アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第93話 補給は来ない

 第四層へ下りる階段には、敷物が残っていた。

 

 かつては赤かったのだろう。今は茶色く変わり、中央だけが薄く擦り切れている。

 

 先導する士官の足は、その上に触れていなかった。

 

 四人の靴音だけが響く。

 

 ノクティアは曲がり角ごとに振り返り、帰りに見える景色を確かめていた。ルクスンも、階段の幅と、踊り場に置かれた台座の位置を覚える。

 

 逃げる時には邪魔になる。

 

 それが、この場所で装飾品を見る最初の基準だった。

 

 下り切った所には、衛兵の控えがあった。

 

 槍を立てるための台と、壁沿いの長椅子。

 

 番兵はいない。

 

 その先で、廊下が分かれていた。

 

 オトフリートが小声で告げる。

 

「見取り図の通りですね。書庫は右、作戦室は正面です」

 

 ルクスンは右手を見た。

 

 閉ざされた扉のある方から、わかりやすく魔力が輝いているわけではなかった。

 

 何も見えないから、封印がない。

 

 そう判断してはいけないことを、彼は知っている。

 

 今は手を出さない。

 

 正面の扉へ向き直った。

 

     *

 

 当直士官が先に入り、一行は呼ばれるまで待った。

 

 扉には大きな取っ手がある。

 

 ノクティアは蝶番と、床との隙間を見た。

 

「片方、擦ってる」

 

「開く?」

 

「たぶん。帰りに閉まってると、邪魔」

 

 ルクスンは頷いた。

 

 ここまで、死霊に対しては扉が役に立たないことばかり考えていた。

 

 だが、生きている自分たちの邪魔にはなる。

 

 実に不公平な建具だった。

 

「入りたまえ」

 

 中から声がした。

 

 ノクティアが扉を押す。

 

 片側は開いたが、もう片側は床を擦って途中で止まった。一行は開いた方から入り、扉をそのままにした。

 

 広い部屋だった。

 

 中央の卓には、要塞と周辺地形の模型が据えられている。城壁、街道、乾いた水路。砲台を避けて進んだ窪地らしいものも見えた。

 

 壁の地図は下半分が失われていた。

 

 書類棚には、枠だけが残っている。

 

 その奥に、将軍が立っていた。

 

 長い軍装を着た、背の高い影。

 

 肩の飾りははっきりしているのに、顔は暗く、目の位置だけが冷たく光っていた。

 

 負の精霊力が、人の形へ濃く集まっている。

 

 レイス。

 

 ルクスンは、その姿を確かめた。

 

 隣に控える士官と同じ死者でも、受ける印象はまるで違った。

 

 近づきたくない。

 

 身体がそう訴えていた。

 

 ルクスンは歩幅を狭め、卓を挟んだ位置で止まった。

 

     *

 

「名と所属を」

 

 低い声だった。

 

 ルクスンは名乗り、仲間を紹介した。ゼフィーリアの信仰や、ノクティアの過去まで話す必要はない。

 

 将軍は途中で口を挟まなかった。

 

 オトフリートが一礼する。

 

「魔術の研究をしております。書庫の技術資料を拝見したく、参りました」

 

「君が責任者か?」

 

 将軍の問いに、オトフリートはルクスンへ目を向けた。

 

「専門的な調査は私が担当しますが、一行の行動は相談して決めています」

 

 将軍がルクスンを見る。

 

「君が前衛か」

 

「はい」

 

「塔の書物を求めていると聞いた。何に使う?」

 

「自分たちの拠点になる塔を造りたいんです。魔力を通し、維持するための技術を探しています」

 

 将軍の指が、卓上の模型へ向いた。

 

「維持を先に考えたまえ。建てた時の術者が、いつまでも面倒を見られるとは限らん」

 

 その言葉に、オトフリートが顔を上げた。

 

「この要塞では、区画ごとに動力を切り離せるようになっていました。塔でも同様の構造を用いるのでしょうか?」

 

「規模と用途による。すべてを一つへ繋げれば、故障も全体へ及ぶ」

 

 将軍は模型の砲台を示した。

 

 説明は明瞭だった。

 

 オトフリートが問い、将軍が答える。

 

 ルクスンにも言葉の意味はわかる。しかし、導管の組み方と実際の術式を結びつけて検討するのは、魔術師の領分だった。

 

 こういう話をしている時のオトフリートは、目つきが変わる。

 

 危険な相手だということは忘れていないだろう。

 

 忘れていないと思いたい。

 

 ルクスンは、さりげなく魔術師の横顔を確かめた。

 

 その視線に気づき、オトフリートが一度だけ小さく頷く。

 

 大丈夫らしい。

 

     *

 

「ところで」

 

 将軍が話を変えた。

 

「外から来たのであれば、輸送路を通ったのだな」

 

「途中までは、古い街道を使いました」

 

「補給隊は、どこまで来ている?」

 

 ルクスンは黙った。

 

 オトフリートも、開きかけた口を閉じた。

 

「僕たちは、補給隊を見ていません」

 

「最後に立ち寄った集落は?」

 

 名を答える。

 

 将軍に、心当たりはないようだった。

 

 道筋を尋ねられ、ルクスンは実際に歩いた場所を説明した。ノクティアが距離や分岐を短く補う。

 

 将軍の指が模型を移動する。

 

 ある場所で止まった。

 

「橋を渡らなかったのか?」

 

「そこに橋はありませんでした。崩れた石はありましたが、乾いた所を歩いて渡りました」

 

 将軍の顔が上がった。

 

「いつの報告だ?」

 

「ここへ来る途中で見たことです」

 

 軍服の裾が揺れた。

 

 風はない。

 

 ルクスンは、仲間の位置を確かめた。

 

 ノクティアは扉寄り。

 

 ゼフィーリアはオトフリートの斜め後ろ。

 

 当直士官は、将軍の傍らにいる。

 

「街道の維持は、誰が担当している?」

 

「わかりません。ただ、僕たちが通った道は、長く使われていないようでした」

 

「では、補給隊は別の道を——」

 

「将軍」

 

 ルクスンは言葉を挟んだ。

 

 将軍の目が、こちらへ止まる。

 

 言えば、荒れるかもしれない。

 

 だが、来もしない隊の居場所を尋ねられ続けても、答えは変わらなかった。

 

「僕たちは、補給の遅れを報告しに来たのではありません」

 

 一度、息を吸った。

 

「将軍の王国は、もうありません」

 

     *

 

 肩の輪郭が膨らんだ。

 

 軍装の飾りが暗がりへ沈む。

 

 顔のある場所が歪み、冷気が卓を越えて流れてきた。

 

 ルクスンは剣へ手を掛けなかった。

 

 ただ、足を置き直した。

 

 右手を前へ出せるように。

 

 オトフリートが半歩下がる。ノクティアは扉への道を空けた。

 

 ゼフィーリアは将軍から目を逸らさず、静かに呼吸を整えていた。

 

「将軍」

 

 当直士官が進み出た。

 

「この件は、以前にもご報告しました」

 

 暗い顔が、そちらを向く。

 

 士官は退かなかった。

 

「連絡は回復いたしません」

 

 長い沈黙があった。

 

 ルクスンは、将軍の腕を見ていた。

 

 攻撃の兆しがあれば動く。

 

 その一方で、何も起こらないでくれと願っていた。

 

 模型を挟んで踏み込むには、距離がある。ここで戦い始めれば、右手が届くまでに何を受けるかわからない。

 

 やがて、軍服の形が戻った。

 

 肩。

 

 襟。

 

 長い裾。

 

 将軍は卓へ手を置いた。

 

「……覚えている」

 

 低い声だった。

 

 士官が頭を下げる。

 

 ルクスンは構えを解かなかったが、止めていた息をゆっくり吐いた。

 

     *

 

「ならば、君たちは誰の命令で来た?」

 

「誰の命令でもありません」

 

 ルクスンは答えた。

 

「欲しい本があるので、仲間と相談して来ました。道を調べて、食料を用意して、危なくなったら引き返すつもりで」

 

「独断か」

 

「僕一人では決めていません。みんな、それぞれの理由で来ています」

 

 将軍は四人を見た。

 

 揃わない装備。

 

 異なる服。

 

 同じ紋章を持たず、同じ姿勢でも立たない一行。

 

 その視線が、ルクスンの盾に残った焦げ跡で止まった。

 

「その損傷は?」

 

「ここの砲台です」

 

 ルクスンは答え、続けた。

 

「城壁から撃たれました。だから、正面からは入れませんでした」

 

     *

 

 今度は、最後まで聞いてもらえた。

 

 砲台で拘束されていた火の精霊。

 

 倒しても再び魔力が流れ込み始めたため、装置への供給を止めたこと。

 

 オトフリートが操作した機構を説明すると、将軍は一度だけ頷いた。

 

 中庭の話では、ルクスンは少し言葉を選んだ。

 

「ドリアードは、傷を覆ってくれました。休ませようとしたんだと思います。でも、出ていこうとすると捕まえようとした」

 

 将軍は動かなかった。

 

「倉庫では、七体のヴァルキリーに襲われました。話はできなかったので、倒しました。武器は、その後で崩れ始めています」

 

 当直士官が目を伏せた。

 

「兵舎でも襲われました。こちらへ来るために、何体も倒しています」

 

「損害は?」

 

 ルクスンは仲間へ目を向けた。

 

「怪我はしました。治してもらいました。全員、ここにいます」

 

 将軍の肩が、わずかに下がった。

 

 続けて、要塞側の被害も問われる。

 

 止めた砲台は一つ。

 

 倉庫の七体は消滅。

 

 兵舎で倒した死霊の数は、正確には記録していない。

 

 答え終えてから、ルクスンは将軍の反応を待った。

 

 こちらは、この人の要塞へ入り、部下だったものと戦ってきた。

 

 必要だった。

 

 その判断を撤回する気はない。

 

 だが、相手も同じように考えるとは限らなかった。

 

     *

 

 将軍は卓の端へ手を伸ばした。

 

 小さな金属の鈴があった。

 

 指が、それをすり抜ける。

 

 音は鳴らない。

 

 将軍の手が止まった。

 

 当直士官が静かに一歩進み、呼ばれた者の位置へ立つ。

 

 それを見て、ルクスンは鈴の用途を理解した。

 

「書庫の封印を解く」

 

 将軍が命じた。

 

「同行して、必要な書物を確認させよ」

 

 ルクスンは、思わずオトフリートを見た。

 

 魔術師もこちらを見る。

 

 だが、喜ぶには早かった。

 

「持ち出しの許可は、まだだ」

 

 将軍の声に、視線を戻す。

 

「条件がありますか?」

 

「兵站の記録も確認してもらいたい。兵員、糧食、稼働する設備。現在の状況を、報告したまえ」

 

 ルクスンは黙った。

 

 要塞全体を調べ直せと言われたら、引き受けられない。

 

 すでに戦っている。

 

 上へ戻れば、また戦うことになるかもしれない。

 

「僕たちが見てきたことと、残っている記録で確かめられる範囲なら」

 

 はっきりと条件を返した。

 

「全区画を制圧して調査する約束はできません。仲間を、そのために危険へ戻すつもりはありません」

 

 将軍の目が細くなったように見えた。

 

 ルクスンは、続けて言おうとした弁解を飲み込んだ。

 

 返事を待つ。

 

「……確認したことと、未確認のことを分けたまえ」

 

「それなら、できます」

 

 ルクスンは仲間へ向き直り、短く相談した。

 

 オトフリートは、記録の調査なら引き受けられると答えた。

 

 ノクティアは、再調査が必要なら、その時に進むか戻るかを決めると言った。

 

 ゼフィーリアは将軍を一瞥し、ルクスンへ告げた。

 

「事実を知りたいというのであれば、協力します。ただし、望んだ答えが出るとは限りません」

 

 ルクスンは頷き、そのまま将軍へ伝えた。

 

「聞きたい報告になるとは、限りません」

 

 将軍は卓上の模型を見下ろした。

 

 欠けていない城壁。

 

 途切れていない街道。

 

 小さな木の立つ中庭。

 

 そこへ置かれた透ける手が、ゆっくり引かれた。

 

「報告とは、そういうものだ」

 

 ルクスンは一礼した。

 

 当直士官が、書庫へ案内するために歩き出す。

 

 その後を追う時、腰のベラが小さく言った。

 

「主よ。まだ、油断するでないぞ」

 

「わかってる」

 

 振り返ると、将軍は模型の前に立っていた。

 

 こちらを見てはいなかった。

 

 指先が、もう存在しない橋の上で止まっていた。

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