業火の試練を乗り越え、光に包まれて戻ってきたテューレたちは、再び地下2階の広間に立ち尽くしていた。しかし、安堵のため息を漏らす間もなく、一行は新たな異変に気づく。広間の床に刻まれた魔法陣のうち、1つが今度は鮮やかな緑色に輝き始めているものがあった。
「今度は緑……何かしら? 一体何が待ち受けているっていうのよぅ」
テューレが愛用のタワーシールドを傍らに引き寄せながら、いぶかしげに首を傾げた。
茶色の土、赤の炎と続いての緑色である。ミーアは顎に手を当て、少し自信なさげな声を漏らす。
「普通に考えれば緑色が示すものは、森の精霊ドライアードだけど……四大精霊の法則からすれば、残るはシルフとウンディーネのはずだから……緑ならシルフ……かな?」
「シルフ……風の精霊ですか」とドルドムントが首を傾げた。「しかしミーア殿、なぜ緑が風なのですかな? 風といえば無色透明、あるいは白や青を想起いたしますが」
その疑問に答えたのはレオンだった。彼は長剣の柄に手を置いたまま、静かだが、確信を込めた声で独自の推測を述べる。
「もしも、この迷宮を設計したDMが、緑を風属性の色と考える感性の持ち主ならあり得るかもしれん」
「おやおや、レオン殿。その『DM』というのは、一体何のことですかな?」
ドルドムントが不思議そうに触角をぴょこぴょこと動かす。レオンは、ああ、と短く息を吐いて説明を続けた。
「ダンジョン・マスター――すなわち、この迷宮を作った主のことだ。迷宮攻略においては、その迷宮の作成者の思考を読むのも重要になる……」
そこまで熱っぽく語りかけて、レオンは不意に言葉を詰まらせた。
隣で腕を組んでいたミーアが、「やっぱあんたワケありすぎて怪しすぎ」という感じの、すべてを見透かすような鋭い視線を彼に投げかけていたからだ。
レオンは気まずそうに一つ咳払いをすると、視線をそらして早口に付け加えた。
「……という、学識者の意見を聞いたことがある。まあ、敵の思考を読むというのは、どんな場面でも戦いの基本ということだ」
「ふうん……。まあ、そういうことにしておいてあげるわ」
ミーアはニヤニヤと楽しげな笑みを浮かべ、それ以上は追及しなかった。
ラトーナが「じゃあ本当にシルフかもしれないね」と納得したように呟くと、フィランヌが静かに頷いて後に続いた。
「どちらだろうが、ここで考えていても始まらないわね、行きましょう」
一行は緑のテレポーターに飛び込んで、様子を見ることにした。
浮遊感が去った先は、これまでとは毛色の違う、奇妙な静謐さに満ちた部屋だった。
部屋の中央に鎮座しているのは、美しくもどこか妖艶な、エルフの裸体像のような彫像だった。精度高く形作られたその彫刻の周囲には、8つの風車が床に設置され、今は風もないのに静かにたたずんでいる。
「風車……。やはり、シルフかしらね」
フィランヌが細身の剣の柄に手をかけ、真剣な面持ちで呟いた。テューレたちはミーアに対抗策を尋ねる。
「ねえミーアちゃん、今度もバッチリな精霊魔法の作戦はあるの? あたしの恐怖メーターがまた上がっちゃう前に教えてちょうだい!」
しかし、ミーアは珍しく口ごもり、困ったように視線を落とした。
「……サラマンダーやウンディーネほどはっきりとした弱点がある相手ではないのよ」
手詰まりの空気が流れる中、ミーアは視線をレオンへと転じ、逆に質問を投げかけた。
「迷宮探索に詳しいレオンなら何か知ってるんじゃないの?」
レオンは小さく首を振る。
「いや、俺も迷宮でシルフに遭遇したという話は全く聞いたことがないからわからないな」
「全く遭遇したことがないのは当然でしょうね」
ミーアが腑に落ちたというように、人差し指を立てて説明を始めた。
「だって室内では風の精霊力がないんですもの。風の精霊力がないところでは、シルフは存在できないのよ」
その一言を聞いた瞬間、レオンの瞳の奥でギラリと鋭い光が放たれた。彼は表情を険しく引き締め、「どういうことだ?」と尋ねかえす。
「え? だから、自然の風が吹かないところに風の精霊力はないわ。現にここまでも風の精霊力は感じなかったけれど、なぜかこの部屋には風の精霊力が満ちているのよ」
ミーアの解説を聞いたレオンの脳裏に、電撃のような閃きが走った。それで何かひらめいたレオンは、問いかける。
「精霊力は特にどこが強力だ?」
ミーアが「あそこ、それからあっちの壁のあたり……」と部屋の特定のポイントをいくつか指し示した。
レオンはドルドムントの方を振り返り、ミーアが示したポイントの壁を調べてくれと頼む。
「おやおや、お任せあれ。壁の調査こそスカウトの真骨頂ですな」
ドルドムントは気障にシルクハットを直すと、ミーアが指示した壁際へと素早く移動した。ドルドムントが指示された最初の壁を調べると、確かに巧妙に隠された通風孔があった。
「なるほど、レオン殿の読み通り。風穴が隠されておりますな。……ふむ、となればミーア殿が指し示した他の場所も同じですな! 全部で四か所、部屋の四隅に巧妙に隠された通風孔がありますぞ!」
ドルドムントの報告に、部屋の緊張が一気に高まる。
「やはりな……!」
レオンは拳を握りしめ、一気に今回の作戦を皆に打ち明けた。
「今回の戦いは、俺一人が彫像に近づき、8つの風車から一斉にシルフが現れた瞬間に、残りの全員で手分けして四つの通風孔をふさぐという作戦をとる。俺が何としてでも、奴らの攻撃を持ちこたえてみせる。その隙に、急いでそこを塞いでくれ」
そのあまりにも危険な提案に、話を聞いたフィランヌがその美貌を曇らせ、毅然とした、しかし心配そうな声音で意見を述べた。
「それほど危険な真似をしなくても……あらかじめ通風孔を塞いだ状態で彫像に近づけば、風の精霊は実体化できず、そのままここを突破できるのではないかしら?」
しかし、レオンは厳しい表情のまま首を振った。
「それではダンジョン・マスターがクリアとみなさず、我々は永遠にこの部屋から出られない羽目になるかもしれない。奴は、ここで我々に試練を課そうとしている。ならば、その土俵に一度は乗るしかない」
レオンは熱っぽく皆に訴えかけるように、かつてないほど真剣な眼差しで見つめた。
「さっきも言ったろ? DMが想定しているものを想像することこそ迷宮攻略には重要なのさ」
命がけの囮役を自ら買って出るレオンの決意に心打たれた一同は、それ以上引き止めず、レオンの作戦に従うことにした。
「わかったわ、レオン。あんたの作戦を信じるわ。みんな、手際よくやるわよ!」
ミーアが真剣な表情で頷き、テューレもまたオネエ言葉を忘れてゴクリと息を呑んだ。
一同がそれぞれの配置についたのを確認し、レオンは静かに息を整えると、導きの短剣を握りしめて中央の彫像へと歩みを進めた。
レオンの足が、彫像の置かれた不自然な境界線を踏み越えた――その瞬間だった。
ゴゴゴ……と不気味な地鳴りのような音が響き、ドルドムントが指摘した部屋の四隅の通風孔が一斉に、音を立てて開放された。
次の瞬間、遮断されていた外気が凄まじい圧力となって部屋の中へと流れ込み、咆哮を上げるような猛風となって吹き荒れる。強烈な突風がレオンたちの髪や衣服を激しくなびかせ、部屋の床に設置されていた8つの風車が、カタカタと狂ったような速度で回転を始めた。
集められた風の精霊力は、その激しく回る風車の中心から目に見える緑の渦となって立ち上る。それらは瞬く間に人の輪郭を形作り――鋭い牙のような風の刃をまとったシルフが、ついに8体、完全に実体化した。
精霊たちは一斉にレオンへと襲いかかり、一斉に死の抱擁をレオンへ行う。シルフにまとわりつかれることは、その風から生じたかまいたちで切り裂かれることを意味するのだが、レオンはその場に踏みとどまって耐え続けた。
「今よ! やりなさい!」
ミーアの鋭い号令が響く。全員が一斉に動いた。
第一の通風孔へ飛び込んだドルドムントは、その口から放った強力な蟻酸で瞬時に岩肌を溶着させ、空気の流れを遮断する。
「ふぅ、これでもう通風孔はアリませんぞ!」
切迫した状況にもかかわらず、本人は至って大真面目にシルクハットの庇に指をかけ、したり顔で呟いた。
一方、第二の通風孔へと滑り込んだミーアは、ドルドムントのダジャレを無視して、その手を高く掲げていた。さきほどの試練で肌に刻み込んだ、地深くに眠る頑強なる意思――その残響を、彼女は天才的な感性で今この瞬間に引き出す。
「――大地の底に眠る不抜の意志よ、古き盟約に従い我が呼び声に応えよ。軽薄なる風の誘いに惑わされず、ただ厳然たる壁となりて道を閉ざせ! 穿ち、崩れ、すべてを埋め尽くす轟音の崩落となれ……!」
ミーアの鋭い詠唱とともに、彼女の掲げた手から凄まじい勢いの土砂と巨岩が弾丸のように放たれ、吹き荒れる風を強引に圧し潰しながら、通風孔を完全に埋め尽くした。
指示通り動いたテューレは第三の通風孔へ走った。
「レオンを死なせやしないわよぅ!」と叫びながら、愛用の巨大なタワーシールドを文字通り壁に叩きつけ、自らの全体重をかけて力任せに穴を塞ぎ込む。
残る第四の通風孔に立ち向かったのは、フィランヌとラトーナの二人だった。
フィランヌは素早く精神を集中させると、聖印を掲げてラーダへの祈りを紡ぎ始める。
「知識の神ラーダよ、万物の理を見通す瞳を我が眼孔に与えたまえ……『ウィークポイント』!」
呪文の完成とともに、彼女の澄んだ瞳に、通風孔の周囲で最も構造的に脆く、的確に崩落させられるポイントが青く浮かび上がった。
「ラトーナ、あそこよ!」
叫ぶと同時に、フィランヌは腰から抜いた予備のダガーをその弱点へと正確に投擲する。カツン、とダガーが突き刺さったその瞬間には、背後に控えていたラトーナが、すでに長く連なる古代語の呪文を厳かに紡ぎ、終盤へと差し掛かっていた。
「――虚空に満ちる大気の電荷よ、我が呼び声に応え、鋭き光の槍となって集え。すべてを貫き、岩壁を穿つ迅雷の息吹となれ……『ライトニング』!」
ラトーナが掲げた杖の先から放たれた凄まじい雷撃が、ダガーの突き刺さった弱点へとピンポイントで直撃する。接点の砕け散る衝撃によって通風孔の周囲の岩壁がガラガラと崩落する音を立て、完璧に穴を塞ぎきった。
四箇所の通風孔が完全に塞がれた瞬間、部屋を満たしていた風の精霊力は急速に霧散していった。シルフはあえなく消え去ったが、全員が塞ぎ終えるまでの間、一人で猛攻を耐え抜き続けたレオンは、全身を切り刻まれ、血まみれの状態でその場に倒れていた。
「レオンっ!? 嘘でしょ、血が止まらないじゃないのよぅ!」
テューレが盾を放り出して涙目で悲鳴を上げ、フィランヌが顔を真っ青にして「治癒魔法を……」と駆け寄る。しかし、ミーアがそれを制止して、自らレオンの傍らへと膝を突いた。
その瞳は、かつてないほど激しく揺れ動いている。ミーアは血に染まったレオンの胸元に両手をそっとあてがい、震える声を絞り出すようにして、世界の理のどこにも記されていない、けれど確かにそこに在る『名もなき生命の精霊』へと祈りを捧げ始めた。
「――世界に満ちる、誰も名を呼ばぬ優しき息吹よ。母なる大地にも、燃え盛る火炎にも、吹き抜ける嵐にも、果てなき大海にも属さぬ、ただ
ミーアの小さな手のひらから、淡く、どこか懐かしい木漏れ日のような黄金色の光が溢れ出し、レオンの体を包み込んでいく。
「私は願う、この理不尽な試練に抗い、自らを盾とした愚か者の命を。まだ消え去るべきではない、この灯火を繋ぎ止めて! 傷ついた肉体を、引き裂かれた血脈を、今一度健やかなる形へと呼び戻し、その魂に再び力強い鼓動を刻みたまえ……! 届いて……っ!」
ミーアが叫ぶように祈りを捧げて両手に力を込めた瞬間、部屋全体を包み込むほどの温かい光の粒子が爆発的に弾けた。光がレオンの無数の裂傷を優しく包み込んでいくと、激しい出血がまたたく間に止まり、深い傷口がみるみるうちに塞がっていく。
その奇跡的な光景をすぐ後ろで見ていたフィランヌは、信じられないというように目を丸くした。
「シャーマンでも傷を治せるの…?」
フィランヌが驚きに声を震わせる中、横にいたラトーナが優しく微笑みながら答えた。
「あまりよく知られてないけど、名もなき生命の精霊というものがいるの。男性には扱えなくて女性にだけ扱える精霊で……ミーアは、その精霊の力を引き出したんだわ」
やがてミーアが生み出した命の光が消えると、レオンの目がうっすらと開かれた。
「……成功したのか」
ミーアはそっとレオンの前髪をかきあげながら答える。
「ええ。あなたの読み通りだったわ」
「そうか……良かった」
あんな目にあったというのに、平然とそう語るレオンに、ミーアは口を尖らせた。
「本当に馬鹿ね」
「?」
「死ぬつもりだった?」
「……あの程度なら耐えられると思った」
「思った、じゃないの」
ミーアはレオンをたしなめつつも、優しくレオンの髪を触りながらつぶやいた。
「私は怖かったんだから」
レオンはそのミーアの言葉と表情にハッとして、自分を撫で続けるミーアの手に自らの手を重ねた。
「……心配かけて、悪かったな」
不器用な謝罪の言葉に、ミーアはふっと小さく息を吐き、呆れたような、しかしどこか愛おしそうな笑みを浮かべる。
「次はないんだからね」
第10話をお読みいただき、ありがとうございます! 地下二階の属性試練、第三弾は「風の精霊シルフ」戦でした。
レオンが口にした「DM(ダンジョン・マスター)」という考え方も、このあたりから少しずつ物語の伏線として顔を出し始めます。
また、今回からレオンとミーアの関係にも少しずつ変化が見え始めました。普段は飄々としているミーアですが、命を懸けるレオンを前にして思わず本音がこぼれます。
そして、次はいよいよ最後の四大精霊「水」の試練……となりますが、そううまくいくでしょうか。果たして最後の魔法陣には何が待ち受けているのか。引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。
それでは、第11話でお会いしましょう。