アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第86話 中庭の親切

 城壁の内側へ下りる階段は、途中から木陰に沈んでいた。

 

 頭上の枝には厚く葉が茂り、石段の隙間から細い根が伸びている。外では砂を運んでいた風が、ここでは湿った土と青葉の匂いを連れてきた。

 

 涼しい。

 

 だが、気持ちよく息を吸い込むには、少し静かすぎた。

 

 鳥の声がない。

 

 虫の羽音も聞こえない。

 

 葉だけが、風の動きと合わない間隔で擦れ合っていた。

 

 ルクスンは階段の途中で止まり、庭を見渡した。

 

 中央の大木。その根元に絡み合う灌木。石畳を覆う蔓。

 

 どこまでが一本の木なのか、すぐには分からない。

 

「ドリアードだ」

 

 彼が呟くと、ノクティアが頷いた。

 

 気配は大木の周囲に濃く集まっていた。

 

 しかし、森で樹木の精霊に出会った時と同じようには感じられない。力が強すぎるというより、狭い庭の中で何度も跳ね返り、行き場を失っているようだった。

 

「私が話す。まだ下りないで」

 

 ノクティアは片手を空け、木々へ呼びかけた。

 

 精霊語が葉陰へ流れる。

 

 返事は、すぐにあった。

 

 大木の幹から、人影が浮き出した。

 

 若い女の姿をしている。

 

 髪は細い枝と葉に溶け合い、身体の輪郭は樹皮の上で揺れていた。顔をこちらへ向けると、嬉しそうに目を細める。

 

 その表情を見て、ルクスンはかえって身構えた。

 

 砲撃を受けて侵入してきた者を見る顔ではなかった。

 

「何て?」

 

 後ろからオトフリートが尋ねる。

 

 ノクティアは精霊の言葉を聞き、短く訳した。

 

「戻ってきたのね、って」

 

「誰と間違えているのでしょう」

 

 ゼフィーリアが小声で言った。

 

 ノクティアが再び話しかける。

 

 自分たちは、この庭へ初めて来た。

 

 通ることを許してほしい。

 

 ドリアードは聞いているようだった。

 

 頷き、微笑み、片手を差し出す。

 

 足元で葉が動いた。

 

 絡んでいた蔓が左右へ分かれ、階段の下に石畳が現れた。

 

「……道は開けてくれた」

 

 ノクティアは言ったが、すぐには進まなかった。

 

 ルクスンも大木から目を離さず、盾を身体へ寄せた。

 

「僕が先に下りる。みんなは、まだそこで」

 

 最後の石段へ足をかける。

 

 涼しい空気が頬を撫でた。

 

 その瞬間、細い枝が伸びてきた。

 

 狙っているのは顔ではない。

 

 焦げた袖だった。

 

     ◇

 

 ルクスンは反射的に腕を引いた。

 

 枝の先が空を掴み、そこで止まる。

 

 ドリアードの表情が曇った。

 

 葉擦れに似た言葉が、続けて響く。

 

「火に触れたのね。かわいそうに……そう言ってる」

 

 ノクティアの通訳に、ルクスンは自分の袖を見た。

 

「心配してくれてるのか」

 

「たぶん。でも、動きは見て」

 

 細い枝が、また伸びてくる。

 

 今度は腕へ触れる前に、ルクスンが盾の縁でそっと押し返した。

 

 強く払ったわけではない。

 

 それでも、大木の葉が一斉に鳴った。

 

 足元の蔓が持ち上がる。

 

「戻る!」

 

 ルクスンは石段へ足を戻した。

 

 蔓が靴の先を掠め、続いて荷袋の下へ巻きついた。

 

 ぐっと肩を引かれる。

 

 ルクスンは踏ん張った。

 

「主よ、斬れ!」

 

「足元にいる。少し待って!」

 

 蔓は一本ではなかった。

 

 引き抜いた靴へ次の一本が伸び、石段の縁を伝って荷袋を抱え込もうとする。

 

 ノクティアが上から荷袋を押し上げ、ゼフィーリアが伸びてきた細い蔓を杖で遠ざけた。

 

 ルクスンは身体と荷物の間に隙間を作る。

 

 そこへベラを通した。

 

 刃を短く引く。

 

 太い蔓が切れ、荷物が軽くなった。

 

 三人とも、一段上へよろめいた。

 

 ルクスンは盾を前にして立ち直る。

 

 追ってきた蔓は、石段を数段這い上がったところで止まった。

 

 ドリアードが何かを訴えている。

 

 声は怒りより、悲しみに近かった。

 

「出ていかないで、って」

 

 ノクティアが言った。

 

 ルクスンは肩に食い込んだ紐を直した。

 

「通してくれるんじゃなかったのか」

 

「庭に入れてくれるだけだったみたい」

 

 オトフリートが、蔓の先を見下ろした。

 

「入場と退場で、随分と扱いが違いますね」

 

「泊まり込みのお誘いか」

 

 ベラが鼻を鳴らした。

 

「主は植物にまで捕まるのか。もう少し相手を選べ」

 

「選ぶ前に巻かれたんだよ!」

 

     ◇

 

 庭を、もう一度よく見た。

 

 涼しい木陰。

 

 根に囲まれた石の腰掛け。

 

 その奥に、丸いものが埋まっていた。

 

 ルクスンは目を細めた。

 

 錆びた兜だった。

 

 隣には、金具の残った革帯。朽ちた柄から外れた槍の穂先もある。

 

 どれも大木の根に抱え込まれていた。

 

 人の骨までは見えない。

 

 だからといって、ここで安心して昼寝をしようとは思えなかった。

 

「守ってるつもりなのかもしれない」

 

 ルクスンが言うと、ノクティアは頷いた。

 

「外は火。外は痛い。ここなら休める……同じことを繰り返してる」

 

 ゼフィーリアは大木を見つめた。

 

「外へ出た人たちが、戻らなかったのでしょうか」

 

「かもしれない。けど、今ここにいる僕らまで、根を張らせてもらうわけにはいかないな」

 

 ルクスンは切った蔓を見た。

 

 瑞々しい断面から、樹液が滲んでいる。

 

 片端から斬れば、道を作れるだろうか。

 

 おそらく、その間に庭全体から襲われる。

 

 焼き払うなど論外だった。火の精霊を押し込めた砲台が周囲に残る中で、新たな火事まで起こしたくはない。

 

 ノクティアがしゃがみ込んだ。

 

 石段で止まっている蔓へ、手の届かない距離から話しかける。

 

 今は入らない。

 

 無理に連れていかないでほしい。

 

 ドリアードは微笑んでいた。

 

 聞いていないのか。

 

 聞いても、意味が届かないのか。

 

 ルクスンは、相手が先ほどまで自分の袖を見ていたことを思い出した。

 

「ノクティア。火を止めてきたと伝えてみて」

 

 彼女が顔を上げた。

 

「砲台の?」

 

「ああ。全部じゃない。一つだけだ。そこは正直に」

 

 ノクティアが言葉を選び、精霊へ伝える。

 

 ドリアードの顔が、初めて別の方を向いた。

 

 一行が下りてきた城壁。

 

 その上の、静まった砲台。

 

 庭を覆う枝の一部が、ゆっくりと揺れた。

 

 返ってきた言葉を聞き、ノクティアが首を傾ける。

 

「静かになったのは、あなたたち?」

 

「そうだ。もうあそこで焼かれないようにした」

 

 ノクティアを介して答える。

 

 ルクスンの精霊への感覚は、相手の強い気配を捉えていた。しかし、細かなやり取りは、慣れたノクティアへ任せる方がよかった。

 

 ドリアードが幹から少し身を離した。

 

 足元の蔓が、石段を下りていく。

 

 ルクスンは動かなかった。

 

 さっきも、一度は道が開いたのだ。

 

「僕らは、この庭を出る必要がある。通れないなら、来た道を戻って別の入口を探す」

 

 ノクティアが伝えた。

 

 ドリアードの顔が曇る。

 

 細い枝が、またこちらへ伸びかけた。

 

 ノクティアは退かなかったが、手も差し出さなかった。

 

 静かに、もう一度話した。

 

 ここで休みたい時は、自分たちでそう言う。

 

 今は、歩いていく。

 

     ◇

 

 長い間、葉の音だけがしていた。

 

 やがて、中庭の端で蔓が動いた。

 

 大木の真下ではない。

 

 建物の壁に沿った、細い通路だった。

 

 根に持ち上げられた石畳の間に、人が通れる幅の隙間ができる。さらにその先で、枝が壁から離れた。

 

 建物の入口が見えた。

 

 ノクティアが息を吐いた。

 

「端を通って。木を傷つけないで、って」

 

「外へ出てもいいのか」

 

 彼女が問い直す。

 

 返事を聞いた後も、少し考えていた。

 

「出たら戻ってきて、とも言ってる。分かってくれた部分はあると思う。でも、落ち着いたわけじゃない」

 

 ルクスンは頷いた。

 

 これで庭が安全になったとは考えない。

 

 通れる間に通る。

 

 通れなくなれば引き返す。

 

「斬らずに済むなら、その方がいい。順番は僕、オトフリート、ゼフィーリア、ノクティア。間を詰めすぎないで」

 

 剣は抜いたまま、切っ先を下げた。

 

 もう一度、階段を下りる。

 

 今度は蔓が巻きついてこなかった。

 

 大木から視線を感じる。

 

 ルクスンは足元を確かめながら、開かれた道へ入った。

 

 頭上の葉が動くたび、肩に力が入った。

 

 背後でオトフリートの杖が石畳を叩く。

 

 その音が止まらないことを確かめながら、ルクスンは進んだ。

 

 途中、細い枝が顔の横へ下りてきた。

 

 思わず身構える。

 

 枝の先から、一枚の葉が落ちた。

 

 焦げた袖へ、ぴたりと貼りついた。

 

「……何だこれ」

 

 最後尾からノクティアが言った。

 

「そこ、破れてるから」

 

 ルクスンは大木を見た。

 

 ドリアードが満足そうに微笑んでいる。

 

 ベラが堪えきれずに笑った。

 

「よかったのう、主。直してもらえたぞ」

 

「縫ってはいないんだけどな」

 

「礼を言うておけ。次は枝ごと巻かれるやもしれぬ」

 

 ルクスンは、袖の葉をそのままにしておいた。

 

     ◇

 

 建物の前には、蔓が届いていなかった。

 

 ノクティアが最後に通り抜けると、中庭の枝が少し下がった。

 

 道は完全には閉じていない。

 

 しかし、帰る時も同じように通れるかは、分からなかった。

 

 ルクスンは庭と建物の位置を覚え、壁際へ寄った。

 

 厚い扉が二枚。

 

 一方は枠から傾き、隙間に埃が積もっている。

 

 オトフリートが入口の上を見上げた。

 

「倉庫ですね。武器の保管区画らしい」

 

「兵站倉庫か」

 

 ルクスンは暗い隙間へ目を向けた。

 

 書物の保管場所ではなさそうだ。

 

 だが、中庭を抜けた先で、ほかにどこへ通じているかは確かめたい。

 

 ノクティアが扉へ近づきかけ、止まった。

 

 ルクスンも気づいていた。

 

 奥に、精霊の気配がある。

 

 中庭とも砲台とも違うものが、暗闇の中で待っていた。

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