アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
「補給に厳しい方だった」
当直士官が最初に語ったのは、それだった。
ルクスンは少し意外に思った。
剣の腕でも、戦場での武勲でもない。
「兵を出す前には、糧食と水を確かめる。戻った後には、負傷者と装備の損傷を報告させる。戦果だけを得意げに並べれば、最後まで聞いてから、こちらが答えに詰まることを尋ねられた」
「何を?」
「その兵は、明日も歩けるのか、と」
士官の指が階級章から離れた。
「勝ったと報告した隊が、靴も補充せず、傷を治す暇もなく次の任務へ出られると思うな。そう叱られたことがある」
オトフリートが静かに頷いた。
「勝利の後まで考えておられたのですね」
「考えざるを得ない場所だった。補充の兵も、物資も、頼めば明日届くものではなかったからな」
ルクスンは、自分の靴へ目を落とした。
乾いた泥と、砕けた石の粉がついている。
ここまで歩いてきた道を思えば、その言葉はよくわかった。
*
将軍は、無駄な出撃を嫌ったという。
城壁を修繕し、倉庫を満たし、動かなくなった装置を放置させなかった。
兵士から好かれていたかと尋ねると、士官は答えに少し時間をかけた。
「好かれていたとは言い難い」
「厳しかったんですね」
「細かかった。兵站の者は、特に嫌がっていた」
そこで、霊の口元がわずかに動いた。
「だが、あの方が指揮を執るなら、生きて戻れると思われていた」
ルクスンは頷きかけ、やめた。
上の兵舎には、戻れなかった者の名前が残っている。
戻ってきた者も、帰れてはいない。
「最後は、何が起きたんですか?」
士官の表情から、懐かしさが消えた。
*
補給が来なくなった。
外へ出した者が、戻らなくなった。
指示を求めても、返答がなかった。
士官の話は、ところどころで途切れた。
出来事を忘れたというより、順番が曖昧になっているようだった。いつの報告だったのかを確かめようとして、何度か言い直した。
「私が知るのは、司令部へ届いたことだけだ。外で何が起きていたのかは、わからん」
「撤退は考えなかったんですか?」
「道を調べさせた」
即答だった。
「負傷者と非戦闘員を含め、全員を連れて動けるか。水は得られるか。途中で襲われた時、どこへ退けばよいか」
「結果は?」
「出した者が、全員戻ったわけではない」
ルクスンは黙った。
その一言だけで、簡単な撤退ではなかったことはわかった。
「残った物資で待つ方がよいと、将軍は判断された。城壁も、魔法装置もあった。ここを捨てれば、それらは持っていけない」
判断が正しかったかどうかは、今の話だけでは決められない。
ルクスンが見たのは、その後に残ったものだった。
撃ち続ける砲台。
帰そうとしない庭の精霊。
死んでもなお、点呼を取る兵士。
待つという判断に、終わりが来なかった。
*
話を仲間へ伝えると、ゼフィーリアは少し考えてから言った。
「将軍にとっては、今も待っている途中なのかもしれませんね」
「じゃあ、もう来ないって教えれば終わる?」
ルクスンの問いに、彼女は首を振った。
「それを聞いて、受け入れるかどうかは別です。知っていても、認めたくないことはあるでしょう」
「死んだ後までか」
「生きている者より簡単に諦めるとは、限りません」
穏やかな声ではあった。
だが、気休めは一つもなかった。
ルクスンは士官へ、現在の将軍の姿を尋ねた。
軍装。
長い裾。
暗く、はっきりしない顔。
話を交わせる時には人の姿を保っているが、怒ると輪郭が崩れ、近づくことさえ難しくなるという。
ルクスンは記憶の中の姿と照らし合わせた。
「レイスだと思う」
その言葉を聞いて、オトフリートの表情が引き締まった。
「直接確かめる必要はありますが、そのつもりで備えるべきですね」
「うん。上の連中と同じ調子で殴りに行くのは、まずい」
「主よ。ようやく右手以外の作戦を考える気になったか」
「最初から考えてるよ。殴るために近づいて、殴る前に死んだら意味ないだろ」
「そこまでわかっておればよい」
ベラは、珍しくそれ以上を言わなかった。
*
オトフリートが紙を広げた。
下の構造を、士官に尋ねながら描いていく。
階段。
衛兵の控え。
司令部の廊下。
将軍のいる作戦室と、目的の機密書庫は別の部屋だった。
「書庫へ行くために、作戦室を通る必要はないんですね」
ルクスンが確かめると、士官は頷いた。
「ただし、書庫には封印がある。許可なく開けようとすれば、侵入と見なされる」
「今も動くのですか?」
オトフリートが尋ねた。
「長く開けていない。機能を失ったという報告は受けていないが、それ以上はわからん」
魔術師は、封印のある位置だけを紙へ記した。
動くとも、壊れているとも書かなかった。
ノクティアが見取り図を覗く。
「調べるなら、こっち」
書庫の手前を指す。
「将軍と話してる間に、扉を見ることはできる」
ルクスンは頷きかけた。
会話で注意を引き、その間にノクティアが調べる。
方法としては、悪くない。
だが、すぐには決めなかった。
「下を見てからにしよう。分かれてる時に話が通じなくなったら、合流する前に戦闘になる」
「そうですね。封印が周囲へどのような影響を及ぼすかも、まだわかりません」
オトフリートが同意する。
ノクティアは紙から指を離した。
「なら、先に帰り道」
「うん。それは最初に見る」
ルクスンは、書庫と作戦室の間を見比べた。
欲しい本は近い。
近いからこそ、余計なことをしたくなる。
自分がそういう人間だという自覚は、さすがにあった。
*
面会の前に、休む場所を借りることにした。
士官が示したのは、資料室の向かいにある空室だった。
書記が使っていたらしい。
小さな机と、空の棚が残っている。椅子はあったが、誰も座ろうとしなかった。
ノクティアが床を確かめ、隣の部屋への出入口を調べる。
ルクスンは士官へ、近くにいる霊について尋ねた。
この区画の者は、それぞれの部屋へ留まることが多いという。ただし、誰がいつ動くかまでは把握していない。
「二人ずつ起きていよう。寝る組は、荷物を手の届く所に置いて」
ルクスンが言うと、オトフリートは頷いた。
「短い休憩で、使った魔力まで戻るわけではありません。休むなら、見張りを交代しながら時間を取りたいですね」
「そうしよう。今すぐ将軍と殴り合う予定はないけど、予定だけで済む相手でもなさそうだし」
「面会の席で殴り合う予定を立てるな」
ベラの指摘に、ルクスンは肩をすくめた。
「予定じゃなくて、備え」
まず、オトフリートとゼフィーリアを休ませることになった。
敷物を広げ、荷を下ろす。
食べ物を分け、水を飲む。
乾いたものを噛み始めると、急に腹が空いていたことを思い出した。
緊張している間、忘れていただけだった。
*
士官は入口から、四人の様子を見ていた。
ルクスンが顔を上げると、霊は少し身を引いた。
「食事の邪魔をした」
「いえ。場所を借りられて助かりました」
「水は足りているか?」
ルクスンの手が、水袋の口で止まった。
「今のところは」
「そうか。足りなくなる前に、確かめておきたまえ」
士官は頷き、廊下へ戻っていった。
その背を見送ってから、ルクスンは水袋へ栓をした。
待ち続けているだけの霊ではない。
この人は今も、訪ねてきた者の水を気にする。
だからといって、安心しきっていいわけではなかった。そう何度も自分へ言い聞かせることが、少し嫌になった。
「気になる?」
ノクティアが尋ねた。
「うん。普通に話すからさ」
「普通に話す相手でも、見張る」
「それは、身に覚えがあるな」
ルクスンは彼女を見る。
最初の出会いを思えば、ずいぶんな所まで来たものだった。
ノクティアは何も言わず、入口の見える位置へ座った。
ルクスンはその背後と、左右の壁を見る。
ベラを抜いて、膝へ置いた。
*
廊下を、別の霊が通った。
痩せた軍服姿の男だった。
資料室の前で足を止め、こちらを見る。
ルクスンは柄へ手を添えたが、抜き上げなかった。
男の霊も、近づいてはこなかった。
「客か?」
「はい。当直士官の方に、待つ場所を借りました」
「そうか」
男は少し考えた。
「外は、まだ暑いか?」
ルクスンは一瞬、答えに迷った。
「昼は暑かったです。夜は冷えました」
「そうか」
それで満足したように、霊は廊下の奥へ去った。
何を知りたかったのだろう。
季節か。
天候か。
ただ、外の話が聞きたかっただけかもしれない。
ノクティアが、その姿を見送って呟いた。
「みんな、ここにいる」
「外へ出ないんだろうね」
「出られないのかも」
ルクスンは返事をしなかった。
膝の上のベラが、静かに言う。
「主よ。考えるのは構わぬが、廊下を見るのを忘れるでないぞ」
「見てる」
剣の言う通りだった。
ここで物思いに沈んで襲われたら、死者の事情を考えていたなどというのは、何の言い訳にもならない。
*
見張りを交代し、ルクスンも身体を横たえた。
深く眠るまでには時間が掛かった。
目を閉じると、常に見えていた精霊力と魔力の光が消える。
その代わりに、遠い足音や、衣擦れのような音が妙にはっきり聞こえた。
壁を抜ける者の多い場所で、何の音なのか。
考え始める前に、眠ることにした。
次に起こされた時には、肩の強張りがいくらか取れていた。
一行は食事と水をもう一度確かめ、装備を整えた。オトフリートとゼフィーリアは、下へ持っていく備えについて短く相談している。
ノクティアは見取り図を見直した。
ルクスンはベラの刃を確かめ、鞘へ戻した。
その時、当直士官が入口に現れた。
「将軍がお会いになる」
全員の動きが止まった。
ルクスンが立ち上がる。
「僕たちのことは、どう伝えました?」
「塔の技術書を求めて来た冒険者、と。外の状況も聞きたいそうだ」
外の状況。
ルクスンは、さっきの霊の問いを思い出した。
暑いか、と聞かれるだけなら答えられる。
だが、将軍が知りたいのは、それだけではないだろう。
「一つ、確かめておきたいことがあります」
士官がこちらを見た。
「将軍は、古代王国が滅びたことを知っていますか?」
返事は、すぐには来なかった。
やがて士官が言った。
「知っておられる時と、忘れておられる時がある」
ルクスンは、その答えを仲間へ伝えた。
ゼフィーリアは目を伏せ、オトフリートは見取り図をしまった。
ノクティアが荷紐を締め直す。
ベラが腰から言った。
「ならば、覚えておる時に用事を済ませたいものじゃな」
「本当にね」
ルクスンは答えた。
そして、士官の後について歩き出した。