アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第58話 水没した蛇骨回廊

 蛇王の迷宮は、一匹の巨大蛇の死骸から始まっていた。

 

 一角獣の森の奥深く。

 

 地面が大きく陥没してできた縦穴の底から、白く石化した尾骨が地下へ向かって延びている。

 

 一本一本の骨が、人間の胴ほども太い。

 

 その隙間を縫うように掘られた坂道を下ったルクスンは、冷たい水へ片足を踏み入れた。

 

「……膝まであるな」

 

 迷宮の床は、完全に水没していた。

 

 地下水が絶えず流れ込んでいるらしく、澄んだ水が尾骨の間をゆっくり流れている。底には白い砂と細かな骨片が沈み、足を動かすたびに濁りが広がった。

 

 膝まで水に浸かれば、咄嗟に身体をかわす動きが鈍る。

 

 回避力に二点の不利。

 

 ルクスンの頭へ、前世のルールが嫌でも浮かんでくる。

 

「水に慣れた怪物が出たら、こちらだけが不利になりますね」

 

 オトフリートが杖を水へ入れ、深さを確かめる。

 

「出るよ。クロコダイルとリザードマンは、水中でも地上と同じように動く。こっちだけ足を取られる」

 

「まるで見てきたように言いますね」

 

「知識だけはあるんだよ。知識だけは」

 

 ベラは水を見た時点で、人の姿を諦めていた。

 

 銀髪の少女が着ていた服は無限のバックへ収められ、本人はブロードソードへ戻ってルクスンの手に握られている。

 

「妾なら水の上を自由に飛べるぞ。先へ行って様子を見てこようかの?」

 

「偵察だけならいい。でも、敵を見つけても一人で斬りかかるなよ。お前は剣なんだから、僕が手に持って殴った方が強い」

 

「剣であることを理由に、剣としての力不足を指摘されたのじゃ……」

 

「勝手に飛べるだけでも充分便利だろ」

 

「主は妾の浪漫を理解しておらぬ」

 

 暗闇そのものに困る者はいなかった。

 

 ルクスン、ノクティア、ゼフィーリアは、精霊を見る視覚から派生したインフラビジョンを持っている。

 

 オトフリートも自分の視覚を使い魔へ渡せば、梟の暗視を利用できる。

 

 だが、暗闇で動けることと、迷宮を正確に調べられることは別だった。

 

 インフラビジョンでは、壁や床の色までは判別できない。薄く刻まれた文字、変色した石、床材の継ぎ目を見落とす可能性もある。

 

 ルクスンの《センス・オーラ》と《センス・マジック》も視覚に依存している。

 

 魔力や精霊力の異常があっても、対象そのものを見られなければ意味がない。

 

「暗闇のまま進めなくはない。でも、床や壁の仕掛けを見落としたくない。オトフリート、光を頼む」

 

「承知しました」

 

 オトフリートは水中から白い小石を拾い上げた。

 

 片手に載せ、古代語の呪文を唱える。

 

「全知全能、万能なるマナよ。石に宿り、暗黒を退ける光となれ——ライト」

 

 小石が白く輝き始めた。

 

 オトフリートはそれを腰から下げた小さな籠へ入れる。光は遮られることなく、周囲の尾骨と水底を照らした。

 

 白い骨の表面に、黒く変色した部分がある。

 

 水底には爪痕と、何か重いものを引きずった跡。

 

 暗視だけでは判別しにくかった情報が、次々と浮かび上がる。

 

 続いてノクティアが、光へ向かって精霊語で呼びかけた。

 

 小石から零れた光が空中へ集まり、白い火の玉に似た姿を作る。

 

 ウィルオーウィスプ。

 

 光の精霊はノクティアの周囲を一度だけ回り、命令を待つように空中で静止した。

 

「わたしたちより先へ進んで。何か動くものがあれば戻ってきて」

 

 ウィルオーウィスプが、尾骨に沿って飛んでいく。

 

 一定の距離を保って先行させれば、待ち伏せする怪物は先に光の精霊を目にする。

 

 その間に、暗視を持つ三人と梟が、光の外側から相手を観察できる。

 

「明るくしたら怪物に気づかれるんじゃないかの?」

 

「気づかれるよ。だから僕たちが光を持って先頭を歩くんじゃなく、ウィスプを先に行かせる。襲われるなら、まずあっちだ」

 

「光を囮にするとは、なかなか酷いことを考えるのぉ」

 

「精霊は蛇に噛まれても毒で死なないからな」

 

 ルクスンは隊列を確認した。

 

 先頭はノクティア。

 

 その後ろをルクスンが進み、中央にオトフリートとゼフィーリア。梟は使い魔として頭上を警戒し、ウィルオーウィスプはさらに前方を飛んでいる。

 

 光の届く範囲は細部まで調べ、光の外側はインフラビジョンと梟の暗視で監視する。

 

 視界に関しては、かなり隙のない隊列だった。

 

 やがて、先行していたウィルオーウィスプが動きを止めた。

 

 白い光が、巨大な尾骨の先を照らす。

 

 三つの大きな影が浮かび上がった。

 

 骨の上に、巨大なトカゲが三匹いる。

 

 体長は人間ほど。

 

 太い四肢と長い尾を持ち、骨の間に挟まった何かを貪っていた。

 

「ジャイアント・リザードが三匹。まだこちらには気づいていない」

 

 ノクティアが光の精霊をその場へ留める。

 

「腹が減っていれば襲ってくるけど、積極的に人間を狙う怪物じゃない。こんな入口で怪我も魔法も使いたくないな」

 

「どうしますか?」

 

「食事中なら、もっと美味そうなものを追加してやる」

 

 ルクスンは荷物から干し肉の塊を取り出した。

 

 人間が食べるには大きすぎる量だったが、迷宮へ入る前から囮として用意していたものだ。

 

 ウィルオーウィスプとは反対側の水面へ投げる。

 

 干し肉は流れに乗り、ジャイアント・リザードの前を横切った。

 

 一匹が頭を上げる。

 

 長い舌が空気を舐め、次の瞬間には骨から水へ飛び込んでいた。

 

 残る二匹も続く。

 

 三匹は水飛沫を上げながら干し肉を追い、尾骨の奥にある窪みへ集まった。

 

「今だ。反対側を抜けるぞ」

 

 一行はウィルオーウィスプを先行させたまま、骨沿いを進んだ。

 

 ジャイアント・リザードたちは干し肉を巡って互いに唸り、こちらを振り返ろうともしない。

 

 戦わずに最初の縄張りを突破した。

 

          ◇

 

 尾骨を過ぎると、迷宮は急に広くなった。

 

 水没した床から天井へ向かって、巨大な肋骨が何十本も伸びている。

 

 左右の岩壁へ突き刺さった骨は白いアーチを作り、まるで石化した森のように並んでいた。

 

 ウィルオーウィスプの光が肋骨の間を抜け、その後ろをオトフリートの梟が音もなく飛ぶ。

 

「この骨格……本当に一匹分なのですか?」

 

「そうらしい。生きていた頃に出会わなくてよかったよ。僕の知識にも、こんな大きさの蛇は載っていない」

 

「蛇王と呼ばれるだけはあるのぉ」

 

 光に照らされた肋骨の表面には、無数の擦れ跡が残っていた。

 

 骨の上を這ったものがいる。

 

 それも一匹ではない。

 

 ノクティアが片手を上げる。

 

 先行していたウィルオーウィスプが、動きを止めていた。

 

 白い火の玉が、その場で二度明滅する。

 

 次の瞬間、頭上の肋骨から細長い影が飛びかかった。

 

 だが、狙われたのは冒険者ではない。

 

 先行していた光の精霊だった。

 

 毒蛇の牙が、実体を持たない光をすり抜ける。

 

 蛇はそのまま水中へ落ちた。

 

「ヴァイパー。ほかにもいる」

 

 ノクティアの言葉どおり、別の肋骨にも二匹の毒蛇が絡みついていた。

 

 奇襲を仕掛けるつもりだったのだろう。

 

 だが、ウィルオーウィスプを先行させていたため、居場所はすべて露見している。

 

「見た目はただの毒蛇なのに、毒に負けたら一時間後には死ぬ。接近させるな!」

 

 水中へ落ちた一匹が、身体をくねらせてノクティアへ向かう。

 

 ノクティアは下がらず、短槍を突き出した。

 

 穂先が蛇の胴を貫き、そのまま水底へ縫い止める。

 

 残る二匹が、左右の肋骨を伝って降りてきた。

 

「ベラ、左だ。一度斬ったら戻れ!」

 

「妾の華麗なる剣舞を見るがよい!」

 

 ルクスンが手を放す。

 

 ベラは水面の上を飛び、左側の毒蛇へ斬りつけた。

 

 ミスリル銀の刃が鱗を裂く。

 

 だが、剣自身が飛ぶ力だけでは傷が浅い。

 

 毒蛇は骨から落ちながらも、まだ動いている。

 

「戻れ!」

 

「わかっておる!」

 

 ベラが空中で向きを変え、ルクスンの手へ柄を収めた。

 

 握られた瞬間、ただ飛んでいた魔剣が、戦士の振るう武器へ変わる。

 

 ルクスンは水を蹴って踏み込み、落下してきた蛇を斬り上げた。

 

 先ほどとは比べものにならない一撃。

 

 刃が蛇の胴を断ち、二つになった身体が水へ落ちる。

 

「やっぱり、お前は手に持って殴った方が強い!」

 

「わかっておるが、改めて言われると腹立たしいのぉ!」

 

 三匹目が肋骨の陰へ逃げようとする。

 

 ノクティアが精霊語で命じた。

 

 ウィルオーウィスプが白い尾を引いて飛ぶ。

 

 光の精霊は逃げる毒蛇へ追いつき、その身体を包み込んだ。

 

 白い閃光。

 

 魔法の一撃は蛇の素早さに関係なく命中し、その身体を肋骨から叩き落とした。

 

 毒蛇は水面で一度だけ痙攣し、動かなくなった。

 

「怪我は?」

 

「ない」

 

「こちらもありません」

 

「わたくしも平気です。光の精霊を先行させたのは正解でしたね」

 

「暗視できるからって、暗いまま進む理由はないからな。使えるものは全部使う」

 

 倒した蛇の血が、水の流れに薄まっていく。

 

 一行は肋骨を一本ずつ調べながら先へ進んだ。

 

          ◇

 

 やがて、一本だった脊椎が二本に増えた。

 

 正確には、巨大蛇が自分の身体へ巻きついたため、上層と下層で背骨が交差している。

 

 光の小石が、水底へ不自然な影を作った。

 

 一部だけ、砂の積もり方が違う。

 

 ルクスンは前を歩くノクティアの肩を掴んだ。

 

「止まれ。この先に落とし穴がある」

 

 ノクティアが振り返る。

 

「水の下?」

 

「そうだ。脊椎の交差から三つ目の骨、その右側。光がなかったら、底の色の違いを見落としていたかもしれない」

 

 ノクティアは短槍の柄を水底へ差し込んだ。

 

 一歩目。

 

 硬い岩へ当たる。

 

 二歩目も同じ。

 

 三歩目で、柄が何の抵抗もなく沈んだ。

 

 水の下に、人間が丸ごと落ちるほどの穴が開いている。

 

「本当にある」

 

「だから言っただろ」

 

「どうして場所まで?」

 

「知識だけはあるんだよ。知識だけは!」

 

 穴の底は、ここよりもはるかに深い。

 

 白い肋骨が水底へ向かって曲がり、その奥には巨大蛇の腹腔と思われる空洞が広がっている。

 

 ルクスンはオトフリートから光る小石を受け取った。

 

 細い縄を結び、穴の中へゆっくり下ろしていく。

 

 白い光が、水中へ沈む。

 

 照らし出されたのは、折れた肋骨。

 

 沈んだ獣の骨。

 

 そして、水底に横たわる黒い背中だった。

 

 長い吻。

 

 並んだ牙。

 

 光に反応し、クロコダイルが目を開く。

 

 怪物は尾を動かし、音もなく水底から浮上してきた。

 

「落ちたら、あれと水中で戦うことになるのですね?」

 

「向こうは水の中でも動きが鈍らない。こっちは回避しにくいまま。絶対に落ちるなよ」

 

 落とし穴の上には、巨大な脊椎が橋のように伸びている。

 

 幅は人間の足二つ分ほど。

 

 ルクスンは光の小石を引き上げ、今度はベラの柄へ別の縄を結んだ。

 

「向こうの肋骨を一周して戻ってこい。命綱を張る」

 

「戦うときは手に持った方が強く、働かせるときは勝手に飛べと言う。主は剣使いが荒いのぉ」

 

「頼りにしてるよ」

 

「仕方ないのじゃ!」

 

 ベラが縄を引きながら水面の上を飛ぶ。

 

 対岸の肋骨を一周し、再びルクスンの手へ戻ってきた。

 

 固定された縄を頼りに、まずノクティア、次にオトフリートとゼフィーリアが脊椎を渡る。

 

 ウィルオーウィスプは対岸で待機し、その先の暗がりを照らしていた。

 

 最後にルクスンが渡り終える。

 

 誰も落ちなかった。

 

 穴の底にいたクロコダイルだけが、水面近くから獲物を見上げている。

 

「これで、この迷宮にある仕掛けらしい仕掛けは終わりだ」

 

「ずいぶん簡単な迷宮じゃな」

 

「代わりに、ここから先は全部、生きてる」

 

 先行していたウィルオーウィスプが止まった。

 

 白い光の向こう。

 

 巨大な脊椎を取り巻くように、太く長いものがゆっくりと動いている。

 

 それは、迷宮を作った蛇の骨ではなかった。

 

 今も生きている蛇が、巨大な骨へ巻きついていた。

 

 蛇王の迷宮は、ようやくその牙を見せ始めていた。

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