アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
刃が炎の胴を横切った。
肉を斬る感触はない。
それでも、ミスリル銀の刀身が通った跡で、サラマンダーの輪郭が大きく崩れた。飛び散った火の粉が石床を転がり、ルクスンの足元で消える。
倒したか。
確かめるより早く、残った炎が跳ね上がった。
「主、右じゃ!」
ベラの声に、ルクスンは身体を捻った。
火の尾が脇を掠め、背後の壁へ叩きつけられる。焼けた石の匂いが鼻を刺した。
盾を向け直す。
しかし、盾さえあれば火を防げるとは思っていなかった。まともに浴びれば、縁を越えて炎が回り込んでくる。
サラマンダーの頭が持ち上がる。
ルクスンは横へ動いた。
階段口から離し、中央の台座を挟む位置へ誘う。
精霊の目が、彼を追った。
「こっちだ。そっちには行かせない」
言葉が通じることを期待したわけではない。
盾を打ち鳴らし、刃を構えた人間が動けば、敵意はそちらへ向く。
炎の身体が床を這い、ルクスンへ迫った。
その向こうで、ノクティアが階段口を離れる。
彼女は台座の反対側へ回り、炎の届かない位置で身を低くした。
「オトフリート、今」
魔術師が続いた。
ゼフィーリアは階段の手前に留まり、戦うルクスンと、通路へ続く退路を交互に見ている。
全員で狭い部屋へ飛び込めば、逃げる場所を失う。
ルクスンは仲間が動く気配だけを確かめ、サラマンダーへ意識を戻した。
火の頭が、ぱっと膨らんだ。
踏み込むつもりだった足を止め、石の台座の陰へ滑り込む。
炎が噴きつけた。
盾の表面を熱が舐め、頬がひりつく。吸い込もうとした息が熱く、思わず歯を食いしばった。
台座の向こうで、オトフリートが何か叫んだ。
炎の音に掻き消され、言葉までは聞こえない。
ルクスンは返事をせず、火勢が弱まるのを待った。
炎を吐き終えた頭が、こちらを探して動く。
そこへ踏み込んだ。
盾を引き、身体ごと刃を送り込む。
ベラの切っ先が燃える喉を貫き、そのまま上へ斬り抜けた。
サラマンダーが仰け反る。
頭から胴へ、白い裂け目が走った。
ルクスンは剣を引き戻し、もう一度構える。
しかし、次の攻撃は来なかった。
精霊の身体が崩れ、幾筋もの炎となって宙へ散った。
火の尾が最後に大きく撥ねる。
それも、床へ届く前に消えた。
◇
ルクスンはすぐには剣を下ろさなかった。
砲座は熱いままだったが、肌を刺していた敵意は消えている。
背後へ目をやる。
階段口にゼフィーリア。
台座の向こうにノクティアとオトフリート。
全員いる。
「……よし」
ようやく息を吐いた。
「よし、ではない。主、袖を見よ」
ベラに言われ、左腕を見た。
袖の端が焦げていた。
小さく残った火を叩き消すと、ゼフィーリアが近づいてくる。
「腕を見せてください」
「少し熱かっただけだよ」
「その少しを確かめます」
ルクスンは盾を下ろし、腕を差し出した。
革の下まで焼けてはいなかった。露出していた手首に赤みが残り、擦れると痛むが、指は動く。
ゼフィーリアはその動きを確かめてから、ほっと息をついた。
「ひどくはありませんね。ただ、もう一度同じことをしても平気だとは思わないでください」
「分かってる」
「主は今、残りの砲台も同じように斬ればよいと思ったであろう」
ベラの指摘に、ルクスンは一瞬黙った。
「……半分くらい」
「残り半分で考え直せ」
その時、ノクティアが顔を上げた。
「待って。まだ終わってない」
◇
金属の輪が、淡く光っていた。
先ほどまで精霊を囲んでいた輪の内側へ、赤い筋が走っている。
ルクスンの頬から笑みが消えた。
壁の導管を伝って、火の気配が戻り始めている。
倒したサラマンダーが、元に戻ろうとしているのか。
いや、同じものとは限らない。
今見えているのは、空になった場所へ、再び力が流れ込んでいるという事実だけだった。
「まだ来るぞ」
「止めます。少し待ってください」
オトフリートは台座の側面に膝をついた。
薄く積もった煤の下に、文字と小さな金属板が並んでいる。
ノクティアが布で拭うと、その横に埋め込まれた把手が見えた。
「これ?」
「動かさないで。先に表示を読ませてください」
ルクスンは再び輪へ向き直った。
ベラを握る手に力が入る。
まだ精霊の姿はない。
だが、ここでのんびりと待っていてやる理由もなかった。
「どれくらい?」
「急いでいます」
「分かってる。目安が欲しい」
オトフリートが文字を指で追った。
「射出、旋回……こちらは供給。整備の際に、個別に止められるはずです」
輪の内側で、赤い光が渦を巻いた。
「整備って、火を入れたままやるものじゃないよな」
「普通は止めます!」
「じゃあ、その普通を頼む!」
ノクティアは把手の根元へ顔を近づけた。
強く引く前に、隙間を調べている。
「留め具がある。これを外す?」
オトフリートが確かめ、頷いた。
「ええ。その後、把手をこの位置まで。途中で止めないでください」
小さな留め具が持ち上がった。
ノクティアが把手へ両手をかける。
動かない。
姿勢を変え、片足を台座へ当てた。
金属が軋んだ。
ルクスンは輪を見張ったまま、声をかけた。
「代わろうか」
「まだいい」
ノクティアの肩が沈む。
次の瞬間、把手が大きく倒れた。
鈍い音が、台座の中から響いた。
壁を走っていた光が途切れる。
輪の内側に集まっていた赤い渦が揺らぎ、細い火花となって消えた。
部屋が、急に暗くなった。
◇
誰も、すぐには喋らなかった。
ルクスンは輪の内側を見つめ、火の気配が戻らないか確かめる。
オトフリートも、把手と表示をもう一度照合した。
「この砲座への供給は止まったようです」
「ようやく休んでくれたか」
ルクスンはベラの切っ先を下げた。
ノクティアが両手を握り、開く。
「固かった」
「五百年分かもしれないからな」
「もう少し手入れしておいてほしかった」
オトフリートが、倒した把手を見た。
「手入れする人間がいなくなっても、設備だけが働き続けたのでしょうね」
その言葉で、部屋の静けさが少し違って感じられた。
床には誰かが落としたらしい工具が残っている。
壁際の腰掛けは、板が抜け落ちていた。
人の使う物は朽ち、火を吐く機械だけが生き残った。
ルクスンは焦げた袖を引いた。
「働き者にも限度があるな」
「休ませるだけで、こちらが焼かれかけましたからね」
ゼフィーリアが答えた。
ルクスンは砲身の後部を覗き込みかけ、熱気を感じてやめた。
「ほかも、内側から止められるかな」
「同型なら操作は似ているでしょう。ただし、そこへ行く道が分かりません」
オトフリートは台座から壁へ延びる溝を目で追った。
「それに、この供給は砲座の外から来ています。一基止めても、要塞全体が止まったわけではありません」
サラマンダーを倒した後も、力は流れ込んできた。
戦うだけでは、同じことを繰り返す可能性がある。
ルクスンはその事実を頭に置いた。
建造書を探す間、背後で砲台が蘇っては困る。
少なくとも、帰り道に使う場所は確実に止めておきたかった。
◇
砲座の反対側には、もう一つ出入口があった。
ノクティアが調べ、錆びた閂を外す。
開いた扉の向こうは、城壁の内側に沿った通路だった。外側には高い石の胸壁があり、腰を低くすれば、ほかの砲台から姿を隠せそうだった。
ノクティアが先を確かめる間、一行は砲座の陰で水を少しずつ飲んだ。
熱い部屋での戦いは、短くても喉を乾かせる。
ルクスンは水袋を閉じ、残りを確かめてから荷物へ戻した。
「主よ、妾も見よ」
刀身へ目を落とす。
ミスリル銀の刃に、欠けはない。
「大丈夫。綺麗だよ」
「当然じゃ。主の袖とは違う」
「袖も頑張ったんだぞ」
「では、帰ったら褒めて縫ってやるがよい」
ルクスンが笑ったところで、ノクティアが戻ってきた。
「中庭が見える」
「下へ降りられる?」
「階段はある。でも、その前に見て」
彼女の声には、警戒だけでない響きがあった。
ルクスンはベラを鞘へ戻さず、後に続いた。
胸壁の切れ目から、要塞の内側を覗く。
最初に目へ入ったのは、緑だった。
大きな木が、中庭を覆っていた。
枝は建物の軒を越え、根が石畳を押し上げている。絡みつく蔓の間には葉が幾重にも重なり、外の荒野からは想像できないほど濃い陰を作っていた。
風が吹く。
城壁の外から、乾いた砂が飛んでくる。
それなのに、中庭の葉は瑞々しかった。
「……ここだけ森ですね」
背後から覗いたゼフィーリアが呟いた。
ルクスンは頷きかけ、止まった。
木々の奥から、精霊の気配がする。
強い。
そして、こちらへ意識を向けている。
枝の間で、何かが動いた。
ルクスンは胸壁から身を引いた。
「ノクティア。あそこを通る前に、少し話を聞こう」
「聞いてくれるなら」
中庭の大きな枝が、ゆっくりと持ち上がった。
まるで、訪れた者を招き入れるように。