地下七階。現実と幻影がどろどろに溶け合う「境界線」を、テューレ一行は慎重に進んでいた。壁面の大理石は生き物のように脈動し、天井からは実体のない光の粒子が粉雪のように舞い落ちる異様な空間である。
回廊の突き当たりに、重厚な装飾が施された木製の扉が立ち塞がった。先頭を行く剣士レオンが、扉の数メートル手前でピタリと足を止め、鋭い視線で扉を射抜いた。
「……待て。何かおかしい。扉の向こうから、どろりとした嫌な気配がする。敵意だ。それも、組織的な待ち伏せの匂いがするぞ」
「えぇ〜? レオンちゃん、考えすぎじゃないのぉ? あたしには何も聞こえないわよ。ただの古い扉じゃない」
テューレが大盾を抱え直し、のんきに首を傾げる。だが、レオンの表情はかつてないほど険しかった。裏街で培った彼のプロとしての勘が、この先は死地だと警告していたのだ。
そこで、一行に加わったばかりの胡蝶の民サリナが、鈴を振るような声で提案した。
「では、わたくしが確かめてまいりましょう。姿を見られずに『向こう側』を覗く手段がございますの」
サリナは瞳を閉じ、その実体を現実から切り離す。 「――タレント、『
サリナの身体が、陽炎のようにゆらりと透け始めた。彼女は肉体を半分だけ夢幻界へと置くことで、現実世界の物理的な干渉を無効化させたのだ。 透明な亡霊のようになったサリナは、そのまま閉ざされた木扉の表面を滑るようにすり抜け、向こう側へと消えていった。
この光景を、ドルドムントは音もなく凝視していた。プロのスカウトとして、壁の継ぎ目や隠しスイッチという「物理的な解」を追求してきた彼にとって、物質そのものを無視するサリナの異能は、理解の範疇を完全に超えたものであった。
ドルドムントの長い触角は、驚愕によって垂直に立ち、細かく震えている。彼は沈黙したままシルクハットのひさしを深く押し下げると、誰にも聞こえないほど低い声で呟いた。
「……おやおや。もはや鍵開けの『ウデマエ』を語るのが、野暮に思えてまいりますな」
サリナが抜け出た扉の先の向こうの部屋では、レオンの直感通り、妖魔の小隊が弓を構え、殺気を漲らせて扉から入って来るものを狙い撃とうと待ち伏せていた。
サリナは室内の中心で静かに実体化すると、背中の大きく開いたドレスから、眩い輝きを放つ巨大な虹色の羽を出現させた。
「舞いなさい、『
砕いた宝石のような光の粒子が、部屋全体に充満し、妖魔たちの鼻腔へと容赦なく吸い込まれていく。直後、殺気に満ちていた部屋の空気が、底の抜けた器のように急速に弛緩した。カタン、カタンと、弦を引き絞っていた弓が、力をなくした指から次々と床にこぼれ落ちる。ある妖魔は、虚空を見つめたまま幼児のような声を漏らし、だらしなく口端から涎を垂らした。彼らの意識は戦場にはなく、レスフェーンがもたらす無垢な痴呆の夢の中に幽閉されてしまったのだ。
――ただ、一匹を除いて。
「ぎ……、ぎぎぃぃいいいッ!!」
中央にいた一匹の妖魔が、突如として獣のような絶叫を上げた。鱗粉が脳の本能的恐怖を逆なでしたのだ。狂乱したその個体は、ぼーっと立ち尽くす仲間の背中に、迷いなくその短剣を突き立てた。
凶暴化した一匹は、反撃することさえ忘れて微笑んでいる同胞たちを、狂った機械のように次々と切り刻んでいく。壁に溶け込み、再び『
やがて、部屋に動くものが最後の一匹となった瞬間、サリナは音もなくその背後に姿を現した。透明化を解くと同時に、手にしたショートスピアを一閃。鋭い切っ先が妖魔の喉元を正確に貫き、最後の一匹を物言わぬ肉塊へと変えた。
サリナが内側から扉を開けると、そこには血の海と化した凄惨な光景が広がっていた。
「ひえぇぇ〜っ! むごすぎるわよぅ! サリナさん、中身は意外と肉食系なのねぇ……」
テューレが顔を真っ青にして大盾の陰に隠れる中、レオンは血みどろの現場を確認し、短く頷いた。
「……認めざるを得ないな。君の偵察能力と、この戦場を支配する力。君がいなければ、俺たちは今頃矢の餌食だっただろう」
一行が部屋の奥へと進むと、レオンが持つ『導きの短剣』が激しく共鳴し、青い光を放ち始めた。
「……この先に隠し部屋がある。だが、入り口が見当たらんぞ」
レオンが指し示したのは、壁の奥まった場所にある、足元から膝くらいまでの大きさしかない、小さな穴だった。その奥には何らかのスイッチのようなものが見えるが、あまりにも深すぎて、テューレが盾の角を突っ込んでも、レオンが剣の先を伸ばしても、どうしても届かない。
「……おやおや。誇り高き怪盗紳士を自称するこの私でも、この狭すぎる『隙間』にはお手上げ……ふむ、スカウトとしての『腕上げ』が、まだまだ足りなかったようですな。私の細腕や自慢のピッキングツールをもってしても、奥のスイッチには届きませんぞ」
ドルドムントが深くシルクハットを被り直し、大仰に肩をすくめて見せると、サリナがふわりと前に出た。
「ふふ、またわたくしの出番のようですわね」
サリナが深く息を吸い込み、レスフェーンの加護を呼び覚ます。 「――タレント、『
虹色の光が彼女を包んだ瞬間、サリナの身体は急速に収縮し、身長50cmほどの小さな「妖精」のような姿へと変貌した。サイズの変化に耐えきれなくなった重厚なドレスがハラリと床に脱げ落ち、中から一糸まとわぬ、しかし虹色の羽を羽ばたかせる神聖なサリナが現れた。
「ひ、ひえぇっ!? ちょっと、サリナさん! 服が脱げちゃってるじゃないのよぅ!!」
テューレが慌てて顔を覆おうとした瞬間、それよりも早くラトーナが背後から飛びつき、テューレの両目をその掌でガッシリと塞いだ。
「テューレ様! 見ちゃダメです! 不潔です! 破廉恥です!!」
「ちょっとラトーナちゃん、あたし何も見てないわよぅ!」
ラトーナが顔を真っ赤にしてテューレをにらみつけているが、それに目もくれず、小さなサリナは裸体を晒しながらも平然と宙を舞い、壁の穴へと飛び込んだ。彼女が奥にあるスイッチをその小さな手で力一杯押し込む。
ゴゴゴ……という重低音と共に壁がスライドし、隠されていた宝物庫が姿を現した。
元の姿に戻り、ドレスを纏ったサリナが微笑みながら一行を促す。隠し部屋の中には、かつての勇者が遺した秘宝が眠っていた。
魔法の剣と盾の一そろい:持つ者の意志に呼応して持ち主の素早さを増す武具。
魔法の手鏡:向けられた魔法を、さらに威力を高めて術者へと反射する魔道具。
魔法のバトン:これを持って応援することで、対象一人の戦士としての力を劇的に向上させる杖。
「ひえぇぇ〜! 見てよこの輝き! ……でも、先に進んだ連中はここを通らなかったのかしら」
テューレが歓喜と疑問の混じった声を上げると、レオンが周囲の様子を冷静に見まわしながら答えた。
「さっきの殺気を奴らも感じ取って、敢えて手を付けずに回避したのかもしれんな」
「あいつら、効率第一だものね。おかげであたしたちには大収穫よ!」
ミーアがニヤリと笑うと、レオンはまず剣と盾を手に取り、迷いなくテューレへと差し出した。
「テューレ、この剣と盾はセットで君が持つべきだ。我らの『壁』である君が最高の守りを得て、さらにそれを補うこの剣を振るえば、パーティの生存率は飛躍的に上がる」
「ちょっとレオンちゃん、何言ってるのよぅ!」
テューレは慌てて両手を振って辞退した。
「あたしの役割は、この大きな盾の陰に隠れてガタガタ震えながら、あんたたちが敵を片付けてくれるのを待つことなの! 剣技に関しては、逆立ちしたってレオンちゃんの方が上でしょ? せっかくの魔法の剣なんだから、プロの剣士が使わなきゃ宝の持ち腐れよぅ!」
「だが、これは君のリーダーとしての――」
「いいから! 剣はあんた、盾はあたし! 二人でこの『最強のセット』を分け合うの。これこそが、あたしたちの熱い友情ストーリーってやつじゃないのよぅ!」
レオンは一瞬呆気に取られたが、やがて不器用な笑みを浮かべて頷いた。
「……フッ、友情ストーリー、か。悪くない。分かった、この剣は俺が預かろう。君の盾に弾かれた敵は、この刃が確実に仕留めると約束する」
レオンは自身の腰に差していた魔法の武器、『導きの短剣』を抜き、それをドルドムントへと差し出した。
「ドルドムント殿。俺は新たな剣を得た。壁の歪みを教えるこの短剣は、スカウトである君が持っているのが最も『アリ』がたいはずだ」
そう言って、ニヤリと笑う。
ドルドムントはシルクハットを指で弾き、深々と頭を下げ、同じように諧謔を交えた言葉で返した。
「おやおや。プロの剣士のお下がりとは光栄ですな。私の複眼とこの短剣があれば、隠し扉の『ナシ』のつぶてな状況も、一気に『アリ』がたい展開に変わるというものですぞ」
「さて、次はこれね」
ミーアが、装飾の美しい 『魔法の手鏡』 を拾い上げた。向けられた魔法を跳ね返すというその魔道具を、ラトーナがじっと見つめていた。その瞳には、隠しきれない悔恨の色が滲んでいる。
「……それ、私に持たせてくれませんか?」
ラトーナの声は、小さくも決然としていた。彼女の脳裏には、地下五階の最奥部で、ダークエルフのメルヴィーが放った 『
「私……あの時、自分が一瞬でやられたせいで、フィランヌ様は降伏することになってしまった。もうあんな惨めな思いはしたくないんです。この鏡があれば、次はあのエルフの魔法だって跳ね返してみせます!」
その一途な想いを知る仲間たちは、異を唱えることなく頷いた。手鏡は、再戦を誓うラトーナの手に預けられた。
「じゃあ、最後はこれね。……応援することで戦士の力を引き出す 『魔法のバトン』 」
ミーアが楽しげにバトンを指先で回し、そのままニヤリと、隣に立つレオンへ視線を向けた。
「決めた。これはあたしが持つわ! これで、あなたの戦う姿を特等席でバッチリ応援してあげるからね、レオン! 」
ミーアはそう言い放つと、パチンと派手に レオンへ向けてウィンクを飛ばした。
突然の熱烈な(あるいは茶化すような)宣言に、生真面目な剣士レオンは、あからさまに 「勘弁してくれ……」と言わんばかりに顔をしかめ 、深いため息をついて視線を逸らした。
最後尾でその様子を見ていたサリナが、紫色の瞳を細めて優雅に微笑んだ。
「ふふ、実に愛おしい光景ですわ。……さあ、新たな力を手に入れた勇者様たち。さらに深淵なる『悪夢』へ参りましょうか?」
一行はそれぞれの新たな得物を手に、地下七階のさらなる闇へと足を踏み出していった。
今回は、前話で一行に加わった胡蝶の民サリナの圧倒的な異能(と、あまりにも破廉恥すぎる脱衣半胡蝶化!)が描かれ、隠された宝物庫でそれぞれの『新たな力』を手に入れる回となりました。
自分ひとりで抱え込まず「剣はレオン、盾はあたし!これが熱い友情ストーリーよ!」と分け合ったテューレとレオン。
過去の屈辱を胸に、メルヴィーへのリベンジを誓って『魔法の手鏡』を受け取ったラトーナ。
そして『魔法のバトン』を手にして「特等席で応援してあげる!」とレオンにウィンクを飛ばすミーア(と、露骨に困り顔の生真面目剣士レオン)。
それぞれの役割と想いが新しい武具や魔道具として形になり、一行はスカウトも前衛も魔法使いも大幅にパワーアップを果たしました!
装備も万全となり、再び一丸となったテューレ一行。
いよいよ地下七階のさらなる深淵、そしてライバルパーティの待つ場所へ向けて進撃を開始します!
次回もぜひ楽しみにお待ちいただけますと幸いです。
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