地下八階、「至宝」と「真実」の意志が分かたれた二つの扉の間。崩落の地鳴りが轟き、物理的な空間が軋み始める中、その中心で二つの光が同時に爆ぜた。
一つは、玉座の間から決死の脱出を果たしたレオン、ミーア、ドルドムント、メルヴィー、そしてライバルパーティのリーダーの男の五人。レオンの背には、強大な呪縛から解き放たれ、深い眠りについた父の姿があった。
もう一つは、サリナが最期に遺した純白の門『ドリームゲート』を潜り抜けて帰還したテューレとラトーナ。そして、その腕に支えられ、魂が抜けたように項垂れるフィランヌの三人である。
「ひえぇぇ〜っ! レオンちゃんたち! 生きてたのねぇ!!」
テューレが再会の喜びに声を上げるが、その視線はすぐに、一行の陰に立つスカウトの男へと向けられた。
「……何であんたがここに平然と立ってるのよぅ! フィランヌを置いて逃げたくせに!」
リーダーの男は無機質な瞳でテューレの非難を受け流した。
「そんなことは、今はどうでもいいだろう。モスコスの試練は終わり、この迷宮は間もなく完全に瓦解する。……私の転送タレントは、今日はもう三回使ってしまったから、あと一回、自分ともう一人だけを外へ運べる。誰を運ぶ?」
レオンは一瞬の迷いもなく、背負っていた父の身体をリーダーへと預けた。
「……父上を頼む。この人を、光の当たる場所へ連れて行ってくれ」
「承知した。……では、地上の入り口で待たせてもらおう」
リーダーの男が指を鳴らすと、彼とレオンの父の姿は青白い燐光に包まれ、瞬時にその場からかき消えた。
かくして、残された「七人の勇者」による、決死の脱出劇が始まったのである。
「急ぐわよ! レオン、道標は生きてるわね!?」
ミーアの叫びに、レオンが力強く頷く。
「ああ。床から三フィート(約九十センチ)の位置に刻んだ赤い目印を追え。これさえ見失わなければ、塵埃の中でも迷うことはない!」
一行はレオンが刻んだ「足跡」を頼りに、崩落の進む回廊を駆け抜けた。先頭を行くレオンの剣と、最後尾を固めるドルドムントの複眼が、刻一刻と変化する迷宮の罠を警戒する。
テューレは、隣でフラフラと危うい足取りで走るフィランヌを支え続けていた。彼女は先ほどから一言も発せず、ただ虚空を見つめている。サリナに「自らの正しさが仲間を縛る毒だった」と断罪された衝撃は、救国の英雄の心を未だ深い泥濘の中に沈めていたのだ。
「大丈夫よ、フィランヌ。あたしがアンタの盾になるって言ったでしょ。しっかりしなさいよぅ!」
テューレが励ますように肩を抱くが、フィランヌの瞳にいつもの輝きが戻る気配はなかった。
地下六階へと続く長いスロープに差し掛かったその時だった。
「……っ! 止まれ、前方に異変だ!」
レオンの鋭い制止が響く。砂塵が舞う通路の奥から、腐敗した肉の臭いと、ずるり、ずるりという不快な足音が押し寄せてきた。
現れたのは、迷宮の崩壊に巻き込まれ、逃げ場を失って殺到してきたゾンビの群れであった。その数は数十、狭い通路を数珠つなぎになって埋め尽くしている。
「ひえぇぇ〜っ! 死体のお散歩行列じゃないのよぅ!! ちょっと、どきなさいよ! このままじゃアンタたちだって、生き埋めになって本当の終わりなんだからね!!」
テューレが盾を構えて叫ぶが、隣を走るミーアが即座にツッコミを入れた。
「テューレ、死人にそんな理屈を言ってもムダに決まってるでしょ! ほら、さっさと蹴散らすわよ!」
「おやおや、まさに『死』んでも『退』かぬというわけですな。……ですが、この数は少々多すぎますぞ!」
ドルドムントがダガーを構え、ラトーナも詠唱に入ろうとした、その時。
「……あたしが……やるわ……」
今まで沈黙していたフィランヌが、震える手で聖印を掲げ、ゾンビの群れの前に進み出た。
「フィランヌ! 気がついたのね!?」
テューレの歓喜の声を背に、フィランヌは虚ろな瞳でゾンビを見つめた。気力はまだ萎えているとはいえ、アンデッドの群れは知識神ラーダの神官である彼女にとって、最も容易い相手である。
「――理を外れた不浄なる魂よ……ラーダの御名において……去りなさい……」
彼女は力を振り絞り、邪悪を払う奇跡『
しかし、その瞬間。精神の糸がふっと指をすり抜けるような、不吉な感覚が彼女を襲った。
「え……?」
フィランヌの掲げた聖印からは、淡い光が弱々しく漏れただけで、ゾンビの群れには何の影響も与えなかった。いかに達人といえども、数十回に一度は訪れる不運。普段の彼女であれば、「ちっ、運が悪かったわね」と舌打ち一つで済ませる程度の些細な出来事。
しかし、今回は違った。今の彼女には、その失敗は「神に見放された」という絶望の証明として突き刺さった。
「……あ……ああ……」
フィランヌの手から聖印が滑り落ち、石床に冷たい音を立てて転がった。彼女はそのまま膝を突き、両手で顔を覆って震え始めた。
「……あたし、ついにラーダ様にも見放されたわ……。あたしの『正しさ』が偽物だったから……神様も、あたしの祈りなんて聞いてくれないのね……」
「ちょっとフィランヌ!? たかが一回失敗しただけで、何弱気なこと言ってるのよぅ!」
テューレが慌てて駆け寄るが、フィランヌの心はさらに深く、自己嫌悪の深淵へと沈んでいった。咆哮を上げて殺到するゾンビの群れに対し、ミーアが迷いなく前へ出た。彼女は密集する群れを見据え、その「連鎖」を逆手に取った戦術を瞬時に描き出した。
「地の底にて
ミーアの精霊魔法が発動した瞬間、ゾンビたちの足元の石床が不自然に陥没した。最後尾を歩いていた数体のゾンビが、抗う術もなく前のめりに倒れ込む。
「――作戦通りね!」
通路が狭く、後続が数珠つなぎに密集していたことが最大の効果を生んだ。後方が転んだ衝撃はドミノ倒しのように次々と前のゾンビを巻き込み、通路は一瞬にして重なり合う腐肉の山へと変わった。ゾンビたちは絡まり合い、立ち上がることさえままならない。
「お見事、ミーア殿! おかげで隙が『アリ』余るほど生まれましたな!」
ドルドムントが、山となったゾンビへと斬り込もうとしたその時、彼の全身を闇の精霊が包み込み始めた。
「あんたを二度とあんな孤独な檻の中に戻しはしない。……私たちは『プロ』でしょう? 最後まで、粋に生き抜きなさいな。
深淵より出でし、実体なき影の精霊よ。 その黒き外套を以て、我が
敵の濁った瞳を欺き、その無慈悲なる爪を
―― 『シャドウボディ』!! 」
大切な仲間を守るためにメルヴィーが紡いだ魔導により、ドルドムントの輪郭が陽炎のように歪み始めた。
「ギギィッ!」
一体のゾンビが、眼前のドルドムントへ腐った爪を振り下ろす。しかし、爪は実体を捉えることなく、朧げな影を虚しく切り裂いただけだった。ドルドムントは顔色一つ変えず、その空振りによって生じた隙を悠然とステップでかわす。
「おやおや、どこを狙っておられるのですかな? 私の本体は、もっと『アリ』がたい場所にありますぞ!」
ドルドムントは影に紛れて敵の攻撃を一切受けることなく、『導きの短剣』を閃かせ、もがくゾンビの急所を的確に貫いていった。
同時に、ラトーナが魔力を一点に凝縮させた。
「――来たれ、焼き尽くす審判の炎! 死を連ねし列の
放たれた火球は、前線のドルドムントを大きく飛び越し、ゾンビの山の後方へと正確に着弾した。凄まじい轟音と共に最後尾が爆ぜ、積み重なっていた腐肉の壁が内側から弾け飛ぶ。ラトーナの完璧な射撃により、脱出路は一瞬にして切り拓かれた。
「……最高の援護だ。一気に突破するッ!!」
レオンが黄金に輝く『魔法の剣』を正眼に構え、黄金の閃光で敵を断ち切った。
「今よ! 走りなさい!!」
ミーアの叫びと同時に、テューレは 動かないフィランヌの細い腰を力任せに抱え上げた。
「しっかりしなさいよ、フィランヌ! アンタに借金を返すまでは、あたしが地獄の果てまで運んであげるんだからぁぁ!!」
テューレは黄金の盾を先頭に、文字通りの移動要塞となって駆け出した。不自由な明日が待つ地上を目指し、一行は崩壊する深淵を駆け抜けていく。
粉塵が舞う通路の壁。床から三フィートの位置に刻まれた、鮮やかな赤顔料の矢印が、迷える勇者たちに生還の道を示し続けていた。
フィランヌが神官としての力を失いかけても、これまで彼らが築いてきたチームワーク(そしてレオンが壁に刻み続けた泥臭い「足跡」の目印)は決して崩れません。
ミーアの『スネア』から始まる見事なドミノ倒しコンボ、メルヴィーとドルドムントの絆、そして迷わずフィランヌを担ぎ上げて突進するテューレ。誰一人脱落させることなく脱出を目指す「七人の勇者」の生還劇は、いよいよクライマックスを迎えます。
次回「セッション36:トラップ・エクスチェンジ」――崩れ去る地下迷宮からの完全脱出! そして、待ち受ける地上で彼らを待つものとは。ぜひお楽しみに!