1
地下七階の死闘を潜り抜け、一行がついに辿り着いた地下八階。そこはもはや迷宮というより、巨大な「意志の審判場」であった。静寂が支配する回廊の突き当たりに、二つの巨大な扉が、左右に分かれて重厚な威容を誇っている。
左手側の扉には、繊細で妖艶な 胡蝶のレリーフが施され、右手側の扉には、荒々しくも神々しい 双角の野牛のレリーフが刻まれていた。
そしてその二つの扉の中央には、古の文字が青白く浮かび上がっていた。
『至宝を求める者は左へ、真実を求める者は右へ。それぞれの意志を持つ者に、扉は開かれん』
「ひえぇぇ、また面倒な二択じゃないのぉ!」
テューレが巨大なタワーシールドをがちゃつかせながら、情けない声を上げた。しかし、その瞳は即座に左側の蝶の扉へと釘付けになる。
「そんなもん、決まってるわよぅ! あたしが求めているのは10万ゴールド……つまり
テューレが左の扉へ近づくと、扉は彼の「借金完済」という卑近ながらも強固な意志を承認するように、音もなく滑らかに開いた 。
「ほらね! やっぱりあたしはこっちよ! さあ、レオンちゃん、あんたも……」
テューレが振り返り、後方にいたレオンを促す。レオンは複雑な表情を浮かべたまま、ゆっくりと左の扉へと歩み寄っていった。しかし、彼が扉の敷居を跨ごうとする距離まで近づいた瞬間――。
パタンッ!
乾いた音を立てて、左の扉はレオンを拒絶するように閉ざされた。
「な……っ!?」
驚愕するテューレを余所に、レオンは何事もなかったかのように納得しきった表情で、今度は右手側の「野牛の扉」へと向き直り、歩み寄った。彼が扉に近づくと、石扉に刻まれた牛の瞳が赤く輝き、重厚な扉が内側へと開かれた。
「……やはり、俺が求めていたものは『真実』であったか」
レオンの声には、自嘲と、そして父の汚名を晴らすという逃れられぬ宿命への覚悟が混ざっていた。
「ちょっと、レオンちゃん! 待ちなさいよぅ!」
慌ててテューレがレオンを追って右の扉へ近づく。だが、今度はその真実の扉が、テューレの顔の前でぴしゃりと閉ざされた。
2
扉が閉まった部屋で、レオンは足を止め、隣に立つテューレを静かに見つめた。
「残念だが、テューレ。ここで君とは道を違えるしかないようだ。……父の汚名に隠された『真実』は、至宝を夢見る君の隣にはない。扉から離れてくれ」
「嫌よ! あたしたち、あんなに一緒に頑張ってきたじゃないのぉ!」
テューレが頑なに首を振ると、レオンは「許してくれ」と短く呟き、力強くテューレへ体当たりして、彼を突き飛ばした。
突き飛ばされたテューレが床に尻餅をつき、扉から距離が開いた刹那、レオンが足を踏み出すと真実の扉が再び開き、彼は迷いなく闇の向こう側へと姿を消した。
「レオンッ!!」
その背中が消えるか消えないかのうちに、ミーアが叫んで飛び出した。彼女が右の扉へ駆け寄っても、扉は閉まることなく、彼女を歓迎するように開いたままであった。
ミーアは一瞬だけ足を止め、床に尻をついたままのテューレを一瞥した。その瞳には、悲しみが色濃く宿っていた。もちろん、テューレは代えがたい大切な仲間である。しかし、今はそれ以上に、レオンという男が背負う「波乱万丈な宿命」の行方を見届けねばならないという、重い葛藤をその背に負っていた。
ミーアは断腸の思いでテューレから視線を外すと、そのままレオンを追って、吸い込まれるように真実の扉の中に消えていった。
続いて、ドルドムントがシルクハットを指で整え、意を決したように右の扉――真実の方へと歩み出した。
「怪盗を自称するこの私ならば、自分の『ウデマエ』がどこまで真実に届くのか……確かめぬわけには参りませんな」
ドルドムントが近づいても扉は閉まらない。
「ではテューレ殿、しばらく失礼しますぞ。今まで『アリが十』!」
赤い巨体もまた、ミーアたちの後を追って闇の中へと消えた。
3
次に動いたのはラトーナだった。しかし、その足取りはいつになく重い。彼女は不安げに、隣で黄金の盾を抱えて立ち尽くすテューレを見上げた。
(……もし、拒絶されたらどうしよう)
ラトーナの指先は、杖を握る力が強すぎて白くなっていた。彼女はフィランヌのように、強気な言葉や冷淡な仮面で心を武装することなどできない。テューレへの愛も、自分自身の至らなさへの不安も、すべてがその大きな瞳に、揺れる光となって溢れ出していた。
(レオンさんは、ご自分の求める『真実』を見つけようとしている。一方で、テューレ様は、恩人に借金を返すために『至宝』を求めている。……でも、私の望みは? 私にとっての『宝』は、テューレ様の隣にいることだけ。もしもこの迷宮が、そんな私の不純な動機を『至宝への意志』ではないと判定したら……私はテューレ様と引き離されてしまうの?)
ラトーナは震える唇を噛みしめ、縋るような視線をテューレに向けた。彼女は案内人としての過去を明かして以来、テューレに嫌われることを何よりも恐れていた。もしここで扉に拒絶されれば、それは「お前には彼の隣を歩く資格がない」と神獣に宣告されるも同然だった。
「ラトーナちゃん……? どうしたのよぅ、そんなにガタガタ震えて」
テューレが不思議そうに覗き込む。ラトーナは首を横に振り、涙をこらえるようにして、至宝の扉へと一歩を踏み出した。
「テューレ様……。ラトーナは、たとえ神獣様に拒まれても、テューレ様のそばを離れたくないんです……っ!」
溢れ出したのは、偽りのない本音だった。彼女が扉に近づくと――。
カタリ。
蝶のレリーフが淡く輝き、扉は彼女を拒絶することなく、優しく招き入れるように大きく開かれた。
ラトーナにとっての「至宝」とは、黄金でも名誉でもない。ただ一人の男、テューレの隣という安息そのものであった。迷宮は彼女のその「一途で、不自由なまでの執着」を、至宝を求める意志として承認したのかもしれない。
「あ……よかった……!」
ラトーナはその場に崩れ落ちそうになるのを堪え、大きく安堵の息を漏らした。開かれた扉の入り口で、彼女は潤んだ瞳をテューレに向け、今度は力強く頷いてみせた。
「テューレ様、ラトーナはこちらです! 共に参りましょう!」
続いて、ダークエルフのメルヴィーが、静かな足取りで右の「真実の扉」へと向かった。
「……私の人生を狂わせた、この世界の不条理。その正体を見極めるまで、私は眠るわけにはいかない」
彼女が扉の数歩手前まで近づいても、扉は閉まらない。メルヴィーは意を決して扉をくぐった。
部屋の中には、左の扉の前に立ち尽くしたままのテューレ、ラトーナ、そしてサリナとフィランヌの四人が残された。
サリナは、その様子を最後尾から優雅に眺めていた。彼女の紫色の瞳には、一行の決断を愉しむような光が宿っている。
「あらあら、わたくしはどちらの方でしょう?」
サリナは楽しげに独り言を漏らすと、優雅に左の扉へと歩み寄った。扉は閉まらない。彼女はそこで足を止め、最後に残った金髪の神官を振り返った。
フィランヌは、いつになく緊張した面持ちで立ち尽くしていた。その美しい顔は僅かに蒼白く、唇を一文字に結び、銀の剣を握る指先が白くなるほど力が籠もっている。
彼女は何度か深呼吸を繰り返すと、意を決したように左の「至宝の扉」へと一歩を踏み出した。その足取りはいつもの軽やかさを欠き、どこか強張っている。
しかし、彼女が扉に近づいても――扉は閉まらなかった。
フィランヌはその場に立ち止まり、長く止めていた息を「ほぅっ……」と吐き出した。その肩から劇的に力が抜け、わずかに震えていた指先がようやく弛緩していく。
その様子を見ていたサリナが、扉の手前からクスクスと鈴を転がすように笑いながら声をかけた。
「あらあら、ラーダの神官様ともあろうお方が、知恵や真実よりも『至宝』を求めるのですか? 実に意外ですわね」
フィランヌはすぐにいつもの不敵な、そしてどこか居直ったようなドSな笑みを取り戻すと、剣を肩に担ぎ直して言い放った。
「当然でしょう! あたしはこの
かくして、迷宮の審判によって、勇者たちはそれぞれの意志に従い、四人ずつ二つのパーティに分かたれることとなった。
至宝を追う「現実」組:テューレ、ラトーナ、サリナ、フィランヌ
真実を問う「宿命」組:レオン、ミーア、ドルドムント、メルヴィー
分かたれた先で彼らを待ち受けるのは、黄金の報いか、あるいは残酷な真実の光か。
「宿命」を背負う真実組(レオン、ミーア、ドルドムント、メルヴィー)
父の汚名を晴らす宿命に向き合うレオンと、彼の物語を見届ける覚悟を決めたミーア。そして己の腕前を試すドルドムントに、不条理の正体を見極めようとするメルヴィー。重厚なドラマを予感させる4人が「真実」へと進みました。
「現実」を生きる至宝組(テューレ、ラトーナ、フィランヌ、サリナ)
一貫して10万ゴールド(借金完済)を追い求めるテューレと、「テューレの隣」こそが至宝だと涙ながらに証明したラトーナ。そして「借金を回収するまでは死ねない」と居直るフィランヌに、底知れぬ笑みを浮かべるサリナ。こちらは賑やかしくも一癖ある顔ぶれが集まりました。
レオンとテューレの別れや、ラトーナの切実な祈りなど、それぞれの意志を認めて開かれた扉。
分かたれた二つのパーティーを待ち受けるのは、果たして眩い黄金か、それとも残酷な真実か――。
次回からの二つのルートの物語も、ぜひ楽しみにお待ちください!