アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
蛇王の迷宮は、一匹の巨大蛇の死骸から始まっていた。
一角獣の森の奥深く。
地面が大きく陥没してできた縦穴の底から、白く石化した尾骨が地下へ向かって延びている。
一本一本の骨が、人間の胴ほども太い。
その隙間を縫うように掘られた坂道を下ったルクスンは、冷たい水へ片足を踏み入れた。
「……膝まであるな」
迷宮の床は、完全に水没していた。
地下水が絶えず流れ込んでいるらしく、澄んだ水が尾骨の間をゆっくり流れている。底には白い砂と細かな骨片が沈み、足を動かすたびに濁りが広がった。
膝まで水に浸かれば、咄嗟に身体をかわす動きが鈍る。
回避力に二点の不利。
ルクスンの頭へ、前世のルールが嫌でも浮かんでくる。
「水に慣れた怪物が出たら、こちらだけが不利になりますね」
オトフリートが杖を水へ入れ、深さを確かめる。
「出るよ。クロコダイルとリザードマンは、水中でも地上と同じように動く。こっちだけ足を取られる」
「まるで見てきたように言いますね」
「知識だけはあるんだよ。知識だけは」
ベラは水を見た時点で、人の姿を諦めていた。
銀髪の少女が着ていた服は無限のバックへ収められ、本人はブロードソードへ戻ってルクスンの手に握られている。
「妾なら水の上を自由に飛べるぞ。先へ行って様子を見てこようかの?」
「偵察だけならいい。でも、敵を見つけても一人で斬りかかるなよ。お前は剣なんだから、僕が手に持って殴った方が強い」
「剣であることを理由に、剣としての力不足を指摘されたのじゃ……」
「勝手に飛べるだけでも充分便利だろ」
「主は妾の浪漫を理解しておらぬ」
暗闇そのものに困る者はいなかった。
ルクスン、ノクティア、ゼフィーリアは、精霊を見る視覚から派生したインフラビジョンを持っている。
オトフリートも自分の視覚を使い魔へ渡せば、梟の暗視を利用できる。
だが、暗闇で動けることと、迷宮を正確に調べられることは別だった。
インフラビジョンでは、壁や床の色までは判別できない。薄く刻まれた文字、変色した石、床材の継ぎ目を見落とす可能性もある。
ルクスンの《センス・オーラ》と《センス・マジック》も視覚に依存している。
魔力や精霊力の異常があっても、対象そのものを見られなければ意味がない。
「暗闇のまま進めなくはない。でも、床や壁の仕掛けを見落としたくない。オトフリート、光を頼む」
「承知しました」
オトフリートは水中から白い小石を拾い上げた。
片手に載せ、古代語の呪文を唱える。
「全知全能、万能なるマナよ。石に宿り、暗黒を退ける光となれ——ライト」
小石が白く輝き始めた。
オトフリートはそれを腰から下げた小さな籠へ入れる。光は遮られることなく、周囲の尾骨と水底を照らした。
白い骨の表面に、黒く変色した部分がある。
水底には爪痕と、何か重いものを引きずった跡。
暗視だけでは判別しにくかった情報が、次々と浮かび上がる。
続いてノクティアが、光へ向かって精霊語で呼びかけた。
小石から零れた光が空中へ集まり、白い火の玉に似た姿を作る。
ウィルオーウィスプ。
光の精霊はノクティアの周囲を一度だけ回り、命令を待つように空中で静止した。
「わたしたちより先へ進んで。何か動くものがあれば戻ってきて」
ウィルオーウィスプが、尾骨に沿って飛んでいく。
一定の距離を保って先行させれば、待ち伏せする怪物は先に光の精霊を目にする。
その間に、暗視を持つ三人と梟が、光の外側から相手を観察できる。
「明るくしたら怪物に気づかれるんじゃないかの?」
「気づかれるよ。だから僕たちが光を持って先頭を歩くんじゃなく、ウィスプを先に行かせる。襲われるなら、まずあっちだ」
「光を囮にするとは、なかなか酷いことを考えるのぉ」
「精霊は蛇に噛まれても毒で死なないからな」
ルクスンは隊列を確認した。
先頭はノクティア。
その後ろをルクスンが進み、中央にオトフリートとゼフィーリア。梟は使い魔として頭上を警戒し、ウィルオーウィスプはさらに前方を飛んでいる。
光の届く範囲は細部まで調べ、光の外側はインフラビジョンと梟の暗視で監視する。
視界に関しては、かなり隙のない隊列だった。
やがて、先行していたウィルオーウィスプが動きを止めた。
白い光が、巨大な尾骨の先を照らす。
三つの大きな影が浮かび上がった。
骨の上に、巨大なトカゲが三匹いる。
体長は人間ほど。
太い四肢と長い尾を持ち、骨の間に挟まった何かを貪っていた。
「ジャイアント・リザードが三匹。まだこちらには気づいていない」
ノクティアが光の精霊をその場へ留める。
「腹が減っていれば襲ってくるけど、積極的に人間を狙う怪物じゃない。こんな入口で怪我も魔法も使いたくないな」
「どうしますか?」
「食事中なら、もっと美味そうなものを追加してやる」
ルクスンは荷物から干し肉の塊を取り出した。
人間が食べるには大きすぎる量だったが、迷宮へ入る前から囮として用意していたものだ。
ウィルオーウィスプとは反対側の水面へ投げる。
干し肉は流れに乗り、ジャイアント・リザードの前を横切った。
一匹が頭を上げる。
長い舌が空気を舐め、次の瞬間には骨から水へ飛び込んでいた。
残る二匹も続く。
三匹は水飛沫を上げながら干し肉を追い、尾骨の奥にある窪みへ集まった。
「今だ。反対側を抜けるぞ」
一行はウィルオーウィスプを先行させたまま、骨沿いを進んだ。
ジャイアント・リザードたちは干し肉を巡って互いに唸り、こちらを振り返ろうともしない。
戦わずに最初の縄張りを突破した。
◇
尾骨を過ぎると、迷宮は急に広くなった。
水没した床から天井へ向かって、巨大な肋骨が何十本も伸びている。
左右の岩壁へ突き刺さった骨は白いアーチを作り、まるで石化した森のように並んでいた。
ウィルオーウィスプの光が肋骨の間を抜け、その後ろをオトフリートの梟が音もなく飛ぶ。
「この骨格……本当に一匹分なのですか?」
「そうらしい。生きていた頃に出会わなくてよかったよ。僕の知識にも、こんな大きさの蛇は載っていない」
「蛇王と呼ばれるだけはあるのぉ」
光に照らされた肋骨の表面には、無数の擦れ跡が残っていた。
骨の上を這ったものがいる。
それも一匹ではない。
ノクティアが片手を上げる。
先行していたウィルオーウィスプが、動きを止めていた。
白い火の玉が、その場で二度明滅する。
次の瞬間、頭上の肋骨から細長い影が飛びかかった。
だが、狙われたのは冒険者ではない。
先行していた光の精霊だった。
毒蛇の牙が、実体を持たない光をすり抜ける。
蛇はそのまま水中へ落ちた。
「ヴァイパー。ほかにもいる」
ノクティアの言葉どおり、別の肋骨にも二匹の毒蛇が絡みついていた。
奇襲を仕掛けるつもりだったのだろう。
だが、ウィルオーウィスプを先行させていたため、居場所はすべて露見している。
「見た目はただの毒蛇なのに、毒に負けたら一時間後には死ぬ。接近させるな!」
水中へ落ちた一匹が、身体をくねらせてノクティアへ向かう。
ノクティアは下がらず、短槍を突き出した。
穂先が蛇の胴を貫き、そのまま水底へ縫い止める。
残る二匹が、左右の肋骨を伝って降りてきた。
「ベラ、左だ。一度斬ったら戻れ!」
「妾の華麗なる剣舞を見るがよい!」
ルクスンが手を放す。
ベラは水面の上を飛び、左側の毒蛇へ斬りつけた。
ミスリル銀の刃が鱗を裂く。
だが、剣自身が飛ぶ力だけでは傷が浅い。
毒蛇は骨から落ちながらも、まだ動いている。
「戻れ!」
「わかっておる!」
ベラが空中で向きを変え、ルクスンの手へ柄を収めた。
握られた瞬間、ただ飛んでいた魔剣が、戦士の振るう武器へ変わる。
ルクスンは水を蹴って踏み込み、落下してきた蛇を斬り上げた。
先ほどとは比べものにならない一撃。
刃が蛇の胴を断ち、二つになった身体が水へ落ちる。
「やっぱり、お前は手に持って殴った方が強い!」
「わかっておるが、改めて言われると腹立たしいのぉ!」
三匹目が肋骨の陰へ逃げようとする。
ノクティアが精霊語で命じた。
ウィルオーウィスプが白い尾を引いて飛ぶ。
光の精霊は逃げる毒蛇へ追いつき、その身体を包み込んだ。
白い閃光。
魔法の一撃は蛇の素早さに関係なく命中し、その身体を肋骨から叩き落とした。
毒蛇は水面で一度だけ痙攣し、動かなくなった。
「怪我は?」
「ない」
「こちらもありません」
「わたくしも平気です。光の精霊を先行させたのは正解でしたね」
「暗視できるからって、暗いまま進む理由はないからな。使えるものは全部使う」
倒した蛇の血が、水の流れに薄まっていく。
一行は肋骨を一本ずつ調べながら先へ進んだ。
◇
やがて、一本だった脊椎が二本に増えた。
正確には、巨大蛇が自分の身体へ巻きついたため、上層と下層で背骨が交差している。
光の小石が、水底へ不自然な影を作った。
一部だけ、砂の積もり方が違う。
ルクスンは前を歩くノクティアの肩を掴んだ。
「止まれ。この先に落とし穴がある」
ノクティアが振り返る。
「水の下?」
「そうだ。脊椎の交差から三つ目の骨、その右側。光がなかったら、底の色の違いを見落としていたかもしれない」
ノクティアは短槍の柄を水底へ差し込んだ。
一歩目。
硬い岩へ当たる。
二歩目も同じ。
三歩目で、柄が何の抵抗もなく沈んだ。
水の下に、人間が丸ごと落ちるほどの穴が開いている。
「本当にある」
「だから言っただろ」
「どうして場所まで?」
「知識だけはあるんだよ。知識だけは!」
穴の底は、ここよりもはるかに深い。
白い肋骨が水底へ向かって曲がり、その奥には巨大蛇の腹腔と思われる空洞が広がっている。
ルクスンはオトフリートから光る小石を受け取った。
細い縄を結び、穴の中へゆっくり下ろしていく。
白い光が、水中へ沈む。
照らし出されたのは、折れた肋骨。
沈んだ獣の骨。
そして、水底に横たわる黒い背中だった。
長い吻。
並んだ牙。
光に反応し、クロコダイルが目を開く。
怪物は尾を動かし、音もなく水底から浮上してきた。
「落ちたら、あれと水中で戦うことになるのですね?」
「向こうは水の中でも動きが鈍らない。こっちは回避しにくいまま。絶対に落ちるなよ」
落とし穴の上には、巨大な脊椎が橋のように伸びている。
幅は人間の足二つ分ほど。
ルクスンは光の小石を引き上げ、今度はベラの柄へ別の縄を結んだ。
「向こうの肋骨を一周して戻ってこい。命綱を張る」
「戦うときは手に持った方が強く、働かせるときは勝手に飛べと言う。主は剣使いが荒いのぉ」
「頼りにしてるよ」
「仕方ないのじゃ!」
ベラが縄を引きながら水面の上を飛ぶ。
対岸の肋骨を一周し、再びルクスンの手へ戻ってきた。
固定された縄を頼りに、まずノクティア、次にオトフリートとゼフィーリアが脊椎を渡る。
ウィルオーウィスプは対岸で待機し、その先の暗がりを照らしていた。
最後にルクスンが渡り終える。
誰も落ちなかった。
穴の底にいたクロコダイルだけが、水面近くから獲物を見上げている。
「これで、この迷宮にある仕掛けらしい仕掛けは終わりだ」
「ずいぶん簡単な迷宮じゃな」
「代わりに、ここから先は全部、生きてる」
先行していたウィルオーウィスプが止まった。
白い光の向こう。
巨大な脊椎を取り巻くように、太く長いものがゆっくりと動いている。
それは、迷宮を作った蛇の骨ではなかった。
今も生きている蛇が、巨大な骨へ巻きついていた。
蛇王の迷宮は、ようやくその牙を見せ始めていた。