迷宮伝説クリスタニア   作:Wiilinton

23 / 24
前回のあらすじ:今回からライバルチームの「リーダーの男」は「仮のリーダーの男」と表記します(ウソ)。


セッション23:黄金の残響、胡蝶の誘い

地下七階。そこはもはや物理的な迷宮の極限を超え、現実と幻影がどろどろに溶け合う「境界線」であった。壁面の大理石は脈動するように歪み、天井からは時折、実体のない光の粒子が粉雪のように舞い落ちている。

「……おかしいわね。壁そのものが動いているみたいで掴みどころがないわ……」

精霊使いのミーアが、不機嫌そうに呟く。

一行は慎重に進んでいた。先頭を行くレオンは、一歩ごとに床の強度を確かめている。一方、最後尾でも、ドルドムントがシルクハットを指で押さえ、その複眼を左右に走らせながら罠の予兆を探っていた。

しかし、その「プロの警戒」を嘲笑うかのような事象が起きた。

「――あら? 見て、あそこ! 角の向こうに誰かいないかしら!?」

中衛を歩いていたラトーナが、不意に回廊の角を指差した。

そこには、金色の後光を背負った女性の影が揺らめいていた。テューレが「ひえっ!?」と声を上げ、巨大なタワーシールドを構え直す。

「あ、あのシルエット……まさか、フィランヌじゃないのぉ!? 借金の取り立てのために、ここで待ち構えていたのぉーっ!?」

テューレの絶叫が回廊に響く。普段ならミーアが「幻影よ、惑わされないで」と一喝するところだったが、その瞬間、ミーアの目にも別のものが見えていた。フィランヌの影のさらに奥、眩いばかりの「黄金の輝き」を放つ古の祭壇。それは、彼女が夢にまで見た波乱万丈な「伝説」の終着点そのものに見えたのだった。

「ちょっと待って、あれは本物よ……! 私の冒険者としての直感がそう言ってるわ!」

賢明な彼女に似つかわしくないことに、ミーアは何かに取り憑かれたように駆け出した。

「ミーア、危ないわよぅ!」

テューレが慌てて彼女を追う。ラトーナもまた、テューレを一人にするわけにはいかず、その背中を追いかけた。

「待て! 戻れ、そっちは――!」

レオンが鋭い声を張り上げ、ドルドムントが反射的に手を伸ばした。しかし、先行した三人が角を曲がってその影に触れようとした瞬間、彼らが踏みしめた床の紋様が、邪悪な群青色の光を放って爆ぜた。

「おやおや、なんという『足元』の不注意……! テューレ殿、戻ってくだされ!!」

ドルドムントが叫ぶが、すでに遅かった。三人が立っていた空間だけが、まるで最初から存在しなかったかのように、音もなく虚空へと吸い込まれて消滅したのである。

「……クソッ! テレポートの罠か!」

レオンが駆け寄った時には、そこにはただ無機質な大理石の床が存在しているだけだった。プロのスカウトであるドルドムントの複眼でも、その「認識を欺く一瞬の歪み」を事前に捉えることはできなかったのである。

 

眩い転送の光が収まったとき、テューレは真っ先に背後の闇を振り返った。しかし、そこにいたはずの頼れるプロの剣士と、気障な蟻のスカウトの姿はどこにもなかった。いたのは、同じく目を白黒させているラトーナと、不機嫌そうに周囲を警戒するミーアの二人だけだった。

「離れ離れになっちゃったみたいね……。あたしともあろうものが、とんだ失態だわ」

ミーアが風の精霊が封印された精霊石を弄びながら毒づいた、その時だった。

「あ……貴方たちも、テレポーターで?」

石柱の陰から、鈴を振るような涼やかな声と共に、一人の女性がしなやかな足取りで姿を現した。

まず目を引いたのは、その鮮やかな紫がかった濃紺の長い髪だった。髪は頭の後ろで一つに束ねられており、彼女が歩くたびに夜の川面が波打つように優雅に揺れている。

彼女が纏っているのは、深淵を思わせる深い青色のロングドレス。その意匠は極めて大胆で、白い肌が露出した背中の部分は、腰の近くまで大きくV字に切り込まれていた。

「よかった、わたくしも仲間のビーストマスターとはぐれてしまって、どうすればいいか困っていましたの。……サリナと申します。よければ、一緒に出口を探させてもらえないかしら?」

サリナは眉を下げ、不安げな「迷い子」の表情を浮かべてみせた。だが、その深みのある紫色の瞳は、暗闇の中でも水晶の光を吸い込んで妖しく、かつ冷徹に一行を観察していた。

「きれいな人……」 ラトーナがその浮世離れした美しさに息を呑む。

確かにその通りで、彼女の立ち居振る舞いは、過酷な迷宮の中にあって、不自然なほどに汚れがなく、気高かった。

「……あ、あらぁ! こんなおっかない場所に、こんな綺麗な人が一人ぼっちだなんて……! 災難だったわねぇ」

声を上げたのはテューレだった。彼は巨大なタワーシールドを抱え直し、穏やかな顔に戻ってサリナを見つめた。レオンやドルドムントとはぐれた不安が一瞬で吹き飛んだわけではないが、目の前の「か弱い迷子」を放っておけない、彼の泥臭いお節介さが顔を出したのだ。

「ええ、本当に……。心細くて、どうしようかと思っていたのです。貴方たちのような強そうな方々にお会いできて、神獣の導きを感じますわ」

サリナは困ったように眉を下げ、紫色の瞳に微かな期待を込めてテューレを見つめ返した。その完璧なしぐさに、ラトーナも毒気を抜かれたように息を吐く。

「……確かに、この地下七階を一人で歩くなんて無茶です。私たちも仲間とはぐれて出口を探しているところなんです。……ねえ、ミーア? 一緒に行ってもいいわよね?」

ラトーナの問いかけに、それまで黙ってサリナを値踏みするように観察していたミーアが、不敵な笑みを浮かべて肩をすくめた。

「この深層で一人で生き抜いてるってだけで、どう考えてもただ者とは思えないんだけど……。ひょっとして、この階の罠とか、あたしたち以上に詳しいんじゃないの?」

サリナは一瞬だけ瞳の奥を光らせたが、すぐに柔和な微笑みに戻った。

「お恥ずかしい。詳しいというほどではありませんが、皆様のお役に立てることもあるかもしれませんね」

「決まりね! あたしたちだって、レオンやドルドムントと合流しなきゃならないのよ。だったら、あんたの仲間が見つかるまで、あたしたちと一緒にいればいいじゃないの!あ、あたしの名はテューレ」

テューレが胸を叩いて快諾すると、サリナは深く、深く感謝を示すようにもう一度頭を下げた。

「ありがとうございます。テューレ様……とおっしゃるのですね? 皆様のご厚意、痛み入りますわ」

「いいのよぅ、困ったときはお互い様だわ! さあ、行きましょう!」

しかし、一行が合流を目指して歩き出した直後、先行していたミーアがピタリと足を止め、鋭い視線を前方の闇へと向けた。

「……待って。何か来るわ」

静寂を切り裂くように、回廊の奥から「シュル……シュル……」という、濡れた布を引きずるような不気味な音が響いてきた。次の瞬間、壁面の影が意志を持ったかのように蠢き、形なき群青色の(もや)が闇から這い出してきた。

「ひ、ひえぇっ!? な、何よあのもやもやした塊はぁ! お化け!? 幽霊なのぉ!?」

テューレが悲鳴を上げ、タワーシールドを構えてラトーナを背後に隠す。巨大な盾の陰から覗く彼の瞳は、恐怖に大きく見開かれていた。

「あれはただの魔物じゃないわ……。精神の精霊力が、異常に濁っている……!」 ミーアが震える声で警告を発する。

その異形を背後から見据えていたサリナが、冷徹な響きを帯びた声で正体を告げた。

「気を付けて、あれは 『夢蝕の魔(ナイトメア・イーター)』 。実体を持たない、混沌の(おり)から生まれた夢の捕食者ですわよ」

「夢蝕の魔……捕食者ですって!?」 ミーアが問い返すと、サリナは険しい表情で一歩前へ出た。

「ええ! あれが狙うのは肉体じゃありません。心の隙間に潜む『夢』そのものです! あの靄に触れてはダメ、魂を直接汚染されますわ!!」

「来るわよ! 散って!!」

ミーアが叫び、光の精霊を呼んだ。しかし、その魔物はミーアが放った光の精霊をすり抜ける。

「光の精霊が通じないの!?」と、ミーアがおののいた瞬間、魔物はその心の隙間に真っ向から飛び込んできた。

「……あ……、あ……っ」

魔物の『靄』を浴びたミーアは、短い呻き声を上げると、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。その瞬間、魔物もまた霧のように消えてしまった。

「ミーア!!」

テューレが駆け寄るが、ミーアの瞳は虚ろで、呼吸は浅い。 その魂は、魔物によって夢の迷宮のさらに奥深くへと引きずり込まれ、自己を破壊されようとしているかのようだった。

「これ、どういうことなのよぅ!」

サリナが後ろからミーアの顔を覗き込んで言う。

「まずいわ……彼女、夢を破壊する混沌に冒されましたのね。このままでは、彼女の精神が死にます。……助ける方法は、ただ一つ」

「助ける方法があるんですか? もしかして」

ラトーナが何かを思い出したかのような顔で、サリナのドレスの背中の大きく空いた部分に目をやる。

「その想像のとおりです。わたくしは胡蝶の部族、レスフェーンのしもべ」

その瞬間、サリナの肩甲骨のあたりから、爆発的な輝きと共に巨大な虹色の羽が噴き出した。それは夜の帳をそのまま切り取ったような濃紺の色彩をベースに、真珠母貝のような真珠光沢(イリデッセンス)を帯びた、透き通るほどに美しい胡蝶の羽であった。

サリナは真剣な表情でテューレたちを見据えた。

「わたくしのタレントで、 『夢幻界の門(ドリームゲート)』 を開きますわ。ミーア様を救うには、貴方たちが肉体を持ったまま彼女の夢に飛び込み、そこに巣食う混沌を直接倒すしか方法はありません」

「わ、わかったわ。頼みます」

テューレの言葉を聞くと、サリナは神獣レスフェーンへの祈りを捧げ始めた。

「舞え、夢蝕(むしょく)の胡蝶。 虹色の鱗粉で現実を塗り潰し、心の奥底に眠る夢の記憶を呼び覚ませ。 夜の帳の向こう側、甘美なる混沌の領域へと我らを導け――」

サリナが背中の胡蝶の羽根を羽ばたかせると、そこから虹色に光る鱗粉が舞い散り、やがて凝集して空間に巨大な光の門が現れた。

「わたくしは 『月胡蝶(ナイトパピヨン)』 となって案内します。……でも、気をつけて。この門をくぐるには、貴方たちの『弱さ(エゴ)』が作り出す幻影に打ち勝たなくてはいけません。もし自分自身に負ければ、貴方たちも二度と現実には戻れません。それを承知でついてくる覚悟はありますか?」

二人は頷きあう。

「では、私の羽ばたきを……その光を追いなさい!」

テューレとラトーナは意を決して『ドリームゲート』へ飛び込んだ。

 

門を抜けた先。そこは物理的な色彩も音も奪われた、濃密な「無」が支配する回廊だった。前方を舞うナイトパピヨン――サリナの虹色の輝きだけが唯一の道標だが、そこへ進むには、混沌が引きずり出す「己の負の情動(エゴ)」を打ち破らなければならない。

 

「……あたし……? これ、あたしなの……?」

テューレの前に現れたのは、かつて帝国との戦いで、何の見せ場もなくあっけなく槍に貫かれて絶命した、自分自身の「死体」だった。

『情けないヤツ。10万ゴールドの借金すら返せず、仲間の荷物になって、無様に死んで……。英雄のフリなんて、もうやめたら?』

自分自身の死霊が、テューレを嘲笑う。テューレの膝が激しく震えた。だが、彼の頭の中には、今も響き続ける「不滅の口伝」があった。

「……うるさいわよ。あたしは……フィランヌに、借金を返さなきゃならないのよ。勝手に自己破産してなかったことにするのは、あの人以上に、自分自身が許してくれないんだからぁぁ!!」

テューレは涙を振り払い、大盾を構えて自分自身の影を力任せに押し潰した。

 

一方、ラトーナの前には、かつて黄金峡の案内人を務めていた頃の、氷のように冷たく、そして傲慢な自分の姿が現れていた。

『優しい魔法使いのフリをして楽しい? あなたは彼を騙し、記憶を消し、その心を弄んだ。所詮、あなたは彼を管理するだけの「神の番犬」なのよ』

「……違うわ。私は、テューレ様を……テューレ様を愛してる!」

ラトーナは自身の過去の罪――欺瞞を認め、その上でテューレへの情熱を魔力に変えて放った。

「案内人としての私はもう死んだわ! 今ここにいるのは、テューレ様の隣を歩くと決めた、一人の女よ!」

 

二人が己のエゴを打ち破った瞬間、禍々しい景色は一変した。「ナイトパピヨン」として巨大な虹色の羽をゆったりと羽ばたかせ、テューレとラトーナの前方を舞うサリナの姿が見えるようになる。彼女が飛ぶ軌跡には、尾を引く彗星のように光り輝く鱗粉が残り、それが混沌を押し広げて一時的な「道」を作り出していた。

「テューレ様、見て! サリナさんの羽が……!」

ラトーナが感嘆の声を漏らす。サリナの背中で揺らめく羽は、混沌の深淵において、まるで夜の海に浮かぶ灯台のように力強く、かつ妖しく輝いている。彼女の束ねられた濃紺の髪が鱗粉の光を反射し、ドレスの裾が夢幻の風にたなびく様は、まさに「夢蝕(むしょく)」の名に相応しい、魂を奪われるほどに美しい光景だった。

「あともう少しですわ。……『心の城』を、その執着を強く持ちなさい!」

サリナの鋭い鼓舞と共に、彼女の羽が最大級の輝きを放ち、混沌の幕を強引に引き裂いた。その光の裂け目の向こう側には、ミーアの魂の深層――見渡す限りの黄金の野原が、昏い混沌の空の下に広がっていたのである。

そしてその野原の中央では、巨大な『夢蝕の魔』がミーアの精神体を無数の触手で締め上げていた。

「離しなさいッ! ミーアを返してぇぇ!!」

テューレが咆哮し、黄金に輝く大盾を構えて突進した。魔物が放つ「絶望の咆哮」が精神を揺さぶるが、今のテューレには効かない。彼は魔物の触手の一つを剣で叩き切り、さらにラトーナが放つ極大の火球『ファイヤーボール』が、残る魔物の触手を次々と焼き払っていく。

「ディレーオンの承認の下に……消えなさい!!」

そして最後に、ラトーナの杖から放たれたまばゆい稲妻の光が、魔物の本体の核を貫いた。悲鳴と共に魔物は霧散し、黄金の野原を覆っていた混沌の空に柔らかな光が戻る。

その眩い光の中で、テューレは失われていた「あの日々」の記憶をすべて取り戻していた。

それは、フォレースル地方の街スループの酒場に貼り出した、一枚の求人広告から始まった物語だ。かつての冒険で死に、フィランヌに10万ゴールドもの蘇生費用を肩代わりさせた挙句、生き返った時には仲間と離れ離れになっていた情けない男――。彼は「英雄フィランヌの仲間、テューレ」という、虚勢と卑屈さが入り混じった文句で仲間を募ったのである。

ミーアの精神に触れてしまったことでよみがえった記憶の奔流が、テューレの足跡を鮮やかに描き出す。

 

共に冒険の旅を歩んだ仲間は、ミーアやドルドムントだけでなかった。

一人目は、神殿を建てるための資金を求めて冒険に出た神官戦士グラントだ。生真面目な彼は、あたしのデタラメなリーダーぶりに振り回され、牙の部族の過酷な試練に巻き込まれた末、最後にはその頭をスキンヘッドにまでして戦い抜いた。

そして、もう一人は真っ直ぐな瞳を持つ牙の部族の少女メモリー。彼女は「強さは私と同じくらい……でぇ~、人格にも問題がありそうですねぇ~」と、あたしのことを慕って(?)くれた。

あたしたち5人は、時に怪鳥ヒッポグリフや山賊と戦い、時に妖精の宝物を探し求め、クリスタニアの大地を泥臭く這いずり回ったのだった。

そんなあたしたちの道中を案内人として導いたのは、今隣にいる優しい笑顔の彼女ではない。氷のように冷徹で傲慢な「黄金峡の案内人」としてのラトーナだった。 彼女はあたしたちに「試練を受けることに意味はあるが、手に入れた宝に意味はない」という難解な謎を突きつけ続け、ただひたすらに「挑み続ける意志」を試してきた。

そしてついに辿り着いた聖地。目の前に現れたのは、世界の理を司り、神々の決定に「承認」を与える圧倒的な威容――神獣、黄金の獅子ディレーオンだった。

そこで、あたしは震える声で、自らの魂の拠り所となる「願い」を口にした。

「あたしには、命を助けてもらった恩人がいます。彼らはあたしを助けるために、多大な労力を払い、多額の金品を使ってくれました。あたしは、彼らの恩に報いなければならないのです。せめて、お金ぐらいは返したい」

世界平和でも最強の力でもない。神獣王フェネスですら尊重するディレーオン様に対し、あたしが告げたのは、フィランヌへの「10万ゴールドの借金を返したい」という、あまりにもセコイ、けれど嘘偽りのない真っ直ぐな執着心だった。

ディレーオンはその矮小な、けれど強固な意志を認め、こう答えを返した。

「どう言葉を飾ってもセコイ目的だけど、とにかく汝の目的は承認されたぞ」

その瞬間、あたしの魂には「不滅の加護」が刻まれた。たとえ儀式の代償として黄金峡の記憶が消え、案内人であったラトーナとの日々を忘れてしまっても、フィランヌへの恩義――すなわち「10万ゴールドの借金」という名の絆だけは、神獣によって永遠に承認され、あたしをこの過酷な現世へと繋ぎ止める、不滅の楔となったのだ。

 

「……そうよ。あたし、あの黄金の風景も、ラトーナちゃんが本当はずっと前から一緒だったことも、全部思い出したわ……」

黄金の野原に立ち尽くすテューレの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。失われていたのは、単なる過去の記憶ではない。自分がなぜ、どんなに情けなくてもこの不自由な「現実」を愛し、戦い続けてこられたのかという、自分自身の「誇り」そのものだった。

「……ラトーナちゃん、あたし……」

テューレが口を開こうとした瞬間、サリナの冷静な声が響いた。

「目的は達成しましたわ。……現実に戻りますわよ」

 

ミーアが無事に目を覚まし、静寂が戻った回廊で、ラトーナは意を決したようにテューレの前に膝をついた。彼女の瞳には、隠しきれない悲しみの色と、何かを諦めたような覚悟が滲んでいた。

「テューレ様。……すべて、思い出してしまったのですね」

ラトーナの声は震えていた。

「本当は……あなたに、私と同じディレーオンの部族の一員になってほしかった。ずっと私のそばで、共に生きてほしかったんです。でも、過去を思い出されてしまった以上、もう嘘であなたを縛ることはできません。……私の夢も、これで破れました」

彼女は懐から、眩い輝きを放つ 『金獅子の額冠』 を取り出した。

「これは、あなたが私と同じ鬣の部族の者となり、もう黄金峡の秘密を隠す必要がなくなった時に渡そうと思っていたものです。これを被れば、あなたはディレーオンのタレントを、『承認を受けた物事を達成するとき』――すなわち、10万ゴールドをフィランヌ様に返却すること、ひいてはフィランヌ様を助けるときに限り、能動的に使うことができます。……あなた自身が判断し、戦えるのです」

「……ありがとう。大切に使うわ」

テューレが冠を被り、凛とした表情で立ち上がる。その姿は一人前の英雄の風格を漂わせていた。

だが、そのやり取りを背後で見ていたミーアは、喉の奥からせり上がるような、えぐり取られるような「やりきれなさ」に身を震わせていた。

(……バカね。本当にバカだわ、ラトーナ)

ミーアは、ラトーナが今、自らの手で自分の幸せを永遠に葬り去ったことを理解していた。 ラトーナは、かつての冷酷な案内人としての過去をなかったことにし、一人の女としてテューレに愛されたかったはずだ。共に鬣の部族の聖地・黄金峡に帰り、そこでいつまでも仲睦まじく暮すという夢。

それなのに、結局彼女が最後に選んだのは、自分が愛する男を「自分ではない別の女(フィランヌ)」のもとへ、より確実に、より強く送り出すための「翼」を与えることだった。

(テューレにその冠を渡せば、彼はもっと強く、もっと深く、フィランヌとの『不自由な絆』に縛られていく。ラトーナ、あなたはそうやって、一生あいつの背中を、別の女のために戦う姿を、一番近くで見守り続けるつもりなの……?)

ミーアにとって、それは「波乱万丈な冒険」などではなく、ただの残酷な自己犠牲による「不幸」にしか見えなかった。自分と同じ記憶を共有する唯一の友人が、自ら進んで「報われない物語」の脇役に収まろうとしている。

「……はぁ。バカバカしいったらありゃしない」

ミーアは、涙が出そうになるのを誤魔化すように、わざとらしく砂を払って立ち上がった。

「あーあ、なんだか胸糞悪いわ。サリナさんも加わったことだし、さっさと行きましょう。こんなじめじめした場所、もう飽き飽きよ」

冷たく吐き捨てて歩き出すミーアの背中には、友人へのどうしようもない憐憫と、彼女を救えなかった自分への怒りが、迷宮の闇よりも重くのしかかっていた。

 

一行が歩き出す中、サリナは最後尾から静かに彼らの背中を眺めていた。 自己犠牲の悲劇に沈む女性と、それを見て怒るもう一人の女性。そして、彼女たちとは別の女のために戦う力を得た戦士。

その歪な「絆」の残響を見つめながら、サリナは誰にも聞こえないほど小さな声で、そっと独り言を漏らした。

「……愛おしいほどに不自由で、美しい光景ね」

サリナの紫色の瞳には、慈悲とも、あるいは冷徹な観察とも取れる妖しい光が宿っていた。




グラントやメモリーと共に歩んだ泥臭い冒険の記憶、かつて冷酷な案内人だったラトーナとの出会い、そして神獣ディレーオンの前で誓った「フィランヌへの10万ゴールドの返済」。
あの日、神獣によって永遠に「承認」されたそのセコくも真っ直ぐな執着こそが、テューレを現世へと繋ぎ止める不滅の楔だったことが明かされました。

しかし、過去を取り戻したことで訪れたのは、胸を締め付けるような切ない空気――。
テューレと結婚するという夢を自ら捨て、彼がフィランヌの元へ駆けつけるための「額冠」を手渡したラトーナ。その悲痛な覚悟と、彼女が「報われない物語」の脇役に収まろうとしているのを見て苛立つミーアの葛藤。
また、どこか不気味な余裕を漂わせるサリナが残した『愛おしいほどに不自由で、美しい光景ね』という言葉の意味とは……?

次回第24話「愛の負債、勇者の鈍感」も、ぜひ楽しみにしていただけますと幸いです!

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。