アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
翌朝、ルクスンは食堂の卓に頬杖をつき、二つの地名を書いた紙を眺めていた。
ファン近郊。
エピタフ。
昨日は勢いよく次の目的地を宣言したものの、一晩寝たら、もう一方の候補が頭をもたげてきた。
魔力の塔建造書が欲しい。
そこは変わらない。問題は、どこへ取りに行くかだった。
ファン近郊のダンジョンでは、魔法戦士リウイを見かけている。
あの姿を認めた時、ルクスンの頭をよぎったのは、前世に触れた物語の記憶と、いささか図々しい算段だった。
リウイの抜け駆けを、さらに抜け駆けできないものか。
本人が近郊の遺跡に出入りしているのなら、そちらを探る価値はある。少なくとも、物語の登場人物が遠い国のどこかにいる、という話ではなかった。
実際に見たのだ。
ただし、見たのはリウイである。
建造書ではない。
あの時の探索が建造書に関わっていたかどうかも、ルクスンには判断できなかった。
ダンジョンの中身など、まるで覚えていない。どの部屋に何があり、どの通路を選べばよいのか。そもそも当てにしている遺跡が、見かけた場所そのものなのか。
考えれば考えるほど、自信がなくなった。
もう一方が、エピタフだった。
こちらは転生前にちらりと見た記事の記憶である。魔力の塔建造書と遺跡名が結びついて、頭の隅に引っ掛かっていた。
しかし、詳しく読んだわけではない。
罠も、怪物も、書物の置き場所も分からない。
リウイ本人を見かけた場所を探すか。
胡乱な記憶に残る遺跡名を頼るか。
どちらへ行っても、入ってからは自力だった。
「……役に立つんだか、立たないんだか」
「主の頭の話か」
椅子へ立てかけた鞘から、ベラが口を挟んだ。
「記憶の話だよ」
「頭の中にあるのであろう。同じではないか」
ルクスンが鞘へ目を落とすと、向かいの椅子が引かれた。
ノクティアが朝食の皿を置き、紙を覗き込んでいる。
「行き先、変えるの?」
「まだ迷ってる。ファンの近くを探す手もあると思って」
「昨日はエピタフって言った」
「言ったけど、決める前にもう一度考えておきたい」
ノクティアは頷き、焼いたパンをちぎった。昨日のように即座に反対されると思っていたので、ルクスンは少し拍子抜けした。
「止めないのか」
「今、考えてるだけでしょう」
「出発すると思われていたのか、昨日は」
ノクティアは答えず、紙の二つの地名を交互に指した。
「どっちが分かる?」
「どっちも中は分からない」
「そう」
その短い返答が、妙に胸へ刺さった。
◇
オトフリートとゼフィーリアが席につく頃には、ルクスンの紙にパン屑が三つ乗っていた。
本人の考えは、ほとんど進んでいない。
「ファン近郊ですか」
話を聞いたオトフリートは、卓上の紙を自分の方へ寄せた。
「ええと……昨日のエピタフとは別に、建造書の当てがあるということですね」
「当てというほど確かじゃない。ただ、リウイを見かけたのが気になってる」
「その人物が、建造書を持っているのですか」
「持っているところは見てない」
「では、探していると聞いたのですか」
「それも聞いてない」
オトフリートが口を閉じた。
ルクスンは急いで言葉を足した。
「でも、あいつの動きと関係があるかもしれないんだ。先に見つけられるなら、その方が——」
「先に?」
ゼフィーリアが杯を持ったまま首を傾げる。
「……手間が省けるかなと」
「主よ、今、何か言い換えたであろう」
「言い方を整えただけだよ」
前世の物語と、現にここで生きている人間。その二つを結びつけた説明は、朝食の席でするには少々ややこしかった。
まして、他人の抜け駆けを先回りしたい、という動機である。
胸を張って言えば通る気もするが、胸を張った分だけ後から恥ずかしくなりそうだった。
オトフリートは、紙の「ファン近郊」の下へ短い線を引いた。
「そこを探す場合、まず建造書に関係する遺跡を絞り込む必要があります。リウイという人物を見かけたことと、目的の書物がそこにあることは、分けて考えましょう」
「ああ」
「では、エピタフの方は?」
「そっちは建造書が残されている、という話を覚えてる。ただ、ちらっと見ただけだから、詳しいことは分からない」
「内部を覚えていない点は、同じなのですね」
「残念ながら」
ノクティアが最後のパン屑を指先で拾った。
「じゃあ、分からない中身を比べても決まらない」
ルクスンは紙から顔を上げた。
そのとおりだった。
ファン近郊なら容易だろうと考える材料もなければ、エピタフなら突破できると考える材料もない。
記憶を探っても出てこない情報を、都合よく補って比べようとしていた。
ゼフィーリアが、ルクスンの手元へパンの籠を寄せた。
「エピタフのお話で覚えているのは、欲しい書物と、その場所なのですね」
「そう」
「ファン近郊で確かめられたのは、そのリウイという方がいたこと。でしたら、建造書そのものへの手掛かりは、エピタフの方が直接的ではありませんか」
「その記憶が怪しいんだよなあ」
「ええ。ですから、調べるのでしょう?」
穏やかに返され、ルクスンは口を閉じた。
考えてみれば、調査をするための時間を昨日確保したばかりだった。
今日中に遺跡を選び、明日には入口へ立たなければならないわけではない。
まずエピタフの実在と所在を調べる。記憶と合うものが見つかれば、道程と補給を詰める。何も裏づけられなければ、そこでファン近郊を探す案へ戻ればいい。
まだ街にいるのだ。進む方向を変えるだけで、誰かが死ぬわけではなかった。
「……リウイを見たから、そっちが正解に見えてたのかもしれない」
ルクスンは紙の端を指で押さえた。
物語で知っていた人物が、目の前にいた。
それは、自分の記憶がこの世界へつながっているという、強い実感になった。
だが、リウイがいたからといって、その足元へ欲しいものが全部埋まっているわけではない。
「その方に会いたいのですか。それとも、建造書が欲しいのですか」
オトフリートに問われ、ルクスンは即答した。
「建造書」
「でしたら、まずは書物につながる方を調べましょう」
ルクスンは頷いた。
リウイの抜け駆けを抜け駆ける。
そう考えた時には、随分うまい手を思いついた気がしたのだが、いつの間にかリウイの行き先を追うことが目的になりかけていた。
欲しいのは魔力の塔を建てるための資料だ。
リウイとの競争に勝ったという賞状ではない。
「分かった。エピタフから調べよう。昨日は行くと決めて話したけど、その前に、僕の記憶にどこまで裏が取れるか確かめたい」
「ようやく私の出番ですね」
オトフリートが紙を折り畳み、自分の手元へ置いた。
「地名や古い記録は調べます。ただし、施設が昔あったという記述だけで、現在の安全まで保証できるとは考えないでください」
「そこまで都合よくは考えないよ。軍事要塞だって話なら、面倒なものが残っていてもおかしくない」
今度の返事には、ノクティアも頷いた。
彼女は空いた皿を重ねながら、ルクスンを見た。
「場所が決まったら、道を調べる。帰る道も」
「お願いします」
「水と食料の相談も、その後ですね。今は容器の傷みだけ見ておきます」
ゼフィーリアが言い、ベラが鞘の中から大仰に溜息をついた。
「ふむ。これで主の抜け駆けとやらも、ようやく支度を始められるわけか」
「結局、聞いてたんだな」
「主は独り言が少々大きい」
ルクスンは思わず周囲を見回した。
隣の卓では旅商人らしい男が、薄く切った肉をパンに挟んでいる。こちらに関心はなさそうだったが、正面のノクティアは明らかに笑いを堪えていた。
「何を聞いた?」
「抜け駆けを抜け駆ける」
「そこだけ忘れてくれ」
「覚えやすい」
◇
朝食を終えると、オトフリートは調べ物の支度をするため部屋へ戻った。
ルクスンも立ち上がりかけたが、ノクティアが彼の皿を指した。
考え込んでいるうちに、ほとんど食べていなかった。
冷めた煮込みを口へ運ぶ。豆に染みた塩気が、ようやく腹を空かせていたことを思い出させた。
窓の外では荷車が石畳を鳴らし、物売りの声が行き交っている。
エピタフがどんな場所なのか、まだ何も見えていない。
それでも、選ぶ理由ははっきりした。
リウイがいた場所ではなく、建造書があると覚えている場所を探す。
当たり前の結論にたどり着くまでに、朝食がすっかり冷めてしまった。
「主よ、急げ。オトフリートが戻ってくるぞ」
「分かってる」
「抜け駆けされるのう」
ルクスンは返事の代わりに、残ったパンを口へ押し込んだ。