アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
機密書庫の扉は、作戦室のものより小さかった。
厚い金属板に、細い文字が幾重にも刻まれている。
ルクスンは近づきすぎない位置で足を止めた。
文字は読める。
しかし、それを順に唱えれば開くというものではなかった。術式の一部らしい記述と、立ち入りを禁ずる警告が混在している。
オトフリートも、すぐには手を触れなかった。
「封印の解除は、こちらで待っていてよいのですか?」
「下がっていたまえ」
当直士官が扉の前へ立つ。
将軍から告げられた許可を述べ、続けて幾つかの言葉を口にした。
ルクスンには、その言葉もわかった。
だが、理解したからといって、次から自分でも開けられると思うほど単純ではない。誰が、どの権限で告げているかまで術式の条件なら、文言だけ真似ても意味はなかった。
扉の文字に、淡い光が走る。
内側で何かが外れる音がした。
「これで開く」
士官が脇へ退く。
ノクティアが扉の周囲を確かめてから、取っ手へ手を掛けた。
*
書庫には、乾いた革と古い紙の匂いが残っていた。
廊下ほど埃が積もっていない。
壁際に棚が並び、中央には閲覧用らしい机がある。書物はむき出しではなく、蓋のある箱や革の覆いへ収められていた。
オトフリートが、思わず一歩進む。
ノクティアの手が、その袖を掴んだ。
「床」
魔術師が足元を見た。
入口のすぐ先に、細い金属の溝が走っている。
それが仕掛けなのか、単なる扉の設備なのか、まだ確かめていなかった。
「……失礼しました」
「気持ちはわかる」
ルクスンは言った。
自分も、棚へ走り寄りたい。
何しろ、ここまで来た理由が並んでいる。
「主よ。わかるだけで終わるのじゃぞ」
「僕はまだ走ってない!」
ノクティアが二人を見た。
「二人とも、待つ」
同じ扱いだった。
オトフリートが少し困った顔をし、ルクスンは黙って待った。
*
目録の分類と、棚の札を照らし合わせる。
場所は、奥の下段だった。
長方形の箱に、目的の書名と、収められた巻の番号が記されている。
ルクスンはまず、箱そのものに異常がないか見た。ノクティアが留め具を確かめ、オトフリートが刻まれた文字を読み直す。
当直士官は、その横で待っていた。
急かさなかった。
蓋が開く。
中には、革で包まれた書物があった。
一冊ではない。
薄いものと厚いものが重ねられ、別に巻かれた図面も収められていた。
ルクスンは息を吐いた。
「……あった」
今度は、目録だけではなかった。
オトフリートが慎重に覆いを外し、最初の巻を開く。
見返し。
目次。
基礎となる構造の説明。
ルクスンも隣から読み進めた。
塔の基礎。
魔力を通す導管。
動力と各区画を接続するための構成。
文字の間に描かれた図は、ただの建築図ではなかった。石をどう積むかだけでなく、どこへ魔力を通し、どこで分けるかが記されている。
「これです」
オトフリートが言った。
声が、いつもより少し低かった。
「まだ内容のすべては確認できませんが、塔の建造を研究するための資料になっています。図面も残っています」
ルクスンは頷いた。
頷いてから、また目次を見た。
空飛ぶ塔の完成図ではない。
これを手に入れたから、明日から空を飛べるわけでもない。
それでも、ようやく、どこから手をつければよいかが見えてくる。
前世に流し読みした記事の、ほんの数行。
それを頼りに選んだ道の先に、確かに本があった。
「読んどくもんだな、記事」
「最後まで?」
ノクティアが尋ねる。
「それは本当に反省してる」
*
喜ぶだけで持ち出すわけにはいかなかった。
オトフリートは巻数と表題を確かめ、図面の束を慎重に調べた。
途中で落ちた頁はないか。
目録にある巻が揃っているか。
留め具を外しただけで崩れそうな箇所はないか。
ルクスンも、その作業を手伝った。
理解できる文章であっても、初めて見る術式をその場で覚え切れるわけではない。大事なのは、現物を持って帰ることだった。
「箱ごと運んだ方がいい?」
「状態が保てるなら、その方が安全です。ただ、底板を確認させてください」
ノクティアが箱の縁を押さえた。
ルクスンが少し持ち上げ、下を調べる。
棚や椅子と違い、すぐに崩れる様子はなかった。
用意していた布と油布を取り出す。
本を押し潰さず、箱の中で動かないようにする。図面も、無理に広げたままにせず、元の収まり方を確かめて戻した。
ベラが腰から声を出した。
「主よ。妾の鞘を選んだ時より真剣ではないか?」
「君の鞘も真剣に選んだだろ」
「値段を見て唸っておった記憶が強いのじゃが」
「真剣だった証拠だよ!」
ゼフィーリアが、布の端を押さえながら口元を緩めた。
「本には値切る相手がいませんものね」
笑った後、ルクスンは当直士官を見た。
持ち出しの許可は、まだ下りていない。
箱の蓋を閉じても、荷袋へは収めなかった。
*
兵站の記録は、同じ書庫の別の棚にあった。
当直士官が場所を示す。
ルクスンとオトフリートで、日付と内容を追った。
糧食の受領。
武具の修繕。
負傷者の増減。
人員の配置。
最初のうちは、記録が整っていた。
受け取った数量と、配った数量。
不足分への追加請求。
備考欄には、細かな訂正まで残されている。
だが、後になるほど、受領の記録が減った。
請求は出ている。
受け取った記録がない。
同じ品を求める文書が、間隔を置いて繰り返されていた。
「これは、届かなかったということでいいんですか?」
ルクスンが尋ねると、士官は書面へ目を落とした。
「少なくとも、私の当直中には受領していない」
オトフリートが別の綴りを見比べる。
「こちらにも受領の記載がありません。ただ、記録が残っていない可能性までは除けませんね」
「なら、そう書こう。届いてないと断定はしない」
紙へ、確認した内容をまとめていく。
将軍の望む答えを作るためではない。
見たものと、わからないものを分けるためだった。
*
人員の帳面には、名前が並んでいた。
ルクスンの指が止まる。
聞いた覚えのある名だった。
広間で、何度も呼ばれていた名前。
返事のなかった兵士だ。
その名は、別の記録にもあった。
要塞の外へ出された隊の一員として。
「この隊の帰投記録は?」
ルクスンが尋ねると、当直士官は動かなくなった。
やがて首を振る。
「私は受けていない」
オトフリートも、綴りを確かめた。
「この中にはありません」
ルクスンは帳面を閉じなかった。
同じ名を呼び続ける声を思い出す。
ここで死んだ兵士だけを、点呼していたのではない。
外へ出たまま戻らなかった者も、列に戻るのを待たれていた。
「そりゃ、揃わないよな……」
ゼフィーリアが傍らへ来た。
ルクスンが事情を話すと、彼女は帳面を見下ろした。
「戻るまで待てと言われたのでしょうか」
「そこまでは書いてない」
「では、決めつける必要はありませんね。ただ、今も待っている者はいる」
ルクスンは頷いた。
紙へ、もう一つ記した。
兵舎では点呼が継続している。
呼ばれた名の中に、帰投を確認できない隊員が含まれている。
書けるのは、そこまでだった。
*
食料については、古い帳面から現在量を出すことはできなかった。
当時の在庫が書かれていても、今、食べられる状態で残っているかは別だ。
倉庫で見た補給品は傷んでいた。
ただし、すべての倉庫を調べたわけではない。
設備も同じだった。
一基の砲台は止めた。
他の砲台は、入る前には動いていた。
今どうなっているかまでは、ここから確認できない。
記録をまとめ終えた時、紙には、確実に言えることよりも注意書きの方が多くなっていた。
ルクスンはそれを見下ろす。
「嫌な報告書だな」
「必要な報告書です」
オトフリートは静かに答えた。
「わからないことを、わかったように書くよりは」
ノクティアが入口から言った。
「終わった?」
「うん。待たせた」
「なら、戻ろう」
彼女は調査の間、ずっと廊下と扉を見ていた。
調べる者が本へ顔を近づけている間に、周囲まで安全になったわけではない。
ルクスンは紙をまとめた。
建造書の箱は、机に残した。
許可が下りれば、そのまま運べる。
そういう状態にして、書庫を出た。
*
将軍は、まだ模型の前にいた。
入室を告げると、顔を上げる。
「確認できたか?」
「できた範囲を、報告します」
ルクスンは紙を開いた。
補給の記録が途切れていること。
請求は残っているが、対応する受領を確認できないこと。
現在の食料備蓄は不明であること。
砲台と精霊の状態。
兵舎の点呼。
戻った記録のない隊員の名前。
順に話した。
将軍は途中で口を挟まなかった。
最後まで聞いた後、一つだけ尋ねた。
「任務に就ける兵は、どれだけ残っている?」
ルクスンは、用意した紙から目を上げた。
「数は出せません」
「兵舎を通ったのだろう?」
「通りました。ですが、こちらの言葉を聞かずに襲ってくる者を、任務に就ける兵として数えていいとは思いません」
将軍の目が冷たく光った。
ルクスンは続けた。
「死んでいるから、という話ではありません。こちらの士官とは会話ができます。依頼もできるし、返答もある。でも、兵舎の連中は違いました」
当直士官は、黙って立っていた。
「今の要塞が、将軍の命令どおりに動くとは思えません」
*
作戦室の空気が冷えた。
ルクスンは紙を下ろした。
オトフリートが、隣から一歩だけ離れる。
ノクティアは入口の近くにいる。
ゼフィーリアの視線は、将軍へ向けられたままだった。
「……命令を変更すべきだと?」
将軍が尋ねた。
声は低かったが、まだ言葉になっていた。
「僕は軍人じゃありません。どう命令すればいいかまでは、わかりません」
ルクスンは答えた。
「ただ、来ない補給を待っても、帰らない兵士の名を呼び続けても、今の状況は変わりません」
言い終えた後、余計なことを言ったかもしれないと思った。
本の許可だけ貰って帰ればよかった。
その方が利口だっただろう。
しかし、報告しろと言われた。
将軍自身も、聞きたい答えだけを求めるのではないと言った。
ならば、ここで都合よく濁すのも違う気がした。
将軍は、長く模型を見下ろしていた。
やがて、卓から手を離す。
「書物の持ち出しを許可する」
ルクスンは息を止めた。
オトフリートが顔を上げる。
「よいのですか?」
「この要塞では、使う者がおらん」
将軍は答えた。
その声が、ひどく遠く聞こえた。
ルクスンは頭を下げた。
「ありがとうございます」
これで、本を持って帰れる。
そう思った時、将軍が当直士官を呼んだ。
「命令を伝えよ」
士官が姿勢を正す。
将軍は、何かを言いかけた。
だが、声が続かなかった。
透けた手が、卓の縁へ置かれる。
軍服の裾が揺れた。
冷たい光が、目の奥で強くなる。
「全軍——」
ルクスンは顔を上げた。
将軍は、誰を見ているのだろう。
自分たちか。
士官か。
それとも、この部屋にもういない誰かか。
続く言葉を聞く前に、ベラが低く告げた。
「主よ。離れよ」
ルクスンは紙を畳むのをやめた。
仲間へ手で合図し、卓から一歩退いた。