アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第92話 将軍の椅子

「補給に厳しい方だった」

 

 当直士官が最初に語ったのは、それだった。

 

 ルクスンは少し意外に思った。

 

 剣の腕でも、戦場での武勲でもない。

 

「兵を出す前には、糧食と水を確かめる。戻った後には、負傷者と装備の損傷を報告させる。戦果だけを得意げに並べれば、最後まで聞いてから、こちらが答えに詰まることを尋ねられた」

 

「何を?」

 

「その兵は、明日も歩けるのか、と」

 

 士官の指が階級章から離れた。

 

「勝ったと報告した隊が、靴も補充せず、傷を治す暇もなく次の任務へ出られると思うな。そう叱られたことがある」

 

 オトフリートが静かに頷いた。

 

「勝利の後まで考えておられたのですね」

 

「考えざるを得ない場所だった。補充の兵も、物資も、頼めば明日届くものではなかったからな」

 

 ルクスンは、自分の靴へ目を落とした。

 

 乾いた泥と、砕けた石の粉がついている。

 

 ここまで歩いてきた道を思えば、その言葉はよくわかった。

 

     *

 

 将軍は、無駄な出撃を嫌ったという。

 

 城壁を修繕し、倉庫を満たし、動かなくなった装置を放置させなかった。

 

 兵士から好かれていたかと尋ねると、士官は答えに少し時間をかけた。

 

「好かれていたとは言い難い」

 

「厳しかったんですね」

 

「細かかった。兵站の者は、特に嫌がっていた」

 

 そこで、霊の口元がわずかに動いた。

 

「だが、あの方が指揮を執るなら、生きて戻れると思われていた」

 

 ルクスンは頷きかけ、やめた。

 

 上の兵舎には、戻れなかった者の名前が残っている。

 

 戻ってきた者も、帰れてはいない。

 

「最後は、何が起きたんですか?」

 

 士官の表情から、懐かしさが消えた。

 

     *

 

 補給が来なくなった。

 

 外へ出した者が、戻らなくなった。

 

 指示を求めても、返答がなかった。

 

 士官の話は、ところどころで途切れた。

 

 出来事を忘れたというより、順番が曖昧になっているようだった。いつの報告だったのかを確かめようとして、何度か言い直した。

 

「私が知るのは、司令部へ届いたことだけだ。外で何が起きていたのかは、わからん」

 

「撤退は考えなかったんですか?」

 

「道を調べさせた」

 

 即答だった。

 

「負傷者と非戦闘員を含め、全員を連れて動けるか。水は得られるか。途中で襲われた時、どこへ退けばよいか」

 

「結果は?」

 

「出した者が、全員戻ったわけではない」

 

 ルクスンは黙った。

 

 その一言だけで、簡単な撤退ではなかったことはわかった。

 

「残った物資で待つ方がよいと、将軍は判断された。城壁も、魔法装置もあった。ここを捨てれば、それらは持っていけない」

 

 判断が正しかったかどうかは、今の話だけでは決められない。

 

 ルクスンが見たのは、その後に残ったものだった。

 

 撃ち続ける砲台。

 

 帰そうとしない庭の精霊。

 

 死んでもなお、点呼を取る兵士。

 

 待つという判断に、終わりが来なかった。

 

     *

 

 話を仲間へ伝えると、ゼフィーリアは少し考えてから言った。

 

「将軍にとっては、今も待っている途中なのかもしれませんね」

 

「じゃあ、もう来ないって教えれば終わる?」

 

 ルクスンの問いに、彼女は首を振った。

 

「それを聞いて、受け入れるかどうかは別です。知っていても、認めたくないことはあるでしょう」

 

「死んだ後までか」

 

「生きている者より簡単に諦めるとは、限りません」

 

 穏やかな声ではあった。

 

 だが、気休めは一つもなかった。

 

 ルクスンは士官へ、現在の将軍の姿を尋ねた。

 

 軍装。

 

 長い裾。

 

 暗く、はっきりしない顔。

 

 話を交わせる時には人の姿を保っているが、怒ると輪郭が崩れ、近づくことさえ難しくなるという。

 

 ルクスンは記憶の中の姿と照らし合わせた。

 

「レイスだと思う」

 

 その言葉を聞いて、オトフリートの表情が引き締まった。

 

「直接確かめる必要はありますが、そのつもりで備えるべきですね」

 

「うん。上の連中と同じ調子で殴りに行くのは、まずい」

 

「主よ。ようやく右手以外の作戦を考える気になったか」

 

「最初から考えてるよ。殴るために近づいて、殴る前に死んだら意味ないだろ」

 

「そこまでわかっておればよい」

 

 ベラは、珍しくそれ以上を言わなかった。

 

     *

 

 オトフリートが紙を広げた。

 

 下の構造を、士官に尋ねながら描いていく。

 

 階段。

 

 衛兵の控え。

 

 司令部の廊下。

 

 将軍のいる作戦室と、目的の機密書庫は別の部屋だった。

 

「書庫へ行くために、作戦室を通る必要はないんですね」

 

 ルクスンが確かめると、士官は頷いた。

 

「ただし、書庫には封印がある。許可なく開けようとすれば、侵入と見なされる」

 

「今も動くのですか?」

 

 オトフリートが尋ねた。

 

「長く開けていない。機能を失ったという報告は受けていないが、それ以上はわからん」

 

 魔術師は、封印のある位置だけを紙へ記した。

 

 動くとも、壊れているとも書かなかった。

 

 ノクティアが見取り図を覗く。

 

「調べるなら、こっち」

 

 書庫の手前を指す。

 

「将軍と話してる間に、扉を見ることはできる」

 

 ルクスンは頷きかけた。

 

 会話で注意を引き、その間にノクティアが調べる。

 

 方法としては、悪くない。

 

 だが、すぐには決めなかった。

 

「下を見てからにしよう。分かれてる時に話が通じなくなったら、合流する前に戦闘になる」

 

「そうですね。封印が周囲へどのような影響を及ぼすかも、まだわかりません」

 

 オトフリートが同意する。

 

 ノクティアは紙から指を離した。

 

「なら、先に帰り道」

 

「うん。それは最初に見る」

 

 ルクスンは、書庫と作戦室の間を見比べた。

 

 欲しい本は近い。

 

 近いからこそ、余計なことをしたくなる。

 

 自分がそういう人間だという自覚は、さすがにあった。

 

     *

 

 面会の前に、休む場所を借りることにした。

 

 士官が示したのは、資料室の向かいにある空室だった。

 

 書記が使っていたらしい。

 

 小さな机と、空の棚が残っている。椅子はあったが、誰も座ろうとしなかった。

 

 ノクティアが床を確かめ、隣の部屋への出入口を調べる。

 

 ルクスンは士官へ、近くにいる霊について尋ねた。

 

 この区画の者は、それぞれの部屋へ留まることが多いという。ただし、誰がいつ動くかまでは把握していない。

 

「二人ずつ起きていよう。寝る組は、荷物を手の届く所に置いて」

 

 ルクスンが言うと、オトフリートは頷いた。

 

「短い休憩で、使った魔力まで戻るわけではありません。休むなら、見張りを交代しながら時間を取りたいですね」

 

「そうしよう。今すぐ将軍と殴り合う予定はないけど、予定だけで済む相手でもなさそうだし」

 

「面会の席で殴り合う予定を立てるな」

 

 ベラの指摘に、ルクスンは肩をすくめた。

 

「予定じゃなくて、備え」

 

 まず、オトフリートとゼフィーリアを休ませることになった。

 

 敷物を広げ、荷を下ろす。

 

 食べ物を分け、水を飲む。

 

 乾いたものを噛み始めると、急に腹が空いていたことを思い出した。

 

 緊張している間、忘れていただけだった。

 

     *

 

 士官は入口から、四人の様子を見ていた。

 

 ルクスンが顔を上げると、霊は少し身を引いた。

 

「食事の邪魔をした」

 

「いえ。場所を借りられて助かりました」

 

「水は足りているか?」

 

 ルクスンの手が、水袋の口で止まった。

 

「今のところは」

 

「そうか。足りなくなる前に、確かめておきたまえ」

 

 士官は頷き、廊下へ戻っていった。

 

 その背を見送ってから、ルクスンは水袋へ栓をした。

 

 待ち続けているだけの霊ではない。

 

 この人は今も、訪ねてきた者の水を気にする。

 

 だからといって、安心しきっていいわけではなかった。そう何度も自分へ言い聞かせることが、少し嫌になった。

 

「気になる?」

 

 ノクティアが尋ねた。

 

「うん。普通に話すからさ」

 

「普通に話す相手でも、見張る」

 

「それは、身に覚えがあるな」

 

 ルクスンは彼女を見る。

 

 最初の出会いを思えば、ずいぶんな所まで来たものだった。

 

 ノクティアは何も言わず、入口の見える位置へ座った。

 

 ルクスンはその背後と、左右の壁を見る。

 

 ベラを抜いて、膝へ置いた。

 

     *

 

 廊下を、別の霊が通った。

 

 痩せた軍服姿の男だった。

 

 資料室の前で足を止め、こちらを見る。

 

 ルクスンは柄へ手を添えたが、抜き上げなかった。

 

 男の霊も、近づいてはこなかった。

 

「客か?」

 

「はい。当直士官の方に、待つ場所を借りました」

 

「そうか」

 

 男は少し考えた。

 

「外は、まだ暑いか?」

 

 ルクスンは一瞬、答えに迷った。

 

「昼は暑かったです。夜は冷えました」

 

「そうか」

 

 それで満足したように、霊は廊下の奥へ去った。

 

 何を知りたかったのだろう。

 

 季節か。

 

 天候か。

 

 ただ、外の話が聞きたかっただけかもしれない。

 

 ノクティアが、その姿を見送って呟いた。

 

「みんな、ここにいる」

 

「外へ出ないんだろうね」

 

「出られないのかも」

 

 ルクスンは返事をしなかった。

 

 膝の上のベラが、静かに言う。

 

「主よ。考えるのは構わぬが、廊下を見るのを忘れるでないぞ」

 

「見てる」

 

 剣の言う通りだった。

 

 ここで物思いに沈んで襲われたら、死者の事情を考えていたなどというのは、何の言い訳にもならない。

 

     *

 

 見張りを交代し、ルクスンも身体を横たえた。

 

 深く眠るまでには時間が掛かった。

 

 目を閉じると、常に見えていた精霊力と魔力の光が消える。

 

 その代わりに、遠い足音や、衣擦れのような音が妙にはっきり聞こえた。

 

 壁を抜ける者の多い場所で、何の音なのか。

 

 考え始める前に、眠ることにした。

 

 次に起こされた時には、肩の強張りがいくらか取れていた。

 

 一行は食事と水をもう一度確かめ、装備を整えた。オトフリートとゼフィーリアは、下へ持っていく備えについて短く相談している。

 

 ノクティアは見取り図を見直した。

 

 ルクスンはベラの刃を確かめ、鞘へ戻した。

 

 その時、当直士官が入口に現れた。

 

「将軍がお会いになる」

 

 全員の動きが止まった。

 

 ルクスンが立ち上がる。

 

「僕たちのことは、どう伝えました?」

 

「塔の技術書を求めて来た冒険者、と。外の状況も聞きたいそうだ」

 

 外の状況。

 

 ルクスンは、さっきの霊の問いを思い出した。

 

 暑いか、と聞かれるだけなら答えられる。

 

 だが、将軍が知りたいのは、それだけではないだろう。

 

「一つ、確かめておきたいことがあります」

 

 士官がこちらを見た。

 

「将軍は、古代王国が滅びたことを知っていますか?」

 

 返事は、すぐには来なかった。

 

 やがて士官が言った。

 

「知っておられる時と、忘れておられる時がある」

 

 ルクスンは、その答えを仲間へ伝えた。

 

 ゼフィーリアは目を伏せ、オトフリートは見取り図をしまった。

 

 ノクティアが荷紐を締め直す。

 

 ベラが腰から言った。

 

「ならば、覚えておる時に用事を済ませたいものじゃな」

 

「本当にね」

 

 ルクスンは答えた。

 

 そして、士官の後について歩き出した。

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