1.
迷宮の奥深く、過酷な死闘の末にテューレたちがたどり着いたのは、奇跡的に罠や魔物から隔離された安全な小部屋、「安息所」だった。部屋の中には、なぜか清潔なベッドが三つ並んで置かれている。
「この三つのベッドは、フィランヌ、ミーア、ラトーナが使うべきだ」
レオンが、油断なく周囲を警戒しながら端的に提案した。
しかしラトーナは、その提案に戸惑いを見せた。
「女だからってベッドを使わせてもらうなんて……テューレ様に悪い感じがするわ……」
彼女は、いかつい鎧を着込んだ戦士であり、想い人でもあるテューレを気遣ってそう呟いた。
すると、テューレはいつものオネエ言葉で、ふんわりと優しく微笑みかけた。
「男だからとか女だからとか、そういうことじゃないのよ、ラトーナちゃん。あなたたち魔法使いがベッドでぐっすり寝て、精神力をしっかり回復させることが、これからの迷宮探索には一番重要なのよ」
その温かい気遣いにラトーナが胸を打たれていると、金髪の美しい神官フィランヌが涼やかな声で割って入った。
「じゃあ、遠慮なく休ませてもらうわよ、テューレ」
フィランヌはそう言い放つと、一切の躊躇なくさっさと安息所のベッドの一つに入っていった。
そのあまりにも悪びれない姿に、ラトーナの胸の奥で、以前から感じていたフィランヌへの反感が再び首をもたげた。
(いつもテューレ様に偉そうにして……鼻持ちならないわ)
テューレを生き返らせた恩人であり、そして、彼に対して10万ゴールドもの借金を課した債権者でもある。テューレに対して、そういう風に絶対的な力関係を持つフィランヌへの複雑な嫉妬心が、ラトーナを苛立たせたのだ。
そんな険悪になりそうな空気を察してか、精霊使いのミーアがわざとらしく大あくびをした。
「ふぁ〜あ。じゃあ、あたしはお先にー」
ミーアはそう言うと、あっという間に二つ目のベッドに潜り込み、さっさと寝息を立て始めた。
残る一つのベッドにラトーナが入ろうとしたその時、すでに横になっていたフィランヌが静かに声をかけてきた。
「ねえ、ラトーナ。寝る前に痛いところがあれば、治してあげましょうか?」
それは、ラーダの神官としての純粋な気遣いであり、慈愛の言葉だった。
しかし、ラトーナはフィランヌに対して冷たく言い放った。
「……結構です」
さらに、彼女はフィランヌへの強い対抗心から、これまで隠してきた自身の能力を口にしてしまう。
「私は今まで言ってませんでしたけど、黄金の獅子ディレーオンのビーストマスターでもあるんです。寝ている間に、精神力と同時に体力も回復させられる特別なタレントを授かっています。それに、いざというときはライオンに変身して、戦うこともできます。前衛をやれるのは、あなただけじゃないんで」
それは、かつて炎の精霊サラマンダーとの激戦のときや、地下三階でテューレとレオンが疲弊した際に、フィランヌが神官でありながら銀の剣を抜いて自ら前衛を申し出たことへの、明らかな当てこすりだった。
冷たい拒絶と挑発を受けたフィランヌは一瞬困惑したように目を瞬かせたが、反論する言葉を静かに飲み込み、何も言わずにベッドに潜り込んだ。
静寂が部屋を包む。しかし、そんなフィランヌに背を向けたまま、ラトーナの口からポツリと声が漏れた。
「……フィランヌ様、ごめんなさい」
先ほどの棘のある態度とは打って変わった、震えるような声だった。
「実は……テューレ様が今日やったあの『獅子の咆哮』は、私も使えるんです。あれも、ディレーオン様から与えられるタレントの一種で、敵の注目を強制的に集める効果があります。多分、テューレ様はフィランヌ様をかばおうとして、あんな無茶をやったんだと思います……」
バルキリーの絶対命中する投槍からフィランヌを救うため、テューレが身を挺して放ったあの覇気ある咆哮。その真実を打ち明けられたフィランヌは、少し驚いたように問い返した。
「そう……。でも、なぜテューレがディレーオンの力を?」
「……わけあって、それを答えることはできないんです」
ラトーナは、テューレたちが黄金峡での詳細な記憶を失っているという事実や、自分が黄金峡の案内人であった過去を明かすわけにはいかず、言葉を濁した。
「わかった、もう聞かないわ」
フィランヌはそれ以上追及せず、ただ一つだけ疑問を口にした。
「でも、何でそれがあたしに対して『ごめんなさい』なの?」
ラトーナはシーツをぎゅっと握りしめ、消え入るような声で答えた。
「だって……私もあなたを救えたのに、テューレ様のようにはできなかったから……」
テューレのように咄嗟に身を挺してフィランヌを守れなかった自分の不甲斐なさが、ラトーナの心を締め付けていたのだ。
そのいじらしい告白を聞いて、フィランヌはクスクスと優しく笑い声をこぼした。
「ラトーナさん、あなたは本当に優しい女性なのね」
思いがけない言葉に、ラトーナは顔を真っ赤にして狼狽えた。
「し、知りません! もう『デイスリープ』に入りますから!」
照れ隠しにそう叫ぶと、ラトーナは毛布を頭まで被り、やがて本当に規則正しい寝息を立て始めた。少し前にラトーナがフィランヌを冷たく拒絶したわだかまりは、安息所の静かな夜の中で、こうして少しずつ解きほぐされていったのだった。
2.
部屋が完全な静寂に包まれた後。
「ラトーナ、寝たみたいね」
すくっと起き上がったのは、ミーアだった。彼女は最初から寝たふりをしていただけだったのだ。
黄金峡のすべての記憶を唯一保持していて、ラトーナの事情も知っているミーアは、二人のやり取りを黙って聞いていたのである。
「ふふ、起きてたのね」
フィランヌもまた、ベッドに身を起こして小さく微笑んだ。
「まあね。フィランヌにテューレを紹介してもらった時以来だね、こうやってゆっくり話すの」
ミーアは声をひそめながらも、楽しげにフィランヌのベッドに潜り込んできた。そこからは、過酷な迷宮探索の最中とは思えない、まるで下世話なガールズトークのような時間が始まった。
「それにしてもミーア。あなた、あのレオンって剣士に目をつけてるでしょ?」
フィランヌがニヤリと笑いながら水を向けると、ミーアは全く照れる様子もなく、あっけらかんと認めた。
「やっぱわかるー? いいよねーイケメンで! なんか陰のある感じもあってさ!」
「わかるわ。ああいうタイプ、意外と放っておけないのよね」
キャッキャと声を殺してワイワイ盛り上がると、ミーアは興味津々な様子で身を乗り出した。
「そっちはどうなの? 南クリスタニアに一緒に行ったパーティーの仲間の中に、だれかいい人はいないの?」
その問いに、フィランヌはあからさまに疲れたようなため息をついた。
「いないわよ。例えばアンバース。こいつは銀狼の部族の大男なんだけど、性格がすっごい小心者なの。ウルフガイっていうより、むしろウサギガイね!」
フィランヌがバッサリと切って捨てると、ミーアは肩を震わせて笑った。
「あはは! ウサギの神獣の部族に怒られそうー!」
「次はボッシュ。ドワーフなんだけど、恋する相手ってよりは、むしろ夜道で私を襲う暴漢って方が似合う感じのヤツなのよ」
「ちょっと、仲間なのにそれってどんな奴なのよー!」
フィランヌの辛辣すぎる評価に、ミーアはお腹を抱えて大ウケしている。
「で、ライアスってエルフがいるんだけど。こいつは顔はレオンと同等に整ってるし、影のある感じもレオンに似てるんだけど……口を開くと、いい加減なこととしょーもないことしか言わないの!」
「もうそのエルフで妥協しなよー!」
ミーアが涙目を拭いながら相槌を打つと、フィランヌはさらにダメ押しとばかりに口を開いた。
「最後にカルーア。……まあ、すべてにおいて問題外ね!」
「あはははっ! もう名前だけでどんな奴かもわからないよー!」
容赦のない仲間への酷評に、ミーアはついに声を殺しきれずに大笑いした。ひとしきり笑い転げた後、ミーアはふと思い出したように尋ねた。
「じゃあ、テューレはどうなの?」
その瞬間、フィランヌの顔に「冗談じゃない」という表情が浮かんだ。
「勘弁してよ。……あなたは、あのテューレでXXXできるの?」
それは、清廉潔白なラーダの神官とはとても思えない、あまりにも下品で明け透けな発言だった。扉の向こうで警戒に当たっている男三人はもちろん、もしも隣で寝ているラトーナが聞いていれば、確実に眉を顰め、あるいは激怒しそうな暴言である。
しかし、同類であるミーアは一切引くことなく、さらに大きな声で同調した。
「いや! あたしもできない!」
二人は顔を見合わせ、再び声を殺して大笑いした。
過酷な死闘の重圧を跳ね飛ばすかのように、こうして彼女たちの夜は楽しく更けていくのだった。
3.
一方、その安息所の小部屋の外では、テューレ、レオン、ドルドムントの三人が交代で警戒にあたっていた。
淡く光る魔石の明かりのそばで静かに腰を下ろし、テューレがふと隣に座るレオンに視線を向けた。
「ねえレオン、あなた最初に会った時『蟻帝伝説の英雄フィランヌ様とその仲間』って声をかけたじゃない? あのあと、ちょっとがっかりしたでしょ?」
唐突な問いかけに、レオンは怪訝そうに眉を寄せた。
「なぜ、俺ががっかりする?」
テューレは苦笑しながら、肩をすくめた。
「だって、本当の英雄はフィランヌだけで、あたしの方はオケラなんだもの。実は蟻帝伝説と呼ばれる戦いのときは、最初の戦いでいきなり死んじゃって、あとは全然参加してないのよ」
レオンの目が、静かに見開かれた。
「……そうか。道中、借金がどうのこうのという話が飛び交っていたのは、そういうことだったのか」
レオンの中で、これまで疑問に思っていたフィランヌとテューレの特異な関係性が、パズルのピースがはまるように結びついた。
しかし、レオンは短く溜息をつくと、真剣な眼差しでテューレを見つめた。
「だからと言って、俺はテューレ、君と組んだのはむしろ正解だったと思っている」
「……え?」
「本当に英雄しかいないパーティでは、俺のような薄汚れた男にこれほど信頼を預けてはくれなかっただろう。君たちの温かい態度こそが、俺にとっては救いであり、何よりもありがたいものなんだ」
テューレはバツが悪そうに顔を伏せ、なおも弱気な言葉を漏らした。
「でも、あたしは本当の英雄ほど強くないのよ?」
その言葉を遮るように、傍らで武器の手入れをしていたドルドムントが、重厚な声で笑みを浮かべて口を開いた。
「ならば成長すればよろしいでしょう、テューレ殿。モスコスによると、人生は挑戦の連続であり、迷宮はそれを表すものであるとか」
ドルドムントはガシャンと外骨格を鳴らし、テューレの肩を大きく叩いた。
「この迷宮を抜けた時、我々はみな一皮も二皮もむけて成長していますよ。何せ私はアリですからな、脱皮は得意技」
思わぬ自己卑下を交えた冗談に、先ほどまでの張り詰めた空気がふっと緩んだ。
テューレは呆気に取られた後、クスクスと笑い出し、つられてレオンも口元をわずかに歪めた。
こうして男たちもまた、安息所の静寂の中で、それぞれの絆を静かに深めていくのだった。
4.
外の時間にして夜が明けるほどの時間が過ぎたころ、安息所の奥に設置された扉の紋様が淡い光を放ち始め、刻まれた数字が静かに零へと回帰した。
ガタッ、と重厚な音が響き、扉がゆっくりと左右に開かれる。その先には、さらなる深淵へと続く迷宮の路が開かれていた。
その光景を前にしたテューレたちの顔には、一様に晴れやかな笑みが浮かんでいた。
彼らは単に、一晩の休息によって肉体の疲労を癒やしたわけではなかった。
女性同士、あるいは男性同士の語らいを通じて、それぞれの胸の内にあったわだかまりは氷解し、彼らは昨日までの自分たちよりも、確かに強く、深く結ばれていた。
メンバーの先頭に立ち、出発の号令をかけようとしたテューレは、皆を振り返った。誰一人として昨日のような険しい表情をしていない。
その事実だけで十分だった。
テューレは皆に号令をかける。
「さあ、出発するわよ!財宝を手にするのはあたしたちなんだから!」
今回は戦闘ではなく、「会話」が主役の回でした。
本作のヒロインたちは、一筋縄ではいきません。 特にフィランヌとミーアの下世話なトーク……。「あのテューレでXXXできるか?」という、聖職者にあるまじき暴言には驚かれた方も多いでしょう。ですが、これこそが極限状態を生き抜く彼女たちの「強さ」であり、気心の知れた者同士の信頼の証でもあります。 また、フィランヌ様が酷評していた旧知の仲間たち(アンバース、ライアス、ボッシュ……)は、原作ファンの方にはニヤリとしていただける小ネタとなっております。
「人を信じるな」という裏街の教訓を胸に生きてきたレオンが、テューレに対し「君と組んだのは正解だった」と口にしたシーンは、本作屈指のデレ(?)シーンですね。泥臭い現実を生きる彼らが、少しずつ「利害」を超えたチームになっていく様子を感じていただければ幸いです。
次回からはいよいよ休息を終え、再び迷宮探索が始まります。先行パーティとの差は縮まるのか、それともさらに広がるのか。テューレたちの挑戦を、引き続き見守っていただければ幸いです。