アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す   作:駄文亭

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第94話 届かなかった荷

 機密書庫の扉は、作戦室のものより小さかった。

 

 厚い金属板に、細い文字が幾重にも刻まれている。

 

 ルクスンは近づきすぎない位置で足を止めた。

 

 文字は読める。

 

 しかし、それを順に唱えれば開くというものではなかった。術式の一部らしい記述と、立ち入りを禁ずる警告が混在している。

 

 オトフリートも、すぐには手を触れなかった。

 

「封印の解除は、こちらで待っていてよいのですか?」

 

「下がっていたまえ」

 

 当直士官が扉の前へ立つ。

 

 将軍から告げられた許可を述べ、続けて幾つかの言葉を口にした。

 

 ルクスンには、その言葉もわかった。

 

 だが、理解したからといって、次から自分でも開けられると思うほど単純ではない。誰が、どの権限で告げているかまで術式の条件なら、文言だけ真似ても意味はなかった。

 

 扉の文字に、淡い光が走る。

 

 内側で何かが外れる音がした。

 

「これで開く」

 

 士官が脇へ退く。

 

 ノクティアが扉の周囲を確かめてから、取っ手へ手を掛けた。

 

     *

 

 書庫には、乾いた革と古い紙の匂いが残っていた。

 

 廊下ほど埃が積もっていない。

 

 壁際に棚が並び、中央には閲覧用らしい机がある。書物はむき出しではなく、蓋のある箱や革の覆いへ収められていた。

 

 オトフリートが、思わず一歩進む。

 

 ノクティアの手が、その袖を掴んだ。

 

「床」

 

 魔術師が足元を見た。

 

 入口のすぐ先に、細い金属の溝が走っている。

 

 それが仕掛けなのか、単なる扉の設備なのか、まだ確かめていなかった。

 

「……失礼しました」

 

「気持ちはわかる」

 

 ルクスンは言った。

 

 自分も、棚へ走り寄りたい。

 

 何しろ、ここまで来た理由が並んでいる。

 

「主よ。わかるだけで終わるのじゃぞ」

 

「僕はまだ走ってない!」

 

 ノクティアが二人を見た。

 

「二人とも、待つ」

 

 同じ扱いだった。

 

 オトフリートが少し困った顔をし、ルクスンは黙って待った。

 

     *

 

 目録の分類と、棚の札を照らし合わせる。

 

 場所は、奥の下段だった。

 

 長方形の箱に、目的の書名と、収められた巻の番号が記されている。

 

 ルクスンはまず、箱そのものに異常がないか見た。ノクティアが留め具を確かめ、オトフリートが刻まれた文字を読み直す。

 

 当直士官は、その横で待っていた。

 

 急かさなかった。

 

 蓋が開く。

 

 中には、革で包まれた書物があった。

 

 一冊ではない。

 

 薄いものと厚いものが重ねられ、別に巻かれた図面も収められていた。

 

 ルクスンは息を吐いた。

 

「……あった」

 

 今度は、目録だけではなかった。

 

 オトフリートが慎重に覆いを外し、最初の巻を開く。

 

 見返し。

 

 目次。

 

 基礎となる構造の説明。

 

 ルクスンも隣から読み進めた。

 

 塔の基礎。

 

 魔力を通す導管。

 

 動力と各区画を接続するための構成。

 

 文字の間に描かれた図は、ただの建築図ではなかった。石をどう積むかだけでなく、どこへ魔力を通し、どこで分けるかが記されている。

 

「これです」

 

 オトフリートが言った。

 

 声が、いつもより少し低かった。

 

「まだ内容のすべては確認できませんが、塔の建造を研究するための資料になっています。図面も残っています」

 

 ルクスンは頷いた。

 

 頷いてから、また目次を見た。

 

 空飛ぶ塔の完成図ではない。

 

 これを手に入れたから、明日から空を飛べるわけでもない。

 

 それでも、ようやく、どこから手をつければよいかが見えてくる。

 

 前世に流し読みした記事の、ほんの数行。

 

 それを頼りに選んだ道の先に、確かに本があった。

 

「読んどくもんだな、記事」

 

「最後まで?」

 

 ノクティアが尋ねる。

 

「それは本当に反省してる」

 

     *

 

 喜ぶだけで持ち出すわけにはいかなかった。

 

 オトフリートは巻数と表題を確かめ、図面の束を慎重に調べた。

 

 途中で落ちた頁はないか。

 

 目録にある巻が揃っているか。

 

 留め具を外しただけで崩れそうな箇所はないか。

 

 ルクスンも、その作業を手伝った。

 

 理解できる文章であっても、初めて見る術式をその場で覚え切れるわけではない。大事なのは、現物を持って帰ることだった。

 

「箱ごと運んだ方がいい?」

 

「状態が保てるなら、その方が安全です。ただ、底板を確認させてください」

 

 ノクティアが箱の縁を押さえた。

 

 ルクスンが少し持ち上げ、下を調べる。

 

 棚や椅子と違い、すぐに崩れる様子はなかった。

 

 用意していた布と油布を取り出す。

 

 本を押し潰さず、箱の中で動かないようにする。図面も、無理に広げたままにせず、元の収まり方を確かめて戻した。

 

 ベラが腰から声を出した。

 

「主よ。妾の鞘を選んだ時より真剣ではないか?」

 

「君の鞘も真剣に選んだだろ」

 

「値段を見て唸っておった記憶が強いのじゃが」

 

「真剣だった証拠だよ!」

 

 ゼフィーリアが、布の端を押さえながら口元を緩めた。

 

「本には値切る相手がいませんものね」

 

 笑った後、ルクスンは当直士官を見た。

 

 持ち出しの許可は、まだ下りていない。

 

 箱の蓋を閉じても、荷袋へは収めなかった。

 

     *

 

 兵站の記録は、同じ書庫の別の棚にあった。

 

 当直士官が場所を示す。

 

 ルクスンとオトフリートで、日付と内容を追った。

 

 糧食の受領。

 

 武具の修繕。

 

 負傷者の増減。

 

 人員の配置。

 

 最初のうちは、記録が整っていた。

 

 受け取った数量と、配った数量。

 

 不足分への追加請求。

 

 備考欄には、細かな訂正まで残されている。

 

 だが、後になるほど、受領の記録が減った。

 

 請求は出ている。

 

 受け取った記録がない。

 

 同じ品を求める文書が、間隔を置いて繰り返されていた。

 

「これは、届かなかったということでいいんですか?」

 

 ルクスンが尋ねると、士官は書面へ目を落とした。

 

「少なくとも、私の当直中には受領していない」

 

 オトフリートが別の綴りを見比べる。

 

「こちらにも受領の記載がありません。ただ、記録が残っていない可能性までは除けませんね」

 

「なら、そう書こう。届いてないと断定はしない」

 

 紙へ、確認した内容をまとめていく。

 

 将軍の望む答えを作るためではない。

 

 見たものと、わからないものを分けるためだった。

 

     *

 

 人員の帳面には、名前が並んでいた。

 

 ルクスンの指が止まる。

 

 聞いた覚えのある名だった。

 

 広間で、何度も呼ばれていた名前。

 

 返事のなかった兵士だ。

 

 その名は、別の記録にもあった。

 

 要塞の外へ出された隊の一員として。

 

「この隊の帰投記録は?」

 

 ルクスンが尋ねると、当直士官は動かなくなった。

 

 やがて首を振る。

 

「私は受けていない」

 

 オトフリートも、綴りを確かめた。

 

「この中にはありません」

 

 ルクスンは帳面を閉じなかった。

 

 同じ名を呼び続ける声を思い出す。

 

 ここで死んだ兵士だけを、点呼していたのではない。

 

 外へ出たまま戻らなかった者も、列に戻るのを待たれていた。

 

「そりゃ、揃わないよな……」

 

 ゼフィーリアが傍らへ来た。

 

 ルクスンが事情を話すと、彼女は帳面を見下ろした。

 

「戻るまで待てと言われたのでしょうか」

 

「そこまでは書いてない」

 

「では、決めつける必要はありませんね。ただ、今も待っている者はいる」

 

 ルクスンは頷いた。

 

 紙へ、もう一つ記した。

 

 兵舎では点呼が継続している。

 

 呼ばれた名の中に、帰投を確認できない隊員が含まれている。

 

 書けるのは、そこまでだった。

 

     *

 

 食料については、古い帳面から現在量を出すことはできなかった。

 

 当時の在庫が書かれていても、今、食べられる状態で残っているかは別だ。

 

 倉庫で見た補給品は傷んでいた。

 

 ただし、すべての倉庫を調べたわけではない。

 

 設備も同じだった。

 

 一基の砲台は止めた。

 

 他の砲台は、入る前には動いていた。

 

 今どうなっているかまでは、ここから確認できない。

 

 記録をまとめ終えた時、紙には、確実に言えることよりも注意書きの方が多くなっていた。

 

 ルクスンはそれを見下ろす。

 

「嫌な報告書だな」

 

「必要な報告書です」

 

 オトフリートは静かに答えた。

 

「わからないことを、わかったように書くよりは」

 

 ノクティアが入口から言った。

 

「終わった?」

 

「うん。待たせた」

 

「なら、戻ろう」

 

 彼女は調査の間、ずっと廊下と扉を見ていた。

 

 調べる者が本へ顔を近づけている間に、周囲まで安全になったわけではない。

 

 ルクスンは紙をまとめた。

 

 建造書の箱は、机に残した。

 

 許可が下りれば、そのまま運べる。

 

 そういう状態にして、書庫を出た。

 

     *

 

 将軍は、まだ模型の前にいた。

 

 入室を告げると、顔を上げる。

 

「確認できたか?」

 

「できた範囲を、報告します」

 

 ルクスンは紙を開いた。

 

 補給の記録が途切れていること。

 

 請求は残っているが、対応する受領を確認できないこと。

 

 現在の食料備蓄は不明であること。

 

 砲台と精霊の状態。

 

 兵舎の点呼。

 

 戻った記録のない隊員の名前。

 

 順に話した。

 

 将軍は途中で口を挟まなかった。

 

 最後まで聞いた後、一つだけ尋ねた。

 

「任務に就ける兵は、どれだけ残っている?」

 

 ルクスンは、用意した紙から目を上げた。

 

「数は出せません」

 

「兵舎を通ったのだろう?」

 

「通りました。ですが、こちらの言葉を聞かずに襲ってくる者を、任務に就ける兵として数えていいとは思いません」

 

 将軍の目が冷たく光った。

 

 ルクスンは続けた。

 

「死んでいるから、という話ではありません。こちらの士官とは会話ができます。依頼もできるし、返答もある。でも、兵舎の連中は違いました」

 

 当直士官は、黙って立っていた。

 

「今の要塞が、将軍の命令どおりに動くとは思えません」

 

     *

 

 作戦室の空気が冷えた。

 

 ルクスンは紙を下ろした。

 

 オトフリートが、隣から一歩だけ離れる。

 

 ノクティアは入口の近くにいる。

 

 ゼフィーリアの視線は、将軍へ向けられたままだった。

 

「……命令を変更すべきだと?」

 

 将軍が尋ねた。

 

 声は低かったが、まだ言葉になっていた。

 

「僕は軍人じゃありません。どう命令すればいいかまでは、わかりません」

 

 ルクスンは答えた。

 

「ただ、来ない補給を待っても、帰らない兵士の名を呼び続けても、今の状況は変わりません」

 

 言い終えた後、余計なことを言ったかもしれないと思った。

 

 本の許可だけ貰って帰ればよかった。

 

 その方が利口だっただろう。

 

 しかし、報告しろと言われた。

 

 将軍自身も、聞きたい答えだけを求めるのではないと言った。

 

 ならば、ここで都合よく濁すのも違う気がした。

 

 将軍は、長く模型を見下ろしていた。

 

 やがて、卓から手を離す。

 

「書物の持ち出しを許可する」

 

 ルクスンは息を止めた。

 

 オトフリートが顔を上げる。

 

「よいのですか?」

 

「この要塞では、使う者がおらん」

 

 将軍は答えた。

 

 その声が、ひどく遠く聞こえた。

 

 ルクスンは頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

 これで、本を持って帰れる。

 

 そう思った時、将軍が当直士官を呼んだ。

 

「命令を伝えよ」

 

 士官が姿勢を正す。

 

 将軍は、何かを言いかけた。

 

 だが、声が続かなかった。

 

 透けた手が、卓の縁へ置かれる。

 

 軍服の裾が揺れた。

 

 冷たい光が、目の奥で強くなる。

 

「全軍——」

 

 ルクスンは顔を上げた。

 

 将軍は、誰を見ているのだろう。

 

 自分たちか。

 

 士官か。

 

 それとも、この部屋にもういない誰かか。

 

 続く言葉を聞く前に、ベラが低く告げた。

 

「主よ。離れよ」

 

 ルクスンは紙を畳むのをやめた。

 

 仲間へ手で合図し、卓から一歩退いた。

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