アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
ベラが不機嫌だった。
宿を出てから、まだ一言も喋っていない。
ルクスンが挨拶しても返事をせず、腰の鞘に収まったまま黙り込んでいる。いつもなら頼まなくても口を挟んでくるので、静かだと逆に落ち着かなかった。
「……何か怒ってる?」
ようやく尋ねると、鞘の中から低い声が返った。
「主は、妾を何だと思うておる」
「大切な仲間」
「では、なぜ毛布で包もうとした」
「あれは荷物の点検で——」
「妾を包み、荷袋へ入れ、最後に紐で縛ろうとしたであろう!」
前を歩いていたノクティアの肩が揺れた。
今朝、ルクスンは荷袋の中で傷めたくない物を布に包んでいた。その流れで、ベラも包んでみたのである。
収まりがよかったので、そのまま入れようとした。
本人から猛烈な抗議を受けるまでは、悪い考えではないと思っていた。
「予備の布を巻けるか試しただけだって」
「妾は予備の剣ではない!」
「そこは誰も言ってない」
ゼフィーリアが振り向いた。
「抜く時に困りませんか」
「そうなんだよな」
「今、気づいたのか、主よ!」
ベラの声に、道端の犬が吠えた。
◇
借りた稽古場には、踏み固められた土と、使い込まれた木製の標的があった。
ルクスンたちの目的は、打ち合って疲れ果てることではない。
旅装を整えた状態で武器を抜き、荷物を下ろし、仲間と位置を入れ替える。普段の動作を一通り確かめるためだった。
オトフリートも午前中だけ付き合うことになっている。
図書館へ行く時とは違い、今日は杖と旅の荷物を持っていた。
「まず、通路の幅を決めよう」
ルクスンが地面へ線を引く。
ノクティアがその両端へ木片を置いた。
人が二人、どうにかすれ違える程度の幅である。もちろん、エピタフの通路がこの広さだと知っているわけではない。狭い場所で邪魔にならないか確かめるには、ちょうどよかった。
「ノクティアが前を調べて、何かあったら戻る。僕が前へ出るから、その後ろで——」
「やってみよう」
説明の途中で、ノクティアが歩き出した。
数歩進んだところで足を止め、左手を上げる。
ルクスンも止まった。
ノクティアが戻ってくる。彼女の肩越しを見ながら盾を構え、前へ出ようとした瞬間、背後で何かが引っ掛かった。
「待ってください」
オトフリートの声がする。
振り向くと、ルクスンの荷袋に結びつけた毛布の端が、彼の杖に絡んでいた。
ノクティアが横をすり抜け、二人を見る。
「敵、来たよ」
「ちょっと待って」
「待たない」
「分かってるから!」
毛布を引けば杖も動く。オトフリートが杖を引けばルクスンの肩が引かれる。
ゼフィーリアが二人の間へ手を差し入れ、布の輪を外した。
ようやく自由になった時には、ノクティアは通路の外に座っていた。
「今、二人倒れた」
「厳しいな」
「敵もそうだと思う」
ルクスンは荷袋を下ろした。
机の上で綺麗にまとめた荷物が、身体につけても扱いやすいとは限らない。
毛布を巻き直し、紐の余りを押し込む。オトフリートも杖を持つ位置を確かめ、もう一度並んだ。
次は引っ掛からなかった。
◇
何度か位置を入れ替えるうちに、ルクスンは自分の動きばかり気にしなくなった。
ノクティアが戻る時、盾を少し引けば通りやすい。
オトフリートが杖を動かす側へ、無闇に立たない。
ゼフィーリアに声をかける時は、指示だけでなく、誰のことを言っているのか伝える。
一緒に戦ってきた仲間でも、立つ場所が少し変わるだけで勝手が違った。
休憩に入る前、ルクスンはベラを抜いた。
新しい鞘から現れた刀身が、日差しを受けて淡く輝く。
周囲に人がいないことを確かめ、ゆっくり振り下ろす。続けて踏み込み、刃筋を変えた。
「主よ」
「何?」
「なぜ途中で止める」
ルクスンは剣先を下げた。
自分でも、少し手加減していることには気づいていた。
ベラは魔剣だ。
しかも、意思を持ち、文句を言い、一緒に旅をする仲間でもある。
ただの道具として振るっていた頃と、まったく同じ気持ちでは扱えなかった。
「無茶をさせたくないんだよ」
「それで斬り損ねて、主が殴られては何にもならぬ」
「それはそうだけど」
「妾を振るうことまで怖がるな。剣として使われるために、ここにおるのじゃ」
ベラの声は、いつもより静かだった。
ルクスンは柄を握り直した。
彼女が折れれば、気絶した仲間を助け起こすようにはいかない。その事実は忘れられないし、忘れるべきでもない。
だからといって、いざという時に腕が鈍れば、ベラも自分も危うくなる。
「分かった。ちゃんと使う。ただ、お前一人に無理をさせるようなことはしない」
「うむ。大切にするなら、存分に働かせた後で磨くがよい」
「そこは要求するんだな」
「当然じゃ」
今度は踏み込みを止めなかった。
刀身が空気を切り、狙ったところでぴたりと収まる。
ベラが満足そうに鼻を鳴らした。
見ていたノクティアも、小さく頷いた。
◇
木陰で水を飲み、短い休憩を取った。
オトフリートは片膝に書き付けを置いている。調べ物の続きを始めたのかと思ったが、書いているのは先ほどの稽古で気づいたことだった。
「私が詠唱を始めてから、急に目の前を横切らないでください。狙う相手も、早めに教えていただけると助かります」
「僕が敵にぶつかったら、後ろから適当に、じゃ駄目か」
「何を適当に使えと?」
「そこは専門家の判断で」
「専門家は、あなたがいつ横へ飛ぶつもりなのかまでは知りません」
ルクスンは笑った。
自分が知っている魔法だからといって、使う人間の都合まで分かっているわけではない。
魔法の効果を知ることと、隣にいる術者に合わせて動くことは、別に覚える必要があった。
ゼフィーリアが水袋の栓を締める。
「怪我をした時も、隠さないでくださいね。後でまとめて治せばよいと思っていらっしゃると、こちらが困ります」
「分かった」
「返事が早いですね」
「今回は本当に分かった」
「今回は、という言い方が気になります」
ノクティアが水を飲みかけて止まった。
ルクスンは話を変えようと、稽古場の端に立つ標的へ目を向けた。
「そうだ。せっかくだから、最後にヴァルキリー・ジャベリンを——」
「駄目」
ノクティアの返答は早かった。
「まだ何をするか言ってない」
「撃つでしょう」
「そうだけど」
オトフリートが書き付けから顔を上げた。
「攻撃魔法を使う許可は取っていません。それに、あの標的を壊したら弁償です」
ルクスンは標的を見直した。
何度も打たれ、表面が毛羽立っている。頑丈ではあるが、精霊の光槍を受け止めるための物ではなさそうだった。
ベラが嬉しそうに言う。
「妾で素振りをしておれば、的も懐も傷まぬぞ」
「お前、さっきの仕返しだろ」
「何のことかのう」
覚えた術を使いたい。
その気持ちはある。
だが、覚えた術を試すたびに標的を買っていたら、塔を建てる前に稽古場の持ち主と親しくなってしまう。
ルクスンは諦め、立ち上がった。
「もう一回、通路の練習をしよう。今度は途中で後ろから来たことにして」
「誰が来るのですか」
ゼフィーリアの問いに、ルクスンはオトフリートを見た。
「魔法使いを狙う敵」
「なぜ私を見て言うのです」
「一番困りそうだから」
「困りますとも!」
今度は、オトフリートが皆を笑わせた。
◇
稽古を終える頃には、荷物の結び方が朝と少し変わっていた。
使う物は取り出しやすい場所へ移し、邪魔になる紐は短くまとめた。特別な武具が増えたわけでも、新しい魔法を覚えたわけでもない。
それでも、最初より動きやすかった。
宿へ戻る道で、ベラが声をかけてきた。
「主よ、約束を忘れるでないぞ」
「磨くんだろ。戻ったらやるよ」
「分かっておるならよい」
ルクスンは腰の鞘へ手を添えた。
朝と違って、そこから不機嫌な沈黙は返ってこなかった。
隣を歩くノクティアが、その手元を見る。
「今日は包まない?」
「包まない」
「よかった。荷袋が空く」
「そこ?」
ノクティアは口元を緩め、前へ向き直った。
日差しはまだ高い。
昼食を済ませたら、オトフリートは調査の続きへ行く。ルクスンには武具の手入れが残っている。
その後なら、少し眠る時間も取れそうだった。
休養の予定を自分から口にすると、ベラが驚いたような声を上げた。
「主も、ようやく休み方を覚えたか」
「お前を磨いた後でね」
「うむ。順番を心得ておる」
ずいぶんと偉そうな剣だった。
ルクスンは笑い、宿へ続く通りを仲間と歩いた。