アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第88話 消灯の後に

 最後の祈りが終わると、ルクスンはゆっくり息を吸った。

 

 先ほどまで脇腹にあった痛みが、薄れている。

 

 肩を動かす。腕を上げる。

 

 光槍に打ち据えられた時の衝撃は、まだ身体が覚えていたが、動くのに支障はなさそうだった。

 

「ありがとう。もう大丈夫だ」

 

 ゼフィーリアは頷き、その場へ腰を下ろした。

 

 ルクスンは水袋を差し出した。

 

「少し休もう」

 

「ええ。そうしていただけると助かります」

 

 彼女は水を少し飲み、栓を締めた。

 

 傷が癒えたからといって、治した者の消耗まで消えるわけではない。

 

 オトフリートも柱へ背を預けている。ノクティアは動かせるようになった腕を確かめながら、入口の向こうへ目を配っていた。

 

 ルクスンは彼女へ声をかけた。

 

「僕が見てる。少し座って」

 

「奥の扉も」

 

「分かってる」

 

 ノクティアが腰を下ろす。

 

 ルクスンは倉庫の中央へ立ち、入口と奥の扉を交互に見た。

 

 七本の武器には、もう精霊の気配がなかった。

 

 光を失った刀身は曇り、折れた槍の柄から木屑が落ちている。古代の武器を一度に手に入れられるという期待は、見事に粉になっていた。

 

「主よ、まだ惜しいのか」

 

 ベラに聞かれ、ルクスンは苦笑した。

 

「七本あれば、みんなの予備にできたと思って」

 

「予備が欲しければ、帰ってから買うがよい」

 

「そうするよ。ここの武器は、受け取るまでが痛すぎる」

 

 小さく笑う声がした。

 

 それきり、一行はしばらく黙って休んだ。

 

     ◇

 

 倉庫の探索は、休憩を終えてから始めた。

 

 ノクティアが奥の扉を調べる間、ルクスンは倒れた棚の間を歩いた。

 

 使える武器は、ほとんどない。

 

 金属だけ残った矢。握れば崩れそうな盾。革帯の形をした黒い屑。

 

 触らずに見て回るだけでも、この倉庫がどれほど長く放置されていたか分かった。

 

 一方、壁際には小さな机があった。

 

 引き出しは傾き、上には薄い板が数枚重なっている。

 

 ルクスンが覗くと、表面に文字が刻まれていた。

 

「オトフリート。何かある」

 

 呼ばれた魔術師が近づき、板を持ち上げずに屈み込んだ。

 

「貸与品の管理札でしょうか。槍、盾……こちらは修理へ回す品の記録ですね」

 

「建造書じゃないか」

 

「ここにあったら、随分と杜撰な管理になります」

 

 オトフリートは隣の札へ目を移した。

 

 薄くなった文字を、指で触れずに追っている。

 

「こちらは返却先です。下層兵舎、と読めます」

 

「下に兵舎があるのか」

 

「少なくとも、この倉庫を使っていた頃には」

 

 ルクスンは奥の扉を見た。

 

 ノクティアが、取っ手から手を離したところだった。

 

「開く。向こうは通路」

 

 扉の下を押さえていた瓦礫を除き、慎重に隙間を広げる。

 

 流れてきた空気は、冷たかった。

 

 砲台の熱とも、中庭の湿った青臭さとも違う。

 

 乾いた埃と、長い間閉じていた石室の匂いがした。

 

     ◇

 

 通路の先には、下り階段があった。

 

 幅は広い。

 

 人が荷を抱えて上り下りできるように造られた、実用的な階段だった。壁には手すりを取りつけていた金具が残り、段の中央が浅く擦り減っている。

 

 その手前で、ルクスンは止まった。

 

「ここから先、死霊がいる」

 

 皆が彼を見た。

 

 ルクスンには、階段の下に漂う負の精霊の気配が見えていた。

 

 薄い黄色。

 

 闇の奥で、染みが重なるように揺れている。

 

 一つではない。

 

 ただし、石壁に遮られた向こうの数まで分かるわけではなかった。

 

「さっきの精霊とは違う。まだ姿が見えないから、種類は断定できない」

 

 ノクティアが、階段の縁へ膝をついた。

 

 床、壁、段の端へ順に目を向ける。

 

「最近、人が通った跡はない」

 

「足を使わない相手かもしれないな」

 

 ルクスンはベラを抜いた。

 

 銀の刃が、入口側から届く薄明かりを返す。

 

 右手の力も、死者が相手なら頼りになる。

 

 だが、何がいるか見えていない場所へ飛び込む理由にはならなかった。

 

「僕が前へ出る。ノクティアは罠を見ながらついてきて。二人は、まだ階段の上で待っていてくれ」

 

 オトフリートは杖を持ち直した。

 

「奥へ進みすぎないでください。こちらから見える範囲で」

 

「ああ。まず、下りたところだけ確かめる」

 

 灯りを用意し、一段ずつ下りた。

 

 靴音が響く。

 

 自分の足音が返ってくるまでに、わずかな間があった。

 

 下は広いらしい。

 

     ◇

 

 階段を下り切ると、横へ長い廊下に出た。

 

 両側に扉が並び、正面の壁には細長い板が掛けられている。

 

 灯りを向けると、文字の列が見えた。

 

 人名だろうか。

 

 その下には、何かを差し込むための小さな溝が並んでいた。

 

 当番札。

 

 あるいは、在室を示す札かもしれない。

 

 ルクスンには用途までは分からなかったが、ここが人の暮らしていた場所だということは分かった。

 

 左の扉が、半ば開いていた。

 

 ノクティアが周囲を調べて頷く。

 

 ルクスンは、敷居を越えずに中を覗いた。

 

 寝台が並んでいた。

 

 寝具は黒ずんで形を失い、木枠の一部も崩れている。それでも、同じ大きさの寝床を規則正しく並べた部屋の造りは残っていた。

 

 寝台の下に、片方だけの靴があった。

 

 壁際には、小さな箱。

 

 蓋の裏に何かが刻まれていたが、この距離では読めない。

 

 豆を運んだ先。

 

 ふと、そんなことを思った。

 

 ライナスでは笑い話にしていた帳簿の向こうに、ここで食べ、眠り、武器を受け取っていた人間がいた。

 

 ルクスンは灯りを少し上げた。

 

 部屋の奥で、人影が動いた。

 

     ◇

 

 最初は、寝台の陰から起き上がったように見えた。

 

 痩せた肩。

 

 俯いた頭。

 

 軍服らしい輪郭はあるが、身体の向こうに壁が透けている。

 

 ルクスンは半歩退いた。

 

「ノクティア。下がって」

 

 人影が、こちらを向いた。

 

 顔に当たる場所が暗い。

 

 目も口も、はっきりしない。

 

 だが、見られているという感覚だけはあった。

 

 人影が進む。

 

 寝台を避けなかった。

 

 崩れた木枠を、そのまま通り抜けてきた。

 

 ルクスンはベラを構えた。

 

 相手の姿と気配を見極める。

 

 前世の知識にある、実体を持たない死者。そのいずれかだ。

 

 少なくとも、普通の兵士を相手にするようにはいかない。

 

 廊下の向こうから、硬い音がした。

 

 かつん。

 

 少し間を置いて、また、かつん。

 

 ルクスンは視線だけを動かした。

 

 別の人影が立っていた。

 

 さらに、その後ろにも。

 

 壁から肩が現れ、続いて頭が出る。

 

 閉じた扉には、何の意味もなかった。

 

「戻る。今は戦わない」

 

 ルクスンが告げると、ノクティアはすぐに階段へ向かった。

 

 上の二人へ短く状況を伝える声がする。

 

 ルクスンは死霊から目を離さず、後退した。

 

 正面の一体が、腕を伸ばした。

 

 間合いへ入る。

 

 ルクスンはベラを横に走らせた。

 

 銀の刃が腕の輪郭を裂く。

 

 冷たいものが手首を撫で、思わず皮膚が粟立った。

 

 死霊は身を引いた。

 

 消えてはいない。

 

 だが、その隙に階段の最初の段へ足をかけることができた。

 

「上がる!」

 

 ノクティアが踊り場から灯りを向けた。

 

 ルクスンは二段、三段と退き、曲がり角を越えたところで身体を返した。

 

 背後から、声が聞こえた。

 

 低く、擦れた声だった。

 

 何を言ったのか、ルクスンには聞き取れない。

 

 ただ、別の声が返った。

 

 さらに、もう一つ。

 

 暗い廊下の奥で、誰かが誰かを呼んでいた。

 

     ◇

 

 階段の上まで戻っても、すぐに息を抜くことはできなかった。

 

 扉を閉めれば安全、という相手ではない。

 

 ルクスンは壁にも目を配りながら、仲間へ告げた。

 

「下は兵舎だ。非実体のアンデッドが複数いる。部屋の中だけじゃない。壁を抜けて出てくる」

 

「追ってきていますか」

 

 ゼフィーリアが問う。

 

「今のところ、階段までは来てない。でも、ここで長く休むのはやめよう」

 

 オトフリートは下を見つめていた。

 

 顔つきが変わっている。

 

「先ほどの声……聞こえましたか」

 

「ああ。何と言っていた?」

 

「名前を呼んでいたようです。その後に、返答がありました」

 

 ルクスンは黙った。

 

 兵舎の壁にあった札掛け。

 

 並んだ寝台。

 

 廊下へ現れた、軍服姿の影。

 

「点呼か」

 

「そのように聞こえました」

 

 倉庫の方から、朽ちた木が崩れる音がした。

 

 ルクスンは振り向き、何も来ていないことを確かめた。

 

 七体のヴァルキリーは消えた。

 

 七本の武器も朽ちた。

 

 だが、その武器を受け取るはずだった兵士たちは、まだ下にいる。

 

 ルクスンは剣を握り直した。

 

「まず、戦う場所を選ぼう。部屋へ入って囲まれるのは避けたい。下り口の左右と、壁の向こうから来ることを考えて——」

 

 話しながら、もう一度階段へ目を向けた。

 

 闇の底から、掠れた返事が聞こえた。

 

 それは叫びでも、呻きでもなかった。

 

 呼ばれた兵士が、自分はここにいると知らせる声だった。

 

 エピタフの兵舎では、まだ点呼が終わっていなかった。

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