アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第90話 欠員あり

 列の右端から壁まで、人が二人並んで歩けるほどの間隔があった。

 

 その先に、上級士官区へ続く通路がある。

 

 距離だけなら、短い。

 

 ただし、その間に何体の死霊が割り込んでくるかはわからなかった。

 

 ルクスンは角へ戻り、ノクティアと位置を替わった。彼女も広間を覗き、入口までの床を確かめる。

 

「途中に瓦礫。右の壁際」

 

「避けて通れる?」

 

「一人ずつなら。入口の先は、ここから見えない」

 

 ルクスンは頷いた。

 

 標識があるからといって、今も道が繋がっているとは限らない。そこへ駆け込んでから行き止まりだと知ったら、笑い話にもならなかった。

 

「僕が列との間に入る。ノクティアは入口まで見て、通れるなら二人を呼んで。塞がってたら、すぐ戻ろう」

 

「あなたもです」

 

 オトフリートが静かに言った。

 

「先へ進む時も、引き返す時も、全員で動きましょう」

 

「わかってる。僕だけ点呼に加わる気はないよ」

 

「主よ。所属を問われたら何と答える?」

 

「帰宅部」

 

「要塞にそのような兵科があるか!」

 

 ノクティアが振り返った。

 

「帰るのは賛成」

 

「まだ本を手に入れてないんだけど!」

 

 言ってから、ルクスンは口を閉じた。

 

 ゼフィーリアが、いかにも何か言いたそうな顔でこちらを見ていた。

 

「……命が危なくなったら帰るから」

 

「それなら結構です」

 

 取り繕うほど、分が悪くなる。

 

 ルクスンは広間へ向き直った。

 

     *

 

 敷居を越えても、最初は何も起こらなかった。

 

 列の前で、名前が呼ばれる。

 

「現在」

 

 掠れた返事が一つ。

 

 ルクスンは右へ寄り、仲間が通る場所を空けながら進んだ。拳の届く距離より、少し遠く。こちらから死霊へ近づきすぎないようにする。

 

 通り抜けられるなら、それでいい。

 

 その期待は、数歩で終わった。

 

 最も近い兵士が、こちらを向いた。

 

 首だけではなかった。肩が回り、身体が列から外れる。

 

 隣の一体も動いた。

 

「来る。二体」

 

 ルクスンは足を止めた。

 

「通るだけだ。こっちは——」

 

 言い終わる前に、長い腕が伸びてきた。

 

「ですよね!」

 

 身を引く。

 

 冷たい指先が胸の前を過ぎたところへ踏み込み、右拳を打ち込んだ。

 

 白い光が広がる。

 

 一体目が消えた向こうから、二体目が迫っていた。

 

 休む間がない。

 

 ルクスンは拳を戻しながら身体を捻ったが、伸びる手を完全には避けられなかった。

 

 左の上腕へ、冷たさが食い込む。

 

 鎖帷子の環が切れた感触はない。肉の内側へ、冷たい指だけを突き入れられたようだった。

 

「っ、くそ!」

 

 腕を引き、右拳を叩き込む。

 

 二体目が崩れても、冷えは残った。

 

 盾を支える肘が、わずかに下がる。

 

「左腕?」

 

 ノクティアが尋ねた。

 

「動く。先を頼む!」

 

 彼女は一度こちらを見てから、通路へ向かった。

 

 ルクスンは、その背中を追おうとする影の前へ出た。

 

     *

 

 すべての兵士が動いたわけではなかった。

 

 こちらへ顔を向けただけのものもいる。

 

 何事もなかったように、点呼へ答えるものもいた。

 

 しかし、動くものと動かないものの違いは、ルクスンにもわからなかった。

 

 軍服の形が残っているから正気だとか、列を守っているから襲ってこないとか、そんな都合のよい見分け方はなかった。

 

 正面から来た一体をかわす。

 

 拳を胴へ打ち込み、踏み込みすぎる前に足を戻した。

 

 左腕が重い。

 

 右だけなら動く。だから大丈夫だ、とは考えなかった。片腕を庇えば、身体の向きまで変わる。

 

「ルクスン、その位置で」

 

 後ろからゼフィーリアの声がした。

 

 彼女は近づいてこなかった。

 

 オトフリートと共に通路を目指しながら、こちらを見ている。神聖語の祈りが響き、腕の内側に溜まっていた冷えがほどけた。

 

 キュア・ウーンズ。

 

 ルクスンは盾を持ち直した。

 

「助かった!」

 

「また触られるために治したのではありませんよ」

 

「承知してます!」

 

 今は、返事をしながら前を見るしかない。

 

 ノクティアが通路の入口へ着いた。

 

 屈み、床へ明かりを向ける。倒れた金具を足で押し退け、扉の陰へ短く目を走らせた。

 

「下り階段。踊り場まで通れる」

 

 オトフリートとゼフィーリアが、そちらへ向かう。

 

 あと少しだった。

 

     *

 

「壁から!」

 

 ゼフィーリアの警告で、ルクスンは右を見た。

 

 石の面から、上半身が現れていた。

 

 位置が悪い。

 

 死霊はルクスンを通り越し、通路へ向かうオトフリートのすぐ横へ出ていた。

 

 魔術師は足を止めなかった。

 

 死霊から距離を取り、杖を構えられる方へ身体を向ける。その分だけ、通路から外れる。

 

 ルクスンはそちらへ走った。

 

 拳では、まだ届かない。

 

「ベラ!」

 

 右手を柄へ落とし、抜き放った銀の刃を横へ走らせる。

 

 伸びていた死霊の腕を斬り、肩まで刃を通した。

 

 冷たい抵抗が手首へ返る。

 

 影が大きく揺らいだ。

 

 消えてはいない。

 

 それでも、オトフリートが横を抜けるには十分だった。

 

「ありがとうございます!」

 

「先へ!」

 

「主よ、左も来るぞ!」

 

 ベラの声に、ルクスンは膝を曲げた。

 

 頭のあった場所を、別の死霊の手が通り過ぎる。

 

 低い姿勢のまま後退した。

 

 もう一歩。

 

 背後は通路の入口だ。

 

「段差」

 

 ノクティアの声が聞こえる。

 

 ルクスンは足元へ一瞬だけ目を落とし、敷居の位置を確かめた。

 

 前には、今斬った死霊と、列から来た死霊。

 

 右手にはベラ。

 

 斬り続けるか。

 

 拳へ戻すか。

 

「一歩分、離れる。鞘へ戻すよ」

 

「よい。今度は当てるのじゃぞ!」

 

「今その話をするな!」

 

 退いて距離を作り、ベラを収めた。

 

 近い方の影が追ってくる。

 

 ルクスンは待った。

 

 長い腕が伸びる。

 

 その内側へ、短く踏み込んだ。

 

 拳が胸を捉え、白い光が廊下まで届く。

 

 消えた輪郭の向こうに、最後の一体がいた。

 

 先ほどベラで斬った肩が、薄く崩れている。

 

 ルクスンは敷居を越えた。

 

 ノクティアが荷紐へ手を添え、足が階段へ落ちないよう支える。

 

 振り返らず、追ってきた影へ向き直る。

 

 ここまで来れば、仲間のいる方向に迷うことはなかった。

 

 右拳を突き出す。

 

 最後の死霊が消えた後も、広間からは点呼が聞こえていた。

 

     *

 

 ルクスンは階段の上で、しばらく入口を見張った。

 

 すぐに次の影が来ることはなかった。

 

 だからといって、追ってこない保証はない。上で繰り返している名が変わったことだけを確かめ、ゆっくり息を吐いた。

 

「……全員いる?」

 

「います」

 

 オトフリートが答える。

 

 ノクティアも頷いた。

 

 ゼフィーリアは、ルクスンの左腕へ目を向けた。

 

「動かしてみてください」

 

 盾を上げる。

 

 肘を曲げる。

 

 冷えは消えていた。

 

「大丈夫。ありがとう」

 

「それなら、ここを離れましょう。続きが来るまで待つ理由はありません」

 

 彼女は先に階段へ目を向けた。

 

 ルクスンも頷いた。

 

 休みたい。

 

 だが、壁の向こうにあれだけの死霊がいる場所は、休憩場所に向いていなかった。

 

 ベラを一度抜き、刃を確かめる。

 

「妾より主の腕を心配するがよい」

 

「両方心配してるんだよ」

 

「ならばよい」

 

 今度は、茶化す声ではなかった。

 

     *

 

 階段を下りるにつれ、周囲の造りが変わった。

 

 壁の石がよく揃っている。

 

 踊り場には、何かを飾っていたらしい台座がある。階段の幅は上の兵舎より狭いが、角の仕上げは丁寧だった。

 

 ノクティアが先の段差を確かめ、ルクスンがすぐ後ろから周囲を見る。

 

 行き先の記憶など、ない。

 

 前世で読んだ記事に、階段の曲がり方まで書かれていたかどうかさえ覚えていなかった。

 

 建造書がある。

 

 覚えているのは、それだけ。

 

 その一行のために、砲台へ撃たれ、蔓に捕まり、光の槍を浴び、死霊と殴り合っている。

 

 記事の筆者に会えたら、説明が足りないと苦情を言いたい。

 

 もっとも、最後まで読まなかったのが自分なら、何も言い返せないのだが。

 

 下り切った先には、補強された木の扉があった。

 

 ノクティアが止まる。

 

 ルクスンも、彼女の肩越しに扉を見る。

 

 文字が刻まれていた。

 

『士官区当直室』

 

「受付、かな」

 

「鍵を見る」

 

 ノクティアは取っ手へすぐ触れず、扉の下と蝶番を確かめた。

 

 その時だった。

 

「入るのであれば、叩きたまえ」

 

 扉の向こうから声がした。

 

 掠れてはいない。

 

 低く、少し気難しそうな男の声だった。

 

 ノクティアが手を止める。

 

 ルクスンは扉を見た。

 

 話しかけてきた。

 

 こちらが生きているというだけで、腕を伸ばしてきたわけではない。

 

「失礼。来客を受け付けてもらえるんですか?」

 

「用件による。まずは名乗りたまえ」

 

「ルクスンです。仲間と四人、それから剣が一振り」

 

「主よ。妾だけ備品の数え方になっておらぬか?」

 

「説明が長くなるから、後で」

 

 向こうの声が、わずかに間を置いた。

 

「……扉の前で済ませる話でもなさそうだ。入りたまえ」

 

     *

 

 鍵は掛かっていなかった。

 

 開いた扉の向こうに、小さな控えの間がある。

 

 机の向こうへ、一人の男が座っていた。

 

 軍服の襟は整っている。

 

 胸には階級を示すらしい飾りがあった。

 

 そして、身体を透かして、椅子の背が見えた。

 

 黄色い負の精霊力。

 

 ルクスンは、右拳を握らなかった。

 

 相手もこちらを見ていた。

 

 四人を順に眺め、最後に腰のベラへ目を落とす。

 

「所属、面会相手、用件を」

 

「冒険者です。書庫を管理する方に会いたい。魔力の塔の建造書を探しています」

 

 男の霊は、最後まで聞いた。

 

「紹介状は?」

 

「ありません」

 

「入構許可は?」

 

「それもありません。表から入ろうとしたら、砲台に撃たれたので」

 

 机の上で、透けた指が止まった。

 

 ノクティアは扉を閉めず、脇へ立っていた。オトフリートとゼフィーリアも、部屋の奥まで入り込まずに待っている。

 

 男は、ルクスンの盾と焦げた袖を見た。

 

「……そうか」

 

 呟きは、ひどく疲れて聞こえた。

 

 そのまま話が途切れそうになり、ルクスンは尋ねた。

 

「書庫のことを教えてもらえますか?」

 

「私の判断では入れられん。許可が必要だ」

 

「どなたの?」

 

「要塞司令官の許可だ」

 

 ルクスンは、ようやく少し肩の力を抜いた。

 

 許可が下りるかどうかは、まだわからない。

 

 だが、少なくともこの死者は、質問に答えてくれる。

 

「それなら、取り次いでください。まず、話をしたい」

 

 拳を使わずに済む仕事へ、ようやく戻れそうだった。

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