アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
扉を開くと、葉擦れの音が聞こえた。
中庭には、傾いた日が差していた。
地下へ下りる前と比べて、影の向きが変わっている。どれほど長く、石の下にいたのだろう。
ルクスンは眩しさに目を細め、それから木の根元を見た。
ドリアードがいた。
こちらを向いている。
「戻った」
精霊語の声が届いた。
ルクスンは扉を押さえたまま頷いた。
「うん。戻ったよ」
「傷は?」
「治した。もう歩ける」
ドリアードの視線が、袖へ落ちた。
焦げた布。
乾いた血。
泥と埃。
見た目だけなら、下りる前よりひどい。
「休む」
蔓が動いた。
倉庫の入口へ、ゆっくり伸びてくる。
ノクティアが半歩下がり、足元を見る。
ルクスンは仲間を扉の内側へ残したまま、一人だけ敷居を越えた。
「ここでは休まない。外へ出たい」
「外は、危ない」
「知ってる。だから、みんなで帰る」
蔓は止まらなかった。
*
ルクスンはベラの柄へ手を置いた。
抜かなかった。
相手はアンデッドではない。
右拳を当てれば片がつく相手でもない。
何より、一度は話を聞いてもらえた。いきなり斬りかかる理由はなかった。
ドリアードが近づく。
木の姿をした身体が、葉の影を揺らした。
「座る。休む。守る」
「ありがとう。でも、行きたいんだ」
伸びた蔓が、ルクスンの靴へ触れた。
彼は足を引いた。
蔓が追う。
「それは、やめて」
声を少し強める。
ドリアードの顔が揺れた。
怒ったのか、戸惑ったのか、ルクスンには読み切れなかった。
背後から、ノクティアが精霊語で声を掛けた。
「傷は治ってる。休む場所は、自分たちで決める」
「ここなら、守れる」
同じ答えだった。
ゼフィーリアが扉の脇へ進む。
「守るために、逃げられなくするの?」
ドリアードの動きが止まった。
蔓は、ルクスンの靴のすぐ前にあった。
「傷つく」
「外へ出れば、傷つくかもしれませんね。それでも、私たちは行きます」
ゼフィーリアは、蔓を踏まない位置で立ち止まった。
「ここへ残ることを、私たちは選んでいません」
静かな声だった。
ドリアードは彼女を見ていた。
やがて、またルクスンの袖へ視線を戻す。
*
ルクスンは、傷ついた方の腕を上げた。
肘を曲げ、肩を回す。
痛みはない。
袖の傷は、布の傷だった。
「見て。ちゃんと動く」
ドリアードが手を伸ばした。
ルクスンは逃げなかった。
木の指が、焦げた袖へ触れる。
身体を掴む手ではなかった。
裂け目を確かめ、布の端を寄せようとしている。
その仕草を見て、ルクスンはようやく思いついた。
こちらは傷が治ったと言っている。
だが、相手にはずっと同じ傷が見えているのかもしれない。
「服は破れてるけど、中は治ってる。これ以上休んでも、服は直らないんだ」
「直す」
「服は、外で直すよ。針と糸を使って」
ドリアードは何も言わなかった。
ルクスンの腕へ、小さな葉を一枚押しつけた。
以前と同じように。
ルクスンは、その葉を手で押さえた。
「ありがとう。これは持っていく」
蔓が、少し引いた。
ノクティアがルクスンを見る。
今なら通れる。
その目が、そう言っていた。
*
一人ずつ、倉庫から出た。
ノクティアが先に中庭の縁を確かめる。
オトフリートが荷を抱え直し、ゼフィーリアと続く。
ルクスンは最後まで、ドリアードの前にいた。
抜いた剣で威嚇してはいない。
だからといって、手を柄から離すつもりもなかった。
足を絡め取られたなら、蔓を斬ってでも抜ける。
通してもらえるなら、それが一番よかった。
「また、戻る?」
ドリアードが尋ねた。
ルクスンはすぐには答えなかった。
戻ると言えば、今は通してもらいやすいかもしれない。
だが、その約束を守れるかはわからない。
ここには、帰ってこない者を待つ死者がいた。
この精霊も、同じように待たせるのか。
「約束はできない」
ルクスンは答えた。
「僕たちは、ここの兵士じゃないんだ」
ドリアードの顔が、少し傾いた。
わかったのかどうかは、わからなかった。
それでも、伸びていた蔓は動かなかった。
ルクスンはゆっくり退いた。
一歩。
もう一歩。
ノクティアのいる石段へ足を掛ける。
ドリアードは追ってこなかった。
手元に、葉が残った。
*
内壁沿いの通路へ戻ると、オトフリートが息を吐いた。
「通してもらえましたね」
「今はね。正気に戻ったかどうかまでは、わからない」
ルクスンは葉を見た。
指先に土がついている。
「何じゃ、主よ。記念品か?」
ベラが尋ねる。
「貰ったんだよ」
「七本の魔法武器が、葉っぱ一枚になったのう」
「建造書があるだろ!」
思わず声が大きくなり、ノクティアが振り返った。
ルクスンは口を閉じた。
中庭の木の方を見る。
枝が揺れている。
だが、追ってくる蔓はなかった。
葉を折らないよう、手近な布へ挟む。
ゼフィーリアはその様子を見ていたが、何も言わなかった。
*
止めた砲台へ向かう階段は、来た時より涼しかった。
熱が抜けている。
それでも、ルクスンは油断せずに部屋を覗いた。
精霊を拘束していた環は、暗いままだった。
新たな火の精霊も見えない。
ノクティアが入口から装置の周囲を確かめ、オトフリートが供給を切った機構を見る。
「こちらは止まっています」
「ほかの砲台も、ここから止められない?」
ルクスンの問いに、魔術師は首を振った。
「確認できているのは、この一基の切り離しだけです。別系統へ手を出すなら、改めて調べる必要があります」
ルクスンは部屋を見回した。
調べれば、何かわかるかもしれない。
精霊を吸い寄せる仕組みも、どこかに残っているのだろう。
将軍を倒したから、すべてが止まるわけではなかった。
だが、今は本を持っている。
仲間も、歩ける。
ここで欲を出して、その両方を失うつもりはなかった。
「触らずに帰ろう。調べた所まで、ちゃんと記録して」
「はい。続きは、持ち帰った資料と照らし合わせられます」
オトフリートも、それ以上は装置へ近づかなかった。
*
城壁の小さな出入口まで戻る。
開けておくための楔は、残っていた。
ノクティアが外を覗き、しばらく動かずに待った。
ルクスンは彼女の後ろから、見える範囲の地面を確かめる。
風に流された砂。
古い石積み。
城壁の足元には、濃い影が落ちていた。
「近くにはいない」
ノクティアが告げた。
「でも、上はわからない」
「砲台に見える所まで出るまでは、壁沿い。その先は、入った時の窪地を使おう」
ルクスンは仲間へ伝えた。
オトフリートが荷紐を締め直す。
ゼフィーリアが扉の外へ目を向けた。
「最後に走ることになりそうですね」
「できれば歩いて帰りたい」
「砲台へ頼んでみます?」
「さすがに話し相手がいない」
ベラが小さく笑った。
「主よ。あそこにも受付があればよかったの」
「入構許可の申請前に撃たれる受付は嫌だ!」
今度は、自分から声を落とした。
*
外へ出る。
乾いた風が顔を撫でた。
地下では意識しなかった空の広さが、ひどく眩しかった。
ノクティアが先へ進み、曲がり角の手前で止まる。
ルクスンは後続を壁際へ寄せた。
ここから先で、砲台の射線に入る可能性がある。
入る時には走った。
帰りには、本がある。
運ぶ負担を減らせても、中身を揺さぶってよい理由にはならない。
「足元を優先して。転んで箱を潰したら、僕が泣く」
「ご自身の骨折より先に、そちらですか?」
オトフリートが尋ねた。
「骨も嫌だよ!」
ノクティアが手を上げた。
会話が止まる。
彼女が先に出た。
低い姿勢で、露出した場所を横切る。
窪地へ入って振り返り、合図する。
次にゼフィーリア。
その後を、オトフリート。
ルクスンは最後に壁を離れた。
頭上で、金属の擦れる音がした。
見上げたい衝動を抑える。
足元。
進む先。
窪地の縁。
そこだけを見る。
「来る!」
ノクティアの声がした。
ルクスンは最後の数歩を走り、斜面の陰へ飛び込んだ。
すぐ後ろで、熱が弾けた。
砂と小石が降ってくる。
頭を庇い、息を止める。
轟音が過ぎた後、ベラが叫んだ。
「見送りが派手すぎるのじゃ!」
「歓迎も同じだっただろ!」
ルクスンは顔を上げ、仲間を数えた。
一人。
二人。
三人。
自分と、腰の剣。
全員いる。
「怪我は?」
「ない」
ノクティアが答えた。
ゼフィーリアも首を振る。
オトフリートは荷を確認していた。
「こちらも大丈夫です。箱も収まっています」
「よし。まだ止まらない。尾根の向こうまで」
*
最初に要塞を眺めた丘を越え、さらに距離を取った。
城壁が見えなくなっても、ルクスンはすぐには座らなかった。
ノクティアと周囲を確かめる。
追ってくるものはいない。
風の音と、自分たちの足音だけだった。
ようやく荷を下ろす。
ルクスンは地面へ座り込み、長く息を吐いた。
「……帰ってきた」
「まだ町ではありませんよ」
ゼフィーリアが言った。
「わかってる。今日は、要塞の外まで帰れれば上出来」
オトフリートも座り、荷物へ手を置いた。
すぐに本を開こうとはしなかった。
それが、彼も疲れている証拠だった。
ノクティアが水袋を回す。
ルクスンは少しだけ飲み、次へ渡した。
喉が、ようやく自分のものに戻ったようだった。
*
その夜は、要塞から離れた場所で野営した。
見張りを決め、食べ物を分ける。
帰りの水と食料を確かめる作業も終えた。
そこで初めて、建造書の箱を取り出した。
オトフリートが包みを解き、角と蓋を見る。
図面を収めた側も、ずれていない。
「問題ありません。持ち帰れます」
その言葉を聞いて、ルクスンは仰向けになった。
空が見えた。
天井ではない。
壁から何かが出てくる心配を、完全にはしなくていい場所だった。
「やっと、塔の話が進むなあ」
「はい。ただ、まずは解読と整理です。建築の専門家にも相談しなければなりません」
「読んだら建つ、とは言ってくれないんだ」
「読んで建つなら、私は今すぐ読みます」
真顔の返答に、ルクスンは笑った。
笑っても、脇腹は痛まなかった。
それも、ありがたかった。
ベラを鞘ごと傍らへ置く。
彼女が言った。
「主よ。塔を造るなら、妾の部屋も要るぞ」
「剣掛けじゃ駄目?」
「駄目に決まっておろう!」
「冗談だよ。ちゃんと考える」
ノクティアが火の向こうで顔を上げた。
「鍵」
「部屋の鍵?」
「自分で開け閉めできるやつ」
ルクスンは少し黙ってから、頷いた。
「うん。それは要るね」
ゼフィーリアも、異論を挟まなかった。
箱の中には、塔を造るための知識がある。
どんな場所にするかは、まだ書かれていない。
それを決めるのは、自分たちだった。
ルクスンは星空を見上げたまま、もう一度笑った。
「じゃあ、まずは町へ帰ろう。寝台で寝たい」
「その前に、あなたの見張りがあります」
ゼフィーリアに言われ、ルクスンは起き上がった。
冒険は、まだ終わっていなかった。