アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
最後の祈りが終わると、ルクスンはゆっくり息を吸った。
先ほどまで脇腹にあった痛みが、薄れている。
肩を動かす。腕を上げる。
光槍に打ち据えられた時の衝撃は、まだ身体が覚えていたが、動くのに支障はなさそうだった。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
ゼフィーリアは頷き、その場へ腰を下ろした。
ルクスンは水袋を差し出した。
「少し休もう」
「ええ。そうしていただけると助かります」
彼女は水を少し飲み、栓を締めた。
傷が癒えたからといって、治した者の消耗まで消えるわけではない。
オトフリートも柱へ背を預けている。ノクティアは動かせるようになった腕を確かめながら、入口の向こうへ目を配っていた。
ルクスンは彼女へ声をかけた。
「僕が見てる。少し座って」
「奥の扉も」
「分かってる」
ノクティアが腰を下ろす。
ルクスンは倉庫の中央へ立ち、入口と奥の扉を交互に見た。
七本の武器には、もう精霊の気配がなかった。
光を失った刀身は曇り、折れた槍の柄から木屑が落ちている。古代の武器を一度に手に入れられるという期待は、見事に粉になっていた。
「主よ、まだ惜しいのか」
ベラに聞かれ、ルクスンは苦笑した。
「七本あれば、みんなの予備にできたと思って」
「予備が欲しければ、帰ってから買うがよい」
「そうするよ。ここの武器は、受け取るまでが痛すぎる」
小さく笑う声がした。
それきり、一行はしばらく黙って休んだ。
◇
倉庫の探索は、休憩を終えてから始めた。
ノクティアが奥の扉を調べる間、ルクスンは倒れた棚の間を歩いた。
使える武器は、ほとんどない。
金属だけ残った矢。握れば崩れそうな盾。革帯の形をした黒い屑。
触らずに見て回るだけでも、この倉庫がどれほど長く放置されていたか分かった。
一方、壁際には小さな机があった。
引き出しは傾き、上には薄い板が数枚重なっている。
ルクスンが覗くと、表面に文字が刻まれていた。
「オトフリート。何かある」
呼ばれた魔術師が近づき、板を持ち上げずに屈み込んだ。
「貸与品の管理札でしょうか。槍、盾……こちらは修理へ回す品の記録ですね」
「建造書じゃないか」
「ここにあったら、随分と杜撰な管理になります」
オトフリートは隣の札へ目を移した。
薄くなった文字を、指で触れずに追っている。
「こちらは返却先です。下層兵舎、と読めます」
「下に兵舎があるのか」
「少なくとも、この倉庫を使っていた頃には」
ルクスンは奥の扉を見た。
ノクティアが、取っ手から手を離したところだった。
「開く。向こうは通路」
扉の下を押さえていた瓦礫を除き、慎重に隙間を広げる。
流れてきた空気は、冷たかった。
砲台の熱とも、中庭の湿った青臭さとも違う。
乾いた埃と、長い間閉じていた石室の匂いがした。
◇
通路の先には、下り階段があった。
幅は広い。
人が荷を抱えて上り下りできるように造られた、実用的な階段だった。壁には手すりを取りつけていた金具が残り、段の中央が浅く擦り減っている。
その手前で、ルクスンは止まった。
「ここから先、死霊がいる」
皆が彼を見た。
ルクスンには、階段の下に漂う負の精霊の気配が見えていた。
薄い黄色。
闇の奥で、染みが重なるように揺れている。
一つではない。
ただし、石壁に遮られた向こうの数まで分かるわけではなかった。
「さっきの精霊とは違う。まだ姿が見えないから、種類は断定できない」
ノクティアが、階段の縁へ膝をついた。
床、壁、段の端へ順に目を向ける。
「最近、人が通った跡はない」
「足を使わない相手かもしれないな」
ルクスンはベラを抜いた。
銀の刃が、入口側から届く薄明かりを返す。
右手の力も、死者が相手なら頼りになる。
だが、何がいるか見えていない場所へ飛び込む理由にはならなかった。
「僕が前へ出る。ノクティアは罠を見ながらついてきて。二人は、まだ階段の上で待っていてくれ」
オトフリートは杖を持ち直した。
「奥へ進みすぎないでください。こちらから見える範囲で」
「ああ。まず、下りたところだけ確かめる」
灯りを用意し、一段ずつ下りた。
靴音が響く。
自分の足音が返ってくるまでに、わずかな間があった。
下は広いらしい。
◇
階段を下り切ると、横へ長い廊下に出た。
両側に扉が並び、正面の壁には細長い板が掛けられている。
灯りを向けると、文字の列が見えた。
人名だろうか。
その下には、何かを差し込むための小さな溝が並んでいた。
当番札。
あるいは、在室を示す札かもしれない。
ルクスンには用途までは分からなかったが、ここが人の暮らしていた場所だということは分かった。
左の扉が、半ば開いていた。
ノクティアが周囲を調べて頷く。
ルクスンは、敷居を越えずに中を覗いた。
寝台が並んでいた。
寝具は黒ずんで形を失い、木枠の一部も崩れている。それでも、同じ大きさの寝床を規則正しく並べた部屋の造りは残っていた。
寝台の下に、片方だけの靴があった。
壁際には、小さな箱。
蓋の裏に何かが刻まれていたが、この距離では読めない。
豆を運んだ先。
ふと、そんなことを思った。
ライナスでは笑い話にしていた帳簿の向こうに、ここで食べ、眠り、武器を受け取っていた人間がいた。
ルクスンは灯りを少し上げた。
部屋の奥で、人影が動いた。
◇
最初は、寝台の陰から起き上がったように見えた。
痩せた肩。
俯いた頭。
軍服らしい輪郭はあるが、身体の向こうに壁が透けている。
ルクスンは半歩退いた。
「ノクティア。下がって」
人影が、こちらを向いた。
顔に当たる場所が暗い。
目も口も、はっきりしない。
だが、見られているという感覚だけはあった。
人影が進む。
寝台を避けなかった。
崩れた木枠を、そのまま通り抜けてきた。
ルクスンはベラを構えた。
相手の姿と気配を見極める。
前世の知識にある、実体を持たない死者。そのいずれかだ。
少なくとも、普通の兵士を相手にするようにはいかない。
廊下の向こうから、硬い音がした。
かつん。
少し間を置いて、また、かつん。
ルクスンは視線だけを動かした。
別の人影が立っていた。
さらに、その後ろにも。
壁から肩が現れ、続いて頭が出る。
閉じた扉には、何の意味もなかった。
「戻る。今は戦わない」
ルクスンが告げると、ノクティアはすぐに階段へ向かった。
上の二人へ短く状況を伝える声がする。
ルクスンは死霊から目を離さず、後退した。
正面の一体が、腕を伸ばした。
間合いへ入る。
ルクスンはベラを横に走らせた。
銀の刃が腕の輪郭を裂く。
冷たいものが手首を撫で、思わず皮膚が粟立った。
死霊は身を引いた。
消えてはいない。
だが、その隙に階段の最初の段へ足をかけることができた。
「上がる!」
ノクティアが踊り場から灯りを向けた。
ルクスンは二段、三段と退き、曲がり角を越えたところで身体を返した。
背後から、声が聞こえた。
低く、擦れた声だった。
何を言ったのか、ルクスンには聞き取れない。
ただ、別の声が返った。
さらに、もう一つ。
暗い廊下の奥で、誰かが誰かを呼んでいた。
◇
階段の上まで戻っても、すぐに息を抜くことはできなかった。
扉を閉めれば安全、という相手ではない。
ルクスンは壁にも目を配りながら、仲間へ告げた。
「下は兵舎だ。非実体のアンデッドが複数いる。部屋の中だけじゃない。壁を抜けて出てくる」
「追ってきていますか」
ゼフィーリアが問う。
「今のところ、階段までは来てない。でも、ここで長く休むのはやめよう」
オトフリートは下を見つめていた。
顔つきが変わっている。
「先ほどの声……聞こえましたか」
「ああ。何と言っていた?」
「名前を呼んでいたようです。その後に、返答がありました」
ルクスンは黙った。
兵舎の壁にあった札掛け。
並んだ寝台。
廊下へ現れた、軍服姿の影。
「点呼か」
「そのように聞こえました」
倉庫の方から、朽ちた木が崩れる音がした。
ルクスンは振り向き、何も来ていないことを確かめた。
七体のヴァルキリーは消えた。
七本の武器も朽ちた。
だが、その武器を受け取るはずだった兵士たちは、まだ下にいる。
ルクスンは剣を握り直した。
「まず、戦う場所を選ぼう。部屋へ入って囲まれるのは避けたい。下り口の左右と、壁の向こうから来ることを考えて——」
話しながら、もう一度階段へ目を向けた。
闇の底から、掠れた返事が聞こえた。
それは叫びでも、呻きでもなかった。
呼ばれた兵士が、自分はここにいると知らせる声だった。
エピタフの兵舎では、まだ点呼が終わっていなかった。