砂の海に、君が流れ着く   作:陽炎帽子

22 / 24
一緒に帰るための戦い

 第十八採掘管理区は、砂漠の下に口を開けていた。

 

      *

 

 午前九時四十六分。

 多目的車が旧給水塔の陰へ止まる。

 塔は半分まで砂に埋まり、上部の貯水槽は横倒しになっている。そこから北東へ一・八キロ。カイザーの掘削塔と仮設壁が、熱気の向こうに揺れていた。

 先生がエンジンを切る。

「ここから先が戦闘区域です」

 車内の全員が、一度だけ俺を見る。

 俺は固定帯へ右手を置いた。

「行って」

「通信状態を確認します」

 アヤネが携帯中継器を起動する。

「一番」

『聞こえる』とシロコ。

「二番」

『聞こえてるわ』

「三番」

『大丈夫です~』

「先生」

『明瞭です』

 最後に俺。

「地上中継、聞こえる」

「通信担当は最初の二十分をカナタさん、その後は自動中継へ切り替えます。警告症状が一つでも増えたら、時間前でも停止」

「了解」

「本当に動かないでくださいね」

「動かない」

「立たない」

「立たない」

「車を直そうとしない」

「壊れても?」

「壊れてもです!」

「分かった」

 アヤネはまだ何か言いたそうだった。

 先生が待っている。

 

 時間がない。

「ホシノを連れてきて」

 俺が言う。

「はい」

 アヤネは車を下りた。

 先生と四人が、砂へ足跡を残して西へ向かう。

 予備盾はノノミとセリカが一本ずつ取っ手を持つ。

 担架は折り畳まれ、シロコの背へ。

 姿が管理路の窪みへ消えるまで、俺は見送った。

「寂しい?」

 運転席の外から、カヨコが尋ねた。

 便利屋68のうち、アル、ムツキ、ハルカはすでに正面配置へ回っている。カヨコだけが旧給水塔で陽動全体を指揮し、同時に俺の付き添いを引き受けた。

「怖い」

「そっちを聞いたんじゃないけど」

「寂しいし、怖い」

「正直だね」

 カヨコは車体へ背を預け、遠くの基地を見た。

「それでいい。怖くない人間の指示より、怖さを数えられる人間の報告の方が信用できる」

「アルたちは」

「怖いよ。言わないだけ」

 遠くで、爆発が上がった。

 正面ゲートの左監視塔が傾く。

『ふはははは! カイザーPMCに告ぐ!』

 アルの声が、基地外部放送を乗っ取って響いた。

『我々は泣く子も黙る便利屋68! 契約に基づき、正面から堂々と――』

『アルちゃん、右から装甲車』

『話してる途中よ!?』

 銃声。

 ムツキの爆薬が、装甲車の前輪下で弾ける。

『ハルカ、今!』

『はい! 全部、どかします!』

 正面ゲートへ土煙が上がった。

 カヨコが無線へ短く指示を送る。

「正面部隊、三十秒遅らせてから後退。追わせる。施設内へ戻らせないで」

『了解!』

 陽動が始まった。

 

      *

 

 西管理路は、旧第七水理観測所で見つけた図面通りに残っていた。

 水のない暗渠。

 天井近くに、錆びた配管。

 床には新しい靴跡がある。

「二人、十五分以内」

 シロコがしゃがむ。

「巡回。正面の爆発で戻るかも」

 先生が手を上げる。

 全員が壁際へ寄る。

 通路の先から、二人のカイザー兵が走ってきた。

「侵入者――」

 セリカが一人目の銃を撃ち落とす。

 

 シロコが二人目の足元を崩し、ノノミが退路へ弾幕を置く。

 先生の指示で、アヤネが防火扉を閉鎖。

 二人を扉の外へ隔離する。

「進みます」

 倒すために立ち止まらない。

 目的はホシノ。

 地下第一層の保守室。

 

 アヤネが端末を接続する。

「カナタさん、旧規格の制御盤です。映像、送ります」

 旧給水塔の画面へ、錆びた端子列が映る。

「右端の大きい端子は電源。触らないで。中央下に白い線が四本ある。左から二番を外して、携帯中継器の黄色へ」

『接続します』

 画面が一度乱れる。

 基地内の扉一覧が、アヤネの端末へ開いた。

『入りました!』

「放送線も同じ束。緑の細い線」

『見つけました』

「俺の通信、あと?」

『十二分です』

「その間に地下四層まで経路を出す」

『無理に急がなくていいです。こちらでも解析します』

「分かった」

 一人で解くと言わない。

 

 アヤネが基地図面を抜き、先生が進路を決める。

 シロコが先へ出る。

 セリカとノノミが左右を守る。

 

 俺は画面の向こうで、扉番号を読むだけだ。

 

      *

 

 ――Hoshino side

 

 最初の爆発で、天井から砂が落ちた。

 正面ゲート。

 次に、西の警報。

 来た。

「帰って」

 透明な壁へ言う。

 誰にも届かない。

「みんな、帰って」

 足音が増える。

 カイザー兵が檻の外へ並び、抑制装置の出力を上げた。

 ヘイローへ青い光が刺さる。

 視界が暗くなる。

 それでも、固定具を引く。

 右は曲がっている。

 左はまだ硬い。

「抵抗を中止せよ」

「学校へ、手を出さないで」

「管理権はカイザーにある」

「違う」

「お前は退学した」

「受理されてないって、先生が言ったよ」

 映像で聞いた。

 嬉しかった。

 その言葉に甘えてはいけないとも思った。

 甘えてはいけないと思うこと自体、もう何度目か分からない。

 壁のスピーカーが鳴った。

 雑音。

 アヤネちゃんの、息を呑む音。

『基地放送、接続できました』

「アヤネちゃん?」

 顔を上げる。

 返事の代わりに、ノノミちゃんの声が流れた。

『ホシノ先輩。私にみんなを見ていて、と書いてありました。でも、先輩もみんなの一人です。勝手に数から外さないでください』

 録音。

 今、近くにいるわけではない。

 それでも、声だった。

『帳簿も学校も預かります。でも、先輩の代わりにはしません。委員長の仕事は、帰ってから一緒にしてください』

 アヤネちゃん。

『屋台のことなんて、今どうでもいい! ……よくないけど! 六杯予約してあるのに、一人で勝手に減らさないで。絶対、帰ってきて』

 セリカちゃん。

『一人で決めないで。私たちも、ホシノ先輩を選ぶ』

 シロコちゃん。

 四人とも、手紙の頼みを聞いていない。

 私の計算へ入らなかった答えを、勝手に持ってくる。

「ほんと、悪い後輩だねぇ」

 声が震える。

 最後の録音が流れた。

『水筒を返す。だから、受け取りに帰ってきて』

 カナタ君。

 好きとも、許すとも言わない。

 

 帰ってきて、とだけ言う。

 

 手紙で、私が書けなかった言葉。

「ずるいなぁ」

 涙が落ちる。

「それ、私が言いたかったのに」

 右の固定具が外れた。

 曲がった金具から手を抜く。

 左は外れない。

 カイザー兵が銃を向ける。

「動くな」

 私は動かない。

 今ここで撃たせれば、救出へ来たみんなの負担になる。

 待つ。

 

 一人で全部を壊さない。

 

 今度は、帰ってくる誰かを信じて待つ。

 

      *

 

 地下第二層で、カイザーの抵抗が強くなった。

 正面陽動が侵入だと見抜かれた。

 西管理路へ、三方向から兵が集まる。

「十二、右階段。八、正面。後ろに無人機」

 シロコが報告する。

「アヤネ、右階段を閉鎖。ノノミは正面。セリカは無人機。シロコ、左の整備室へ」

 先生の指示。

 ノノミの重機関銃が、正面の床へ線を引く。

 カイザー兵が柱へ退く。

 セリカが天井の無人機を一機ずつ落とす。

「多すぎるわよ!」

「あと四機」とシロコ。

「分かってる!」

 防火扉が降りる。

 右階段の半分を隔離。

 だが、扉の下へ装甲兵が腕を差し込んだ。

 油圧が止まる。

「閉まりません!」

「アヤネ、そこを離れて」と先生。

「でも扉が」

「端末を持って、三歩下がる」

 アヤネが下がる。

 次の瞬間、シロコが整備室の消火剤を撃った。

 白い泡が階段へ噴き出す。

 装甲兵の足が滑る。

 扉が閉まった。

「進路確保」とシロコ。

「ん。地下三層へ」

 先生が先を示した。

 

      *

 

 ――Kanata side

 

 旧給水塔では、俺の最初の二十分が終わった。

「交代」

 カヨコが受話器へ手を出す。

「まだ頭痛は増えてない」

「時間で交代する約束」

「分かってる」

 受話器を渡す。

 本当に手を離す。

 横になる。

 耳を塞いでも、遠い爆発は肋骨へ響く。

「痛み」

 カヨコが聞く。

「六。吐き気二。眠気二」

「鎮痛剤は」

「次まで二十二分」

「よく覚えてる」

「ホシノに報告するから」

「助けた後、最初に?」

「最初は、生きてるか聞く」

「その次は?」

「怪我」

「その次」

「一緒に帰る」

「その次」

 俺は答えなかった。

 カヨコは追及しない。

 代わりに、正面部隊へ指示を送る。

「アル、北側へ寄せて。西へ一台抜けた」

『分かってるわ! ハルカ、右の壁を――壁は壊さず、その前の車だけ!』

『はい! 車だけ壊します!』

『やればできるじゃない、ハルカ!』

 爆発。

『壁も少し壊れました……』

『少しなら誤差よ!』

 砂煙の向こうから、新しいエンジン音が来た。

 俺が右手を座席へ置く。

「南西、車両」

「敵じゃない」

 カヨコが双眼鏡を覗く。

「白い装甲車。トリニティの標識」

 近づいた車両が、旧給水塔の手前で急停止した。

 上部ハッチから、金色の髪が出る。

「遅くなりました!」

「ヒフミ?」

「はい! アヤネさんから救護車両が必要だと連絡をいただいて。正規の出動許可は間に合わなかったので、これは、その……お友達を迎えに行くための個人的な移動です!」

 後部扉が開く。

 担架固定具。

 医療箱。

 厚い装甲。

 救出後のホシノを運ぶ車が増えた。

「一人で来たの?」とカヨコ。

「途中まで送っていただきました。ここからは私が運転します」

 ヒフミが俺を見る。

 包帯。

 固定帯。

 青ざめた顔。

「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫ではないけど、処置済み。役割も守ってる」

「そうですか……よかった、とは言えませんけど、よかったです」

 ヒフミは多目的車の隣へ装甲車を寄せた。

「帰りは、私が二人とも運びます」

「二人?」

「ホシノさんとカナタさんです」

 最初から、帰る人数へホシノを入れていた。

 

      *

 

 地下三層。

 黒服は通路の中央に立っていた。

 カイザー兵の銃撃は、そこだけを避けている。

 先生が四人を止める。

「ホシノは地下四層ですか」

「ええ」

「道を開けてください」

「私は閉じていません」

「止めもしなかった」

「契約は相互の選択です」

「選択の話は終わりました」

 先生が一歩進む。

「生徒たちの答えも、今届きました」

 黒服は道の端へ退いた。

「では、取り戻してみせてください。ただし、カイザーは観測者ではありません。彼らは所有を求める」

 警報が変わる。

『研究対象移送。地下東搬出口へ』

 檻を動かす機械音。

「東へ!」

 アヤネが地図を回す。

「地下四層から搬出軌道があります!」

 シロコが走る。

 セリカ、ノノミが続く。

 先生は黒服を一度だけ見る。

「ホシノは物ではありません」

「それを理解させる相手は、私ではありませんよ」

 黒服の姿が暗闇へ溶けた。

 

      *

 

 地下四層の檻が動く。

 ホシノは左手を固定されたまま、床へ膝をついている。

 透明壁の外を、カイザー兵が囲む。

 搬出軌道の先には大型エレベーター。

 地上の東ゲートへ直結する。

「移送後、学校へ再通告する。お前の身柄と引換えに校地を明け渡させる」

「無理だよ」

 ホシノは顔を上げた。

「みんな、私の言うこと聞かないから」

「ならば、力で排除する」

「それも無理」

 銃声が近づく。

 ノノミちゃんの重い連射。

 セリカちゃんの短い射撃。

 シロコちゃんの足音は聞き分けられない。

 でも、来る。

「私より、ずっとしつこいよ」

 搬出軌道の分岐器が切り替わった。

 檻が急停止する。

『止めました!』

 アヤネちゃん。

 西側の扉が開く。

 シロコちゃんが滑り込む。

 最初の一発で抑制装置の外部センサーを壊す。

 セリカちゃんが右の兵を下がらせる。

 ノノミちゃんが、先生とアヤネちゃんの前へ弾幕を作る。

「ホシノ先輩」

 シロコちゃんが透明壁へ手を当てる。

「迎えに来た」

「遅いよ~」

 いつものように言おうとした。

 最後が震えた。

「ごめん」

「謝るのは帰ってから」とセリカちゃん。

「長くなるから!」

「うん」

「返事は?」

「聞いたよ」

 ホシノは四人を見る。

「全部、聞いた」

 アヤネちゃんが檻の端末へ接続する。

「解除コードが三重です」

「外部電源を切る」とシロコちゃん。

「急停止させると固定具も締まる可能性があります!」

「じゃあ、順番に」とノノミちゃん。

 戦闘の中でも、四人はホシノ一人を置いて話を決めない。

 

 先生が指示する。

「ノノミとセリカは外周。シロコは抑制装置の出力を半分に。アヤネは扉、次に固定具。ホシノ、聞こえますか」

「聞こえてる」

「解除まで二分。待てますか」

 待つ。

 

 今まで一番苦手だったこと。

「待つよ」

 ホシノは答えた。

 

      *

 

 二分は長かった。

 カイザーは地下四層へ増援を送り続けた。

 ノノミの弾倉が一つ空になる。

 セリカの肩へ弾が当たり、制服が裂ける。ヘイローの保護で骨は無事。それでも一歩下がる。

「セリカ、交代」とシロコ。

「まだいける!」

「交代」

「……分かった!」

 シロコが前へ出る。

 先生が射線を指し、ノノミが左を閉じる。

 アヤネの画面に、一つ目の鍵が開く。

 二つ目。

 三つ目。

「透明壁、開きます!」

 檻の前面が上がる。

 空気が入る。

 ホシノの左手は、まだ固定されている。

「手首を動かさないでください」

「うん」

「痛みは?」

「四くらい」

「痺れ」

「指先に少し」

「意識は?」

「眠い」

「それはいつもじゃない!」

 セリカちゃんが怒鳴る。

「あはは。そっか」

 笑えた。

 左の固定具が開く。

 体を支えていたものがなくなり、ホシノの膝が崩れる。

 シロコとアヤネが左右から受け止めた。

「歩ける」とホシノ。

「歩かせません」とアヤネ。

「でも、まだ敵が」

 ノノミが車から運んだ予備盾を床へ立てた。

「先輩の分も、持ってきました」

 ホシノは盾を見る。

 持てる。

 前へ立てる。

 後輩の退路を、一人で作れる。

 

「私が最後を――」

「駄目です」と四人が言った。

 声が重なった。

 先生だけが、質問する。

「ホシノ。今、何をしたいですか」

 守りたい。

 

 戦いたい。

 一人で残りたい。

 

 それは、いつもの答え。

 その奥に、別の願いがある。

「帰りたい」

 ホシノは言った。

「みんなと、学校に帰りたい」

「はい」

 先生が頷く。

「では、全員で帰ります」

 盾はノノミが持った。

 ホシノは担架へ乗せられた。

 

      *

 

 撤退路は、西管理路ではなかった。

 カイザーが入口を爆破し、地下二層が崩れた。

 アヤネが東搬出軌道を逆転させ、採掘物用の保守斜路を開く。

 

 先生とシロコが先導。

 ノノミとセリカが担架。

 アヤネが後方の扉を一つずつ閉じる。

 ホシノは担架から、全員の背中を見る。

「おじさん、重くない?」

「軽口を言う元気があるなら大丈夫」とセリカ。

「質問の答えになってないねぇ」

「重くても運ぶ!」

「そっか」

 ホシノは目を閉じかける。

 俺の血が見える。

 すぐに開く。

「寝ていいですよ」とノノミ。

「まだいい」

「怖いですか?」

 見抜かれている。

「うん」

「じゃあ、手を」

 ノノミは担架の取っ手から一瞬だけ片手を離し、ホシノの右手を握る。

「出口までです」

「ありがと」

 斜路の先に、白い光が見えた。

 

      *

 

 旧給水塔へ、赤い信号弾が二発上がった。

「撤退信号」

 カヨコが立つ。

「成功?」

「まだ。迎えるまでが依頼」

 ヒフミが装甲車のエンジンをかける。

 俺は固定座席のまま、受話器を取った。

 休止から二十七分。

 頭痛は変わらない。

「地上中継。応答して」

『こちらアヤネ。ホシノ先輩を確保。意識あり。抑制装置の影響、手首の痺れ、脱水。保守斜路から西南西へ移動中』

 確保。

 意識あり。

「聞こえた」

 息が震える。

『カナタさん、そこにいますか』

 別の声。

 眠そうで、弱くて、それでも間違えない。

「いる」

『怪我は』

「処置済み。痛み六。吐き気二。眠気二。出血なし」

『ほんと?』

「アヤネに確認して」

『ほんとです! ホシノ先輩も、状態を報告してください!』

『おじさんはねぇ、ちょっと眠くて、手が痺れて――』

『数字で!』

 俺は笑いそうになる。

 肋骨が痛み、途中で息に変わった。

『カナタ君?』

「笑っただけ」

『笑わないで。痛いんでしょ』

「ホシノが帰ってきたから」

 無線の向こうが静かになる。

『……まだ、着いてないよ』

「待ってる」

 

      *

 

 十二分後。

 砂丘の向こうから、五人と先生が現れた。

 担架が見える。

 ホシノの白い髪。

 俺は立たなかった。

 固定帯を外さなかった。

 多目的車の後部扉を、カヨコが開く。

 座席の端まで体をずらすこともせず、右手だけを空ける。

 担架が隣へ置かれた。

 ホシノは自分で上体を起こす。

「寝ていて」と口にした。

「顔を見るだけ」

 青と金の目が、俺の包帯へ落ちる。

 左脇。

 額の腫れ。

 固定帯。

 ホシノの顔から色が消えた。

「こんなに」

「内臓は無事。破片は二つ取った。肋骨にひび。脳震盪は軽い」

「ひび」

「左第九。出血は止まってる」

「触っていい?」

「傷以外なら」

 ホシノの右手が、俺の頬へ触れた。

 冷たい。

 次に首筋。

 脈を取る。

 

 一度では足りず、指を少しずらして、もう一度。

「いる」

 ホシノが呟く。

「いるよ」

「ほんとに」

「うん」

 ホシノの上体が傾く。

 抱きつこうとして、俺の包帯を見て止まる。

 行き場を失った腕が震えた。

 

「右側なら」

 俺が言う。

 ホシノは、右肩へだけ額を当てた。

 体重を預けない。

 息が触れる距離。

「ごめん」

「帰ってから聞く」

「帰る資格、あるかな」

「資格じゃない」

 俺は右手で、ホシノの後頭部を支える。

 強く引かない。

 逃げないようにも、離れないようにも縛らない。

「俺は一人でホシノを助けてない。先生と、シロコと、セリカと、ノノミと、アヤネと、便利屋68が連れてきた」

「うん」

「俺も待った。だから、今度は一緒に帰る」

 ホシノの指が、俺の制服をつまむ。

 傷から遠い、右肩の布。

「もう置いていかない?」

「置いていかない」

「帰る方法が見つかっても?」

 今、簡単な永遠を約束してはいけない。

 俺は故郷を捨てない。

 ホシノの恐怖を消すために嘘もつかない。

 

「見つかったら話す。一人で決めない。黙って消えない」

「……そっか」

 ホシノは目を閉じた。

「それで、いいよ」

 指は離れない。

 

      *

 

 ヒフミの装甲車へ、ホシノの担架と俺の固定座席が並べられた。

 先生は多目的車を運転する。

 対策委員会の四人は、二台へ分かれた。

 便利屋68は最後尾。

 カイザーの基地は追ってこない。

 正面ゲートは崩れ、地下搬出軌道は停止した。

 戦いが全て終わったわけではない。

 土地も、借金も、黒服の関心も残っている。

 それでも、一人は取り戻した。

 

 車が揺れるたび、ホシノは目を開く。

 俺を見る。

 首筋へ触れる。

 脈を数える。

 

「三分前にも測った」と口にした。

「念のためだよ~」

「俺も測る」

 俺はホシノの右手首へ指を置く。

 少し速い。

 けれど、ある。

「いる」

「いるねぇ」

「学校まで寝ていい」

「カナタ君も」

「二人とも寝たら、誰が確認する?」

 ホシノは少し考える。

「手、つないでたら分かるんじゃない?」

「脈が?」

「たぶん」

 右手と右手。

 指を絡めず、掌を合わせる。

 ホシノが俺の手首へ二本の指を置く。

 俺も同じように、ホシノの手首へ触れる。

 互いの脈が、同じ場所へ重なる。

 

「これなら、寝てもいいかなぁ」

「いいよ」

 ホシノは眠った。

 数分後に一度、目を開く。

 手は離れていない。

「カナタ君」

「いる」

 また眠る。

 

      *

 

 正午前。

 壊れた校門を、二台の車が通る。

 セリカが先に飛び下り、砂とガラスを掃いた通路を指す。

「保健室まで空けてある!」

 アヤネが担架の固定を外す。

 ノノミとシロコが左右を持つ。

 ホシノは目を開けた。

 校舎を見る。

 割れた窓。

 崩れた東廊下。

 傾いた校門。

 それでも残っている、自分たちの学校。

 俺の固定座席も、ヒフミとカヨコが並べて運ぶ。

 ホシノは右手を伸ばした。

 俺も伸ばす。

 指先が届く。

「おかえり」

 俺が言った。

 ホシノは一度、目を閉じた。

 冗談で逃げない。

 ごめんを先にしない。

「ただいま」

 小さく、はっきり答えた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。