アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
城壁の内側へ下りる階段は、途中から木陰に沈んでいた。
頭上の枝には厚く葉が茂り、石段の隙間から細い根が伸びている。外では砂を運んでいた風が、ここでは湿った土と青葉の匂いを連れてきた。
涼しい。
だが、気持ちよく息を吸い込むには、少し静かすぎた。
鳥の声がない。
虫の羽音も聞こえない。
葉だけが、風の動きと合わない間隔で擦れ合っていた。
ルクスンは階段の途中で止まり、庭を見渡した。
中央の大木。その根元に絡み合う灌木。石畳を覆う蔓。
どこまでが一本の木なのか、すぐには分からない。
「ドリアードだ」
彼が呟くと、ノクティアが頷いた。
気配は大木の周囲に濃く集まっていた。
しかし、森で樹木の精霊に出会った時と同じようには感じられない。力が強すぎるというより、狭い庭の中で何度も跳ね返り、行き場を失っているようだった。
「私が話す。まだ下りないで」
ノクティアは片手を空け、木々へ呼びかけた。
精霊語が葉陰へ流れる。
返事は、すぐにあった。
大木の幹から、人影が浮き出した。
若い女の姿をしている。
髪は細い枝と葉に溶け合い、身体の輪郭は樹皮の上で揺れていた。顔をこちらへ向けると、嬉しそうに目を細める。
その表情を見て、ルクスンはかえって身構えた。
砲撃を受けて侵入してきた者を見る顔ではなかった。
「何て?」
後ろからオトフリートが尋ねる。
ノクティアは精霊の言葉を聞き、短く訳した。
「戻ってきたのね、って」
「誰と間違えているのでしょう」
ゼフィーリアが小声で言った。
ノクティアが再び話しかける。
自分たちは、この庭へ初めて来た。
通ることを許してほしい。
ドリアードは聞いているようだった。
頷き、微笑み、片手を差し出す。
足元で葉が動いた。
絡んでいた蔓が左右へ分かれ、階段の下に石畳が現れた。
「……道は開けてくれた」
ノクティアは言ったが、すぐには進まなかった。
ルクスンも大木から目を離さず、盾を身体へ寄せた。
「僕が先に下りる。みんなは、まだそこで」
最後の石段へ足をかける。
涼しい空気が頬を撫でた。
その瞬間、細い枝が伸びてきた。
狙っているのは顔ではない。
焦げた袖だった。
◇
ルクスンは反射的に腕を引いた。
枝の先が空を掴み、そこで止まる。
ドリアードの表情が曇った。
葉擦れに似た言葉が、続けて響く。
「火に触れたのね。かわいそうに……そう言ってる」
ノクティアの通訳に、ルクスンは自分の袖を見た。
「心配してくれてるのか」
「たぶん。でも、動きは見て」
細い枝が、また伸びてくる。
今度は腕へ触れる前に、ルクスンが盾の縁でそっと押し返した。
強く払ったわけではない。
それでも、大木の葉が一斉に鳴った。
足元の蔓が持ち上がる。
「戻る!」
ルクスンは石段へ足を戻した。
蔓が靴の先を掠め、続いて荷袋の下へ巻きついた。
ぐっと肩を引かれる。
ルクスンは踏ん張った。
「主よ、斬れ!」
「足元にいる。少し待って!」
蔓は一本ではなかった。
引き抜いた靴へ次の一本が伸び、石段の縁を伝って荷袋を抱え込もうとする。
ノクティアが上から荷袋を押し上げ、ゼフィーリアが伸びてきた細い蔓を杖で遠ざけた。
ルクスンは身体と荷物の間に隙間を作る。
そこへベラを通した。
刃を短く引く。
太い蔓が切れ、荷物が軽くなった。
三人とも、一段上へよろめいた。
ルクスンは盾を前にして立ち直る。
追ってきた蔓は、石段を数段這い上がったところで止まった。
ドリアードが何かを訴えている。
声は怒りより、悲しみに近かった。
「出ていかないで、って」
ノクティアが言った。
ルクスンは肩に食い込んだ紐を直した。
「通してくれるんじゃなかったのか」
「庭に入れてくれるだけだったみたい」
オトフリートが、蔓の先を見下ろした。
「入場と退場で、随分と扱いが違いますね」
「泊まり込みのお誘いか」
ベラが鼻を鳴らした。
「主は植物にまで捕まるのか。もう少し相手を選べ」
「選ぶ前に巻かれたんだよ!」
◇
庭を、もう一度よく見た。
涼しい木陰。
根に囲まれた石の腰掛け。
その奥に、丸いものが埋まっていた。
ルクスンは目を細めた。
錆びた兜だった。
隣には、金具の残った革帯。朽ちた柄から外れた槍の穂先もある。
どれも大木の根に抱え込まれていた。
人の骨までは見えない。
だからといって、ここで安心して昼寝をしようとは思えなかった。
「守ってるつもりなのかもしれない」
ルクスンが言うと、ノクティアは頷いた。
「外は火。外は痛い。ここなら休める……同じことを繰り返してる」
ゼフィーリアは大木を見つめた。
「外へ出た人たちが、戻らなかったのでしょうか」
「かもしれない。けど、今ここにいる僕らまで、根を張らせてもらうわけにはいかないな」
ルクスンは切った蔓を見た。
瑞々しい断面から、樹液が滲んでいる。
片端から斬れば、道を作れるだろうか。
おそらく、その間に庭全体から襲われる。
焼き払うなど論外だった。火の精霊を押し込めた砲台が周囲に残る中で、新たな火事まで起こしたくはない。
ノクティアがしゃがみ込んだ。
石段で止まっている蔓へ、手の届かない距離から話しかける。
今は入らない。
無理に連れていかないでほしい。
ドリアードは微笑んでいた。
聞いていないのか。
聞いても、意味が届かないのか。
ルクスンは、相手が先ほどまで自分の袖を見ていたことを思い出した。
「ノクティア。火を止めてきたと伝えてみて」
彼女が顔を上げた。
「砲台の?」
「ああ。全部じゃない。一つだけだ。そこは正直に」
ノクティアが言葉を選び、精霊へ伝える。
ドリアードの顔が、初めて別の方を向いた。
一行が下りてきた城壁。
その上の、静まった砲台。
庭を覆う枝の一部が、ゆっくりと揺れた。
返ってきた言葉を聞き、ノクティアが首を傾ける。
「静かになったのは、あなたたち?」
「そうだ。もうあそこで焼かれないようにした」
ノクティアを介して答える。
ルクスンの精霊への感覚は、相手の強い気配を捉えていた。しかし、細かなやり取りは、慣れたノクティアへ任せる方がよかった。
ドリアードが幹から少し身を離した。
足元の蔓が、石段を下りていく。
ルクスンは動かなかった。
さっきも、一度は道が開いたのだ。
「僕らは、この庭を出る必要がある。通れないなら、来た道を戻って別の入口を探す」
ノクティアが伝えた。
ドリアードの顔が曇る。
細い枝が、またこちらへ伸びかけた。
ノクティアは退かなかったが、手も差し出さなかった。
静かに、もう一度話した。
ここで休みたい時は、自分たちでそう言う。
今は、歩いていく。
◇
長い間、葉の音だけがしていた。
やがて、中庭の端で蔓が動いた。
大木の真下ではない。
建物の壁に沿った、細い通路だった。
根に持ち上げられた石畳の間に、人が通れる幅の隙間ができる。さらにその先で、枝が壁から離れた。
建物の入口が見えた。
ノクティアが息を吐いた。
「端を通って。木を傷つけないで、って」
「外へ出てもいいのか」
彼女が問い直す。
返事を聞いた後も、少し考えていた。
「出たら戻ってきて、とも言ってる。分かってくれた部分はあると思う。でも、落ち着いたわけじゃない」
ルクスンは頷いた。
これで庭が安全になったとは考えない。
通れる間に通る。
通れなくなれば引き返す。
「斬らずに済むなら、その方がいい。順番は僕、オトフリート、ゼフィーリア、ノクティア。間を詰めすぎないで」
剣は抜いたまま、切っ先を下げた。
もう一度、階段を下りる。
今度は蔓が巻きついてこなかった。
大木から視線を感じる。
ルクスンは足元を確かめながら、開かれた道へ入った。
頭上の葉が動くたび、肩に力が入った。
背後でオトフリートの杖が石畳を叩く。
その音が止まらないことを確かめながら、ルクスンは進んだ。
途中、細い枝が顔の横へ下りてきた。
思わず身構える。
枝の先から、一枚の葉が落ちた。
焦げた袖へ、ぴたりと貼りついた。
「……何だこれ」
最後尾からノクティアが言った。
「そこ、破れてるから」
ルクスンは大木を見た。
ドリアードが満足そうに微笑んでいる。
ベラが堪えきれずに笑った。
「よかったのう、主。直してもらえたぞ」
「縫ってはいないんだけどな」
「礼を言うておけ。次は枝ごと巻かれるやもしれぬ」
ルクスンは、袖の葉をそのままにしておいた。
◇
建物の前には、蔓が届いていなかった。
ノクティアが最後に通り抜けると、中庭の枝が少し下がった。
道は完全には閉じていない。
しかし、帰る時も同じように通れるかは、分からなかった。
ルクスンは庭と建物の位置を覚え、壁際へ寄った。
厚い扉が二枚。
一方は枠から傾き、隙間に埃が積もっている。
オトフリートが入口の上を見上げた。
「倉庫ですね。武器の保管区画らしい」
「兵站倉庫か」
ルクスンは暗い隙間へ目を向けた。
書物の保管場所ではなさそうだ。
だが、中庭を抜けた先で、ほかにどこへ通じているかは確かめたい。
ノクティアが扉へ近づきかけ、止まった。
ルクスンも気づいていた。
奥に、精霊の気配がある。
中庭とも砲台とも違うものが、暗闇の中で待っていた。