砂の海に、君が流れ着く   作:陽炎帽子

26 / 44
眠れない夜の約束

 ――Hoshino side

 

 夢の中で、脈が止まった。

 

      *

 

 透明な壁。

 白い照明。

 曲がった固定具。

 私は両手を動かせない。

 壁の向こうで、カナタ君が倒れている。

 左脇腹に血。

 口が動く。

 報告。

 破片。

 出血。

 意識あり。

 聞こえない。

「カナタ君」

 呼ぶ。

 返事がない。

 透明な壁を叩く。

 手が届かない。

 首筋へ触れたい。

 脈を取りたい。

 

 壁の向こうへ、灰色の鯨だけが落ちている。

 カナタ君の体が砂へ沈む。

「待って」

 砂が口元まで上がる。

「今、行くから」

 私の声で、目を覚ました。

 

      *

 

 救出から十二日目。

 午前一時三十八分。

 私は私の寝台にいた。

 透明な壁はない。

 両手も動く。

 濃紺の上着を着ている。

 右手には灰色の鯨。

 それでも、息ができない。

 胸が速い。

 喉が乾いている。

 廊下二つ向こうに、カナタ君の部屋。

 二日前、抜糸を終えた。

 傷は閉じている。

 内臓出血もない。

 肋骨の亀裂は残るが、安静時痛み一。

 保健室から自室へ戻った。

 

 全部、知っている。

 知っていても、夢の中の砂は消えない。

 私は扉へ手をかけた。

 止まる。

 夜間に相手の個室へ行く時は、同意と所在共有。

 危険はない。

 会いたいだけ。

 前の夜は、朝まで待てた。

 

 今夜は、待てない。

 

「守れないかもって、先に言う」

 私で決めた言葉。

 端末を取る。

 夜間当番はアヤネちゃん。

『起きていますか』

 一分後。

『はい。どうしました?』

『悪い夢を見た。カナタ君の部屋へ行きたい』

 送信してから、指が震えた。

 駄目と言われるのが怖い。

 

 駄目なら、どうすればいいか分からない。

『カナタさん本人へ入室確認を取ってください。私も廊下まで行きます』

 否定ではなかった。

『分かった』

 私は上着の前を閉じ、部屋を出た。

 

      *

 

 カナタ君の扉の前。

 灯りは消えている。

 私は一度だけ、軽く叩いた。

 返事がない。

 もう一度叩きたい。

 強く叩けば起きる。

 扉を開ければ、寝顔が見える。

 鍵はかかっていない。

 けれど、開けない。

 廊下の角から、アヤネが来た。

 端末と小さな救急箱を持っている。

「返事は?」

「まだ」

「室内呼出を使います」

 アヤネが壁の通信盤を押す。

『カナタさん。夜間確認です。応答できますか』

 室内で音が鳴る。

 寝台が軋む。

『……はい』

 眠った声。

『名前、場所、痛みをお願いします』

『汐見カナタ。自室。痛み、一』

 息を吐けた。

 生きている。

 

『ホシノ先輩が、悪夢のあとで会いたいと希望しています。入室してもよいですか』

 短い沈黙。

 私の心臓が一度、大きく鳴る。

『入っていい』

 鍵が内側から開いた。

 

      *

 

 カナタ君は寝台へ上体を起こしていた。

 薄い寝間着。

 左脇腹には、新しい保護布。

 傷そのものは見えない。

「走った?」

 最初に聞かれた。

「歩いたよ」

「アヤネに言った?」

「言った」

「入る前に聞いた?」

「聞いた」

「じゃあ、来ていい」

 私は部屋へ入る。

 アヤネは扉の外にいる。

「容体に変化はありませんか?」

「ない。悪夢だけ」

「カナタさんは?」

「痛み一。吐き気なし。眠気は五」

「当然です」

 アヤネは時刻と所在を記録した。

「私は廊下の当番席に戻ります。何かあれば室内呼出を。扉は閉めて構いませんが、施錠はしないでください」

「うん。ありがとう、アヤネちゃん」

「おやすみなさい」

 扉が閉まる。

 二人になる。

 私は寝台の右側へ椅子を置いた。

 座る。

「夢は?」

 カナタ君が尋ねる。

「檻の中だった」

 私は袖口を握る。

「カナタ君が爆発に巻き込まれて、砂に沈んだ。呼んでも返事がなかった。脈を取りたいのに、壁があって届かなかった」

「今は?」

「届く」

 カナタ君が右手を出す。

 私は、その手首へ指を置く。

 一。

 二。

 三。

 速くない。

 途切れない。

「もっと」

「いいよ」

 十まで数える。

 二十。

 三十。

 指を離せない。

「ホシノ」

「うん」

「俺を起こして」

「もう起きてるよ」

「次から。黙って脈を数えるだけじゃなくて、名前を呼んで起こして」

「眠いでしょ」

「眠い。でも、ホシノが一人で何時間も生存確認する方が嫌だ」

「何時間もって」

「前に、一晩寝ずに見てた」

「気づいてた?」

「途中で起きた時、ホシノの目がずっと開いてた」

 救出から戻った最初の夜。

 

 カナタ君が眠ったあとも、私は脈を測り続けた。

 

 一度起きたカナタ君へ「大丈夫」と言い、また眠るのを待った。

 

 私は朝まで眠らなかった。

「確認したら安心できると思ったんだよ」

「できた?」

「次の一拍が来るか、怖くなった」

「じゃあ、確認だけでは終わらない」

 カナタ君は、私の指が乗った右手首を少し動かす。

 その手で、私の手を握る。

「呼んで。俺が返事する。眠ってたら起こしていい」

「何回でも?」

「何回でも」

「百回かも」

「百回目は、朝の挨拶にする」

「そこまで起きてたら、アヤネちゃんに怒られるねぇ」

「二人とも怒られる」

 少し笑う。

 カナタ君は顔をしかめなかった。

「痛くない?」

「笑うくらいなら、一」

「よかった」

 私は手を離さない。

「今夜、ここで寝たい」

 言った。

 許される理由を並べない。

 恋人だから当然とも言わない。

「一人で戻ったら、また夢を見る気がする。上着だけじゃ、今日は足りない」

 カナタ君は部屋を見る。

 寝台は一つ。

 一人用。

 

 左脇腹の亀裂は残っている。

「同じ寝台は狭い」

「椅子で寝るよ」

「首を痛める」

「床」

「砂が入ってる」

「じゃあ、戻る」

 私は立とうとする。

「待って」

 カナタ君が呼ぶ。

「折り畳み寝台を借りる」

「いいの?」

「添い寝したい。怪我を悪化させない方法で」

 私は一度、瞬きをした。

「カナタ君も、したいの?」

「したい」

「おじさんがお願いしたからじゃなくて?」

「ホシノが近くにいると、俺も眠れる」

「……そっか」

 長い袖で口元を隠す。

「じゃあ、アヤネちゃんに聞こっか」

 

      *

 

 折り畳み寝台が、カナタ君の寝台の右側へ置かれた。

 高さを合わせる。

 間は十センチ。

 救護動線を残すため、完全には付けない。

 アヤネが救護端末へ条件を入力する。

「カナタさんは仰向けか右向き。左側へ荷重をかけない。ホシノ先輩は自分の寝台から乗り移らない。接触は右手と右肩のみ。痛み増加時は中止」

「はい」

「消灯後も室内呼出は有効。扉は施錠しない。朝六時に状態確認します」

「アヤネちゃん」

「何ですか」

「怒らないの?」

「規則を守って相談した人を、なぜ怒るんですか」

 私は黙った。

「相談したら、止められると思っていましたか?」

「少し」

「危険なら止めます。安全な方法があるなら一緒に考えます」

「そっか」

「そのための規則です」

「ありがと」

 アヤネは照明を落とし、廊下へ戻った。

 

      *

 

 二つの寝台。

 十センチの隙間。

 私は濃紺の上着を脱がない。

 カナタ君は仰向け。

 右手だけを伸ばす。

 私も右手を伸ばす。

 隙間の上で指が触れる。

「つないでいい?」

「うん」

 指を絡める。

「胸の音も、聞いていい?」

「右なら」

 私は私の寝台から体を移さない。

 上体だけを少し寄せ、十センチの隙間へ枕の端を渡す。

 耳をカナタ君の右胸上部へ触れさせる。

 体重は私の肘で支える。

 鼓動。

 脈より大きい。

 

 布と骨の向こうから、確かに鳴っている。

「一分だけ」

「五分」

「三分」

「四分」

「分かった」

 四分間。

 私は数えないようにした。

 数えれば、次が来るか待ってしまう。

 

 代わりに、音の間へ話す。

「カナタ君」

「いる」

「カナタ」

「いるよ」

「好き」

 鼓動が一度、少し速くなった。

「俺も好き」

「今、速くなった」

「聞かれてるから」

「可愛いねぇ」

「ホシノに言われたくない」

「どういう意味かなぁ」

 四分が終わる。

 私は私の枕へ戻った。

 

 手だけはつないだまま。

「キスは?」

「今は眠るために来た」

「覚えてたんだ」

「忘れてないよ。二回目」

「回復後」

「肋骨はまだ」

「あと少し待つ」

「できる?」

「上着も、盾も待てたからねぇ」

 少し自慢げ。

「おやすみ、カナタ」

「おやすみ、ホシノ」

 

      *

 

 午前三時十二分。

 私は一度目を覚ました。

 透明な壁はない。

 暗い部屋。

 つないだ手。

 カナタ君の呼吸。

 

 脈を取りたくなる。

 

 手首へ指をずらす前に、名前を呼ぶ。

「カナタ」

「……いる」

 返事。

「痛みは?」

「一。ホシノは」

「怖さ、三」

「夢は?」

「見てない」

「じゃあ、眠ろう」

「うん」

 確認は一回で終わった。

 

      *

 

 午前五時四十八分。

 二度目の覚醒。

 外が少し明るい。

 私はまた、脈より先に名前を呼ぶ。

 

「カナタ君」

「おはよう」

「まだ早いよ~」

「起こしたのはホシノ」

「そうだった」

 二人で笑う。

 痛みは増えない。

 午前六時、アヤネが状態確認へ来た。

「睡眠は?」

 カナタ君が記録を読み上げる。

「三時十二分と、五時四十八分に覚醒」

「それ以外は寝てた」と口にした。

「悪夢は?」

「最初だけ。ここでは見なかった」

「接触による痛み増加は?」

「なし」

「規則違反は?」

「なし」と二人。

 アヤネが記録する。

「必要時は、今後も同じ手順で申請してください」

「毎晩でも?」

「必要性、双方の同意、医療状態、翌日の予定を確認します」

「毎晩の権利にはならない」

「分かってるよ」

 私はつないだ手を見る。

「でも、眠れないって言っていい場所ができた」

「はい」とアヤネ。

「それなら十分です」

 

      *

 

 朝食前。

 上着の貸出期限が来た。

 私は濃紺の上着を脱ぎ、きちんと畳む。

 洗濯はしていない。

 汚れる作業にも着ていない。

 約束通り、カナタ君へ返す。

「七日間、ありがとうございました」

「どういたしまして」

 カナタ君が受け取る。

 私の腕から、温かさがなくなる。

 返した。

 持ち主の手へ戻した。

 

 そのうえで、もう一度尋ねる。

「今日から、また七日間貸してください」

「条件は同じ?」

「同じ。必要なら返す。洗う時は聞く。汚さない」

「分かった。貸す」

 上着が、もう一度私へ戻る。

 

 今度は奪わず、返したあとに選んでもらった。

「ただいま、上着君」

「名前を付けないで」

「じゃあ、カナタ君の上着」

「それならいい」

 私は袖を通す。

「次に悪い夢を見たら?」

 カナタ君が尋ねる。

「アヤネちゃんに言う。扉を叩く。入っていいか聞く」

「それから」

「名前を呼んで、起こす」

「うん」

「百回目は朝の挨拶」

「覚えてた?」

「恋人との約束だからねぇ」

 私は長い袖から右手を出す。

 カナタ君の手を握る。

「おはよう、カナタ」

「おはよう、ホシノ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。