――Hoshino side
シェマタの砲身は、山よりも長かった。
黒い装甲の継ぎ目を赤い起動灯が走っている。峡谷の底に並ぶ冷却塔が、一基ずつ低い音を立て始めていた。
私は制御車両へ続く鉄階段の前で足を止める。
右肩の傷は浅い。
頬を流れた血も、もう顎の先で乾きかけている。
スオウは背後で気を失っている。呼吸はある。奪われたゴールドカードは、彼女の胸元にない。
どこへ隠した。
それとも、すでに制御系へ差し込んだのか。
「ホシノ先輩!」
峡谷へ滑り込んできた列車から、最初に飛び降りたのはセリカだった。
砂へ着地し、よろめきながらも銃を構える。その後ろからシロコ、ノノミ、アヤネが続いた。
最後に先生が降りる。
走ってはいけない身体で、同行者に腕を支えられながら。
「あちゃあ。追いつかれちゃったかぁ」
私は振り返り、いつものように目尻を下げた。
「最近の若い子は元気だねぇ。おじさん、もうへとへとだよ」
「その冗談、今は聞きません!」
アヤネの声が峡谷に響く。
「アビドス生徒会長として命令します。武器を下ろして、治療を受けてください」
「おお。会長っぽくなったねぇ、アヤネちゃん」
「茶化さないでください!」
「茶化してないよ。似合ってる」
それだけは本音だった。
指揮車の中で泣きながら報告書を作っていた一年生が、今は全員の前に立って命令している。
ユメが見たがっていたものに、少し似ている気がした。
だから、ここから先へ連れていけない。
「これは旧生徒会の仕事なんだ」
「違います」
アヤネは即答した。
「シェマタは現在のアビドス自治区にあります。現在の生徒会が処理します。特別書記に単独決裁権はありません」
「肩書きでおじさんを止めるのは、ちょっと難しいかなぁ」
「分かっています。だから、全員で来ました」
ノノミが前へ出る。
拘束されていた手首には赤い跡が残っていた。
「私のカードが使われています。私の家が始めた鉄道です。ですから、私にもここにいる理由があります」
「ノノミちゃんは、もう十分巻き込まれたよ」
「巻き込まれたのではありません。選びました」
いつもの柔らかな笑顔はない。
「あの時、私はアビドスを選びました。今日も同じです。私の選択まで、先輩が代わりに背負わないでください」
私の指が、盾の内側で強く閉じる。
巻かれた布が手のひらへ食い込んだ。
「……後で、ゆっくり聞くよ」
「今、聞いてください」
「今はシェマタを壊す方が先」
「壊し方も分からないのに?」
セリカが言った。
「こんな大きい物、適当に撃ったら何が起きるか分からないじゃない! 先輩、さっき私にはユメ先輩のことを知らないって言ったわよね」
「……言ったねぇ」
「知らないわよ。会ったことないもの。でも、今いるホシノ先輩が、話を聞かないで勝手にいなくなる人だってことは知ってる!」
セリカの声が震える。
「知りたいって言ってるの! 知らないから黙れって言うなら、一生分からないままじゃない!」
「セリカ」
シロコが呼ぶ。
「止めなくていい。正しい」
シロコは私から目を逸らさない。
「ホシノ。今度は、私たち全員が相手」
「ん。四対一は、さすがのおじさんも困っちゃうなぁ」
「先生もいる。五対一」
「先生は怪我人でしょ」
「指揮はできる」
先生が前へ出た。
呼吸を整えるため、一度だけ足を止める。
「ホシノ。壊す必要があるとしても、あなた一人で行う必要はありません」
「必要があります」
私の声から、ゆっくりした調子が消えた。
「私が始末する。あの人が残した物を、これ以上誰かに使わせない」
「『あの人』は、ユメですか。雷帝ですか。それとも、昔のあなたですか」
答えが詰まる。
知らない声が、その隙間へ滑り込んだ。
――心は予測できない。
男とも女ともつかない、乾いた声。
――だから後輩は、いつか君の思いどおりでなくなる。
私は周囲を見た。
誰も反応していない。
旧通信器には、遠い砂嵐の雑音だけ。
「ホシノ?」
先生が呼ぶ。
「……全部です」
盾を持ち上げる。
「退いてください」
先生は退かなかった。
「止めます」
*
最初の発砲は、私だった。
全員の足元へ一発。
散弾が硬い砂を跳ね上げ、視界を奪う。
シロコが右へ、セリカが左へ散る。ノノミは先生とアヤネの前へ出て、機関銃の銃身を上げた。
「射線を交差させないでください! 先輩の右肩は負傷、盾は左!」
アヤネの指示。
「ノノミさん、正面を押さえてください。セリカさんは冷却塔側。シロコさん、回り込みを!」
「了解」
「分かってる!」
私はノノミの制圧射撃を盾で受ける。
銃弾が表面で連続して火花を散らす。
重い盾を正面へ残したまま、身体だけを低く沈めた。セリカの射線より下を滑り、接近する。
「わっ――」
ショットガンの銃身でセリカの武器を横へ払う。
引き金は引かない。
肩で軽く押し、後ろの砂袋へ倒す。
「一人目」
「まだよ!」
セリカが足首へしがみつこうとする。
私は跳び退き、その着地点へシロコの弾丸が刺さった。
照準器。
手首。
盾の隙間。
すべて、私が後輩へ教えた狙いだった。
「上手になったね、シロコちゃん」
「まだ足りない」
「そうだね」
左から来た弾丸を盾で弾く。
跳弾の向きを読み、ノノミの足元へ盾の縁を差し入れた。体勢を崩したところへ銃床を当て、機関銃を上へ向ける。
銃口が空を向いたまま弾を吐く。
先生が指を二本上げた。
アヤネの指示が変わる。
「距離を保ってください! 制圧ではなく、制御車両への道を塞ぎます!」
倒す必要はない。
行かせなければいい。
戦いの目的を変えられた瞬間、私は四人の成長を理解した。
嬉しかった。
苦しかった。
私がいなくても、この子たちは戦える。
なら、なおさらここへ残していける。
――その通りだ。
また、声がした。
――強くなった者は、君を必要としない。
胸の奥の小さな傷へ、細い針が入る。
私はその声ごと押し潰すように、盾を地面へ叩きつけた。
砂の波が起きる。
四人の足が止まる。
私は制御車両へ向かって走った。
『右前、六メートル。床板が抜けてる』
旧通信器から、カナタ君の声。
反射で足を止める。
次の一歩の先に、砂で隠れた穴があった。
「見えてるよ」
『嘘だ』
「……通信係さんは、後ろで回線を守るお仕事じゃなかったっけ」
『守ってる。だから聞こえてる』
カナタ君の声は低い。
『皆を未来だと言ったのはホシノだ。未来には自分で選ばせるべきだとも、俺に言った』
「今は、その話をしてる場合じゃ――」
『今、それを破ってる』
私の足が、一拍だけ止まる。
『俺が普通の人間だから前へ出せないと言った。なのに、銃弾に耐えられる後輩まで置いて、一人で全部決めるのは矛盾してる』
「耐えられるから、傷ついていいわけじゃない」
『ホシノも同じだ』
すぐに返ってきた。
「私は平気」
『肩から血を流してる』
「見えてないくせに」
『アヤネが報告した』
こんな時なのに、少しだけ笑いそうになった。
誰か一人との回線を切っても、別の誰かがつなぎ直す。
それが対策委員会だ。
『それと、まだ怒ってる』
「うん」
『怒ってる相手に、勝手に死なれたくない』
「死なないよ」
『その言葉を信じさせて、一度置いていった』
笑えなくなった。
私は通信器を切ろうとした。
指は切断釦へ触れ、押せなかった。
「……彼氏くんは、ちょっと黙ってて」
『嫌だ』
「おじさんのお願い」
『それも、今は聞かない』
アヤネと同じ答えだった。
背後から、シロコの声がする。
「ホシノ」
振り返る。
シロコは銃を下げていた。
「もう一度、一対一」
「さっき皆でって言ってなかった?」
「皆で止める。そのために、私が戦う」
先生を見る。
先生が頷いた。
「今度は先生の指示があるよ」とシロコ。
「それ、かなりずるくない?」
「前にホシノが教えた。勝てる条件を揃えるのも戦い」
私は小さく息を吐いた。
傷んだ右肩を回す。
「いいよ」
セリカが何か言おうとしたが、先生が手で制した。
ノノミとアヤネが左右へ退く。
峡谷の中央に、二人だけの道ができた。
*
開始の合図はなかった。
シロコが伏せ、三発。
私は一発を盾で受け、二発を身体の傾きだけで避ける。
距離を詰める。
シロコは退かない。
足元へ発煙弾を撃ち、白い煙の中へ私から入った。
視界が消える。
私には足音が聞こえる。
右。
盾を振る。
何もいない。
投げられた空の弾倉が、盾の縁に当たって落ちた。
「陽動かぁ」
左後方から銃声。
肩の装甲へ一発。
私は振り向きざまに散弾を返す。シロコは転がって避け、古い枕木の陰へ入った。
先生の指が動く。
シロコは見ていない。
アヤネから骨伝導端末へ指示が届いている。
私が踏み込むたび、シロコは半歩だけ早く場所を変えた。
正面から勝とうとしていない。
右肩を狙い続けてもいない。
盾を持つ左腕を疲れさせ、私が早く終わらせようとする瞬間を待っている。
「ずいぶん、嫌な戦い方を覚えたねぇ」
「先生がいるから」
「うん。いい先生だね」
誇らしさが、判断を一瞬だけ遅らせた。
シロコが近づく。
私は盾で押し潰そうとした。
シロコは盾の正面を避けず、縁へ両足を当てる。
押される力を使って後ろへ跳び、ワイヤーを引いた。
細い鋼索が、私のショットガンの銃身へ巻きつく。
「甘いよ」
引かれる前に、私が銃ごとシロコを持ち上げる。
けれど、それも囮だった。
地面へ落ちていた空の弾倉の下から、もう一本のワイヤーが起き上がる。
盾の下端へ掛かる。
左右を同時に引かれた。
右肩が痛む。
どちらかを離さなければ、傷が深くなる。
私は迷った。
盾の持ち手に巻かれた布が、手のひらへ触れていた。
離したくない。
ほんの一瞬の迷い。
先生は、それを見逃さなかった。
「今です、シロコ!」
シロコがワイヤーを捨て、懐へ入る。
銃床が私の手首へ当たる。
ショットガンが砂へ落ちた。
次の瞬間、シロコの銃口が胸部装甲へ触れている。
私の盾は、シロコの背後。
動けば拾える。
撃たれても倒れはしない。
まだ戦える。
だが、これは決闘だった。
「……参ったなぁ」
私は両手を上げた。
「負けだよ」
シロコは銃を下げなかった。
「なら、戻る?」
「シェマタを残して?」
「別の方法を探す」
アヤネが近づく。
「旧路線の設計資料も、ネフティスの技術者もいます。分解、停止、封鎖、権利凍結。調べる前から一つに決めないでください」
「そんな時間がないかもしれない」
「それでもです」
ノノミが、砂へ落ちたショットガンを拾う。
「ホシノ先輩。シェマタがユメ先輩の望まなかった物なら、私たちと一緒に止めましょう」
「ノノミちゃんには分からないよ」
「はい。分かりません」
ノノミは否定しなかった。
「死んだ方を生き返らせることも、過去へ戻ることもできません。でも、先輩が今苦しんでいることなら、知りたいです」
シロコも銃を下ろした。
「私はユメ先輩を知らない」
「……そうだね」
「だから、教えて」
私は、四人の後輩を見た。
誰も、ユメを知らない。
当たり前だった。
あの日の砂漠にいたのは、ユメと自分だけだ。
帰ってきたのは、自分だけ。
「私が、殺したんだ」
セリカが息を呑む。
先生は否定しなかった。
続きを待った。
「事故だった。そういう報告になってる。砂嵐が来て、ユメ先輩が道を間違えて、水もなくなって……私が見つけた時には、もう」
喉が狭くなる。
笑うための息が、出てこない。
「でも、その前に喧嘩した。詐欺みたいな話ばっかり信じて、計算もできなくて、迷惑ばっかりかけるって。勝手にすればいいって言って、置いていった」
旧通信器の向こうで、誰かが息を止める。
カナタ君だと分かった。
「私は、ずっと怒ってた。何も守れないくせに。あの人が残した学校も、鉄道も、ノートも。ありがとうって、一回も言わなかった」
青と金の目が、熱くなる。
「だから、私が殺したのと同じだよ」
「同じじゃない!」
セリカが叫ぶ。
「喧嘩したことと、事故で亡くなったことは同じじゃない!」
「同じなんだ」
――同じだ。
知らない声も言った。
――置いていく者は、殺す者だ。
その言葉は、ユメの後ろに別の姿を作った。
濃紺の髪。
灰青の目。
白い光の向こうへ消えるカナタ君。
私が南という嘘で置いてきたカナタ君。
――君はもう一度、同じことをした。
「違う」
声に出ていた。
「ホシノ?」とシロコ。
「カナタは生きてる」
『生きてる』
旧通信器から、即座に返事が来た。
『ここにいる』
私は胸元の通信器を握った。
「……うん」
『だから帰ってこい。俺だけじゃない。皆のところへ』
返事をしようとした。
シェマタの奥で、巨大な何かが噛み合う音がした。
赤い起動灯が、一斉に点く。
地面が揺れた。
制御車両の上部投影機へ、スオウの姿が映る。
額から血を流し、座席へ身体を縛りつけていた。
『まだ終わっていない』
「スオウ」
『私は、お前に負けていない。シェマタは大オアシス駅へ向かう』
列車砲の車輪が動き始める。
『来なければ、アビドスを焼く』
通信が切れた。
「停止信号を!」とアヤネ。
「受け付けません! 路線制御が車上権限へ移っています!」
シェマタが、ゆっくりと谷の奥へ進み出す。
私の目が変わった。
シロコはそれを見て、再び銃を上げる。
「行かせない」
「ごめんね」
私は砂へ膝をつき、落ちていたショットガンを掴んだ。
引き金。
散弾はシロコの胸部装甲へ集中した。
シロコが後ろへ倒れる。
「シロコ先輩!」
セリカが受け止める。
装甲は割れていない。意識もある。
それを確認するより早く、私は走った。
動き出したシェマタ後部の作業台へ跳び移る。
「ホシノ!」
先生の声。
「今度こそ、おじさんが終わらせる」
私は振り返らなかった。
*
――Kanata side
後方通信車で、俺は移動する発信点を見ていた。
生徒会の谷から大オアシスへ。
ホシノは、また全員を置いて進んでいる。
受話器を握る手が震えた。
「回線は?」
『生きています』とアヤネ。
「ホシノ、聞こえるか」
返事はない。
「聞こえてなくても送る。線路状況、分岐、速度、全部」
『お願いします』
先生の端末から、アロナの警告音が鳴った。
未知の古代技術。
太陽表面に近い温度のプラズマ。
不完全な再現ゆえ、砲身を乱暴に壊せばエネルギーが周囲へ拡散する。射線上だけでなく、谷にいる全員が巻き込まれる可能性。
「じゃあ、ホシノのやり方では止められない」
『はい』
先生の声が硬くなる。
『それと、プラナが観測者を見つけました』
「観測者?」
『この現実の外側にいる、ゲマトリアの構成員です。ホシノの神秘を狙っている』
俺には、神秘という言葉の意味を完全には理解できない。
だが、狙われているものが兵器ではなくホシノ本人だということは分かった。
「俺にできることは」
『回線を守ってください。ホシノがどこまで行っても、帰る方角を失わないように』
俺は目を閉じる。
一度だけ。
開いて、路線図へ新しい推定線を引いた。
「了解」
先生は別の回線を開く。
呼び出し先は、ゲヘナ風紀委員会。
数秒後、眠気のない短い声が応じた。
『話は聞くわ、先生』
空崎ヒナだった。