「な……っ!?」
眩い光に弾き飛ばされるような感覚。次の瞬間、レオンが目を開けると、そこは先ほどまでいたはずの「夢幻界」ではなく、冷たい大理石が敷かれた地下七階の現実世界であった。
傍らでは、テューレとラトーナが、メルヴィーの肉体を守り続けていたが、突然のレオンの帰還に驚いた。
「あらぁ!? レオン、もう帰ってきたのぉ? あんたたち四人で、あっちでド派手に決戦を繰り広げてるんじゃなかったの?」
テューレが駆け寄ってくる。レオンは忌々しげに顔を歪め、立ち上がりながら土を払った。
「……不合格だとさ。俺の理由が『正しすぎる』からだと、あの胡蝶の女に追い出された」
「『正しすぎる』ねぇ……? 」
テューレはニヤニヤと、どこか邪推に満ちた、いやらしい笑みを浮かべてレオンの顔を覗き込んだ。
「本当は、『このダークエルフの娘を助けたら、あたしに惚れるかもしれないわぁん!』とか、そんな邪念が入っちゃったんじゃないのぉ? だからサリナさんに、『あんた、下心が透けて見えてるわよ!』って、お仕置きで追い出されちゃったんでしょぅ!?」
「えーっ、レオンさん、そうなんですか?」
テューレに対しては疑うという言葉を知らないラトーナが、その冗談を真に受けて相槌を打つ。
「な……っ! ば、馬鹿なことを言うな! 俺はただ、仲間の高潔さに報いるのが組織の士気として正しいとかそういうことをなんとかかんとか」
「あはぁん、その必死な否定が怪しいわねぇ。レオンも意外と隅に置けないわぁ。あたしの次に主役級のモテ男を目指してるのかしらぁ?」
「違うと言っている! 俺はプロだ、そんな不純な動機で剣を振るうわけがないだろう!!」
赤面して必死に弁明するレオンと、それを「はいはい、わかってるわよぉ〜」と茶化し続けるテューレ。 現実世界でのそんな騒々しいやり取りをよそに、夢の内側では、残された三人がメルヴィーの絶望と対峙していた。
サリナの導きによって「メルヴィーの絶望の檻」へと足を踏み入れた三人の視界を、どろりとした重苦しい闇が包み込んだ。そこは、ダークエルフのメルヴィーが数十年もの間、誰にも触れさせずに守り続けてきた――あるいは、彼女を縛り続けてきた凄惨な記憶の吹き溜まりであった。
三人の前に、音もなく「過去の幻影」が浮かび上がる。そこにいたのは、まだ幼く、純粋な瞳をした少女時代のメルヴィーだった。彼女は故郷の里にやってきた人間の商人から聞かされた「きらびやかな大都市」の物語に胸を躍らせ、周囲の反対を押し切って村を飛び出した。
しかし、三人が目撃したのは、そこから始まる地獄のような「現実」だった。街の門をくぐった瞬間、浴びせられる「薄汚い肌の泥棒猫」「近づくな、呪われる」という罵詈雑言の嵐。宿屋からは塩を撒かれて追い出され、路地裏で泥水をすすりながら、彼女はそれでも人間の街の文化に憧れた自分を捨てきれずにいた。
「……ひどすぎるわ。ただダークエルフだというだけで、これほどの……」
フィランヌが唇を噛みしめ、銀の剣を握る指を白くさせた。
決定的な瞬間が訪れる。親切を装って近づいてきた人間の冒険者に騙され、檻の中で奴隷として売り飛ばされそうになったあの時。嘲笑う男たちの顔を見たメルヴィーは、生き延びるために、初めて自らの手を血で染めた。憧れが冷酷な殺意へと塗り替えられた、この「人殺し」の誕生の瞬間を、三人は成すすべもなく見せつけられた。
「……あたし、物語の『観測者』としていろんな悲劇を見てきたつもりだったけど」
ミーアが魔法のバトンを握りしめ、震える声で呟いた。
「こんなの、ちっとも美しくないわ。彼女の純粋な憧れを餌にして、魂ごと食い荒らすなんて……。これはもはや、悲劇なんていう生易しい絶望じゃないわよ」
その傍らで、ドルドムントは沈黙を貫いていた。普段なら軽妙なダジャレを飛ばす彼の触角は、今は激しい憐憫と怒りで硬く強張ったまま、ぴくりとも動かない。彼はただ、無言でその凄惨な記憶を自身の複眼に焼き付けていた。
そうした光景を通り抜けながら進んだ三人は、記憶の最深部、メルヴィーの精神を「永劫の眠り」に繋ぎ止めている核へと辿り着いた。
そこには、巨大な異形が立ちはだかっていた。それの名は、精神の精霊『サンドマン』――本来は安らかな眠りを誘うボロボロのローブを纏った 「砂を蒔く老人」 の姿をした精霊だが、メルヴィーの強大な魔力と絶望を苗床に巨大化し、目からは漆黒の涙を流していた。
老人が革袋から「砂」を掴み、一行へ向かって勢いよく蒔く。
「――眠りなさい。現実などという、不自由な痛みは忘れて……」
「させないわ!砂には風よ!」
ミーアが叫び、腕を激しく振るった。
「ページをめくるは鋭き
放たれた真空の刃が、サンドマンの蒔く砂の嵐を真っ向から切り裂いていく。しかし、その強力な精霊魔法の代償として、ミーアの身体が陽炎のように僅かに薄れていった。
「お気をつけあそばせ!」
その様子を見ていたサリナが、背後から鋭い警告を発した。
「この世界での精神力の消費は、すなわち自身の生命力の消費となりますわ!」
ドルドムントは依然として一言も発しない。しかし、その動きには迷いがなかった。彼は至近距離から『
「魔法がダメなら、接近戦よ!」
フィランヌが銀の剣を閃かせ、ドルドムントが弱らせたサンドマンの頭部を、聖なる一閃で一気に撃ち砕いた。
眩い光が溢れ、絶望の檻が音を立てて崩壊していく。
◇◇◇
「……う……あ……」
現実の世界で、メルヴィーがゆっくりと瞼を持ち上げた。視界に飛び込んできたのは、リーダーではなく、自分たちの捕虜でしかなかったはずの金髪の神官――フィランヌの、温かみのある青い瞳だった。
「私は……。リーダーたちがいない。ということは……。私が眠った後、我らは敗れたのだな。……しかし、なぜ私を助けた?」
「理由なんて、あたしにもよく分からないわよ。ただ、あなたを助けたいと、理屈抜きにそう思っちゃったのね。……そう思わせちゃったあんたの勝ちよ」
「私が……? いや、買いかぶりすぎだ。私はそのような作戦は……」
「そう、あなたはありのまま動いて、それがあたしたちを動かしたの。でもね、そういう人って結構貴重なのよ。あたしは神官という仕事柄、いろんな人の懺悔を聞いてきたわ。けれど、偽善者じゃない人って案外少ないものなの。……でもね、中には本当に守ってあげたいと思わせる、心のまっすぐな人がいる」
「ドルドムントも……同じようなことを言っていたな」
メルヴィーは視線を落とし、小さく自嘲した。
「あなたたちは、良い出会いに恵まれたのだな。……しかし、私は……」
「あら、これからそれを作ればいいじゃない。というか、もう出会えているんじゃない?」
フィランヌが背後を振り返る。そこには、ずっと無言のまま控えていたドルドムントが立っていた。彼はゆっくりとシルクハットを脱ぎ、胸に当てると、ここで初めて重く、静かな声を絞り出した。
「……メルヴィー殿。一言、謝罪をさせてください」
ドルドムントの複眼が、真っ直ぐに彼女を見据える。
「かつて地下四階の檻で、私は『自分を信じてくれる仲間がいる』と、あなたに説教じみたことを申しましたな。……ですが、それはあまりにも無神経な言葉でした。あなたがどれほど悲惨な目に遭い、その魂がどれほどの絶望に曝されてきたか……私は今の今まで、何も知らなかった。特権階級に生まれ、素晴らしい仲間に恵まれた私の『楽な人生』を元に、あなたの苦しみを推し量ったこと……本当に、申し訳なかった」
ドルドムントの深い謝罪に、メルヴィーはポカンと口を開けた。そして、フィランヌの視線の意味にようやく気づくと――。
「…………。……ふふっ」
メルヴィーは、ニッコリとほほ笑んだ。
それはドルドムントも、いや彼よりももっと長く彼女と一緒にいたファルクたちですら、一度も見たことがない、少女のような輝きを宿した微笑みであった。
その朗らかな表情を間近で見ていたレオンは、あまりの美しさに、思わずつられて優しく微笑んでしまった。だが、その直後に、隣で自分をじーっと見つめているミーアの、物語を楽しむような悪戯っぽい視線と目が合った。
「あ……。ち、違う、ミーア! 別に俺は、このエルフに特別な感情を抱いているわけではなく、ただ戦士として任務が完遂したことに安堵してだな……!」
誰も聞いてもいないのに、慌てふためいて必死に弁明を始めるレオン。
そんな彼に、ミーアはきょとんとした顔で「はあ?」という返事を返した。
そのやり取りを見て、また一つ大きな「現実の笑い」が、迷宮の深淵に響き渡るのだった。
サリナの導きによって突入したメルヴィーの精神世界では、彼女が抱え続けてきた壮絶な過去が明かされました。だからこそ、後半でのドルドムントの言葉が重く響きます。かつて自身が言い放った正論を「自分の恵まれた立場からの無神経な言葉だった」と認め、頭を下げるシーンは、彼の思慮深さと誠実さが溢れ出る今セッション最大のハイライトでした。
そして、そんなドルドムントの謝罪に対してメルヴィーが見せた笑顔。あれが今回のタイトル、
『還ってきた少女の微笑み』
です。
彼女が昔の少女に戻ったわけではありません。それでも、何十年も苦しんできた彼女が、もう一度信頼に値すべき者に巡り会えた。
その瞬間だけ、忘れていた少女の笑顔が戻った――というつもりで書きました。