アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
書庫の机には、包んだ箱がそのまま残っていた。
ルクスンは、まずそれを見た。
蓋が開いていない。
布も解けていない。
当たり前のことなのに、確かめてからようやく肩の力が抜けた。
「持ち出して構わん」
当直士官が言った。
オトフリートは箱へ手を添え、最後に中身の収まりを確かめた。
「こちらへ運びましょう。底をお願いします」
「任せて」
ルクスンが下から支える。
無限のバックを使えば、運ぶ負担は減らせる。しかし、中身を放り込んでよいわけではない。古い紙も、図面を留めた紐も、乱暴に扱えば傷む。
口を広げ、箱の角を引っ掛けないように収める。
途中でベラが声を上げた。
「主よ、妾の柄に当たっておる!」
「あ、ごめん」
「書物だけ丁寧に扱うでないぞ!」
ルクスンは腰をずらした。
ノクティアが反対側の布を押さえる。
「こっちへ傾けて」
箱が収まった。
口を閉じ、留め具を確かめる。
それで、ようやく終わった。
魔力の塔の建造書。
今度こそ、持ち帰る荷物になった。
*
「……よし」
ルクスンは小さく言った。
それ以上の言葉が、すぐには出てこなかった。
歓声を上げるには、疲れすぎていた。
まだ地下だ。
帰り道には死霊がいる。
上の砲台も、全部を止めたわけではない。
ノクティアが荷物の留め具を、もう一度引いた。
「帰ってから喜ぶ」
「僕、そんなに顔に出てる?」
「口が開いてる」
ルクスンは閉じた。
オトフリートが眼鏡を直しながら、名残惜しそうに棚を見た。
それに気づいて、ルクスンも棚を見た。
ほかにも本がある。
目録で見かけた、動力設備や防壁の記録。
研究に使えるものは、きっと多い。
ゼフィーリアが二人の間へ声を落とした。
「相談を始める前に申し上げますが、私は帰る方に賛成です」
「まだ何も言ってないよ」
「お二人とも、同じ棚を見ていましたから」
オトフリートが咳払いした。
「……目録の必要な箇所は控えました。今回は、目的の資料を確実に持ち帰りましょう」
最後の言葉は、自分にも言い聞かせているようだった。
ルクスンは頷いた。
帰るための力まで、書物に変えてはいけない。
*
書庫を出る前に、ルクスンは当直士官へ向き直った。
「帰り道について、聞きたいことがあります」
「兵舎か?」
「はい。あの広間を、また通ります。あなたの言葉を聞く兵士はいますか?」
士官は考え込んだ。
「いるかもしれん。だが、先ほども話した通り、私を覚えていない者もいる」
「命令すれば全員止まる、とは考えません。ただ、通る間だけでも、こちらを向かずにいてくれれば助かります」
ノクティアは黙って聞いていた。
期待しすぎるな、と言いたいのだろう。
ルクスンも、そのつもりだった。
「将軍の最後の命令を、伝える」
士官が言った。
「聞く者には、聞かせねばならん」
ルクスンは少し迷ってから尋ねた。
「それは、あなたがそうしたいからですか?」
士官の目がこちらへ向いた。
「……そうだな」
答えるまでに、少し時間が掛かった。
「今は、私が伝えたいと思っている」
ルクスンは頷いた。
「では、広間まで一緒にお願いします」
*
第三層へ戻ると、廊下に霊がいた。
休息中、外の暑さを尋ねてきた男だった。
当直士官を見て、立ち止まる。
「面会は済んだのか?」
「済んだ」
「将軍は?」
士官は足を止めた。
ルクスンたちは、その少し後ろで待った。
「任を終えられた」
男の霊は、すぐには反応しなかった。
廊下の奥へ目を向ける。
そこには、第四層へ続く階段があった。
「……そうか」
何かを尋ねようとして、やめたようだった。
当直士官は続けた。
「持ち場を離れよ、との命令を受けた。私は、兵舎へ伝えに行く」
男は、自分の軍服を見下ろした。
襟へ手を添え、外しかけるような仕草をする。
しかし、透けた指はそこで止まった。
「私は、どうすればよい」
「それは、私にもわからん」
士官は答えた。
「だが、ここに立っている必要はなくなった」
ルクスンは口を挟まなかった。
外へ出ればいいと、簡単には言えない。
この二人には、自分の知らない時間がある。
男は廊下の壁へ視線を移し、やがて頷いた。
その姿は、まだ消えなかった。
*
第二層へ上がる前に、隊列を決め直した。
士官が先に広間へ出る。
ノクティアが入口から様子を確かめる。
通れると判断したら、ルクスンが前へ入り、荷を持つオトフリートとゼフィーリアが続く。
ノクティアは最後尾へ回り、戻る者がいないかを見る。
「声を聞いて止まったとしても、近づきすぎない」
ルクスンが言うと、全員が頷いた。
「通り過ぎるまで、止まってくれるとは限りませんね」
オトフリートが荷物の位置を調整する。
ゼフィーリアは階段の先を見た。
「話が通じない者まで、無理に待つ必要はありません。襲ってくるなら、対処しましょう」
「うん。立ち止まって説得はしない」
ルクスンは右手を空けた。
ベラは鞘に収まったままだ。
「また拳か」
「必要になったら、すぐ抜くよ」
「必要になる前に気づくのじゃぞ」
「注文が難しいなあ」
声を落として応じ、階段を上がった。
*
点呼は続いていた。
同じ声だった。
だが、呼んでいる名前は変わっている。
そのことに、ルクスンは少しだけ驚いた。
まったく同じ場所を回り続けているわけではないのかもしれない。
それでも、終わらない。
当直士官が広間へ出た。
「伝令」
低い声が響く。
点呼の声は止まらなかった。
士官は列の脇を進み、もう一度告げた。
「司令官の命令を伝える」
列の前の影が、顔を上げた。
ルクスンは入口から見ていた。
聞いた。
少なくとも、今の声には反応した。
士官が姿勢を正す。
「持ち場を離れよ」
広間が静まった。
ほんの短い間だった。
列の中の一体が、隣を見た。
別の一体は、正面を向いたまま動かない。
点呼を取っていた下士官が、何かを言った。
「交代が、まだ……」
「待つ必要はない」
士官が答えた。
「命令は、確かに受けた」
ノクティアがルクスンの袖を引いた。
「今」
*
広間へ出る。
来た時と同じ右端の通路を、逆に進む。
ルクスンは、列へ近づきすぎないよう足を運んだ。
士官と下士官の会話は、続いている。
その言葉を聞きながらも、目は別の兵士を追った。
顔が動く。
一体が、こちらを向いた。
列を外れる。
「一体、来る」
ルクスンが告げると、オトフリートたちは足を緩めた。
死霊が滑るように近づいた。
士官の声を聞いている様子はない。
ルクスンは身体をずらし、伸びてきた手をかわした。
右拳を打ち込む。
胸の輪郭が白く照らされ、崩れた。
列の前で、下士官がこちらを見た。
ルクスンは拳を戻した。
責められるかもしれない。
襲われるかもしれない。
だが、下士官はしばらくこちらを見た後、当直士官へ顔を戻した。
「欠員が……」
「報告は受けた」
士官は答えた。
ルクスンたちは歩き続けた。
全員を救えたわけではない。
すべての死者が、同じ言葉を理解したわけでもなかった。
それでも、列の端にいた影が一つ、腕を下ろした。
別の影が、列から離れた。
どこへ行くのかまでは、見届けられなかった。
*
広間を抜ける直前、ルクスンは振り返った。
当直士官は、まだそこにいた。
下士官と向き合っている。
その肩越しに、一瞬だけ視線が合った。
士官が頷いた。
ルクスンも、頭を下げた。
それで別れた。
ノクティアが横へ来る。
「追ってこない」
「うん」
「今のうち」
ルクスンは前を向いた。
廊下の角。
当直表。
床に残した目印。
一つずつ確かめながら、第一層へ続く階段へ戻る。
来た時には、下りたくない階段だった。
今は、上まで遠く感じた。
*
倉庫の裏手へ出ると、乾いた空気が頬へ触れた。
七体のヴァルキリーはいない。
床の武器は、さらに傷んでいた。
刃の縁が崩れ、木の柄には亀裂が走っている。
ルクスンは足を止めずに見た。
拾って持ち帰れるものではなかった。
棚の間を抜け、倉庫の入口を確かめる。
外には中庭がある。
その向こうに、止めた砲台と、城壁の小さな出入口。
あと少し。
そう思うたびに、まだ何かが残っていた。
ノクティアが扉の隙間から中庭を見た。
「枝が動いてる」
ルクスンも覗く。
大きな木の下で、蔓がゆっくり這っていた。
ドリアードは、まだいる。
ゼフィーリアが隣へ来た。
「今度は、何と言って通してもらいます?」
ルクスンは自分の袖を見た。
焦げ跡。
汚れ。
血の染み。
休ませたいと思わせるには、十分すぎる格好だった。
「元気です、って言っても信じてもらえそうにないな」
「妾なら信じぬ」
ベラが即答した。
ルクスンは一度、目を閉じた。
それから開き、仲間を見る。
「帰るところまでが冒険、か」
「今さら?」
ノクティアが言った。
ルクスンは苦笑し、扉を少しだけ押し開いた。