アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
ルクスンがエピタフという名を目にしたのは、この世界へ転生する前だった。
無の砂漠周辺に残る古代王国遺跡を紹介した記事。その中に、軍事要塞エピタフと、そこへ残された魔力の塔建造書について、わずかな記述があった。
ただし、読んだのは冒頭だけだった。
記事を開き、題名と最初の数行を眺めたところで、別の記事へ移ってしまったのである。
当時は自分がフォーセリアへ転生するとも、自分の魔力の塔を建てようと考えるとも思っていなかった。
だから遺跡の構造も、出現する怪物も、仕掛けられた罠も知らない。
覚えているのは、遺跡の名前と大まかな場所。そして、魔力の塔建造書が残されていることだけだった。
◇
古都ライナスへ戻った日の夜。
宿の一室に、一行全員が集まっていた。
卓上には、オトフリートが図書館から借りてきた古地図と、書き写した記録が広げられている。
その隅には木皿が置かれ、焼いた腸詰めと豆の煮込み、切り分けられた黒パンが並んでいた。
湯浴みを済ませたノクティアは、椅子の上で膝を抱え、黙々と黒パンを食べている。
ゼフィーリアは温めた果実酒を皆の杯へ注ぎ、オトフリートは梟に邪魔されながら古地図を押さえていた。
ベラは新しい鞘に収まり、ルクスンの椅子へ立てかけられている。
六千ガメルもした鞘である。
鞘として使えるのだから無駄ではない。
無駄ではないのだが、値段を思い出すたびに、ルクスンの胸には小さな痛みが走った。
「それで、次はエピタフの遺跡へ向かおうと思う」
ルクスンの宣言に、返事はなかった。
ノクティアは黒パンを食べ続け、ゼフィーリアは果実酒の瓶を卓上へ戻した。オトフリートは地図から顔も上げない。
鞘の中から、ベラだけが答えた。
「主よ。その話は明日でもよいのではないか」
「まだ日が暮れたばかりだぞ」
「そういう話ではない。妾たちは、今日帰ってきたばかりであろう」
「だから、今後の予定を決めておこうと思って」
ようやくオトフリートが顔を上げた。
「予定を決めることには賛成です。しかし、明日出発するという意味なら反対します」
「明日とは言ってない。明後日くらいで」
「反対」
ノクティアが即答した。
「まだ何日とは」
「反対」
「最後まで聞いてくれ」
「聞かなくても、早い」
ノクティアは黒パンの最後の一片を口へ入れた。
泉までの往復に加え、封印された場所の調査と、精霊との接触まで行っている。大きな負傷者こそ出なかったが、誰もが疲労を抱えていた。
ルクスン自身も例外ではない。
湯浴みを済ませ、食事を腹へ入れたことで、身体が休息を求めているのを感じ始めていた。
だが、魔力の塔建造書が現実に手の届く場所へあると思うと、どうしても気持ちが先へ進んでしまう。
ゼフィーリアがルクスンの前へ果実酒を置いた。
「エピタフの遺跡へ行くこと自体には、わたくしも賛成です。ただ、その前に休養と準備が必要だと思います」
「食料や水なら、街で買えばすぐに揃う」
「食料と水だけで古代王国の軍事要塞へ入るつもりなのですか」
「それ以外も買うよ」
「何が必要か分かっているのですか」
ルクスンは答えようとした。
だが、出てきた言葉は途中で止まった。
必要なものを考えるには、まず遺跡について知る必要がある。
しかし、その遺跡について知っていることが、ほとんどなかった。
オトフリートがペンを持った。
「確認しましょう。あなたの知識にあるエピタフとは、どのような遺跡ですか」
「古代王国時代の軍事要塞だ。無の砂漠に近い場所にある」
「規模は」
「分からない」
「地上施設ですか。それとも地下遺跡ですか」
「そこまでは覚えてない」
「建設された目的は」
「無の砂漠方面から来る何かを防ぐためだったと思う」
「何かとは」
「何かだ」
ペン先が止まった。
オトフリートは眼鏡の奥から、ルクスンを見た。
「では、内部に残されているものは」
「魔力の塔建造書」
「それ以外には」
「覚えてない」
「守護者や魔法装置については」
「知らない」
「その知識を、どこで得たのですか」
ルクスンは腕を組んだ。
「以前に見た記事だ」
「記事には、ほかの情報も書かれていたのではありませんか」
「たぶん、書いてあったと思う」
「なぜ覚えていないのです」
「最初の三行くらいしか読んでないから」
部屋が静まり返った。
暖炉の薪が爆ぜ、その音に梟が翼を震わせた。
「三行」
オトフリートが確認するように言った。
「題名を入れたら、四行かもしれない」
「ほとんど読んでいないではありませんか」
「魔力の塔建造書があることは覚えていたぞ」
「その四行だけを頼りに、無の砂漠付近の軍事要塞へ行こうとしているのですか」
「そのために調べるんだろ」
「そして、調査を始める前に明後日出発しようとしていたのですね」
ルクスンは杯を手に取った。
温められた果実酒から、甘い香りが立ち上っている。
返答を考えていると、ノクティアが言った。
「ちら見」
「何が」
「ルクスンは、記事を読んでない。ちら見しただけ」
「必要なところは見た」
「必要なところが分かる前に、見るのをやめてる」
ベラが鞘の中で笑い出した。
「主よ、よくぞそれだけの記憶で、皆を砂漠の果てまで連れていこうとしたものじゃ」
「無の砂漠の中まで行くわけじゃない」
「遺跡へ着けば安全だとでも思っておるのか。軍事要塞なのであろう」
「古代王国はもう滅びている」
「古代王国が滅びても、古代王国の造った危険なものは残っておる。これまで何度も見てきたではないか」
まったくもって、そのとおりだった。
古代王国の遺跡が、管理者の死と同時に安全になるのなら、冒険者はそれほど危険な仕事ではない。
命令だけを守り続ける魔法生物。
侵入者を攻撃する警備装置。
封印された怪物。
停止することなく魔力を消費し続け、別の何かへ変質した実験設備。
何百年も放置された遺跡には、造られた当時とは違う危険が生まれている。
ルクスンは果実酒を一口飲んだ。
「分かった。すぐには出発しない」
ノクティアが小さく頷いた。
「何日休む」
「二日」
「短い」
「三日」
「調査が終わらない」
「じゃあ五日」
ノクティアはオトフリートを見た。
「最低でも七日は必要です。エピタフそのものの記録が見つからなくても、古代王国時代の街道、無の砂漠周辺の地形、軍事要塞の一般的な構造については調べられます」
「遺跡は待ってくれないぞ」
「だからこそ、何かあった時に戻ってこられる準備をするのです。急いで入って全滅するよりは早いでしょう」
オトフリートは古地図の一か所を指した。
古都ライナスから南東へ、細い線が延びている。途中からかすれているものの、その線は無の砂漠方面へ向かっていた。
「この道が古代王国時代の軍道だった可能性があります。ただし、現在も通行できるとは限りません。水場の位置も変わっているでしょう。少なくとも、現地まで何日かかるかを調べる必要があります」
ゼフィーリアも椅子へ腰を下ろした。
「無の砂漠へ近づけば、水の精霊や風の精霊へ頼れない可能性があります。ノクティアとわたくしの精霊魔法が、いつもどおりに使えるとは考えない方がよいでしょう」
それは一行にとって大きな問題だった。
ノクティアは斥候であると同時に、精霊魔法による攻撃役でもある。ゼフィーリアも使える手段の一部を失う。
オトフリートの古代語魔法は精霊の有無に左右されないが、精神力には限界がある。
ルクスンも、覚えたばかりのヴァルキリー・ジャベリンを使えなくなる可能性があった。
「せっかく覚えたのに」
思わず漏らすと、ノクティアがルクスンを見た。
「何が」
「ヴァルキリー・ジャベリン。無の砂漠の近くで使えなかったら、覚え損だなと思って」
「使うために危険な場所へ行くわけじゃない」
「分かってるよ」
「本当に」
「……半分くらいは」
ノクティアは小さく息を吐いた。
その横で、オトフリートが新しい紙を取り出した。
「では、準備することを整理します。私はライナスに残る古代王国関係の記録を調べます。エピタフが見つからなければ、軍道と無の砂漠周辺の資料を優先します」
「私も行く。地図を見る」
ノクティアが言うと、オトフリートは頷いた。
「現場を歩ける人の意見が必要です。街道跡を見つけても、それが現在使える道か、私だけでは判断できません」
「では、わたくしは食料と水、それを運ぶ方法を調べます。お金があっても、持てないほど買っては意味がありませんから」
ゼフィーリアの言葉に、ルクスンは自分の荷物を思い浮かべた。
鎧、盾、武器、野営道具。それだけでも相当な重さになる。
水袋を大量に背負えば、戦闘どころか歩くだけで疲れ果てるだろう。
「荷運び用の動物を買うか」
「砂漠の近くまで連れていける動物でなければ、わたくしたちの水まで飲まれてしまいます。街で詳しい方を探してみます」
「妾は何をすればよい」
ベラの問いに、全員が鞘を見た。
「休む」
ノクティアが答えた。
「妾だけ役目がないではないか」
「泉で一番騒いでた」
「騒ぐのと疲れるのは別じゃ」
「新しい鞘に慣れておいてくれ。戦っている途中で抜けないとか、抜け落ちるとかは困る」
ルクスンが宥めると、ベラは少し考えた。
「仕方あるまい。主がそこまで申すのなら、妾はこの鞘を馴染ませておこう」
「ただ寝ているだけですよね」
オトフリートの指摘に、ベラは答えなかった。
役割は決まった。
調査、補給、装備の点検。そして休養。
すべて順調に進んでも、出発は七日後になる。
ルクスンは待ち遠しさを感じていたが、同時に、肩から力が抜けていくのも分かった。
急ぐ必要はある。
古代遺跡は、いつまでも同じ姿で待っているとは限らない。
しかし、焦って準備を省く理由にもならない。
目的はエピタフへ入ることではなく、魔力の塔建造書を持って帰ることなのだから。
オトフリートが紙へ大きく七日間と書き、その下に必要な準備を並べていく。
ノクティアは二枚目の黒パンへ手を伸ばした。
ゼフィーリアが果実酒を温め直し、ベラは鞘の中で早くも寝息を立て始めている。
窓の外には、古都ライナスの穏やかな夜が広がっていた。
無の砂漠から吹く風も、狂った精霊の声も、死者たちの足音も、まだここまでは届かない。
嵐が来るまで、あと七日。
まずは、休むところから始めることになった。