糸が張られている。
暗がりでは、注意して見なければ気づけない。
糸の先は、壁へ埋め込まれた小さな鐘につながっていた。
「踏んだら知らせるだけ?」
「違う。床にも魔力がある」
ルクスンのセンス・マジックには、黒い糸から床一面へ伸びる魔力が見えていた。
糸を切れば、床へ仕込まれた何かが作動する。
「迂回できる?」
「やってみる」
ノクティアは壁際へしゃがみ込み、盗賊道具を取り出した。
黒い糸を切らず、張力だけを別の留め具へ移す。
床石へつながる仕掛けを固定し、一本ずつ糸を外していく。
しばらくして、通路を塞いでいた糸が取り除かれた。
「終わった」
「成長したなぁ……初めて会ったときは、正面から襲いかかってきて返り討ちに遭ったのに」
「その話はしなくていい」
「簀巻きにしたよな」
「忘れて」
「わらわは覚えておるぞ!」
「剣も黙って」
◇
地下水路の先に、古い鉄扉が現れた。
ノクティアが鍵穴を調べようとすると、鞘の中の妖姫殺しが震えた。
「主よ。扉の向こうに刃物がある」
「何本?」
「六本。動いておる。扉の左右に三本ずつじゃ」
妖姫殺しの《センス・ソード》が、待ち伏せを見つけた。
「扉を開けた瞬間、左右から来るな」
「どうする?」
「僕が盾を構えて入る。ノクティアは右、オトフリートは後ろから援護。ゼフィーリアは絶対に前へ出るな」
「私も戦えます」
「狙われてる本人は下がってろ!」
ノクティアが扉の鍵を外す。
ルクスンはラウンドシールドを前へ出し、勢いよく扉を蹴り開けた。
左右から三人ずつ、黒衣の信者が襲いかかる。
短剣が盾へ突き刺さった。
もう一本をメイスで弾く。
「待ち伏せはわかってるんだよ!」
ルクスンは盾ごと一人を壁へ押しつけ、メイスでその武器を叩き落とした。
右側では、ノクティアが短槍で一人目の足を払い、二人目の短剣をナイフで受け流している。
オトフリートが杖を信者へ向けた。
「全知全能、万能たるマナよ。純粋なる力の矢となり、かの敵を撃ち抜け――《エネルギー・ボルト》!」
魔力の矢が信者へ命中する。
魔法は狙いを外さない。
信者は抵抗したが、威力を完全には抑えられず、壁へ叩きつけられた。
残った者たちは、戦うよりも鐘を鳴らそうとした。
「知らせろ! 暗黒の獣が来た!」
「もう知られてるだろ!」
妖姫殺しが鞘の中から叫ぶ。
「主よ、わらわを自由にせよ!」
「《リバティ・ソード》!」
ミスリル銀のショートソードが宙へ飛び出した。
鐘へ伸ばされた信者の手元を斬り、続けて鐘を支える縄を切断する。
「わらわに斬れぬ糸はないのじゃ!」
「人間は殺すなよ!」
「注文の多い主じゃ!」
待ち伏せしていた六人を倒したとき、納骨堂の正面から激しい戦闘音が聞こえた。
ペイルたちも突入したらしい。
「急ごう。儀式を止める!」
◇
古い地下納骨堂は、礼拝所として作り替えられていた。
壁一面に人骨が積まれている。
中央には三つの祭壇。
暗黒。
死。
狂気。
ファラリスの聖印が置かれた黒い祭壇。
死者の骨と血で飾られたカーディスの祭壇。
無数の笑う仮面と銀の鈴が並べられた、名もなき狂気の神の祭壇。
三つの祭壇から伸びた魔力が、中央に置かれた玉座へ集まっている。
もはや空席ではなかった。
半透明の女が座っている。
黒い法衣。
長い髪。
整いすぎた顔。
目も、口も、鼻もある。
それでも見る者によって、顔の印象が微妙に変わっていた。
ノクティアには、帰る場所で待っていた誰か。
オトフリートには、失われた知識を与える賢者。
祭壇へ集まった信者たちには、自分たちを無条件に救ってくれる聖女。
ルクスンにだけは、顔のない人型の魔力として見えていた。
「暗黒が来た!」
カーディス神官が、黒猫姿のゼフィーリアを指した。
笑う仮面の神官が甲高い声で笑う。
「待っていた! 待っていたぞ、森の祭司よ! お前の神への祈りは、墓場の死者を通じて我らが聖女へ届いた!」
「墓地でターン・アンデッドを使ったときか!」
ゼフィーリアが息を呑む。
「私の祈りを、死者とのつながりから盗んだのですか?」
「暗黒、死、狂気! 三つの力は満ちた! あとは聖女が肉体を得るのみ!」
「させるか!」
ルクスンは中央の玉座へ走った。
信者たちが立ち塞がる。
生きた人間だ。
右拳の聖属性は使えない。
ラウンドシールドで押し退けながら、メイスで武器だけを叩き落とす。
ノクティアは笑う仮面の神官へ短槍を投げた。
玉座に意識を集中していた神官は避けきれない。
短槍が肩を貫き、仮面の神官がよろめく。
それでも笑い声は止まらない。
「遅い! 聖女はすでに我らの内におられる!」
祭壇に並べられた銀の鈴が、一斉に鳴った。
ノクティアの手首に残る黒い痕が浮かび上がる。
オトフリートも胸を押さえ、片膝をついた。
「帰っておいで」
玉座の女が初めて口を開いた。
声は、地下ミサで望みを口にした者全員の頭へ直接響いた。
「あなたの望みを叶えてあげる。失った人を蘇らせ、病も苦しみも取り除き、憎む者を消してあげる」
「それは救いではありません」
ゼフィーリアが玉座を睨む。
「ファラリスは、望みを叶えるための奴隷ではない。何を望み、何を行うかは、自ら決めるものです」
「ならば、あなたは自らの望みで私へ来たのでしょう?」
黒い糸が、三つの祭壇から伸びた。
ゼフィーリアの身体へ絡みつこうとする。
「オトフリート!」
魔術師は杖を握り締め、黒猫姿のゼフィーリアを見た。
「全知全能、万能たるマナよ。かの者の心を守り、侵す力を退けよ――《カウンター・マジック》!」
青白い魔力がゼフィーリアを包む。
黒い糸が弾かれ、宙で揺れる。
だが、すべてを防ぐことはできない。
墓地で捧げたファラリスへの祈りは、すでに聖女の中へ取り込まれている。
カーディス神官が両腕を広げた。
「死は満ちた!」
笑う仮面の神官が、残った銀の鈴を打ち鳴らす。
「狂気は満ちた!」
二人の身体から魔力が抜け、中央の玉座へ吸い込まれていく。
「こいつら、自分まで材料にする気か!」
ルクスンは信者を押し退け、玉座の前へ到達した。
聖属性の右手を握る。
まだ実体を得ていなくても、アンデッドの核があるなら殴れるはずだ。
「出てくる前に壊す!」
右拳が、半透明の聖女の胸へ叩き込まれた。
聖属性の力が爆発する。
玉座を覆っていた魔力の障壁へ亀裂が走った。
聖女の顔が、初めて苦痛に歪む。
「やったか!?」
「主よ! それは言ってはならぬ言葉じゃ!」
亀裂から黄色い負の精霊のオーラが噴き出した。
ルクスンの拳は確かに届いた。
だが、儀式そのものを止めるには遅すぎた。
カーディス神官の肉体が崩れ、死を司る力となって玉座へ吸い込まれる。
笑う仮面の神官も、狂った笑い声だけを残して黒い影へ変わった。
暗黒。
死。
狂気。
三つの力が一つになる。
半透明だった女の足が床へ触れた。
白い指が玉座の肘掛けを掴む。
黒い法衣が実体を持ち、その背後から何本もの影が翼のように広がった。
女が立ち上がる。
ルクスンの目には、その全身を覆う巨大な黄色い負の精霊のオーラが見えていた。
間違いない。
誕生した聖女は、生者でも神でもない。
死と狂気と偽りの信仰によって作られた、強大なアンデッドだった。
「私は、ファラリスの聖女」
女が微笑む。
「すべての望みを叶え、すべての苦しみから救いましょう」
地上の王都で、黒い糸を巻いた者たちが一斉に顔を上げた。
「聖女様が、お生まれになった」
存在しなかった聖女が、ついにファンドリアへ解き放たれた。