アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
列の右端から壁まで、人が二人並んで歩けるほどの間隔があった。
その先に、上級士官区へ続く通路がある。
距離だけなら、短い。
ただし、その間に何体の死霊が割り込んでくるかはわからなかった。
ルクスンは角へ戻り、ノクティアと位置を替わった。彼女も広間を覗き、入口までの床を確かめる。
「途中に瓦礫。右の壁際」
「避けて通れる?」
「一人ずつなら。入口の先は、ここから見えない」
ルクスンは頷いた。
標識があるからといって、今も道が繋がっているとは限らない。そこへ駆け込んでから行き止まりだと知ったら、笑い話にもならなかった。
「僕が列との間に入る。ノクティアは入口まで見て、通れるなら二人を呼んで。塞がってたら、すぐ戻ろう」
「あなたもです」
オトフリートが静かに言った。
「先へ進む時も、引き返す時も、全員で動きましょう」
「わかってる。僕だけ点呼に加わる気はないよ」
「主よ。所属を問われたら何と答える?」
「帰宅部」
「要塞にそのような兵科があるか!」
ノクティアが振り返った。
「帰るのは賛成」
「まだ本を手に入れてないんだけど!」
言ってから、ルクスンは口を閉じた。
ゼフィーリアが、いかにも何か言いたそうな顔でこちらを見ていた。
「……命が危なくなったら帰るから」
「それなら結構です」
取り繕うほど、分が悪くなる。
ルクスンは広間へ向き直った。
*
敷居を越えても、最初は何も起こらなかった。
列の前で、名前が呼ばれる。
「現在」
掠れた返事が一つ。
ルクスンは右へ寄り、仲間が通る場所を空けながら進んだ。拳の届く距離より、少し遠く。こちらから死霊へ近づきすぎないようにする。
通り抜けられるなら、それでいい。
その期待は、数歩で終わった。
最も近い兵士が、こちらを向いた。
首だけではなかった。肩が回り、身体が列から外れる。
隣の一体も動いた。
「来る。二体」
ルクスンは足を止めた。
「通るだけだ。こっちは——」
言い終わる前に、長い腕が伸びてきた。
「ですよね!」
身を引く。
冷たい指先が胸の前を過ぎたところへ踏み込み、右拳を打ち込んだ。
白い光が広がる。
一体目が消えた向こうから、二体目が迫っていた。
休む間がない。
ルクスンは拳を戻しながら身体を捻ったが、伸びる手を完全には避けられなかった。
左の上腕へ、冷たさが食い込む。
鎖帷子の環が切れた感触はない。肉の内側へ、冷たい指だけを突き入れられたようだった。
「っ、くそ!」
腕を引き、右拳を叩き込む。
二体目が崩れても、冷えは残った。
盾を支える肘が、わずかに下がる。
「左腕?」
ノクティアが尋ねた。
「動く。先を頼む!」
彼女は一度こちらを見てから、通路へ向かった。
ルクスンは、その背中を追おうとする影の前へ出た。
*
すべての兵士が動いたわけではなかった。
こちらへ顔を向けただけのものもいる。
何事もなかったように、点呼へ答えるものもいた。
しかし、動くものと動かないものの違いは、ルクスンにもわからなかった。
軍服の形が残っているから正気だとか、列を守っているから襲ってこないとか、そんな都合のよい見分け方はなかった。
正面から来た一体をかわす。
拳を胴へ打ち込み、踏み込みすぎる前に足を戻した。
左腕が重い。
右だけなら動く。だから大丈夫だ、とは考えなかった。片腕を庇えば、身体の向きまで変わる。
「ルクスン、その位置で」
後ろからゼフィーリアの声がした。
彼女は近づいてこなかった。
オトフリートと共に通路を目指しながら、こちらを見ている。神聖語の祈りが響き、腕の内側に溜まっていた冷えがほどけた。
キュア・ウーンズ。
ルクスンは盾を持ち直した。
「助かった!」
「また触られるために治したのではありませんよ」
「承知してます!」
今は、返事をしながら前を見るしかない。
ノクティアが通路の入口へ着いた。
屈み、床へ明かりを向ける。倒れた金具を足で押し退け、扉の陰へ短く目を走らせた。
「下り階段。踊り場まで通れる」
オトフリートとゼフィーリアが、そちらへ向かう。
あと少しだった。
*
「壁から!」
ゼフィーリアの警告で、ルクスンは右を見た。
石の面から、上半身が現れていた。
位置が悪い。
死霊はルクスンを通り越し、通路へ向かうオトフリートのすぐ横へ出ていた。
魔術師は足を止めなかった。
死霊から距離を取り、杖を構えられる方へ身体を向ける。その分だけ、通路から外れる。
ルクスンはそちらへ走った。
拳では、まだ届かない。
「ベラ!」
右手を柄へ落とし、抜き放った銀の刃を横へ走らせる。
伸びていた死霊の腕を斬り、肩まで刃を通した。
冷たい抵抗が手首へ返る。
影が大きく揺らいだ。
消えてはいない。
それでも、オトフリートが横を抜けるには十分だった。
「ありがとうございます!」
「先へ!」
「主よ、左も来るぞ!」
ベラの声に、ルクスンは膝を曲げた。
頭のあった場所を、別の死霊の手が通り過ぎる。
低い姿勢のまま後退した。
もう一歩。
背後は通路の入口だ。
「段差」
ノクティアの声が聞こえる。
ルクスンは足元へ一瞬だけ目を落とし、敷居の位置を確かめた。
前には、今斬った死霊と、列から来た死霊。
右手にはベラ。
斬り続けるか。
拳へ戻すか。
「一歩分、離れる。鞘へ戻すよ」
「よい。今度は当てるのじゃぞ!」
「今その話をするな!」
退いて距離を作り、ベラを収めた。
近い方の影が追ってくる。
ルクスンは待った。
長い腕が伸びる。
その内側へ、短く踏み込んだ。
拳が胸を捉え、白い光が廊下まで届く。
消えた輪郭の向こうに、最後の一体がいた。
先ほどベラで斬った肩が、薄く崩れている。
ルクスンは敷居を越えた。
ノクティアが荷紐へ手を添え、足が階段へ落ちないよう支える。
振り返らず、追ってきた影へ向き直る。
ここまで来れば、仲間のいる方向に迷うことはなかった。
右拳を突き出す。
最後の死霊が消えた後も、広間からは点呼が聞こえていた。
*
ルクスンは階段の上で、しばらく入口を見張った。
すぐに次の影が来ることはなかった。
だからといって、追ってこない保証はない。上で繰り返している名が変わったことだけを確かめ、ゆっくり息を吐いた。
「……全員いる?」
「います」
オトフリートが答える。
ノクティアも頷いた。
ゼフィーリアは、ルクスンの左腕へ目を向けた。
「動かしてみてください」
盾を上げる。
肘を曲げる。
冷えは消えていた。
「大丈夫。ありがとう」
「それなら、ここを離れましょう。続きが来るまで待つ理由はありません」
彼女は先に階段へ目を向けた。
ルクスンも頷いた。
休みたい。
だが、壁の向こうにあれだけの死霊がいる場所は、休憩場所に向いていなかった。
ベラを一度抜き、刃を確かめる。
「妾より主の腕を心配するがよい」
「両方心配してるんだよ」
「ならばよい」
今度は、茶化す声ではなかった。
*
階段を下りるにつれ、周囲の造りが変わった。
壁の石がよく揃っている。
踊り場には、何かを飾っていたらしい台座がある。階段の幅は上の兵舎より狭いが、角の仕上げは丁寧だった。
ノクティアが先の段差を確かめ、ルクスンがすぐ後ろから周囲を見る。
行き先の記憶など、ない。
前世で読んだ記事に、階段の曲がり方まで書かれていたかどうかさえ覚えていなかった。
建造書がある。
覚えているのは、それだけ。
その一行のために、砲台へ撃たれ、蔓に捕まり、光の槍を浴び、死霊と殴り合っている。
記事の筆者に会えたら、説明が足りないと苦情を言いたい。
もっとも、最後まで読まなかったのが自分なら、何も言い返せないのだが。
下り切った先には、補強された木の扉があった。
ノクティアが止まる。
ルクスンも、彼女の肩越しに扉を見る。
文字が刻まれていた。
『士官区当直室』
「受付、かな」
「鍵を見る」
ノクティアは取っ手へすぐ触れず、扉の下と蝶番を確かめた。
その時だった。
「入るのであれば、叩きたまえ」
扉の向こうから声がした。
掠れてはいない。
低く、少し気難しそうな男の声だった。
ノクティアが手を止める。
ルクスンは扉を見た。
話しかけてきた。
こちらが生きているというだけで、腕を伸ばしてきたわけではない。
「失礼。来客を受け付けてもらえるんですか?」
「用件による。まずは名乗りたまえ」
「ルクスンです。仲間と四人、それから剣が一振り」
「主よ。妾だけ備品の数え方になっておらぬか?」
「説明が長くなるから、後で」
向こうの声が、わずかに間を置いた。
「……扉の前で済ませる話でもなさそうだ。入りたまえ」
*
鍵は掛かっていなかった。
開いた扉の向こうに、小さな控えの間がある。
机の向こうへ、一人の男が座っていた。
軍服の襟は整っている。
胸には階級を示すらしい飾りがあった。
そして、身体を透かして、椅子の背が見えた。
黄色い負の精霊力。
ルクスンは、右拳を握らなかった。
相手もこちらを見ていた。
四人を順に眺め、最後に腰のベラへ目を落とす。
「所属、面会相手、用件を」
「冒険者です。書庫を管理する方に会いたい。魔力の塔の建造書を探しています」
男の霊は、最後まで聞いた。
「紹介状は?」
「ありません」
「入構許可は?」
「それもありません。表から入ろうとしたら、砲台に撃たれたので」
机の上で、透けた指が止まった。
ノクティアは扉を閉めず、脇へ立っていた。オトフリートとゼフィーリアも、部屋の奥まで入り込まずに待っている。
男は、ルクスンの盾と焦げた袖を見た。
「……そうか」
呟きは、ひどく疲れて聞こえた。
そのまま話が途切れそうになり、ルクスンは尋ねた。
「書庫のことを教えてもらえますか?」
「私の判断では入れられん。許可が必要だ」
「どなたの?」
「要塞司令官の許可だ」
ルクスンは、ようやく少し肩の力を抜いた。
許可が下りるかどうかは、まだわからない。
だが、少なくともこの死者は、質問に答えてくれる。
「それなら、取り次いでください。まず、話をしたい」
拳を使わずに済む仕事へ、ようやく戻れそうだった。