アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第79話 持って帰るための支度

 宿の裏庭で、ルクスンは水袋を逆さに持っていた。

 

 栓は締まっている。

 

 縫い目から水が漏れている様子もない。

 

 それでもゼフィーリアは、しばらくそのままでいるようにと言った。

 

「……腕が疲れてきた」

 

「もう少しです」

 

「置いておけばよくないか」

 

「先ほど、それでご自分の上着を濡らしたでしょう」

 

 ルクスンは黙って水袋を持ち直した。

 

 足元には、濡れた上着が広げられている。

 

 最初の一袋は問題なかった。二袋目も大丈夫だった。三袋目になって気が緩み、衣類の上へ横倒しにしたところ、栓の脇から水が滲んできたのだ。

 

 今は別の袋を調べている。

 

 ゼフィーリアは水滴の跡を指で確かめると、ようやく頷いた。

 

「そちらは大丈夫そうです」

 

「僕の腕も、そろそろ大丈夫じゃなくなるところだった」

 

「剣を振るう腕であろうに、水袋に負けるでない」

 

 腰のベラが口を挟んだ。

 

「お前も一刻ほど逆さにして干そうか」

 

「妾まで洗濯物に数えるな!」

 

 その声に、井戸の向こうで敷布を絞っていた宿の女中が振り向いた。

 

 ルクスンは何でもないという顔で水袋を下ろしたが、ゼフィーリアは肩を震わせている。

 

 オトフリートは調べ物へ出かけ、ノクティアは街で道や旅人の話を集めている。

 

 残ったルクスンたちは、行き先が決まる前でもできる仕事から片づけていた。

 

 水袋の点検。

 

 荷紐の結び直し。

 

 底に溜まったパン屑を払い、いつの間にか増えた細々した物を荷袋から出す。

 

 華やかさには、まったく欠ける。

 

 しかし、濡れた上着を前にしては文句も言いにくかった。

 

「この袋は修理に出そう。買い替えるほどじゃない」

 

「ええ。ほかの革物も一緒に見てもらいましょう」

 

 ゼフィーリアは傷んだ物を一か所へ寄せ、無事だった物を別の布へ並べた。

 

 ルクスンも腰を下ろして、荷袋の底を探る。

 

 短い紐。布切れ。使いかけの蝋燭。

 

 そして、紙に包まれた小さな塊。

 

「それは何ですか」

 

「……食べ物だったもの」

 

「だった、とは?」

 

 ルクスンは包みをそっと閉じた。

 

「これは処分する」

 

 ベラの笑い声が、裏庭に響いた。

 

     ◇

 

 昼前にノクティアが戻り、三人で市場へ向かった。

 

 街道と水場については、まだ話を集めている途中らしい。オトフリートの調査と照らし合わせるまで、食料を何日分買うかも決められない。

 

 今日は修理を頼み、品物と値段を見るだけである。

 

 そう決めて出てきたはずだった。

 

「これ、便利そうだな」

 

 露店に吊るされた大きな鍋を前にして、ルクスンが足を止めた。

 

 底が厚く、取っ手も丈夫そうだった。これなら煮込みを作る時に焦がしにくい。

 

 ノクティアが無言で鍋を外し、ルクスンへ渡した。

 

 ずしりと腕へ重さがかかる。

 

「……丈夫そうだな」

 

「背負って」

 

「そこまでしなくても分かる」

 

 ノクティアは鍋を受け取り、元の場所へ戻した。

 

 その手際を見て、店主が笑う。

 

「荷車ならいいんだがね。背負って歩く連中には、そっちの小さいのが出るよ」

 

「今ある鍋で足りる」

 

 ノクティアの返事に、ルクスンも頷いた。

 

 空飛ぶ魔力の塔を造るという大きな目標を掲げていても、今の一行は自分の荷物を自分で運ぶ冒険者だった。

 

 台所を丸ごと連れていくわけにはいかない。

 

 革細工の店へ水袋を預けた後も、ルクスンの足は何度か止まった。

 

 頑丈な折り畳み椅子。

 

 蓋つきの食器。

 

 柄の長い調理用の匙。

 

「主よ、遠足の支度ではないのだぞ」

 

「座って食事をしたいと思うくらい、いいだろ」

 

「それは塔ができてからになされ」

 

「塔ができたら、椅子は折り畳まない」

 

 ゼフィーリアがとうとう吹き出した。

 

 露店の軒先を抜けると、香ばしい匂いが漂ってきた。焼き台の上で薄い生地が膨らみ、売り手がそれを裏返している。

 

 ルクスンは今度こそ立ち止まり、ノクティアを見た。

 

「これは、持ち歩かずに食べれば重くならない」

 

「なるよ」

 

「荷袋は重くならない」

 

 ノクティアは少し考え、二本の指を立てた。

 

「私も食べる」

 

「自分の分を入れたら急に話が早いな」

 

     ◇

 

 焼きたての薄パンを食べながら市場を歩いていると、ゼフィーリアが木箱の並ぶ店先で足を止めた。

 

 大きな衣装箱の隣に、小ぶりな蓋つきの箱が積まれていた。

 

「ルクスン。建造書は、何冊くらいあるのでしょう」

 

 口へ運びかけたパンが止まった。

 

「……そこまでは覚えてない」

 

「一冊とは限らないのですね」

 

「ああ。図面が別になっているかもしれない」

 

 魔力の塔建造書。

 

 頭の中では、いつの間にか片手で抱えられる一冊の本になっていた。

 

 だが、大判の図面が何枚もある可能性はある。分厚い書物が何冊にも分かれているかもしれない。長い巻物だったら、荷袋へ折り曲げて詰めるわけにもいかなかった。

 

 ゼフィーリアは小さな箱の蓋を開け、内側を見た。

 

「水袋と一緒に入れるのは、避けたいですね」

 

「……今朝の件は反省してる」

 

「責めているのではありません。無事に見つけても、持ち帰る途中で傷めたら残念ですから」

 

 ルクスンも箱を一つ持ち上げた。

 

 軽い。

 

 しかし、落とした時に角を守るには少し薄そうだった。

 

 横からノクティアが箱の縁を押し、蓋の収まりを確かめる。

 

「大きさが分からないなら、今は決められない。布と、外から水を防ぐものも見よう」

 

「それは必要だな」

 

 ルクスンは素直に箱を戻した。

 

 先ほどの鍋とは違って、これは欲しい物を持って帰るための道具だった。

 

 店主に相談すると、紙類を包むために買っていく客もいるという油布を見せてくれた。縫い目や折り癖を確かめ、必要になりそうな大きさを相談する。

 

 箱は保留にした。

 

 その代わり、包む布と紐を買う候補に加えた。

 

「僕は入ることばかり考えてたな」

 

 店先を離れてから、ルクスンが呟いた。

 

「見つけた後は、荷物が増える」

 

 ノクティアはパンの最後のひと口を飲み込んだ。

 

「持って帰る人も必要」

 

「僕だろうなあ」

 

「大きい鍋、買わなくてよかった」

 

 それはもう、返す言葉がなかった。

 

     ◇

 

 午後、一行は宿の卓で合流した。

 

 オトフリートは数枚の書き付けを広げたが、エピタフの所在を断定できるだけの記録は、まだ揃っていなかった。

 

「目録から当たりをつけているところです。別の名前で記録されている可能性もありますから、軍事施設の記述も追っています」

 

「何か見つかりそう?」

 

「まだ何とも。ただ、調べる先はあります」

 

 ルクスンは頷き、市場で気づいたことを伝えた。

 

「建造書が何冊あるか分からない。持ち帰る箱を用意した方がいいかと思ったけど、大きさが分からないから見送った」

 

 オトフリートの表情が変わった。

 

「包む物は?」

 

「油布と、内側に巻く柔らかい布。今日は品物を見てきた」

 

「紙と筆記具も必要です。原本を動かせない場合に、書き写せるようにしておきましょう」

 

「全部写すとなると、大変そうだな」

 

「ええ。ですから、まず何が書かれているか確かめます。関連のない書類まで抱えて帰っても仕方ありません」

 

 そう言いながら、オトフリートは自分の紙へ書き足していく。

 

 地図の写しに使う分。

 

 現地で記録する分。

 

 資料を写す必要が生じた時の予備。

 

 ペン先が止まる気配はなかった。

 

「……随分、増えるな」

 

「足りなくなるよりはいいでしょう」

 

 ノクティアが席を立ち、部屋の隅から空の荷袋を持ってきた。

 

 オトフリートの椅子の横へ、そっと置く。

 

「運ぶ分も考えて」

 

 彼は荷袋を見下ろし、自分の書いた紙を見た。

 

 それから、予備と書いた文字の下でペンを止めた。

 

 ルクスンは顔を伏せた。

 

 今笑えば、鍋の話になる。

 

「どうしました、ルクスン」

 

「いや。準備って大事だと思って」

 

「何じゃ主よ。あの大鍋のことを申しておるのか」

 

 ベラの声に、ノクティアとゼフィーリアが同時に笑った。

 

 オトフリートが説明を求める視線を向けてくる。

 

 ルクスンは椅子へ深く座り直した。

 

「塔ができたら、買うことにしたんだ」

 

 窓から入る午後の光が、卓上の書き付けを照らしていた。

 

 道具の修理は頼んだ。買い足す物も少しずつ見えてきた。遺跡への道は、これから調べる。

 

 今日は剣を抜いていない。

 

 それでも、空の荷袋を挟んで続く相談は、確かに次の冒険を前へ進めていた。

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