砂の海に、君が流れ着く   作:陽炎帽子

25 / 25
返してくれない上着

 救出から五日目の朝、ホシノは午前六時十九分に保健室へ着いた。

 一分早い。

 

      *

 

「おはよう、カナタ君」

 扉を開ける。

 俺はもう起きていた。

 寝台へ腰掛け、濃紺の上着へ袖を通している。

 漂着した日に着ていたもの。

 海水と砂にまみれ、肩を裂かれ、ノノミに繕われた上着。

 脇腹の包帯に触れないよう、左袖をゆっくり引いている。

「おはよう」

「一人で着たの?」

「右から通した。痛みは二」

「着替えも軽作業に入るんじゃない?」

「生活動作」

「端末君に聞こっかなぁ」

「着る前に聞いた」

「先回りされた」

 ホシノは寝台の右側へ行く。

 首筋へ指を当てる。

 一、二、三。

「いるねぇ」

「いる」

「夜は?」

「二時に一度起きた。痛み三。救護端末に報告して、そのまま寝た」

「呼んでくれてもよかったのに」

「ホシノは自分の部屋」

「走れば一分だよ」

「走ったら規則違反」

「じゃあ歩いて二分」

「俺が端末へ報告できる状態なら、緊急じゃない」

 分かっている。

 分かっているけれど、少しだけ頬が膨らむ。

 俺が右手を伸ばす。

 ホシノの頬へ触れる直前で止めた。

「触っていい?」

「うん」

 指先が、膨らんだ頬へ触れる。

「冷たい」

「廊下の窓、まだ仮板だからねぇ」

 夜明け前のアビドスは冷える。

 襲撃で割れた窓から風が入り、校舎の中にも細い砂が走っている。

「上着は?」

「部屋」

「忘れた?」

「早く来ようと思って」

「六時二十分って決めたのはホシノ」

「一分早く会いたかったんだよ~」

 冗談の語尾。

 中身は本気。

 俺は濃紺の上着を脱いだ。

「着て」

「カナタ君が寒いでしょ」

「俺は毛布がある。ホシノは朝の巡回」

「でも」

「貸すだけ」

 ホシノは上着を見る。

 初めて会った日、この布から水が落ちていた。

 海のないアビドスへ、海を連れてきた服。

 持ち主の故郷へつながる数少ない物。

「借りていいの?」

「ホシノだから貸す」

「……そっか」

 受け取る。

 自分の制服の上へ羽織る。

 肩が余る。

 袖口から指先が少ししか出ない。

 洗剤と、乾いた布と、わずかな機械油の匂い。

 もう海の匂いはしない。

 それでも、俺の服だった。

「似合う?」

「似合う」

 答えが早い。

「もう少し考えてもいいんだよ」

「考えたら変わる?」

「変わらない方がいいかなぁ」

 ホシノは長い袖で口元を隠した。

 

      *

 

 午前九時。

 先生が、封印付きの装備箱を二つ運んできた。

 第十八採掘管理区の地上保管庫から回収された物。

 カイザー側の証拠保全処理を終え、持ち主へ返還される。

 一つ目は、ホシノのショットガン。

 二つ目は、大きな盾。

「おかえり」

 ホシノは盾へ言った。

 盾は答えない。

 表面には、以前からの弾痕。

 その上へ、輸送具で擦られた新しい傷が走っている。

 裏側の固定金具には抑制装置の留め具を当てた跡。右の持ち手は少しねじれ、布巻きが半分剥がれていた。

 ショットガンはシロコが安全確認する。

 弾倉を外す。

 薬室を見る。

 作動を確かめる。

「異常なし。汚れてるだけ」

「そっちは私がやるよ」

 ホシノが受け取る。

 先生は返還記録へ署名を求めた。

 製造番号。

 回収場所。

 外観損傷。

 ホシノは一行ずつ確認してから署名する。

「盾は、整備が必要ですね」

 アヤネが裏面を撮影する。

「持ち手のねじれ二度くらい。上の固定ボルトも緩んでいます」

「おじさんが直すよ」

「手首の痺れは?」

「もうない。圧迫痕だけ」

「それでも、重量作業はシロコさんとノノミさんが補助してください」

「はぁい」

「カナタさんは、見るだけです」

「座位の軽作業、十分まで許可されてる」

 俺は救護端末の最新記録を見せる。

 頭痛なし、二日。

 安静時痛み二。

 一回十分以内。

 重量物の保持、押し引き、前屈、ひねり禁止。

「盾へ触ること自体は重量作業ではありません。でも、盾は誰かが完全に固定してください」

「私が押さえる」とシロコ。

「私もお手伝いします~」

 ノノミが整備台へ厚い毛布を敷く。

 二人で盾を持ち上げ、裏面を上にして置く。

 四隅を木枠で固定。

 俺は椅子へ座った。

 濃紺の上着は、まだホシノが着ている。

 代わりに、ノノミが備品庫から出した砂色の作業用カーディガンを肩へ掛けていた。

「作業開始、九時二十四分」とアヤネ。

「十分後に強制終了です」

「分かった」

 俺は、まず触らずに見る。

 持ち手の基部。

 固定ボルト。

 金属疲労の白い線。

 新しい擦過傷と、古い弾痕。

「持ち手を今すぐ曲げ戻すのは駄目だ」

「どうして?」とホシノ。

「根元に細い亀裂がある。力をかけたら折れる。持ち手ごと外して交換」

「予備は?」

「倉庫に同じ規格はない」とアヤネ。

「旧車両の昇降取っ手が近い」とシロコ。

「径を測って。加工は俺の制限が解けてからか、外へ依頼」

「すぐ使えない?」

 ホシノの声が少し硬くなる。

 盾がない時間。

 誰かの前へ立てない時間。

 俺はその意味を知っている。

「予備盾がある」

「私のじゃない」

「うん。でも、壊れた持ち手で出たら、必要な時に守れない」

 ホシノは黙った。

「三日」

 アヤネが補修業者の一覧を見る。

「先生の経路で部品加工を依頼すれば、最短三日です」

「長いなぁ」

「待てる?」

 俺が尋ねる。

 昨日も聞いた言葉。

「……待つよ」

「その間に、できる所を直す」

 俺は細いドライバーを取る。

 上部固定具の緩んだ小ねじを、一回転だけ締める。

 大きなボルトへは触れない。

 剥がれた布巻きを外し、下の錆を確認する。

「傷、消す?」

 ホシノが表面の擦過傷を指す。

「新しいのも、昔のも」

「深い傷は埋める。表面だけの傷は、ホシノが決めて」

「綺麗にした方がいいかな」

「使った跡を全部消す必要はない」

「じゃあ、残す」

 ホシノは自分の弾痕を、長い袖越しになぞる。

「戻ってきた跡も、残しておく」

「分かった」

「人も、こうやって直せたら楽なのにねぇ」

「ホシノは道具じゃない」

「知ってるよ」

「傷を消して元通りにするのが、直すこととも限らない」

 俺は新しい布巻きを持ち手の横へ置く。

「使えるようにして、次に壊れそうな所を知って、無理な時は別の物を借りる。盾なら、そうする」

「人なら?」

「一人で決めない。話す。待つ。助けを借りる」

「最近習ったことばっかりだねぇ」

「俺も練習中」

 アヤネの端末が鳴る。

「九時三十四分。終了です」

 俺はドライバーを置いた。

 ねじはあと二つ残っている。

「本当に止めるんだ」とセリカ。

「約束だから」

 ホシノが答えた。

 少し誇らしそうだった。

 

      *

 

 昼食後、ホシノはまだ濃紺の上着を着ていた。

 袖を二回折り、食事の邪魔にならないようにしている。

「もう暖かい」と口にした。

「そうだねぇ」

「返して」

「何を?」

「上着」

「上着?」

 ホシノは自分の肩を見る。

「これはおじさんの防寒装備だよ」

「俺の上着」

「朝、貸すって言ったよね」

「貸した。だから返して」

「返却期限を決めてなかったなぁ」

 俺はアヤネを見る。

「私を巻き込まないでください」

「生活物品の管理」と口にした。

「うっ」

 正しい言葉を使われた。

 アヤネが端末を開く。

「貸出期間を双方で決めてください」

「一か月」とホシノ。

「今日まで」と口にした。

「短いよ~」

「一か月は長い」

「じゃあ三週間」

「怪我の制限と同じにしないで」

「二週間」

「三日」

「十日」

「五日」

「一週間」

 俺は考える。

「条件がある」

「なに?」

「汚れる作業へ着ていかない。洗う時は先に言う。俺が必要な時は返す。七日後に、延長するならもう一度聞く」

「全部守る」

 返事が早い。

「あと、寝る時も着ていい?」

「苦しくないなら」

「いいの?」

「貸した間は、ホシノが着るためのものだから」

 ホシノは袖口へ鼻先を隠した。

「どうして寝る時も?」

 セリカが聞く。

「寒いから」

「暖房直ったけど」

「砂が入るから」

「窓、塞いだけど」

「えっとねぇ」

 理由がなくなる。

 ホシノは俺を見る。

「落ち着くから」

 正直に言った。

「カナタ君の部屋へ行かなくても、近くにいる気がする」

 セリカが黙る。

 ノノミが微笑む。

 シロコは上着と俺の距離を測るように見る。

「代用品として有効」と結論する。

「代用品って言い方、ちょっと寂しいなぁ」

「本人の自由を奪わない安心手段」とアヤネが言い直す。

「それなら、いいかな」

 貸出期限は七日。

 端末へ記録された。

 

      *

 

 ――Hoshino side

 

 夜、私の部屋。

 濃紺の上着を着たまま、寝台へ入る。

 前は閉じない。

 袖は伸ばす。

 右手の指先だけを出して、灰色の鯨を持つ。

 青い鯨はカナタ君の工具巻き。

 その工具巻きは、廊下二つ向こうの部屋にある。

 カナタ君も、そこにいる。

 歩けば二分。

 でも、行かない。

 今夜は行く約束をしていない。

 危険もない。

 会いたいだけ。

「会いたいだけなら、朝まで待つ」

 声に出す。

 上着の胸元を握る。

 この服は、カナタ君が別の場所から来た証拠。

 私のものにしたいと思う。

 返したくない。

 七日後も、その次も借りたい。

 けれど、服を持っていることと、人を持っていることは違う。

 

 服には返却期限がある。

 人には、帰る場所を選ぶ自由がある。

 

 分かっていても、胸は痛む。

 私は袖口から手を出し、端末を取った。

 短いメッセージを打つ。

『上着、あったかいよ』

 送信。

 一分も待たず、返事が来る。

 

『砂色のカーディガンも暖かい』

「そこは、俺も会いたい、じゃないのかなぁ」

 もう一通。

『でも、ホシノが着てる方が似合う』

 頬が熱くなる。

『それと、会いたい』

「遅いよ~」

 私は笑った。

『私も。明日、六時二十分』

『待ってる』

 端末を伏せる。

 今夜は、脈を測れない。

 

 それでも、返事が来た。

 朝の時刻も決めた。

 私は濃紺の袖へ頬を寄せる。

 返すつもりはある。

 七日後に、もう一度借りるつもりもあった。

 

      *

 

 ――Kanata side

 

 三日後。

 加工を依頼した持ち手が届いた。

 旧車両の昇降取っ手を切り詰め、盾の基部へ合わせて穴を開けたもの。元の部品よりわずかに太く、表面にはまだ旋盤の細い跡が残っている。

 アヤネが寸法票と部品を照合する。

「径、長さ、穴位置、全て指定範囲内です」

「取り付ける」とシロコ。

 盾は再び、毛布を敷いた整備台へ固定された。

 古い持ち手を外すのはシロコ。

 ノノミが盾を押さえる。

 ホシノは新旧の部品を並べ、亀裂の位置を見る。

「本当に、もう少しで折れてたんだねぇ」

「白い線が、内側まで続いてる」とシロコ。

「戦闘中なら?」

「力をかけた時に外れた可能性が高いです」とアヤネ。

 ホシノは、壊れた持ち手を握ろうとしてやめた。

 待ってよかった。

 

 予備を借りてよかった。

 一人で急いで直さなくてよかった。

 

 全部、前なら選べなかったことだった。

 新しい持ち手を仮留めする。

 シロコが左右を均等に締める。

 アヤネが締付値を読む。

 ノノミが盾の傾きを押さえる。

 最後の布巻きだけが、俺の仕事として残された。

「時間、十分」とアヤネ。

「痛みは一。頭痛なし」

 俺は椅子へ座る。

 ホシノは、借りて四日目の濃紺の上着を着て、その隣にいた。

「布、きつく巻きすぎないで。右手の指がここへ来る」

 ホシノが自分の握り方を見せる。

 俺は位置を覚える。

 布の端へ接着剤を薄く塗り、持ち手の根元から一周ずつ重ねる。

 厚さを均等に。

 ホシノの親指が当たる所だけ、半周増やす。

「どうしてそこだけ?」

「豆ができてた」

「見てたんだ」

「手を握った時に分かった」

 ホシノが長い袖へ口元を隠す。

「恋人の手だからねぇ。よく見ていいよ」

「痛い時も言って」

「そっちに着地するんだ」

「大事だから」

「……うん。言うよ」

 九分で巻き終える。

 俺は布を切り、端を固定し、道具を置いた。

「終了」と自分から言う。

「九分二十三秒です」

 アヤネが記録する。

 接着が落ち着くまで一時間。

 その後、ホシノが盾を持ち上げた。

 最初は両手。

 次に、いつもの右手。

 持ち手を握る。

 前へ出す。

 左右へ重心を移す。

 盾の縁は揺れない。

「どう?」と口にした。

「前より少し太い」

「嫌?」

「ううん。握りやすい」

 ホシノは盾の内側へ目を落とす。

 自分の掌へ合うよう、一か所だけ厚く巻かれた布。

 表側からは見えない。

 戦う時、自分だけが触れる場所。

「この盾なら、またみんなの前に立てる」

「立つ時は、後ろを見る」

「誰がいるか?」

「うん」

「五人と先生と、恋人君」

「俺は安全圏」

「分かってるよ~。ちゃんと戻るから」

 ホシノは盾を保管架へ戻した。

 

 昔なら、手元へ戻った瞬間に背負って歩いた。

 

 今日は試用記録と次回点検日を書き、所定の場所へ置く。

 それから、俺の前へ戻る。

 

「上着は?」

 俺が尋ねた。

「貸出四日目。あと三日あるよ」

「覚えてるんだ」

「一分でも長く借りたいからねぇ」

「期限が来たら?」

「返す」

 ホシノは長い袖から右手を出し、俺の手を握った。

「それから、もう一度貸してって言う」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

アリウスの【救世主】は先生の到着を待っている(作者:アリウスは無限に味がする)(原作:ブルーアーカイブ)

▼生徒→(クソ重ガチ恋)→オリ主→(クソでか信仰、尊敬、狂信)→先生▼というn番煎じの小説。それでもいいならぜひ読んでいってね


総合評価:716/評価:7.5/連載:5話/更新日時:2026年07月01日(水) 21:00 小説情報

嫌われ生徒はその後に好かれても気付かない。(作者:ブルーアーカイ部 一般部員)(原作:ブルーアーカイブ)

キヴォトス唯一の男子生徒!▼だから嫌われていたけど、超好意的に接していたら皆に惚れられたよ!▼けど、本人は寧ろその状況が嫌だったから避けようとしたムーヴだった!▼本人たちは、明らかに避けてる主人公を見てさぁ大変!▼果たして恋は実るのか!?▼そして作者は失踪せずに書き切れるのか!


総合評価:852/評価:6.54/連載:9話/更新日時:2026年08月03日(月) 00:00 小説情報

【完結】ブルアカ転生〜カヨコのエロ同人描いてた俺が本人に惚れられるまで〜(作者:どうたぬき)(原作:ブルーアーカイブ)

カヨコのエロ同人を描きまくってたら、気づいたらブルアカの世界に転生してた。▼しかも先生として。しかもカヨコ本人が目の前にいる。しかもなんか距離が近い。▼「……先生、そんなに気になる?」▼いやお前の資料を穴が開くほど見てきた俺からすると、生の解像度がエグいんだよ! 首のほくろとか汗の伝い方とか! でも先生として振る舞わなきゃいけない俺は、必死に平静を装う。装え…


総合評価:1423/評価:8.67/完結:21話/更新日時:2026年06月19日(金) 19:01 小説情報

楽しい銃社会の生き抜き方(作者:WEVE)(原作:ブルーアーカイブ)

ミレニアムサイエンススクールに所属するキヴォトス唯一の男子生徒『居待(イマチ) ウツキ』がなんやかんやありながら学園生活を満喫(?)する話▼今後必須以外タグ追加の可能性があるので苦手な方はブラウザバックを推奨してます▼大体許せるよって方は是非読んでいってください!


総合評価:462/評価:6.76/連載:45話/更新日時:2026年08月04日(火) 15:30 小説情報

砂漠でほのぼのと買取(作者:単眼駄猪介)(原作:ブルーアーカイブ)

掘り出し物を買い取ってユメとホシノとほのぼのする話。▼アビドス砂漠で、なんでそんなものがあるのかは考えないものとする。▼


総合評価:1769/評価:7.89/連載:14話/更新日時:2026年06月19日(金) 12:43 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>