「銀行を襲う」
シロコが言った。
俺は、ブラックマーケットへ来たことを初めて後悔した。
*
出発前の会議は、四十五分かかった。
議題の半分はブラックマーケットの調査。
残り半分は、俺を連れていくかどうかだった。
「反対」
ホシノは最初に言った。
「危険地域へ、ヘイローのないカナタ君を連れていく理由がないよ」
「現地の車両と設備を見る人間が必要です」とアヤネ。
「おじさんたちでも見られる」
「見ても分かるとは限りません」
「アヤネちゃん、今日は厳しいねぇ」
「必要な役割を整理しているだけです」
先生が条件表を作った。
「カナタを前線へ出すつもりはありません。調査中は防護服を着用。単独行動禁止。銃撃が始まれば車両へ戻る。戦闘には参加しない。車の運転は私が担当します」
「俺も運転はできる。港の作業車なら」
「公道の規則が同じとは限りません」
「それはそうです」とアヤネ。
「車両整備、経路確認、退路維持だけなら」と先生。
ホシノは条件表ではなく、俺を見ていた。
「怪我は?」
「痛みはほぼない。痺れ、出血、熱なし。五キロ以上は持たない。強く押さない、引かない、ひねらない」
「危なくなったら?」
「車へ戻る」
「私が戻れって言ったら?」
「戻る」
「帰りは?」
「一緒に帰る」
一つずつ答える。
ホシノは目を閉じた。
「……先生」
「はい」
「カナタ君の近くに、誰か一人は必ず残してください」
「約束します」
「おじさんが一緒にいられない時も」
「その時は私か、別の生徒が」
「分かりました」
反対を取り下げたわけではない。
全員の決定へ従う形で、条件を増やした。
以前なら、俺はそれを檻だと感じただろう。
今は、外へ出るための手すりに見えた。
*
ブラックマーケットへ近づくほど、街の色が変わった。
正規の標識が減り、壁に手書きの看板が増える。
武器店の隣に偽造証明の屋台があり、その向かいで中古家電と装甲板が同じ棚に並んでいる。
通りには複数の学園の制服が混じっていた。
校章を外した者。
顔を隠した者。
銃を見せつける者と、銃を隠す者。
どちらが危険か、俺には分からない。
アビドスの古い多目的車は、市場外縁の駐車場へ止めた。
先生が運転席。
俺は助手席で、途中から異音を出していたエンジンの記録を取っている。
「ベルトが滑ってる」
「帰れますか」と先生。
「今は。長時間止めると、次に始動しない可能性がある」
「交換は?」
「予備がない。張りを調整すれば少し持つけど、左腕を使う」
ホシノが後部座席から身を乗り出す。
「使わないよ」
「分かってる。別の方法を考える」
「どんな?」
「エンジンを冷やしすぎない。停止時間を短くする。坂道を避ける」
「直さない選択もできるようになったねぇ」
「直せないだけだ」
「それでも、えらい」
ホシノは満足そうに座り直した。
調査は二組に分かれた。
先生、シロコ、セリカが金融街側。
ホシノ、ノノミ、アヤネ、俺が車両市場と裏通り。
必ず通信範囲内。三十分ごとに合流。交戦禁止。
「交戦禁止」とホシノがもう一度言う。
「俺に?」
「みんなに」
「俺は武器を持ってない」
「工具も武器にしないでね」
「持ってきてない」
「いい子」
ホシノの手が頭へ伸びる。
市場の人目に気づき、途中で俺の襟を直す動きへ変わった。
ノノミが後ろで微笑んでいる。
「何かなぁ、ノノミちゃん」
「何でもありませんよ~」
前日の会話を知る二人だけの顔だった。
*
返済金の振込票にあった名義は、三つの両替所を経由し、ブラックマーケット中央の銀行へつながっていた。
表向きは貸金庫と事業者向け決済を扱う金融機関。
裏では盗品、武器、依頼料の資金洗浄をしている。
噂はすぐ集まった。
証拠は集まらない。
「銀行の中に記録がある」とアヤネ。
「外からは取れませんね~」
「正規の照会には応じないだろうねぇ」
四人は市場の裏通りを歩く。
俺は防弾板の入った上着を着ていた。
暑く、重い。
左腕の傷が布へ擦れる。
だが痛みは増えていない。
「カナタ君」
「痛みは一。ほかはない」
「先に言われた」
「顔に出てた」
ホシノが少し笑う。
その時、角の向こうで声が上がった。
「ですから、私は本当に、その限定ペロロ様を受け取りに来ただけで……!」
柔らかな少女の声。
黒い上着の三人が、一人を壁際へ囲んでいる。
囲まれた少女は、トリニティの制服を着ていた。両手に、丸い鳥のキャラクターが描かれた紙袋を抱えている。
「受け取り料が足りねえって言ってるんだ」
「事前に支払った金額と違います!」
「市場価格が変わった。嫌なら品物はこっちで処分する」
紙袋へ手が伸びる。
少女は袋を抱きしめた。
「それだけは困ります!」
ホシノが前へ出る。
「お話し中、ごめんねぇ」
三人が振り返る。
「その子、困ってるみたいだけど」
「関係ねえだろ」
「うん。本当ならね」
柔らかな声のまま、ホシノは俺と相手の間へ立った。
ノノミも反対側へ回る。
アヤネが契約票を確認した。
「追加料金の記載はありません。市場管理規約にも、受取時の一方的な増額は禁止とあります」
「管理規約なんか、ここで誰が守るんだよ」
「私たち?」
ホシノが盾の留め具へ触れる。
三人は対策委員会の装備を見た。
次にノノミの機関銃を見る。
舌打ちし、紙袋を少女へ投げる。
「二度と来るな」
「こちらこそ、もう利用しません!」
少女は言い返したが、三人が去ると膝から力が抜けた。
「た、助かりました……ありがとうございます」
「怪我は?」
「ありません。ペロロ様も無事です」
紙袋を開き、奇妙な鳥のぬいぐるみを確認する。
最優先らしい。
「私は阿慈谷ヒフミです。トリニティ総合学園の一年生です」
「アビドスのホシノだよ。こっちがノノミちゃん、アヤネちゃん。それから」
ホシノが俺の右袖をつまむ。
「うちのカナタ君」
「うちの?」
ヒフミが瞬く。
「居候です~」とノノミ。
「保護居住者です」とアヤネ。
「漂流者」と口にした。
「ええと……いろいろあるんですね」
ヒフミは深く追及しなかった。
その代わり、四人がブラックマーケットへ来た理由を聞き、銀行の名を知ると顔を曇らせた。
「あそこは危ない噂が多いです。私も両替所を探している時に、何度か見ました」
「中へ入ったことは?」とアヤネ。
「一般の窓口までなら。裏口の搬入口も、限定品のお店へ行く途中に通りました」
「詳しい」とホシノ。
「ペロロ様のためなら、道は覚えますから!」
ヒフミの目が初めて強くなる。
シロコに自転車の話をした時と似ていた。
「先生たちと合流しよっか」
ホシノが通信を開く。
*
合流後、ヒフミの案内で銀行の周囲を一周した。
正面には武装警備。
裏の搬入口には装甲車。
屋上には監視装置。
俺は車両の数と向きを記録した。
「搬入口の装甲車、二台のうち一台は動かない」
「どうして分かる?」と先生。
「下に油が溜まってる。右後輪も沈んでる。動かせるのは一台」
「退路は?」
「北通りは坂で車が多い。うちの車はベルトが滑ってる。南へ出て、倉庫街を抜ける方がいい」
「襲う前提になってる」とセリカ。
「襲うとは言ってない。逃げるなら、だ」
「その違い、必要?」
全員が銀行を見上げる。
中には、アビドスの金が流れた記録がある。
外から取る手段はない。
「銀行を襲う」
シロコが言った。
俺は、ブラックマーケットへ来たことを初めて後悔した。
「却下です!」
アヤネが最も早かった。
「銀行強盗は犯罪ですよ!」
「向こうも犯罪者」とシロコ。
「相手が犯罪者なら何をしてもいいわけではありません!」
「お金を取り戻す」
「目的が増えています!」
「証拠だけ持ち出す」とセリカ。
「セリカちゃんまで!」
「だって、私たちの返したお金で襲わせたのよ。帳簿くらい見せてもらって当然でしょ」
「見せてもらう方法ではありません!」
ノノミが頬へ指を当てる。
「正面からお願いしても、断られそうですね~」
「ノノミ先輩まで賛成しないでください!」
「賛成とは言ってませんよ」
「顔が楽しそうです!」
「カナタは?」とシロコ。
突然、判断を求められる。
「帰る」
「今?」
「銀行を襲う前に」
「証拠が取れない」
「先生から正規の捜査権限を申請する。市場の管理者へ圧力をかける。口座の外側を追う。方法はほかにもある」
「時間がかかる」とシロコ。
「銀行強盗よりましだ」
「でも、成功する」とシロコ。
「成功するかどうかの話じゃない」
「では、失敗しない計画を作る」
「話を聞け」
先生が、二人の間へ手を出す。
「一度、整理しましょう」
結論は、その場では出なかった。
市場外縁の車へ戻り、集めた情報を並べる。
銀行が私兵を雇い、アビドスへの攻撃資金を出していること。
正規の照会は連邦生徒会の混乱で時間がかかること。
証拠が消される可能性があること。
そして、これ以上待てば別の襲撃が起こり得ること。
先生は、金を奪うことを目的にしない、証拠確保のための立ち入りとして計画を組み直した。
「それでも法的には問題があります」とアヤネ。
「責任は私が取ります」
「先生だけの責任にはできません」
「だから、全員が納得しないなら実行しません」
一人ずつ意思を確認した。
シロコは賛成。
セリカも賛成。
ノノミは、負傷者を出さず証拠だけという条件で賛成。
アヤネは最後まで迷い、撤退条件と記録の全保全を条件に賛成した。
ホシノは全員の顔を見てから頷いた。
「委員長として、みんなを連れて帰る。それができる計画なら」
「ヒフミは、ここで離れてください」と先生。
「あの」
ヒフミがペロロの紙袋を抱きしめる。
「裏口の道を案内したのは私です。皆さんには助けてもらいました。それに、その銀行が危ない人たちへお金を出しているなら、放っておけません」
「トリニティの生徒を巻き込めません」
「自分で決めました」
柔らかな声の中に、強い芯があった。
先生は何度か安全条件を確認し、最後に受け入れた。
「カナタ君は車」
ホシノが言う。
「絶対に」
「車両担当なら、そのつもりだ」
「先生も、約束してください」
「カナタを一人にしません。銀行内へは入れません」
ヒフミが手を上げる。
「変装はどうしますか? 制服のままだと、学校が分かってしまいます」
「覆面」とシロコ。
「それだけでは体格で分かります」とアヤネ。
「水着」
「どうしてそうなるんですか!?」
「学校が分からない」
「ほかにも服はあります!」
ノノミが楽しそうに端末を見せる。
「近くに、季節外れの商品を安く売るお店がありますよ~」
「ノノミ先輩!」
「経費も抑えられます」
アヤネが黙る。
経費という言葉は強かった。
「カナタ君も」とホシノ。
「俺も?」
「一人だけいつもの服だと、見つかった時に身元が分かるでしょ」
「車から出ない」
「念のため」
「防護服の上から水着を着るのか」
「目立つねぇ」
「やめろ」
最終的に、俺は黒い長袖の水泳用上着と作業用の長ズボン、顔を隠す魚の覆面になった。
対策委員会とヒフミも、露出の少ない水着の上へ防護上着を重ね、動物やキャラクターの覆面を着ける。
「覆面水着団」
シロコが名づけた。
「団員六人、運転手一人?」とセリカ。
「先生を数えると八人です」とアヤネ。
「カナタ君も団員でいいんじゃない?」
ホシノが魚の覆面を俺の頭へ被せる。
前髪を指で内側へ入れ、目の位置を合わせる。
顔が近い。
「苦しくない?」
「平気」
「見える?」
「見える」
「おじさんは?」
ホシノは鯨の覆面をつけていた。
「見える」
「似合う?」
「鯨が?」
「おじさんが」
俺は答えに詰まる。
覆面の下から、左右で色の違う目だけが見ている。
「……似合う」
ホシノの指が、俺の前髪へ触れたまま止まった。
「そっかぁ」
声が少し上ずる。
「じゃあ、行こっか」
振り返ると、ノノミとヒフミがこちらを見ていた。
ヒフミは何も言わず、ペロロの覆面を深く被った。
*
作戦は七分で終わる予定だった。
正面でシロコ、セリカ、ノノミが警備を引きつける。
ホシノとアヤネ、ヒフミが裏口から記録室へ。
先生が双方へ指示。
俺は車両でエンジンと退路を維持する。
最初の三分は、予定どおりだった。
四分目に警報が鳴った。
五分目に、銀行の装甲車が一台だけ動き出した。
俺が動かないと見た車両ではない。
「裏の一台が出る!」
通信へ叫ぶ。
『動かないんじゃなかったの!?』とセリカ。
「油が漏れてた方じゃない。もう一台だ!」
『北通りを塞がれます』とアヤネ。
「南へ出る。先生、戻って!」
『記録は確保しました。全員撤退!』
銃声が近づく。
俺は助手席から身を乗り出さない。
エンジンの回転数を見る。
ベルトが鳴いている。
始動したまま保ったため、止まってはいない。
だが急加速すれば滑る。
先生が運転席へ戻るまで、回転を少し上げて温度を保つ。
最初にヒフミとアヤネが戻る。
ヒフミは記録端末を抱えていた。
アヤネは、なぜか現金袋を一つ持っている。
「それは?」
「証拠品です!」
「金に見える」
「シロコ先輩が投げました!」
次にホシノ。
車へ乗る前に、俺の頭と胸を見る。
「無事?」
「無事。早く乗って」
ホシノが後部座席へ入る。
シロコ、セリカ、ノノミが正面から走ってくる。
その後ろを警備員が追う。
先生が最後に運転席へ飛び込んだ。
「全員いますか!」
「一、二、三、四、五、六、先生、カナタさん。全員です!」とアヤネ。
「出します!」
「ゆっくり踏んで。いきなりだとベルトが滑る」
先生がアクセルを少しずつ踏む。
車が動き出す。
後ろから装甲車が曲がってくる。
「南へ。次の角は左。北は坂で止まる」
俺は地図と通りを交互に見る。
「左は細い!」とセリカ。
「この車なら通る。装甲車は曲がれない」
「信用します」と先生。
左へ曲がる。
車体の両側を、露店の布が擦る。
装甲車は入口で止まり、壁へ片側をぶつけた。
「抜けた」とシロコ。
「まだ。二つ先で右。倉庫の間を抜ける」
ベルトの鳴きが大きくなる。
俺は回転計を見る。
「速度を落として。次の直線で一定に」
「了解」
先生は指示どおりに運転する。
市場の外周が見えた。
追跡車両はない。
「脱出しました!」
アヤネの声で、車内に歓声が上がった。
シロコだけが現金袋を数えている。
「一つ足りない」
「いくつ投げたんですか!」
「五つ」
「証拠だけの計画だったよね?」と口にした。
「強盗らしく見せるため」とシロコ。
「見せるだけなら空袋でいい」
「中身がないと軽い」
「そういう問題じゃない!」
セリカとアヤネの声が重なる。
ホシノは俺の隣へ身を寄せた。
狭い後部座席から、助手席の右袖をつまむ。
「一緒に帰れそうだねぇ」
「まだ学校まである」
「でも、同じ車にいる」
「そうだな」
「怖かった?」
「銀行を襲うと言われた時が一番」
「うへへ。おじさんも」
「賛成しただろ」
「みんなで決めたからねぇ」
「次は反対してくれ」
「次があるの?」
「ない」
「じゃあ約束」
「銀行は二度と襲わない」
シロコが前から振り返る。
「必要なら?」
「必要でもだ」
車内に笑いが起きる。
先生だけは、後部の現金袋を見て、長いため息をついた。
「まず学校へ戻って、記録とお金を確認します。使わず、隠さず、全額です」
「はい」とアヤネ。
「分かった」とシロコ。
「返事が軽い……」
車は砂漠の道へ戻る。
覆面を外しても、ホシノの指は俺の袖から離れなかった。
*
――Hoshino side
銀行の中へ入っている間、車のことを三度考えた。
カナタ君は先生と一緒にいる。
前へ出ないと約束した。
怪我をしたら報告すると約束した。
信じてよい。
それでも、三度考えた。
警報が鳴った瞬間は、記録端末より先に通信の名前を探した。
カナタ君の声が聞こえた。
落ち着いていた。
車と退路を見ていた。
守られるだけではなく、私が安全にできる役割を選んでいた。
戻った車で頭と胸を確かめる。
傷がない。
呼吸がある。
一緒に帰る。
それだけで、覆面の下で笑ってしまった。
みんながいる前で、袖をつまんだ。
もう、隠す気が少しずつなくなっている。
ノノミちゃんは知っている。
シロコちゃんも、たぶん気づいている。
セリカちゃんはとっくに呆れている。
アヤネちゃんは記録に書かないふりをしている。
先生は何も言わない。
カナタ君だけが、まだ気づいていない。
それでよいと思う自分と、早く気づいてほしい私がいる。
鯨の覆面を膝へ置く。
魚の覆面を外した横顔を見る。
「似合う」と言ってくれた声を思い出す。
ただ覆面が似合うという話だった。
それでも、その一言を今日一番大事な戦利品にした。