ようこそ配信者ちゃんの教室へ(全年齢向け)   作:ロボっピ

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注意:この話には自傷描写が含まれます


6月 その1

カレンダーが6月に変わり、私と清隆は学校では「良き隣人」、プライベートでは「恋人」という、二重生活をスタートさせていた。

 

あの夜の"付き合おう"という清隆の言葉を反芻しては、自室のベッドで一人、顔を火照らせる日々。もちろん周りに公表する気はないけれど、この2人だけの秘め事という感覚が、私の心をたまらなく満たしていた。

 

そんな中で迎えた、6月1日の朝のホームルーム。

 

教卓に立った茶柱の口から告げられたのは、今月のポイントに関する業務連絡だった。

先月の中間テストの奮闘や授業態度の改善が認められ、今月は87ptのクラスポイントが支給される予定だという。

 

5月の絶望的なゼロに比べれば、確かな前進。

続けて「トラブルが起き、一年全体のポイントの支給が遅れている」とも告げられたが、教室内にはそれほど大きな混乱は起きなかった。

 

「なんだよ、お預けか」

「まぁ、遅れてるだけならそのうち振り込まれるでしょ」

 

と、生徒達もどこか楽観的に捉えている。手元に配信で稼いだ潤沢なポイントがある私や清隆はもちろん、クラスの面々も「貰えることが確定している」からこそ、心に余裕があるようだった。

 

 

 

──けれど、本当の地獄は、その翌日に待っていた。

 

再び朝のホームルームで教壇に立った茶柱の口から、決定的な報告が落とされる。

 

「須藤が、Cクラスの生徒達と暴力沙汰の揉め事を起こした」

 

その一言が放たれた瞬間、教室の空気は一変し、悲鳴に似た凄まじい不満の声が一気に噴出した。

 

なぜなら、昨日に告げられた「ポイントの支給遅延」というトラブルの本当の原因こそが、この『須藤達の喧嘩騒動』だったからだ。

学校側は事件の審議のために全クラスのポイント支給を保留しており、この事件がどう決着するかによって、クラスポイントからどれだけのペナルティが引かれるかが決まるという。

 

せっかく手に入れたポイントが帳消しになり、また悪夢の『ゼロ』に逆戻りする可能性だって十分にあり得る。

教室内を覆う、須藤への怒りと強い不満の嵐。現金な奴らだとは思うけれど、今回ばかりは彼らの募る不満や焦る気持ちも、私には分からなくはなかった。

 

(まぁ、今回の事件は昨日のうちから清隆や堀北さん達が裏でバタバタ動いてるみたいだし……前回みたいに私が出しゃばる必要はないか)

 

私は静かに次の授業の教科書を取り出しながら、いつも通りの傍観者を決め込むことにした。他人の泥沼に首を突っ込む趣味はない。

私には、私のやるべきことがあるのだから。

 

 

 

──そう、決めていたはずだったのに。

 

翌朝、登校時間になり、寮のエレベーターに乗り込むと、そこには先客がいた。

 

「あ、結城さん。おはよう」

 

1年Dクラスの誰もが認める優等生、櫛田桔梗だった。

いつも通り、誰に対しても分け隔てのない、聖女のような向日葵の笑顔。

 

クラスの人間とあまり馴染もうとしない私にも、彼女は時々、声を掛けてくる

 

「櫛田さん、おはよう」

 

私もいつものように、外面用の当たり障りのない笑みを張り付けて隣に並んだ。エレベーターが静かに下降を始めると、櫛田がパッと顔を輝かせてこちらに振り向いた。

 

「そういえば結城さん、この間は私達に助言してくれてありがとね!お陰で無事に須藤くんは赤点を取らずに済んだよ」

「……別に。退学者が出たら、私達にどんなリスクがあるのか分からなかったから協力しただけだから」

 

お人好しな言葉に、私はいつも通りそっけなく返す。クラスの調和を何より重んじる彼女の態度にこれといった悪意は感じないが、だからといって私が彼女を信用する理由にはならない。

 

私の冷徹な態度を気にする風もなく、櫛田は感心したように両手を合わせた。

 

「それでもだよ!平均点を下げるなんて発想、私にはなかったから、すごく助かったの」

「そう……」

 

他愛のない会話。しかし、満足したように頷いた櫛田は、そこで思い出したように私に視線を向けた。

 

「ねえ、結城さんって、もしかして堀北さんと仲が良いの?」

「……どうして?」

「ほら、ペア決めの時によく堀北さんと組んでるのを見かけるから、もしかしてプライベートでも仲良しなのかなって」

「別にそういうのじゃないよ。お互いに仲のいい友達がいないから、ただの余りもの同士で組んでるだけ」

 

そう答えると、櫛田は「そうなんだ」と納得したように頷いた。

そういえば以前、櫛田は堀北と仲良くなるために清隆に協力を頼んだことがあるらしい。堀北とよくペアを組む私に、彼女について話を聞きたかったんだろうか?

 

そんな風に彼女の意図を推測していると、櫛田はさらに距離を詰めるように、小首を傾げて尋ねてきた。

 

「じゃあさ……綾小路くんとは、どういう関係なの? 結城さん、よく綾小路くんと話してるの見かけるし、もしかして付き合ってるとか?」

 

悪びれもしない、純粋な好奇心に満ちた目。

前月の中間テストの勉強会の時から、堀北や櫛田が清隆と一緒にいる時間をよく見かける。彼女に他意がないのは分かっているけれど、私の大切な恋人にこれ以上他の女が距離を詰めてくるのは、正直、面白くなかった。

 

(……念のため、ここで釘を刺しておくか)

 

私は悪戯っぽく微笑み、人差し指を唇に当てて声を潜めた。

 

「うん……私達、実は付き合ってるの」

「え……っ!?」

 

予想外の告白に驚いたのか、櫛田はぽっと頬を赤く染めた。そんな彼女の反応を少し可笑しく思いながら、私は「誰にも内緒だよ?」と、悪戯っぽく釘を刺すように口止めを入れる。

 

すると、櫛田は目を丸くしたまま、食い気味に身を乗り出してきた。

 

「え、いつから!? いつから付き合ってるの!? 結城さん、普段は池くん達……その、男子のことがちょっと苦手そうに見えたから、正直すごく意外だなあってっ!」

「付き合ったのはつい、最近だよ」

 

慌てる彼女に小さく笑みを返しつつ、私は平然とした態度のまま、静かに言葉を重ねる。

 

「清隆は、今まで私に近づいてきた男達とは私に向ける視線が全然違うの。変な下心が一切なくて、いつも真っ直ぐ私自身を見てくれる。だから、彼だけは信じてもいいかなって思ったの」

 

私がそう告げると、完璧だった櫛田の笑顔が、一瞬だけピキリと固まった。

何か言い淀むような、戸惑ったような様子で、一瞬だけ視線を彷徨わせている。

 

「……櫛田さん? どうしたの?」

 

私が不思議に思って声をかけると、彼女はハッとしたようにいつもの表情を取り繕った。

そして、今度はどこか本当に申し訳なさそうな、痛々しいものを見るような顔をこちらに向けてくる。

 

「う、うん……。あのね、結城さんを傷つけたくないし、言っていいのかすごく迷ったんだけど……。綾小路くん、その、他の男の子と同じように……プールの時とか、普通に私の胸に視線を向けてきたんだよね……」

 

「──へぇ」

 

その瞬間、私の頭の中で、ブチっと何かが切れる音がした。

 

「あ、でもでも!男の子だし、ほんの一瞬の気の迷いっていうか、あんまり気にしないほうが──」

「……そうなんだ。教えてくれてありがとう」

 

櫛田が焦ったように何か言っている気がするが、今の私にはただのノイズにしか聞こえず、何も耳に入ってこない。

すると、タイミングよくエレベーターが1階に到着し、チーンとドアが開いた。

 

私は、剥がれ落ちそうになる仮面をどうにか張り付かせたまま、彼女を残して先にエレベーターを降りた。

 

エントランスへ踏み出した私の足取りは、無意識のうちに速度を増していた。後ろから櫛田が何か声をかけてきた気がしたが、振り返る余裕なんて一ミリもない。

 

 

──そこからの記憶は、驚くほど綺麗に抜け落ちている。

 

学校へ行き、授業を受け、すぐ隣の席にいる清隆の姿を目にしていたはずなのに。須藤の件でクラスの奴らがどう騒いでいたのかも、何一つ頭に入ってこなかった。

 

(彼の視線が、他の女子の……櫛田さんの身体に向けられていた?)

 

その疑惑だけが脳内で無限にリフレインし、心臓をギチギチと締め付け続ける。

気づいた時には、私は自分の部屋のリビングに突っ立っていた。

 

どうやって放課後を迎え、どうやって寮へ帰って来たのかすらわからない。それほどまでに私の心は、あの一言で完膚なきまでに破壊されていた。

 

(清隆……、そう、清隆と話さなくちゃ……)

 

ドス黒い衝動を宿したまま、手に持っていた”それ”をもう片方の手に持ち替え、ポケットからスマホを取り出す。

画面をタップする指先は、恐ろしいほど冷え切っていた。

 

『突然ごめん。今日、話したいことがあるから部屋に来てくれない?大事な話なの。鍵は開いてるから自由に入って』

 

そうメッセージを送ると、用済みになったスマホをベッドの上へと放り投げる。

 

それからどのくらい待っただろう。

 

数分かもしれないし、何十分、あるいは1時間だったかもしれない。

時間の感覚すら麻痺してしまった薄暗い部屋の中で、私はただ微動だにせず、入口のドアだけを凝視していた。

 

 

 

そして遂に、ガチャリと玄関が開く音がした。

 

事前のメッセージ通り、ノックもインターホンもなく、鍵の開いたドアが静かに押し開けられる。

廊下を渡ってリビングへと近づいてくる足音。

 

「邪魔するぞ、ルヰ」

 

開かれたドアの向こうから現れたのは、いつもと何一つ変わらない、感情の起伏が綺麗に削ぎ落とされた表情の清隆だった。

彼は薄暗い室内に一歩足を踏み入れると、すぐに私を見つけ、静かに声をかけてくる。

 

「どうした、電気もつけないで」

 

私は何も答えず、暗闇の中に佇んだまま、制服の陰からゆっくりと右手にもつ"それ"を突き出した。

 

──チキ、チキ、チキ。

 

静寂を引き裂くように、カッターの刃が押し出される音が響く。

冷たく光る鋭利な刃を、私は真っ直ぐに清隆の胸元へと向けた。

 

「──ねぇ、清隆のこと……刺していい?」

 

狂気を孕んだ私の問いかけにも、彼の瞳は底の知れない静けさを保ったままだった。

 

「何のつもりだ。その物騒なものをしまえ」

 

淡々と言いながら、清隆は肩にかけていた鞄を床にドサリと落とした。

 

カッターを握る手からポタリと何かが滴り落ち、暗い足元に、濃い赤が小さな染みを作っていく。

 

「ルヰ……自分を傷つけるのはやめろと言っただろ」

 

床の血痕と、袖口から覗く赤く切れた手首を見て、清隆が微かに眉を顰める。

 

その言葉に、私はようやく思い出した。

じわりとした痛覚が遅れて脳に届き、視界にモヤがかかっていた頭が急速に冷えていく。

 

(そうだ……私は部屋に帰ってきた時に、また……)

 

昔から、心が壊れそうになった時、自分の生を実感したい時にだけやってしまう、私の一番醜い自傷行為。

それをまた、やってしまっていたのだ。

 

「……っ、不安にさせる清隆が悪いんだよっ!」

 

私の声が、薄暗いリビングに悲痛に響く。

涙で視界がじわじわと歪んでいく中、私は彼をキッと睨みつけた。

 

「俺が、お前を不安にさせたのか」

 

清隆の声は、どこまでも平坦で、冷たい。

その変わらない温度が、私の焦燥感をさらに激しく掻き立てる。

 

「そうだよ……っ! 今朝、エレベーターで櫛田さんに会ったの。堀北さんや清隆との関係を聞かれたから、私達が付き合ってるって、内緒で教えた」

 

溢れそうになる涙を必死に堪えながら、私はカッターを握りしめたまま、朝の出来事を清隆にぶちまけた。

 

「そしたら、櫛田さんが言ったの……。プールの時とか、話してる時、清隆によく胸を見られてるって。他の男子と同じように視線を向けられたって……っ!」

 

私の告白を、清隆は遮ることなく静かに聞いていた。しかし、その表情はいつものように平坦で、何を考えているのか読めない。

 

「……確かに、櫛田の胸に視線を向けたことはある。それは認める」

「──っ、なんで……っ!?」

 

あまりにもあっさりと認められ、私の頭の中で何かが激しく弾けた。怒りと悲しみが一気に限界を超えて、叫び声となって溢れ出す。

 

「どうして櫛田さんにはそんな目を向けるの!? 私達が出会ってから今の関係になるまでの間、清隆は私にそんな視線、一度も向けたことなかったじゃん!! なのに、なんであの女には向けるの……っ!」

 

他の男みたいな下心がなく、いつも無機質で無感情な清隆だからこそ、私は安心して話しかけ、仲良くなれたのに。私には一度も向けなかった男の視線を、裏で他の女に向けていたなんて耐えられない。

 

しかし、清隆はそれに動じることなく私を諭すように言った。

 

「ルヰ。お前をそういう目で見なかったからこそ、今の関係になったんだろ」

「そ、それは……っ」

 

あまりにも冷徹な正論。ぐうの音も出ないその言葉に、私は思わず息を呑んでたじろいでしまった。

 

その瞬間、私に致命的な隙ができた。

 

清隆が視界から消えたと思うほどの速さで距離を詰め、私の右手首を容赦なく掴み取った。抵抗する間もなく、身体ごと壁へと強引に押し付けられる。カツン、とカッターが手からこぼれ落ちて床を転がった。一瞬で完全に無力化され、逃げ場を失う。

 

「それに……」

 

清隆が低く言いかけながら、もう片方の手を私の制服の上から滑り込ませ、容赦なくその胸を揉みしだいた。

 

「ひゃぅっ!? ……ん、あ、清、隆……っ」

 

突然の強烈な刺激に、ひときわ高くて甘い悲鳴が漏れてしまう。

いつもなら清隆の前で機嫌が良い時にしか出ない、あの裏返ったような可愛らしい声が、強引に引きずり出されてしまった。

 

「そこまで気にするほどお前の胸は小さくないだろ。俺からしたらルヰのこのサイズが揉みやすくて、ちょうどいい」

 

耳元で囁かれる彼の熱い吐息と、胸を大きな手のひらで包み込まれる快感。

 

「本当……?」

 

清隆の手のひらから伝わる確かな愛着に、不安で狂いそうだった私の心はすっと満たされていった。カッターを振り回していたパニックが嘘のように消え去り、急激に頭が冷えて正気に戻っていく。

 

「ああ。不安にさせて悪かったな」

 

清隆は短く頷いた。その優しい言葉に、張り詰めていた緊張が一気に解けていく。

大好きな彼を前に、刃物まで持ち出して大騒ぎするなんて我ながら本当に馬鹿みたいだ。そうやってすっかり安心し、気が緩んだその時だった。

彼の瞳の奥に、じわじわと冷徹な怒りが灯る。

 

「──だが、お前が俺に逆らったことについては話が別だ。……どうやら少し、躾が足りなかったらしい。二度と俺の言葉を無視しようなんて考えすら浮かばないようにしてやる」

 

いつもより一段と低く、有無を言わせぬ愉悦を孕んだ彼の声。

その不穏なトーンに、完全に正気に戻った私は、ようやく事の重大さに気がついた。清隆が、私が自分を傷つけ、さらに刃物を向けたことに本気で怒っている。一気に血の気が引き、今度は恐怖で心臓が跳ね上がった。

 

「ご、ごめんなさい……っ! 私、本当に酷いことしちゃって……っ、ごめんなさい、ごめんなさいぃ……っ!」

 

慌てて謝罪の言葉を口にするけれど、すべては手遅れだった。

 

「謝っても許さない。……覚悟しろ」

 

冷徹な眼差しのまま、私を見下ろす清隆に必死に許しを請い、涙ながらに謝るが、彼は一切の聞く耳を持たなかった。

 

 

 

 

 

──そこから先は、言葉通り徹底的な*"躾"の時間だった。

 

泣き叫ぶ私の懇願も、かすれた謝罪も、すべて容赦のない熱量と絶対的な支配のなかに沈められていく。

どれほど泣いても、どれほど縋り付いても、清隆の手が止まることは決してなかった。

ただ彼の気の済むまで、身も心も徹底的に分からせられ続ける──狂おしいほどに長い夜。

心身ともに擦り切れ、涙も声も枯れ果て、意識が遠のきそうになる頃──ようやく、部屋の遮光カーテンの隙間から、薄白い朝の光が差し込み始めていた。

 

泣き叫ぶ私の懇願も、かすれた謝罪も、すべては容赦のない熱量と絶対的な支配のなかに沈められていく。

どれほど泣いても、どれほど縋り付いても、清隆の手が止まることは決してなかった。

ただ彼の気の済むまで、身も心も徹底的に分からせられ続ける──狂おしいほどに長い夜。

 

心身ともに擦り切れ、涙も声も枯れ果て、意識が遠のきそうになる頃──ようやく、部屋の遮光カーテンの隙間から、薄白い朝の光が差し込み始めていた。

 

 

 

 

気がつけば、あれほど激しかった蹂躙は終わっていた。

 

浴室から聞こえていたシャワーの水音が止まり、泊まり用の服に着替えた清隆が戻ってきた。

 

その手には、昨夜の激しさを物語るようにひどくシワの寄った制服が握られている。

流石にシワになった制服のまま学校へ行くわけにはいかないのだろう。一度自分の部屋に戻り、スペアの制服に着替えるための準備を淡々と整えている。

 

彼は床に転がったスマホを一瞥すると、ベッドの上でピクリとも動けない私を見下ろした。

 

「その様子じゃ、学校には行けないだろう。時間になったら、学校に欠席の連絡を入れろ」

 

淡々とした、相変わらず冷静な声。

清隆は床に散らばった衣服を拾い上げると、私の制服のブラウスを指差した。

 

「汚れた制服はお互いに替えがあるからいいが、問題はシャツだな。俺のは洗えば済むが、お前のは腕の部分に血がついている。それは処分しておけ、いいな?」

 

腕を切ったときに汚れてしまったブラウス。彼はそれを、処分しろと言った。

早く返事をしなければ──その一心だけで、限界を迎えた身体から力を振り絞り、枯れ果てた喉から、どうにか声を紡ぎ出した。

 

「……っ、は、い……」

 

私の短い返事を聞き届けると、清隆はそれ以上何も言わず、静かに私の部屋を出て行った。

 

 

 

彼が去った直後、私は糸が切れたように意識を失い、再び目を覚ましたのは、午前7時を過ぎた頃だった。

 

起き上がると、身体の奥に残る熱い余韻が、昨夜の出来事が現実だったことを生々しく教えてくれる。その不快感さえ今の私には愛おしかったが、まずは彼に言われた通りにしなければならない。

 

私は重い身体を起こし、スマホを手に取って学校へ連絡を入れた。

ただ欠席するだけでは、クラスポイントが引かれて清隆の足を引っ張ってしまう。それだけは絶対に避けたかった。

 

「──私の自己管理不足ですので、欠席のペナルティとして引かれるクラスポイントは、すべて私のプライベートポイントから差し引いて対応していただけないでしょうか」

 

学校側とのそんな交渉を終えると、張り詰めていた糸が切れ、私は再びベッドへ倒れ込み意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼頃になり、ようやく本格的に意識を取り戻す。

 

私は這うようにしてベッドから抜け出すと、清隆に言われたブラウスの処分をはじめ、昨夜の痕跡をすべて消し去るための片付けを始めた。

 

部屋の窓を大きく開けて重苦しい空気を換気し、ベッドから汚れのついたシーツを剥ぎ取って洗濯機を回す。

 

クローゼットから取り出した消臭スプレーを、ブレザーやスカートに念入りに吹きかける。それから、問題の――血で汚れてしまったブラウスを手に取った。

捨てる時に外から見えないよう、そのまま黒いビニール袋に入れてゴミ箱に収める。これは明日出そう。

 

それから、自身の身体をシャワーで洗い流す。

鏡に映る自分の身体は、生々しい指の痕や、腕の傷など、清隆に壊され尽くした名残で溢れていた。

普通なら、恐怖や恨みを感じるのかもしれない。

けれど、私の心にあるのは純粋な歓喜だけだった。

 

(……嬉しい)

 

あれは完全に、感情をコントロールできずに刃物まで持ち出した私が悪かったのだ。

いつも感情が見えなくて、掴みどころのないあの清隆が、昨夜は確実に私に対して強い感情を剥き出しにしていた。

初めて向けられた、彼の本気の熱量。

 

身体中を清隆の色に染め上げられている事実に、胸の奥がじわじわと甘い熱で満たされていく。

 

ますます、彼なしでは生きられない身体になっていくのが分かった。

 

 

シャワーを終え、腕の傷に丁寧に手当てを施し、部屋の掃除を終わらせる。

昨夜の凄惨な状況など、まるで何事もなかったかのように綺麗な空間が戻っていた。

 

 

 

 

そして放課後の時間になり──カチャリ、と玄関の鍵が開く音が響いた。

入ってきたのは、もちろん清隆だ。

 

「おかえり、清隆! 早かったね!」

 

いつも通りの弾んだ声でパタパタと出迎えると、彼はわずかに意外そうに目を瞬かせた。

 

昨夜あれほど無慈悲に蹂躙し、身も心もボロボロに壊し尽くしたはずの私が、怯えるでも落ち込むでもなく、すっかり立ち直って普段と変わらない笑顔を浮かべている。

その様子が、さすがの彼にとっても予想外だったのだろう。

 

「……ああ、ただいま。身体はもういいのか」

「ううん、全然! 腰どころか身体のあちこちが痛くて最悪だよ〜」

 

私は悪びれもせず、むしろ嬉しそうに満面の笑みを浮かべてみせた。

嘘偽りなく肉体は悲鳴を上げているけれど、私の心はそれ以上の幸福感で満たされている。そんな私の様子に、清隆は小さく吐息を漏らした。

 

「……そうか。それなら大人しくベッドで寝ていればいいものを」

「だって、清隆にちゃんとお出迎えしたかったんだもん。外、暑かったでしょ? 今冷たいの淹れるね。アイスコーヒーとアイスティー、どっちがいい?」

「……じゃあ、アイスコーヒー」

「はーい♡」

 

弾んだ声で返事をしながらキッチンへ向かい、彼のアイスコーヒーと、自分のアイスティーを用意する。ガラスコップがカランと涼しげな音を立てた。

 

リビングに戻り、いつもの定位置に腰を下ろした清隆にアイスコーヒーを差し出す。

彼はそれを受け取り、ひと口喉を潤した。私も自分のアイスティーに口を付け、冷たい液体が喉を通る感覚で、熱を持った身体を少しだけ落ち着かせる。

他愛のない会話はそこそこにして、私はグラスをテーブルに置いた。

 

膝の上で両手をきゅっと握り締め、少し俯きながら、真剣なトーンで言葉を切り出す。

 

「ねぇ、清隆。あのね……昨日の私を見てわかったと思うけど、私って凄く面倒な女なの。些細なことでも、すぐに嫉妬して、暴走しちゃう」

 

心臓が嫌な音を立てて脈打つ。

配信者とプロデューサーというビジネスな関係から始まり、身体を重ねるセフレになり、周囲にバレた時の言い訳として「付き合う」という形を作ってもらった。

全部、私が清隆を繋ぎ止めたくて始まった、歪な関係だ。私のこの狂気じみた独占欲が彼の負担になり、いつか完全に嫌われて捨てられるくらいなら──彼の望む形で、綺麗に身を引きたいと思った。

 

「清隆が付き合おうって、形だけの関係でもそう言ってくれて、凄く嬉しかった。……でも、もし清隆が望むなら、私は……」

 

『別れてもいいよ』

 

その最悪な結末を言葉にしようとした瞬間、カツン、と清隆がグラスを置く音が静かに響いた。

 

「……悪かった。昨夜は流石にやり過ぎた」

 

彼の手が私の頭に優しく触れ、引き留めるように髪をそっと撫でる。

いつもと変わらない、どこか淡々とした謝罪。それでも、そこに拒絶の意がないことに胸が温かくなる。

 

「お前が面倒な女だということくらい、最初から分かっている。周囲への理由づけとして恋人の形を取ったのは事実だが、だからといって俺から関係を終わらせるつもりはない。別れるつもりなら、最初からそんな手間をかけてまでお前を繋ぎ止めはしないさ」

「清隆……」

 

安堵で胸がいっぱいになる私を見つめながら、清隆は少し視線を落とし、真面目なトーンで言葉を続けた。

 

「……ただ、お前に恐怖を植え付け、もしトラウマにでもさせてしまっていたらと懸念していたんだが──」

 

彼の真面目な心配の言葉を、私はガタッと身を乗り出して遮った。

 

「いや、それはない!」

「……え?」

 

普段の彼からは滅多に聞けない間の抜けた声が漏れる。私はブンブンと激しく首を横に振り、満面の笑みで断言した。

 

「むしろ思い出すだけで興奮する! 正直、ご褒美だって思ってる!」

「……ご褒美だと思ってるのか」

 

さすがの清隆も、今度ばかりは呆れを通り越して、やや引き気味の視線を私に送ってきた。

 

私の内面を見通すことなど彼にとって容易いことのはずだが、この激しい情緒の起伏と極端な歪みだけは、さすがの彼でも少々予測のラインがブレるらしい。

 

「お前が情緒不安定なのは知っていたが……その領域にまで達していると、さすがに少々読みづらいな」

 

彼はやれやれといった風に小さく息を吐いたけれど、その瞳にはいつもの、私を受け入れてくれている穏やかな光が戻っていた。

 

「ふふ、驚かせちゃってごめんね。でも、私が全部悪かったの。勝手にパニックになって、酷いことして……。もう二度と、清隆を困らせるようなことはしないって約束する。だから……これからも、私をちゃんと見ていてね?」

「ああ。お前が約束を守る限り、俺はどこにも行かない」

 

「よかった」と今度こそ心からの笑顔を咲かせ、私は彼の肩に頭を預ける。

昨夜の激しい痛みも、狂うような快楽も、別れを覚悟した切なさも、すべては二人だけの特別な秘密。

 

私達は溶け合うようにいつもの距離感へと戻り、愛おしい普段通りの日常を、また静かに紡ぎ始めた。

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