テューレたちは、張り詰めた静寂が支配する地下四階の美術回廊を抜け、ついに「モスコスの大迷宮」の最深部――地下五階の最奥部に位置する広大な石造りの大広間へと足を踏み入れた。
しかし、そこに広がっていたのは静寂に包まれた秘宝の安置所ではなかった。
「ヒヒッ……おやおや、奇遇なこともあるものだ。二つのパーティがほぼ同時に迷宮のゴールにたどり着いてしまうとはねぇ」
広間の奥、一段高くなった玉座のような場所に腰掛けていたのは、自らを「DM(ダンジョンマスター)」と名乗る異様な風体の小男だった。正式な制覇者を決めるその場所にテューレたちがたどり着いた時、広間にはすでに先客の姿があった。
前衛に立つのは、一切の無駄を省いた身のこなしを見せる、スカウト風の軽装に身を包んだ男。その両脇と後方には、それぞれハヤブサ、サソリ、あるいは虎の意匠を凝らした部族独特の衣服や装飾品を身に纏う三人の戦士たちが控えている。彼らこそ、クリスタニア世界において、それぞれの神獣から大いなる力を授けられた戦士――「神獣の従者」たちであった。さらにその後方には、底知れぬ魔力を纏う女精霊使い、メルヴィーが冷ややかな視線をこちらへ向けている。
と、その瞬間、テューレたちの後ろに控えていたドルドムントと、メルヴィーの視線が真っ直ぐに交錯した。互いに分かたれた矜持と、決して相容れぬ道を選んだことへの諦念――二人の間には、他者には決して窺い知れぬ、言葉にならない思いが静かに交わされ、そして互いに視線を逸らした。
DMと名乗る小男は、玉座の上で身をよじりながら下卑た笑みを漏らした。
「しかしねぇ、この『モスコスの大迷宮』制覇者の称号を得られる者は、どちらか片方のみ。最後の試練の前に、まずはどちらがそれに挑むにふさわしいか……お前さんたちで優劣をつけてもらおうか。ヒヒヒッ!」
その悪辣な提案に即座に反応したのは、軽装のスカウトの男だった。どうやら彼がこの五人のリーダーらしい。
「お望みとあれば」
男は感情の読めない声で短く応じると、腰から鋭い小剣を静かに引き抜いた。それに呼応するように、神獣の加護を宿した従者たちもそれぞれの得物を構え、鋭い殺気を放ち始める。女精霊使いのメルヴィーもまた、哀切を押し殺した表情のまま詠唱の構えをとった。
「くっ、戦うしかないのか……!」
レオンが長剣を抜き放ち、テューレもガタガタと震えながら巨大なタワーシールドを前へと突き出す。ラトーナ、ミーア、そしてドルドムントも各々の武器を構え、迎撃の態勢をとる。
だが、ただ一人。フィランヌだけが武器を抜かず、敵のリーダーに向かって鋭い声を張り上げた。
「ちょっと、そちらのリーダーさん! あのDMは……!」
フィランヌは玉座で薄ら笑いを浮かべる小男の方を真っ直ぐに指し示した。彼女の神官としての鋭い洞察力が、あのDMと名乗る存在の異常性、あるいはこの場に仕掛けられた何らかの致命的な欺瞞に気がついたのだろう。無益な殺し合いを避けるため、彼女は必死に警告を発しようとした。
しかし、スカウトの男は眉ひとつ動かさず、ただ口角を上げてニヤリと笑った。
「――だから?」
たった一言。その短く冷徹な言葉が、広間の空気を凍りつかせた。この男は、小男の正体も、この奇妙な状況も、すべてを承知の上なのだ。その上で、他者を蹴落とし、自らの力で制覇者の座を奪い取ることを選んでいる。
その言葉で相手の残酷なまでの覚悟と本性をすべて悟ったかのように、フィランヌは小さく、しかしひどく悲しげにかぶりを振った。
「……ならば、戦うしかないのね……」
決意の言葉と共に、フィランヌの瞳から迷いが消える。彼女は腰に帯びた銀の細身の剣を静かに引き抜き、冷たい輝きを敵へと向けた。
かくして、DMの嘲笑が響く最深部の大広間にて、テューレたち六人のパーティと、謎の男率いる五人との、退路なき凄惨な戦いが幕を開けた。
戦いの火蓋は、メルヴィーの先制によって切って落とされた。彼女は冷徹な眼差しでラトーナを捉え、その唇から低く、流麗な呪文を紡ぎ出す。
「――思考を混濁させ、迷宮の闇にその精神を溶かさん……『
メルヴィーの手の先から放たれた紫光を浴びたラトーナは、瞬時に判断力を失い、ぼーっと立ち尽くしてしまう。フィランヌが「
「彼女の混乱を治そうとしたのだろうが……しかし、それは接触せねば使えない。故にこうして足止めすれば、あのソーサラーも救えない」
男の嘲笑をよそに、ミーアは必死に手を振った。
「ラトーナを救わなきゃ! ……精神の精霊の対処なら、私だって出来る……!」
しかし、彼女が呪文を紡ごうとした瞬間、猛虎の戦士・ラグナスが「
「メルヴィーに聞いたことがあるぞ、こうして腕を封じればお前たち精霊使いは魔法を使えないのだろう?」
ラグナスがその頭部を虎へ変身させ、鋭い牙でミーアの肩を食い破る。鮮血がほとばしり、ミーアの悲鳴が響き渡った。その悲鳴に反応したレオンの前には、二本の曲刀を構えたファルクが立ちはだかる。たちまちすさまじい剣戟が繰り広げられるが、ハヤブサの力を使わずともファルクの攻撃は峻烈を極め、レオンを徐々に圧倒していった。
「くっ……! 隙がない……!」
一方、テューレはサソリの神獣に仕えるクライシの猛攻を受けていた。タレントで己の肉体を変化させ、両腕のハサミと棘のついた尾を操るクライシに、テューレは防戦一方に追い詰められる。
メルヴィーがテューレの背後から魔法を放とうとしたその時、ドルドムントが飛び込み、ダガーでその魔術を阻害した。
ドルドムントは複眼を強く輝かせて言い放つ。
「私はテューレ殿を守る! それが今の私の誇りだ!!」
対するメルヴィーは、戦場を見渡しながらどこか悲しげな声で返した。
「……お前一人が頑張ったところで、もうこちらの勝ちだ。お前が大事にしていたものは、こんなにもろかったんだよ」
「テューレ!」フィランヌが敵の猛攻をかいくぐり、「
「そこだ……!」
テューレは渾身の力を込め、渾身の一撃を弱点へと叩き込む。だが、激昂したクライシは甲殻を軋ませながら、人間離れした速度で尾を奔流のごとく振るった。
「があっ……!」
重厚な鎧を突き抜けるような衝撃と共に、毒針の尾がテューレの肩を無慈悲に貫く。毒に侵されたテューレの視界は急速に暗転し、まるで夢遊病者のように足元が覚束なくなった。
「あ……が、ああ……ッ」
意識が霧の向こうへ遠のいていく。テューレはそれでも必死に剣を振るうが、力なく空を切り、標的であるクライシの甲殻にかすらせることさえままならない。
「あたしの……盾が……みんなを、守らなきゃ……!」
朦朧とする意識の中、テューレはそれでもシールドを掲げようと血に染まった左手で持ち直す。その姿を見て、フィランヌは思わず唇を噛みしめた。
「毒を中和する『
彼女は指先を伸ばすが、先ほどから執拗に続く敵の猛攻が物理的な距離を隔てている。「解毒」の魔法の効力を発動させるのも、「正気化」と同様に接触が必要だが、敵の妨害によってその機会が徹底的に封じられている。ほんの十歩ほどの距離が、今の戦場ではまるで星々の彼方のように遠い。
「なぜよ……! なぜこんな時に、あと一歩が届かないの!」
そのフィランヌの傍らでは、毒に沈むテューレが、まるで断末魔のような荒い息を吐きながら、なおも立ち上がろうともがいていた。
クライシは、自分に縋りつこうとするテューレを蹴り飛ばすと、そのままレオンへ向かう。腹背に敵を受けたレオンもまた、サソリの毒針に倒れ伏した。
フィランヌは冷静に状況を分析した。前衛は壊滅し、ラトーナは混乱、ミーアは重傷、残るはメルヴィーと膠着状態のドルドムントのみ。
(このままでは、全滅する……!)
仲間たちの惨状を見たフィランヌの心の中で、冷たい現実が天秤にかけられた。彼女は静かに目を閉じ、銀の剣を床へと投げ捨てた。
「……そこまでよ。私たちの『負け』だわ。降伏する」
「フィ……フィランヌ? 何を言ってるのよ……」
テューレが力なく顔を上げて訴えるが、フィランヌは彼を制するように冷たい視線を向けた。
敵リーダーはフィランヌの喉元に小剣を突きつけ、冷酷な笑みを浮かべて頷いた。
「よかろう。ただし、降伏を認めるには一つ条件がある。救国の英雄フィランヌ、あなたがそちらのパーティを離れ、我々の一員となることだ」
フィランヌは、迷いなく答えた。
「……わかったわ、その条件、受け入れる」
「そ……そんな……!」
絶望の声を発し、なおも立ち上がろうとあがくテューレ。フィランヌは、哀惜を込めた瞳でテューレたちの方を振り返り、言葉をつづけた。
「……ただし、あなたたちについていく前に、最後に元の仲間たちを治す時間を与えて」
リーダーの男は、短く応じた。
「いいだろう」
フィランヌは一人ひとりへ歩み寄り、癒しを施していった。まずミーアの肩の傷へ優しく手をかざす。
「今までありがとう、ミーア。昨夜の楽しかったおしゃべり、今度また二人でどこかに泊まって続きをしましょうね」
ミーアは涙ぐみながらも笑顔でそれに応じた。
「わかったわ。昨日の続きをいつか……ううん、絶対にやりましょう」
続いて、ぼうっとしていたラトーナの額に触れる。たちまち意識がはっきりしたラトーナに、彼女は懇願するように言った。
「ラトーナさん、どうかテューレのことを…… あのバカを見放さずに、最後までそばにいてあげてね」
ラトーナは静かにすすり泣きながら、真っ直ぐにフィランヌを見つめて返した。
「あなたに言われなくても、絶対にテューレ様のそばは離れません」
軽微な傷を受けていたドルドムントにも癒しの光を当てる。
「ドルドムント…… あなたのような高潔な紳士に会えてよかった」
ドルドムントは触覚を震わせながら答えた。
「私もあなたの強さと、そして何よりも、その輝くばかりの魂に敬意を表しておりました」
続いて、毒に冒されていたレオンへ向かう。
「レオン、根を詰めすぎるのがあなたの良くないところ。たまには肩の力を抜いてね」
レオンは生真面目な顔を崩さず答えた。
「ズケズケと痛いことを言ってくれる……だがその言葉、肝に銘じよう」
そして最後に、テューレを癒す段になって、フィランヌはいつもの冷ややかに見下す視線ではなく、青い瞳に震えを押し殺したような切実な光を宿して、その耳元へ顔を寄せた。彼女は凛とした声で、彼を絶望から繋ぎ止め、戦士としての誇りを完遂させるための「
1「テューレ、一字一句違わずに聞き、その魂に刻みなさい」
その声に、テューレは息を呑み、動けなくなる。
2「アンタの背負った10万ゴールドの蘇生費用は、まだ一銭も返ってきていないわ」
3「だから、私が隣にいないからといって、勝手に死ぬことなんて絶対に許さない」
強気な言葉の裏に隠された、悲痛なまでの愛情がそこにはあった。
4「アンタはもう『仮のリーダー』なんかじゃない、仲間の命を預かる立派な戦士なのよ」
5「その盾は、もはや震えを隠すための衝立ではなく、みんなの希望を守る壁だと信じなさい」
6「迷宮で無事に生き残ってここに立っていること、それ自体がアンタの最大の貢献なの」
涙が、テューレの頬を伝い落ちた。
7「いつか本当に借金を返せるほど強くなったら、その時は胸を張って私の名前を呼びなさい」
8「アンタと再会して、また一緒に歩めたこと……本当は、純粋にとても嬉しかったわ」
9「知識の神ラーダの加護が、私の愛すべき、愚かな戦士の行く末を照らしますように」
フィランヌは最後に、ふっといつもの悪戯っぽい、けれど最高に美しい微笑みを浮かべた。
10「さよならは言わないわよ――借金取りからは、一生逃げられないんだからね」
そして彼女は振り返ることなく、新たなパーティの方へと歩いて去っていくのだった。
ラーダ特殊神聖魔法レベル7・レジェンド
口伝を継承するための魔法で、10文までの文章を一字一句間違うことなく、永遠に記憶させられる。覚えさせる文章は、直接発音して聞かせる必要がある。
どう考えてもNPC専用魔法、あるいはフレーバー魔法としか思えないこの「レジェンド」を、実戦で使ってみたいという思いがありました。
ゲームとして考えれば、何のバフも与えない、戦闘では役に立たない魔法です。
ですが小説ならば、その「言葉」そのものが誰かを支え、生き方を変える力になれるかもしれない。
そんな可能性を、この「レジェンド」という魔法に託してみました。
その試みが成功だったのか、それとも失敗だったのか。
その答えは、ぜひこの先の物語を読んでいただいたうえで、それぞれに判断していただけたら嬉しいです。