砂の海に、君が流れ着く   作:陽炎帽子

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大人の責任、生徒の願い

 先生が一人で校門を出たあと、誰も追わなかった。

 

 追わないことも、任された仕事だった。

 

      *

 

 午前七時二十一分。

 保健室の窓には板が打たれ、割れ残ったガラスへ毛布が掛けられている。

 廊下の向こうでは、便利屋68と対策委員会が瓦礫を運んでいた。

 カイザーが戻った時に、最低限の退路を使えるようにするためだ。

 

 俺は寝台の上で、救護端末の検査を受けた。

 光を右目、左目。

 指を一本、二本、三本。

 名前、日付、場所。

「汐見カナタ。十七歳。日付は――」

 一瞬、数字が出てこない。

 額の奥が鈍く痛む。

「急がなくていいです」

 救護端末の機械音声。

 俺は正確な日付を口にしてから、続けた。

「アビドス高校、保健室」

『見当識に大きな異常なし。軽度脳震盪。縫合部の再出血なし。移動を行う場合、固定座席での搬送に限定。本人による運転、走行、戦闘区域への進入、重量物作業を禁止します』

「歩くのは」

『室内の短距離のみ。必ず付き添いを付けてください』

「通信機の操作は」

『連続二十分まで。頭痛、吐き気、眠気の増強、応答遅延があれば中止』

 俺は頷こうとして、首を途中で止めた。

 頷くだけでも頭へ響く。

「聞きましたね」

 アヤネが枕元で確認する。

「聞いた」

「復唱してください」

「運転しない。走らない。前線に入らない。重い物を持たない。通信は二十分ずつ。悪化したら中止」

「勝手な解釈を足さない」

「足さない」

「シャッターを閉めるためなら十秒だけ残っていい、もありません」

「ない」

 アヤネはようやく息を吐いた。

 端末を抱えた両腕が、まだ少し震えている。

「ごめん」

「何がですか」

「戻るなって言った」

「戻らなかったら、カナタさんは一人で倒れていました」

「でも、アヤネまで巻き込まれたかもしれない」

「そうですね。だから、次は二人とも残りません」

 怒鳴らない。

 許したとも言わない。

 次の行動を決める。

 それがアヤネの返事だった。

「うん」

 俺も次の約束として受け取った。

 

      *

 

 委員会室は窓が割れ、長机の端へ砂が積もっていた。

 それでも、アヤネはいつもの席に端末を置いた。

 シロコ、セリカ、ノノミが戻る。

 

 便利屋68は廊下で見張りを続ける。

 俺は保健室から動かない。

 委員会室の映像だけが、枕元の小型画面へつながった。

「先生が戻るまで、救出案を三つ作ります」

 アヤネが言う。

「場所が確定しない場合。砂漠基地だった場合。別の研究施設だった場合です」

「砂漠基地」とシロコ。

「可能性が一番高い」

「でも、前に見た基地は広いわよ。どこへ入れられたか分からないじゃない」

 セリカが地図を開く。

「だから、先生の情報を待つんです」

「待つだけ?」

「待ちながら準備します」

 ノノミが救急鞄を机へ載せる。

「水、止血材、予備弾倉。ホシノ先輩の分もです」

「盾は奪われてるかもしれない」とシロコ。

「予備の盾を持っていく」

「重すぎるわよ」

「私が持つ」

「シロコちゃんは先導です。盾は私が運びますね~」

「ノノミは重機関銃もある」

「じゃあ私が」とセリカ。

「全員、自分の武器があります!」

 アヤネが止めた。

 四人が黙る。

 いつもなら、そこへ眠そうな声が入る。

 まあまあ。

 おじさんのために喧嘩しないでよ。

 今日は入らない。

「車へ固定する」

 保健室から俺が言った。

「予備盾の背面金具を担架レールへ留めれば、運ぶ人はいらない。現地で必要な人が外す」

「作業は?」とアヤネ。

「俺は指示だけ。アルたちに頼む」

 廊下から扉が開いた。

「任せなさい!」

 アルが胸を張る。

「高名なアウトローは、盾の一枚や二枚くらい華麗に固定してみせるわ!」

「社長、さっき工具を逆に持ってたけど」とムツキ。

「あれは確認よ!」

「カナタ君、金具の順番だけ教えて」とカヨコ。

「車の左後部に長い帯が二本ある。上から盾、毛布、横留め。締めすぎると盾の縁が曲がる」

「分かった」

「ハルカ、持てる?」

「はい! 学校を壊さない物なら、何でも持てます!」

「その分類、少し怖いわね……」

 セリカが呟いた。

 短い笑いが起きる。

 空席は埋まらない。

 けれど、空席の周りで手を止めないことはできた。

 

      *

 

 ここから先は、帰還後に先生から聞いた話だ。

 黒服が指定した廃ビルには、入口がなかった。

 正確には、入口だった場所が全てコンクリートで塞がれている。

 先生が座標の中心へ立つと、足元に黒い円が開いた。

 階段が、地面の下へ続いている。

「ようこそ、先生」

 声だけが先に届く。

 先生は一人で下りた。

 

 扉が閉じる。

 暗い通路の先に、円卓と二脚の椅子があった。

 黒服は片方へ座り、もう片方を示す。

「お掛けください。大人同士、落ち着いて話しましょう」

「ホシノはどこですか」

「座られないのですね」

「質問に答えてください」

 黒服は肩に当たる部分を小さく動かした。

「我々は、あなたに興味があります」

「私ではなく、ホシノの話を」

「同じことです。あなたも我々も、生徒たちの持つものに関心を抱く大人だ。神秘、恐怖、選択。観測する位置が少し違うだけでしょう」

「違います」

 先生は即答した。

「私は生徒を観測物にしない」

「しかし、あなたも彼女たちの選択を見ている」

「見守ることと、逃げ道を塞いで反応を測ることは違う」

「逃げ道を選ばなかったのは、小鳥遊ホシノさん自身です」

「十七歳の生徒へ、学校と後輩と一人の少年の命を同じ秤に載せた。選ばなければ全て失うと信じさせた。それを自由な選択とは呼びません」

 黒服の指が円卓を一度叩く。

「あの少年についても把握しているのですね」

「私が先に知るべきでした」

「汐見カナタ。キヴォトスの記録に存在せず、神秘の保護も持たない。実に興味深い。あなたと協力すれば、彼の帰還経路も――」

「断ります」

「まだ条件を提示していません」

「生徒と保護下の未成年を、協力の対価にする話なら同じです」

「先生。あなたは手段が足りない」

 黒服の背後へ映像が出た。

 砂の下に埋まった巨大構造物。

 採掘機。

 透明な檻。

 膝をついたホシノ。

「彼女はすでに、学校への所属を自分で断った。カイザーは土地を得る。我々は観測対象を得る。少年には、帰る可能性を与えられるかもしれない。誰もが何かを得る、合理的な取引です」

「ホシノは得ていません」

「後輩の安全を」

「守れなかったと自分を責め続ける理由を、あなたたちが増やしただけです」

 先生は映像を見る。

 ホシノの両手。

 曲がった固定具。

 制服の内ポケットへ届かせようとした指。

「そして、あなたは一つ間違えています」

「何でしょう」

「ホシノが手紙を置けば、残された生徒がその通りに生きると思ったことです」

「子供の願いは、簡単に変わります」

「だから、大人が代わりに決めてよいとはならない」

 先生はカードを取り出した。

 薄い一枚。

 黒服の動きが、初めて止まる。

「それを使えば、代償はあなたが払う」

「大人が払うべき代償なら」

 先生はカードを下ろさない。

「生徒に払わせません」

 沈黙。

 円卓の映像が切り替わる。

 砂漠北東部。

 第十八採掘管理区。

 地下四層。

 搬入口は三つ。

 黒服は、隠すことをやめた。

 諦めたからではない。

 先生が何をするか、その先まで見たいからだった。

「よろしい。では、あなたの答えを観測しましょう」

「答えはもう伝えました」

「まだ半分です」

 黒服が映像のホシノへ視線を向ける。

「残された生徒たちの答えが、届いていない」

「届きます」

 先生は座標を端末へ保存した。

「迎えに行きますから」

 

      *

 

 午前八時十三分。

 学校へ、先生から暗号化された短文が届いた。

 第十八採掘管理区。

 地下四層。

 ホシノ生存。

 準備完了後、南西の旧給水塔で合流。

 アヤネは地図を開く。

「観測所で見たカイザー基地の北側です。地上搬入口は三つ。正面は装甲車用。東は採掘物の搬出。西は旧管理路と接続しています」

「西から入る」とシロコ。

「正面も叩く必要があります」とアヤネ。

「全部を西へ集められたら、退路がなくなります」

「陽動は便利屋68に任せなさい」

 アルが即答した。

「借りは返したはずでは?」とセリカ。

「これは借りじゃないわ。私たちの仕事よ」

「依頼してないけど」

「今、依頼しなさい!」

「お金ないわよ!」

「一円でいいわ!」

「アルちゃん、それだと賠償の足しにもならないよ?」

 ムツキが笑う。

「じゃあ、後払い! 成功報酬!」

「何を払えばいいの?」

「柴関ラーメンが再開した時の一杯」

 アルは少しだけ顔を逸らした。

「私たち四人分よ」

 セリカが瞬きをする。

「……分かった。大盛りは無理だからね」

「交渉成立ね!」

 正面陽動は便利屋68。

 西管理路から、シロコ、セリカ、ノノミ、アヤネ、先生が進入。

 アヤネは前線通信と扉制御。

 俺は多目的車の固定座席から、地上中継と撤退車両を担当する。

 ただし、旧給水塔から先の戦闘区域には入らない。

 通信は二十分ごとに交代。

 悪化時は、その場で任務から外す。

「異議は?」

 アヤネが確認する。

「ない」

 俺は答えた。

 本当はある。

 ホシノのところまで行きたい。

 透明な檻を、自分の目で見つけたい。

 倒れるなら、自分が受け止めたい。

 けれど、その願いを通すために、四人の救出計画へ新しい負傷者を増やせない。

「カナタさん」

 ノノミが画面越しに呼ぶ。

「はい」

「我慢している顔ですね」

「してる」

「ちゃんと言えて偉いです」

「偉くはない」

「いいえ。大事なことですよ~」

 シロコが地図から目を上げる。

「ホシノ先輩を、私たちがカナタのところまで連れてくる」

「うん」

「だから待ってて」

 待っていて。

 

 ホシノの手紙には、書かれなかった言葉。

 シロコはそれを、逃げるためでなく帰るために使った。

 

「待つ」

 俺は答えた。

 

      *

 

 出発前、セリカがホシノの手紙を机へ置いた。

「これ、持っていく?」

「原本は学校へ残します」とアヤネ。

「じゃなくて、返事」

「返事?」

「言いたいこと、ありすぎるじゃない。助けたあと全部言ってたら日が暮れるわよ」

「全部言えばいい」とシロコ。

「戦いながら?」

「通信をつなぐ」

「それです!」

 アヤネが新しい音声記録を開いた。

「基地内放送へ接続できれば、ホシノ先輩へこちらの声を届けられます」

「位置も分かるかもしれませんね~」

 ノノミが最初に端末を取った。

「ホシノ先輩。私にみんなを見ていて、と書いてありました。でも、先輩もみんなの一人です。勝手に数から外さないでください」

 録音を止める。

 次はアヤネ。

「帳簿も学校も預かります。でも、先輩の代わりにはしません。委員長の仕事は、帰ってから一緒にしてください」

 声の最後だけが震えた。

 セリカは端末を握る。

「屋台のことなんて、今どうでもいい! ……よくないけど! 六杯予約してあるのに、一人で勝手に減らさないで。絶対、帰ってきて」

 シロコは短かった。

「一人で決めないで。私たちも、ホシノ先輩を選ぶ」

 四つの返事。

 アヤネが俺を見る。

「カナタさんも、録音しますか」

 言うべき言葉は決まっている。

 好きだ。

 

 けれど、今ここで録音すれば、ホシノは檻の中で聞く。

 返事を選べない場所で。

「告白は、帰ってきたホシノ本人に言う」

 俺は手紙を胸へ戻す。

 

「今は、これだけ」

 録音を始める。

「水筒を返す。だから、受け取りに帰ってきて」

 止めた。

「短いですね」とアヤネ。

「長いと、先に言いそうになる」

「何を?」

 セリカが聞く。

 ノノミが、少しだけ笑った。

「帰ってからのお楽しみですね~」

 

      *

 

 ――Hoshino side

 

 照明が消えてから、時間が分からない。

 眠れば、カナタ君が血を流す映像を見る。

 起きれば、本当に流れた血を思い出す。

 だから眠らない。

 固定具へ背を預け、呼吸を数える。

 

 一。

 二。

 三。

 私の呼吸ではない。

 

 カナタ君なら、今どのくらいの速さで呼吸しているか。

 

 肋骨は折れていないか。

 破片は残っていないか。

 熱は出ていないか。

 隠さず報告したあと、ちゃんと治療を受けたか。

 考えても確かめられない。

 確かめられないことが、こんなに怖いとは思わなかった。

 

「先生が来ました」

 黒服の声が、暗闇から届いた。

 私は顔を上げる。

「先生は、我々との協力を拒否しました」

「そっか」

「あなたの居場所も知りました」

「教えたの?」

「ええ」

「どうして」

「答えを見たいからです」

 この人は、勝ちたいわけではない。

 壊れるところを見たい。

 壊れなければ、その理由を見たい。

「みんなは来る?」

「おそらく」

「止めて」

 すぐに言った。

「学校が襲われたばかり。カナタ君は怪我をしてる。来させないで」

「あなたが命じれば、従うでしょうか」

 手紙を思い出す。

 待たないで。

 

 私で選んで。

 それで、カナタ君は胸へ手紙を入れていた。

 私の言葉は、もう命令にならない。

 最初から、命令する権利などなかった。

「従わないねぇ」

 声が、少しだけいつもの調子へ戻った。

 

「うちの後輩たち、頑固だからさ」

「少年も?」

「あの子は――」

 脆い。

 怖がる。

 

 痛ければ痛いと言う。

 帰りたい故郷がある。

 

 それでも、待っている。

 

「もっと頑固だよ」

 嬉しい。

 来てほしくない。

 会いたい。

 学校で待っていてほしい。

 

 今すぐ名前を呼んでほしい。

 全部が同時に胸へある。

 灰色の鯨を握る。

 もう、自分だけでは一つに選べない。

 

      *

 

 ――Kanata side

 

 午前九時二分。

 多目的車が、壊れた校門を出る。

 運転は先生。

 助手席にシロコ。

 後部にセリカ、ノノミ、アヤネ。

 俺は荷台の固定座席へ横向きに寝かされ、幅広の帯で胸と腰を支えられている。左脇へは衝撃を逃がす厚い毛布。

 予備盾。

 担架。

 救急鞄。

 鯨水筒二本。

 全て固定済み。

 便利屋68の車が、少し先を走る。

「旧給水塔でカナタさんと車両を残します」

 先生がもう一度確認する。

「私たちは管理路へ。便利屋68は正面。撤退信号は赤二回。通信不能時は十二分で一度戻る」

「了解」とシロコ。

「ホシノ先輩を見つけたら?」とセリカ。

「容体を確認。動かせるなら担架で撤退。動かせないなら位置を送り、救護経路を作る。黒服やカイザーとの交渉を、ホシノ一人へ戻さない」

「はい」とアヤネ。

 車は砂漠へ入る。

 揺れが一度来るたび、俺の肋骨が痛む。

「痛み」

 アヤネが聞く。

「五」

「吐き気」

「二」

「眠気」

「一」

「隠していませんね?」

「隠してない」

 青い鯨が、工具巻きの端で揺れる。

 灰色の鯨は、砂の向こうにある。

 方位磁針の針が、北でなく進行方向へ小さく震えた。

 俺はそれを見て、蓋を閉じる。

 今は、針に導かれているのではない。

 場所は先生が得た。

 道はアヤネが選んだ。

 先頭はシロコが走る。

 四人が、ホシノを選んだ。

 自分は、帰ってくる場所で待つ。

 

 それも、一緒に帰るための役割だった。

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