「父上……父上ッ!!」
レオンの絶叫が、静寂の戻った玉座の間に痛切に響き渡った。
崩れ落ちたミノタウロスの巨体から人の姿へと戻った男――レオンの父、かつてのスループ王国騎士は、焦点の定まらない瞳で虚空を見つめていた。その頬を、レオンの熱い涙が濡らす。
「……レ、オン……か。大きくなったな……」
掠れた声。十年の歳月は、誇り高き騎士の面影を削り取り、そこにはただ、果てしない疲弊と困惑を湛えた一人の老人が横たわっていた。しかし、その瞳は息子を捉えながらも、同時に「別の何か」――過去の深淵を凝視し続けているようだった。
「…………」
「特等席」に陣取っていたライバルパーティの元リーダーの男は、その様子を無言で見つめていた。彼は一人の「モスコスの従者」として、この瞬間の空気が孕む重圧を肌で感じていた。彼はバイソンの聖印を握りしめ、まるで自分自身に言い聞かせるかのような低い、しかし確信に満ちた声で語り始めた。
「レオン、お前の父がなぜこのような姿に成り果てていたのか……その理由を教えてやろう。今から十年前、この方はスループ王都郊外の迷宮で、先代のDMが変身したミノタウロスとの最終決戦に勝利したのだが……」
リーダーの男の声は、冷酷に、しかし詳細に事実を積み重ねていく。
「だがその時、今わの際の先代DMから一つの問いが発せられた」
『勝者たるお前に問いたい。人生とは迷宮のようなものである。だがもし、この迷宮の出口が、そのまま同じ迷宮の入口に繋がっていたら、お前は何とする?』
「騎士として、いつ終わるともしれぬ戦いに明け暮れてきたお前の父にとって、その問いはあまりにも重すぎた。迷宮が人生そのものであるとするならば、それは『何も達成できぬまま、ただ戦わされることの連続』という虚無の肯定に他ならない」
リーダーの男は、憐れみを込めたかのような表情で、横たわるレオンの父を見やった。
「この方は、そのモスコスの思想に抗い難い共鳴を感じてしまったのだ。…… 『答えなき者』が神の教えに賛同したとき、一種の呪いが発動する。彼は騎士としての誇りをすべて投げ打ち、財宝を持ち出して、死した主の代わりに迷宮を統べる『モスコスのダンジョンマスター』として生まれ変わったのだ」
「父上が……自ら、絶望の番人に……」
レオンが絶句する中、意識を失いかけていた父の瞳に、鈍い光が宿った。彼はリーダーの語った過去の残響に反応するように、震える唇を動かした。
「……そうだ。私は、あの日……問いに答えられなかった……」
父の手が、縋るようにレオンの腕を掴む。その力は驚くほど弱く、けれどその言葉には、世界そのものを呪縛するような重苦しい魔力が宿っていた。
「レオンよ。此度の迷宮の勝者となったお前に、十年の時を経て、今一度尋ねよう……。この世界は、間違いなく閉ざされた迷宮であり、無限に続く試練の連鎖を我らに強いる。ではレオン、お前は、この世界のありようにいかなる意味を見出す?」
リーダーの男はピクリとも動かず、ただ無言でその光景を注視していた。果たしてこの「裏街の剣士」が、英雄をも廃人へと追いやった絶望の理に対し、どのような言葉を投げ返すのか。彼は観察者として、その回答がもたらす結末を固唾を飲んで見守っていた。
ミーアがレオンの背中にそっと手を置く。
「答えてあげて、レオン。あなたの声なら、きっと届く。物語の結末を、あなたが決めるのよ」
ドルドムントがシルクハットを胸に当て、メルヴィーも静かに成り行きを見つめる中、レオンは父の手を強く握りしめ、顔を上げた。その瞳には、裏街で培った「這いつくばってでも生きて帰る」という、泥臭くも強固な現実への意志が宿っていた。
「……答えるぞ、父上。たとえ俺の人生が、モスコスが説くように、永遠に試練の連鎖が続く無意味なものだとしても……出口が入口に繋がっていようと、俺は構わない。
俺は、その道の途中で、信じ合える仲間と出会った。共に笑い、共に傷つき、泥水をすすってでも生きて帰ろうと誓い合った。
……出口に意味がなくても、歩んできたこの時間、刻んできた『足跡』だけは、誰にも奪えない真実だッ!!」
レオンの魂の叫びが、玉座の間を震わせた。
その瞬間、玉座を覆っていた禍々しい魔力が、ガラスが砕けるような音を立てて霧散した。レオンの父の身体を縛っていた透明な鎖が解け、彼の瞳に、十数年ぶりとなる真の「正気」の光が戻った。
「……そうか。足跡、か……。レオン……お前は、私を超えたな……」
父が穏やかに微笑み、深い眠りについた。深淵を支配していた強大な呪縛から解放され、ようやく一人の人間として、安らかな眠りを得たのだ。
「……呪縛が、解けたというのか」
リーダーの男が、驚きを隠せぬまま呟いた。彼はゆっくりと歩み寄り、玉座の周囲を検分し始めた。と、男の視線が玉座の真後ろの岩壁で止まった。
「……おい、これは何だ?」
そこには、妖しく脈動する円環状のアーティファクトが埋め込まれていた。中心に虚無を抱きながら、周囲の空間を歪めるほどの強大な負の魔力を放ち続けている。ミーアが眉をひそめて近寄り、その魔力の流れを読み取ろうとした。
そこへ、ダークエルフ
「間違いない……。これは、かつて胡蝶の部族から奪われたという伝説の祭器、私と同じダークエルフのシェールが持っていたという、 『シェールの混沌輪(こんとんりん)』だ」
「混沌輪だと? ……なぜ、そのような物がここにある」
混沌輪とは、夢幻界、すなわち混沌に通じる世界を開くための門、そのくらいの知識はこのリーダーの男にもあった。
彼が険しい顔をする中、メルヴィーは輪から伸びる魔力の糸を指し示した。
「見て……この輪、眠っているレオンの父から、今なお何かを吸い出している。DMがその身に降ろしたモスコスの力を、何者かがこの輪を通じて利用しているのではないか?」
何者かという単語を聞いて、しかし皆の頭に一斉に思い浮かんだのは、あの胡蝶の民の女、サリナのことだった。サリナが何かを行っているということなのか?
「利用されているというのなら、答えは一つだわ」
ミーアが叫ぶ。
「何をやっているのか分からないけど、とにかく今すぐ、これを取り外すべきよ!」
レオンが頷き、魔法の剣の柄で混沌輪を強引に取り外した。
ガシャッ! という硬質な音が響き、混沌輪が床へ転がり落ちた瞬間――迷宮全体が、これまでにない激しい地震のような揺れに見舞われた。
「おや。装置を壊したことで、この迷宮が崩壊を始めたようですな」
ドルドムントが天井を見上げて呟く中、部屋全体が瓦解し始めた。
「レオン、お父さんを連れて逃げるわよ! とりあえず、あの二つの扉があった部屋まで引き返しましょう! あの『胡蝶の扉』の向こう側に行ったはずの、テューレたちのことが心配だわ!多分サリナも一緒にいる!」
ミーアの叫びにレオンは力強く頷き、眠る父をその背に担ぎ上げた。
「待っていろ、テューレ、フィランヌ、ラトーナ。今、この『真実』を持って、そちらへ行く!!」
一行は崩落の兆しを見せる玉座の間を飛び出し、自分たちが分かたれた運命の分岐点を目指して、決死の脱出を開始した。
「人生は無意味な円環なのか?」
10年の時を超えて突きつけられた、父からの重すぎる問い。
それに対して、レオンはこの迷宮で這いつくばりながら見出した「仲間との足跡」という答えで返しました。
結末ではなく過程を、達成された成果ではなく生きてきた時間を肯定するレオンの叫び。それこそが、英雄をも縛り続けていたモスコスの絶望を打ち砕く唯一の光となったのです。
しかし、父を救い出した喜びも束の間。
玉座の奥で蠢いていた『シェールの混沌輪』と、その先に見え隠れするサリナの影。迷宮の崩壊が始まる中、物語はいよいよ両パーティの合流へと向かって動き出します。
次回「セッション34:夢を捨てた勇者」――崩れゆく迷宮で、分かたれたレオンとテューレは再び巡り合うことができるのか。ぜひお楽しみに!