迷宮伝説クリスタニア   作:Wiilinton

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前回のあらすじ:ラトーナ「私だったら、テューレ様でXXXできるのに!!」


セッション16:白き欺瞞

1.

「安息所」での休息を経て、消耗しきっていたテューレたちの心身は完全に回復していた。しかし、迷宮はその歩みを決して緩めさせてはくれない。小部屋を発った一同は、冷たい石床が傾斜し、さらに下方へと続く不気味な細い階段を見つけていた。

一段、また一段と降りた先――そこは、地下四階。

「あら……? 何かしら、ここ。なんだかすごく綺麗じゃないのよぅ」

先頭を行くテューレが、大盾を構え直しながら間の抜けた声を上げた。

彼の言う通り、目の前に広がるのはこれまでの陰気で殺伐とした地下回廊とは一線を画す空間だった。まるで知識の神ラーダの神殿を思わせるような、白大理石を基調とした美しい通路。壁面には、どこか素人臭さを漂わせてはいるものの、色彩豊かな天使や聖騎士たちの絵画がずらりと並び、厳かな雰囲気を作っている。

「罠の気配はないようだが……」

レオンが長剣の柄に手をかけたまま、鋭い視線を周囲に走らせるが、不審な魔力も物理的な仕掛けの予兆も感知できない。テューレもレオンもこの異常な空間に違和感を抱き、警戒を強めながら進んだものの、何事も起きる気配はなかった。ミーアやラトーナも、前衛の足取りに続いて歩を進めていた。

しかし――最後尾を歩いていた蟻人(ミュルミドン)のスカウト、ドルドムントは、ふと壁に掛けられた一枚の絵画に目を留めた。

それは、聖なる輝きを纏った聖女が、冷酷な蔑みの目を向けて、泥にまみれた「肌の黒いエルフ」を踏みにじっている構図の絵だった。そしてその隣に立つ気高き聖騎士の足元には、無残に力を失い、その羽を汚された「虫の姿の亜人」が、生々しく描かれていた。

(……おや……? これは……)

その絵画を目にした瞬間、ドルドムントの脳裏に、かつて人間社会で味わった苦々しい思い出がよみがえる。衝撃と、胸の奥からせり上がるような不快感。プロのスカウトらしからぬその一瞬の硬直こそが、この哀れなミュルミドンを狙う、悪趣味な蟻地獄への入り口となった。

カチリ、と足元で微小な信管が跳ねる音が響く。

「!?ドルドムント!?」

異変を察知し、隣を歩いていたフィランヌが鋭く振り向いた時には、すでに遅かった。ドルドムントの足元の床が音もなく反転し、彼の巨体は一瞬にして迷宮の通路から消失したのだった。

 

2.

落とし穴のトラップによって、奈落へと真っ逆さまに落とされたドルドムント。

激しい衝撃と共に彼が辿り着いたのは、地下四階の美しい神殿風の装飾とは打って変わった、薄暗く悪趣味な密室であった。

「くっ……、おやおや……」

体を起こしたドルドムントは、即座に自身の触角が異常な悲鳴を上げていることに気づく。部屋の四隅には、異様なほど強い「香」を放つ香炉が置かれており、さらに脳を直接揺さぶるような不快な超音波のハミングが室内に満ちていた。蟻人としての本能的な器官である触角を激しく狂わされ、立っているだけでも凄まじい眩暈が襲いかかる。

周囲を見渡せば、壁や床は人間、あるいはそれ以外の何者かによる必死の「爪痕」や「乾いた血痕」で黒ずんでいた。そして部屋の正面には、通路の絵画よりもさらに露骨で、素人臭くも凄まじい執念が込められたレリーフが彫り込まれている。

――聖騎士たちが、虫の羽をむしり取り、黒い肌のエルフの首を撥ねて笑っている、おぞましい処刑の図。

ドルドムントは、強烈な眩暈に耐えながらも、いつもの紳士的な仕草で上着に付いたチリを小さく払った。

その時、部屋の片隅、壁に背を預けて冷たい床に座り込んでいた先客が、音もなくこちらに視線を向けた。先ほどのレリーフに描かれていたような、「肌の黒いエルフ」の女だった。

「……おや、おや。随分と手荒な歓迎を受けましたな。まさかこのような場所に、先客がおられるとは思いもしませんでした」

ドルドムントが声をかけると、ダークエルフの女はフ、と小さく口元を歪めて冷笑した。

「……見事な落ちっぷりだったよ、虫の旦那。もしかして、私たちの後ろをコソコソと追っかけていた、あの野暮な連中の一味か?」

ドルドムントは、カチカチと大顎を小さく鳴らし、いつも通り丁寧に一礼してみせる。

「おや、我々の気配に気づいておられましたか。私はドルドムント。これでも蟻人社会では優雅に遊んで暮らすことを許された、気高き貴族でしてね。……そういうあなた様は、道中に転がっていた『あの死体』のお仲間の御仁ですかな?」

その言葉を聞いても、女はピクリとも表情を変えず、静かに立ち上がった。

「……ほう。カスモドの死体を見つけたのか。私はメルヴィー。確かにカスモドとは一緒だったが、仲間ではない。この迷宮を進むために、ただ手を組んでいただけの男だ」

「なるほど、実にもってドライなお人だ」

ドルドムントは紳士的に微笑むが、その無機質な複眼は、鋭く相手の動きを観察していた。

「……しかしメルヴィー殿。あなたのような腕の立つ冒険者が、なぜこのような初歩的な罠に?」

メルヴィーは音もなくドルドムントに歩み寄ると、その冷たい瞳で彼を見つめ、酷く静かな声で囁いた。

「……初歩的、ね。人間(あいつら)にとってはただの美術品さ。だけど、私たちみたいな『不純物』はね……自分と同じ姿の生き物が踏みにじられているのを見て、どうしても一瞬足が止まる。お前だって、あの虫が無残にやられている絵画を見て、ほんのわずかだが『不快感』を抱いて立ち止まったのだろう? そのわずかな硬直を感知して、ここへ叩き落とす仕掛けってわけさ」

ドルドムントはふむ、と顎に手を当てて、不快なハミングの鳴り響く周囲を見やった。

「なるほど。『差別の被害者』だけが引っかかる心理トラップですか。作った御仁の、反吐が出るほど歪んだ執念を感じますな」

「反吐を吐く必要なんてないよ」

メルヴィーは冷たく言い放つ。

「人間なんて、生きてようが死んでようが、根底にあるのはこの程度の醜悪ささ。私はそれを熟知しているし、だからこそ、あいつらを殺せるチャンスがあったら、どんな汚い手だって使う。……お前を飼っている人間たちも、同じさ」

「おっと、それは心外ですな」

ドルドムントは首を振った。

「私は平和主義者でしてね。何より、私の仲間たちは少なくとも私を害虫扱いはしませんよ。そこは明確に否定しておきましょう」

「クク……」

メルヴィーは喉の奥で冷たく笑った。

「……めでたい頭だね。今は便利だからお前を使っているだけさ。いつか、あの絵画のように、微笑みながらお前の羽をむしり取る。……ほら、匂ってきた。この香炉の煙は、ただのハーブじゃない。人間の脳裏にこびりついた、最も甘美で、最も残酷な『現実(トラウマ)』を呼び覚ます香水だ」

チリ、とドルドムントの触角が引きつるように痙攣した。

「……くっ、これは……」

メルヴィーもまた、自身の頭を細い指で押さえ、眉を不快そうにひそめる。しかし、その声のトーンは落とさぬまま、冷徹に言葉を紡いだ。

「……私の脳内にも、昔、人間に肌の色をなじられた時のくだらない記憶が流れてきている。不愉快だけれど……これが人間の本質。さあ、貴族様。お前が隠している『害虫としての記憶』も、早く吐き出しなよ」

強烈な香煙が、二人の意識を過去の深淵へと強制的に引きずり込んでいく――。

 

3. メルヴィーのトラウマ:蹂躙された憧れと「人殺し」の誕生

かつて、彼女は純粋な少女だった。

故郷であるダークエルフの隠れ里に、ある日、古の民の旅商人がやってきた。彼が語る「人間たちのきらびやかな大都市」「美しい魔法や豊かな文化」の物語に、少女だったメルヴィーは胸を躍らせた。周囲の大人たちの反対を押し切り、「自分もその美しい世界の一員になりたい」という純粋な憧れだけを胸に、彼女は意気揚々と村を飛び出したのだ。

しかし、夢にまで見た人間の街の門をくぐった彼女を待っていたのは、美しく優しい世界などではなかった。

「うわ、ダークエルフだ」

「呪われるぞ、近づくな」

「薄汚い肌の泥棒猫め」

ただダークエルフであるという、その一点だけで浴びせられる、見たこともないような憎悪の視線と罵詈騒言の嵐。宿屋からは塩を撒かれて追い出され、信用した商人に騙されて全財産を奪われ、路地裏で泥水をすすりながら飢えに震える日々。

極めつけの記憶が、脳裏を焦がす。

親切を装って近づいてきた人間の冒険者たちに騙され、危うく「奴隷」として売り飛ばされそうになったあの瞬間。檻の外で嘲笑う男たちの顔。その時、彼女は生き延びるために、初めて自らの手を血で染めて人間を殺害した。裏切られた憧れが、冷酷な殺意へと変貌した瞬間だった。

幻聴のように、どこからか嘲笑うような囁きが聞こえてくる。

『思い知ったか、黒い肌の汚れ物め。お前がどれだけ憧れようが、お前は我々の美しい世界に混ざるべきではない害獣なのだ。お前の居場所は、その薄暗い泥の底だけだ』

激しい精神的激痛に冷や汗を流し、細い眉をひそめながらも、メルヴィーは決して泣き叫びはしなかった。ただ、奥歯をギリ……と鳴らし、凍りつくような冷たい目で、虚空を睨みつける。

「……ハッ、本当に、反吐が出るほど懐かしい匂いだ」

メルヴィーは荒くなった呼吸を整えながら、自嘲気味な冷笑を浮かべた。

「あいつらのあの、自分たちだけが正しいと信じ込んでいる豚のような笑顔……。だから私はもう、人間なんて信じない! カスモドも……リーダーすらも……私が利を得るための、ただの使い捨ての道具だ!!」

 

4. ドルドムントのトラウマ:剥奪された「誇り」と害虫の檻

香煙は容赦なくドルドムントの精神をも侵食していく。

蟻人(ミュルミドン)の社会において、何不自由なく優雅に遊んで暮らせる特権階級である貴族種に生まれたドルドムント。しかし彼は、人間の冒険者が使う洗練されたスカウトの技――罠解除や鍵開け――の美しさに魅了されてしまった。蟻としての本能的な役割を捨て、一人の「プロのスカウト」として人間社会に認められたいという純粋な探求心から、彼ははるばる留学してきたのだ。

だが、彼が直面したのは、「どれだけ技術を磨こうが、人間にとってはただの一匹の巨大な虫でしかない」という冷酷な現実だった。それは激しい暴力ではなく、「徹底的な無視、偏見、そしてマスコット扱い」という、地味で陰湿な拒絶だった。

冒険者の集まる酒場で、どれだけ洗練された鍵開けの技術を披露し、自身をアピールしても、受付嬢からは「あ、蟻人間のスカウト枠は今いっぱいで〜」とマニュアル通りの笑顔で門前払いされる日々。

ようやく臨時のパーティに拾われたと思えば、任されるのはただの「荷物持ち」。あるいは、「珍しい見た目だから客寄せパンダになってくれ」という扱い。技術をまっとうに評価されることは一度もなく、陰では「喋るデカい虫。キモいけど荷物は持つから便利だな」と笑われていた。

どれだけ努力して気取っても、自分は人間にとって「言葉の通じる便利な珍獣」でしかなく、誰からも一人のスカウトとして必要とされていない――。

ドルドムントの耳にも、悪魔の囁きが届く。

『思い知ったか、言葉を真似るだけの哀れな虫よ。お前の自称する「貴族」も「技術」も、人間様にとってはただの一発芸。誰も、お前という存在を本気で必要としてはいないのだ。大人しく巣に帰って泥でも舐めていろ』

「私は……ミュルミドンである以前に、ドルドムントだ! 怪盗紳士ドルドムントだ! 私を名前で呼んでくれ!!」

薄暗い選別檻の床に膝をつき、大顎を激しく震わせる。視界が歪む。

悪夢の中で、人間の面接官たちが「言葉の通じるデカい虫」「荷物持ちなら雇ってやってもいい」と嘲笑う声がリフレインする。留学資金も底をつき、一人のスカウトとしてのプライドを完全にへし折られ、這うようにして故郷の巣へ帰るための荷造りをしていたドルドムント。

しかし、あの最悪の雨の日に、死に体で歩いていた路地裏で、彼は運命を変える張り紙に出会ったのだった。

『黄金峡へ共に探索を行う勇者を求む!――救国の英雄フィランヌ』

街中の注目を集めるような大言壮語。あまりにも堂々とした大きい文字。

だが、ドルドムントはその「英雄フィランヌ」という大文字のすぐ下に、申し訳程度に、今にも消え入りそうなほど小さな文字でこう書き加えられているのを見つけた。

「……の仲間、テューレ」

「……プッ、クフフ……ハハハハ!」

その瞬間、ドルドムントの口から、久しく忘れていた本物の笑いが漏れた。

誰がどう見ても、当代の英雄の名を勝手に騙った、あからさまな詐欺まがいの客寄せ広告。必死に虚勢を張りながら、その実、中身はどこまでも情けなくてみっともない――そんな「テューレ」という人間の必死な顔が透けて見えるような、滑稽で愛すべき張り紙だった。

人間社会の陰湿な無視や冷遇に疲れ果て、心を閉ざしかけていたドルドムントだったが、このあまりにも頭の悪い、愛すべき「嘘」に強烈な興味を惹かれ、気がつけばその応募に応じてみることにしたのだった。

面接に赴いた先にいたテューレは、広告の通り、英雄の威光など一ミリもない情けない人間だった。

けれど――彼はドルドムントの姿を見ても、眉一つひそめなかった。珍獣扱いして見世物にしようともしなかった。ただ、「あんた、本当に鍵が開けられるんでしょうねぇ!?」と、必死な顔で彼の『ウデマエ』だけを真っ直ぐに求めてくれた。

テューレ殿だけではない。

今はパーティを外れているが、のんびりしていたメモリーや重厚だったグラントも含めて、テューレが集めた仲間はドルドムント以外全員が人間種族だった。けれど彼らは誰一人として、ドルドムントを「巨大な虫」として扱わなかった。ただの、少しキザで気取った、頼れる「仲間のスカウト」として、普通に背中を預け合ってくれたのだ。

 

5.

(……そうだ。私は確かに、人間社会の冷たさに絶望しかけていた。……だが……!)

ドルドムントの垂れ下がっていた触角が、現実の選別檻の中で、ピシッと青い火花を散らすように力強く跳ね上がった。

大顎の震えは完全に止まり、彼は冷や汗を拭いながら、ゆっくりと、しかし信じられないほど優雅な動作で再び立ち上がる。

「……どうした、虫の旦那」

メルヴィーが冷酷な目で見上げながら、声をかけた。

「もう心が折れて、故郷の巣に帰りたくなったか?」

「……いやはや、お恥ずかしい」

ドルドムントは、懐からいつもの白いハンカチを取り出すと、衣服に付いたわずかな汚れを完璧に拭い去りながら、不敵に微笑んだ。

「少々、昔の『不採用通知』の山を思い出して感傷に浸ってしまいました。ですがメルヴィー殿、人間という種族は、あなたが言うほど捨てたものでもありませんよ」

メルヴィーはフン、と鼻を鳴らす。

「この期に及んでまだ人間に夢を見ているのか。めでたい蟻だな」

「夢ではなく、実績ですよ」

ドルドムントはハンカチを胸ポケットに収め、誇らしげに胸を張った。

「私の(リーダー)は、自分の姿をこれでもかと大きく騙る、それはそれは情けなくて見栄っ張りな人間です。……ですがね、彼も、そしてその仲間たちも、私のこの外骨格ではなく、一人の『ドルドムント』という男を、普通に仲間として受け入れてくれた」

「……は?」

何を言っているのか理解できず、メルヴィーは初めてその美しい眉を不快そうにひそめた。

ドルドムントは、カチャリと指先から愛用のピッキングツールをシャキィンと滑り出させる。その複眼には、迷宮の闇を射抜くような鋭い光が宿っていた。

「私は便利なお飾りマスコットでも、使い捨ての働き蟻でもありません。あの愛すべき情けない人間たちに、その腕前を見込まれて『正式に雇用された』、プロのスカウト、ドルドムントです!

――さあレディ。こんな悪趣味な部屋は、私の芸術的な鍵開け(ピッキング)で、さっさと脱出するといたしましょう。主が上で、首を長くして待っていますのでね!」

 




ドルドムントとメルヴィー。この二人がそれぞれのパーティで唯一の亜人枠だと気づいてしまったとき、僕の中でこの章の構想が出来上がりました。
同じ『差別された側』でありながら、
「人間なんて誰も信じない」と「それでも信じられる人間はいた」
という真逆の結論へ辿り着いた二人を対比させるのが、この章のテーマです。
(ただ、クリスタニアらしいかと問われると、あまり自信はないです)

そして、ドルドムントが人生を変えられたきっかけが、英雄フィランヌの名前を使った、あの情けない求人広告だったというのも、本作らしいところでしょうか。
本人にとっては黒歴史でしょうが、テューレの見栄っぱりな行動が、一人の人生を救っていました。

次回は、この地下四階の本当の試練へと物語は進みます。
フィランヌが10万ゴールドの借金に込めた狂おしいほどの祈りとは何だったのか。ご期待ください。
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