砂の海に、君が流れ着く   作:陽炎帽子

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ヒナが知っていた死

 ――Hoshino side

 

 日が傾き始めていた。

 シェマタは大オアシス駅へ向かう本線を、ゆっくりと加速している。

 私は最後尾の作業台から連結器を渡り、制御車両の扉へ取りついた。

 ロックはノノミの権限で閉ざされている。

 蝶番へ二発。

 留め金へ一発。

 蹴り開ける。

 狭い通路の奥で、赤い警告灯が回っていた。

「スオウ」

 返事はない。

 制御席に残っていたのは、切られた固定帯と血だけだった。

 側面の非常扉が開いている。

 走行中に、前方車両へ移ったらしい。

 私は壁の運行図を見る。

 大オアシス駅まで、残り二十一・四キロ。

 現在速度、時速六十二キロ。

 主砲蓄電率、二十八パーセント。

 装甲を外から壊せば、谷ごと焼く。

 なら、中から制御核を止める。

 できなければ、射線を砂漠の外へ向けたまま、自分ごと――。

『その続きは考えるな』

 旧通信器から、カナタ君の声がした。

「考えてないよぉ」

『今、嘘をつく時に声が少し上がった』

「彼氏くん、おじさんのこと詳しくなりすぎじゃない?」

『恋人だから』

 胸が痛む。

 同じ言葉を、私は置いていく理由に使った。

 カナタ君は、戻す理由に使っている。

 

「……回線、切れそうだから」

『切れてない』

「これから切れるかも」

『切れたら、つながるまで呼ぶ』

「しつこい男の子は嫌われるよぉ」

『知ってる』

「誰に教わったの」

『小鳥遊ホシノ』

 硬い呼び方。

 まだ怒っている。

 それなのに、カナタ君がそこにいることへ安心してしまう私が嫌だった。

 安心したぶんだけ、もっと遠くまで一人で行ける。

 

 カナタ君の声を燃料にして、カナタ君を置いていく。

「カナタ」

『いる』

「……なんでもない」

 私は通信器から手を離し、前方車両へ進んだ。

 

      *

 

 大オアシス駅の制御室に、空崎ヒナは一人で立っていた。

 

 先生からの要請を受けた後、風紀委員会の記録庫で旧雷帝関連の封鎖路線を確認し、最短の輸送機で先回りした。

 風紀委員会長の通常任務として提出したのは、雷帝遺産の発見と無力化。

 個人的な依頼として受け取ったのは、一人の生徒を止めること。

 

 窓の向こうに、黒い列車砲が見える。

 ホームへ入る前に速度を落とすはずだったが、その様子はない。

 ヒナは制御盤へ最後の停止命令を送った。

 拒否。

 分岐器を側線へ固定する。

 車上権限が上書き。

「やっぱり、正面から止めるしかないのね」

 ため息は小さい。

 銃を持ち上げる。

 制御室の扉が開いた。

 白い髪を黒い帯で束ねた私が立っている。

 旧式の濃色戦闘上着。

 左手に盾。

 右肩と頬に傷。

「……ヒナちゃん」

「久しぶり、ホシノ」

「先生に呼ばれた?」

「ええ」

「そっかぁ。困ったな。今は遊んでる時間がないんだけど」

「私もないわ」

 ヒナは窓の外を示す。

「シェマタを一人で壊すのは不可能よ。強引に壊せば、蓄積されたエネルギーが拡散する。あなたも、追っている皆も無事では済まない」

「中から止める」

「方法は?」

「今から探す」

「だったら、皆と探しなさい」

 私の目が細くなる。

「退いて」

「嫌よ」

「これはアビドスの問題だよ」

「雷帝の遺産でもある。ゲヘナ風紀委員会の問題よ」

「都合のいい理由を持ってきたねぇ」

「あなたよりは、筋が通っていると思う」

 私の表情から笑みが消えた。

「どういう意味?」

「あなたはユメの意思を理由にしている。でも、ユメはシェマタを知らなかった」

 静かだった制御室で、列車の走行音だけが急に大きくなった。

「……何を言ってるの」

「調査記録がある」

「退いて」

「話を聞きなさい」

 私が撃った。

 ヒナは横へ跳ぶ。

 散弾が制御盤の外殻を削る。

 ヒナの反撃が盾の中央へ突き刺さった。

 重い衝撃で私の踵が床を滑る。

「話を聞く気は?」

「後で」

「そればかりね」

 銃撃が交差した。

 

      *

 

 ヒナの弾丸は、重かった。

 一発ごとに盾の裏へ衝撃が抜ける。

 私は正面で受けず、角度をつけて壁へ流す。狭い制御室では、爆発を伴う射撃の方が不利になる。

 机。

 柱。

 天井の配線箱。

 遮蔽物を順番に使い、距離を詰める。

 ヒナも理解していた。

 後退しながら、私を主制御盤から遠ざける。

「右肩、悪化してるわ」

「心配してくれるの?」

「先生に、生きたまま止めるよう頼まれた」

「難しい注文だねぇ」

「あなたが素直なら簡単よ」

 ヒナが床へ撃つ。

 爆風が足元から上がる。

 私は盾を伏せて受け、煙の中から飛び出した。

 銃床と銃身がぶつかる。

 ヒナの小さな身体は、見た目に反して動かない。

 私は盾の縁で押し、ヒナは翼を壁へ当てて踏みとどまる。

 二人の間で床板が軋んだ。

「昔より、無茶になったわね」とヒナ。

「昔のおじさんを知ってるみたいに言うね」

「調べたから」

 私の力がわずかに緩む。

 ヒナの膝が腹部装甲へ入った。

 息が抜ける。

 続く銃撃を盾で防ぎ、私は制御室からホームへ退いた。

 シェマタは駅を通過する。

 横を並走する保守列車が見えた。

 

 停車中の車両へ、駅の非常運行盤がつながっている。

 私はホームの柱を撃った。

 上部の案内板が落ち、ヒナとの間を塞ぐ。

 その隙に非常運行盤へカード代替コードを入力する。

 旧生徒会の番号。

 保守列車が動き出した。

 

「待ちなさい!」

「シェマタはおじさんが追うから、ヒナちゃんは先生たちを手伝って」

 開いた扉へ飛び乗る。

 列車がホームを離れた。

 ヒナは落ちた案内板を一発で吹き飛ばす。

 走る列車を見た。

 羽を広げる。

「本当に、面倒な人」

 ホームの端から跳び、最後尾へ着地した。

 

      *

 

 保守列車は、シェマタを追って時速九十キロまで加速した。

 

 車内で再び銃撃が始まる。

 私は前へ。

 ヒナは後ろから進路を塞ぐ。

 一両目の座席が吹き飛び、二両目の窓が消えた。

 私が盾で壁を破り、外側の点検通路へ出る。

 ヒナの弾丸が後を追う。

 装甲板の留め具が弾け、砂漠へ落ちていく。

 屋根へ上がった。

 風が強い。

 夕陽を背に、二人のヘイローが明るく浮かぶ。

「しつこいねぇ!」

「あなたに言われたくない!」

 私が走り、盾を前へ出す。

 ヒナは真正面から撃つ。

 爆発。

 盾の表面で炎が広がる。

 私は炎の中を抜け、ヒナへ肩からぶつかった。

 二人が屋根を転がる。

 先に立ったのは私。

 ヒナの銃を踏み、ショットガンを向ける。

「終わり」

「そうね」

 ヒナの指が、銃ではなく足元の屋根へ向いていた。

 事前に撃ち込まれた亀裂。

 羽の一撃で、割れる。

 私の足が沈んだ。

 照準が逸れる。

 ヒナは銃を引き抜き、列車の連結部へ撃った。

 一両分の床と側壁が爆ぜる。

 先頭側と後方車両の重さがずれた。

 車輪が浮く。

「ヒナちゃん、これ――」

「飛び降りて!」

 遅かった。

 保守列車が線路を外れる。

 

 砂を削りながら横転し、峡谷の浅い崖へ落ちた。

 

      *

 

 音が遠かった。

 私は、白い砂の中で目を開ける。

 上半分しか残っていない車両が、斜面の下で煙を上げていた。

 盾は三メートル先。

 ショットガンは見えない。

 左脚を動かす。

 動く。

 右肩は熱い。

 肋骨が痛い。

 口の中に血の味がする。

 立ち上がる。

 シェマタは、もう見えない。

 レールだけが大オアシス駅の先へ続いている。

 歩けば追いつける。

 そう考えた時、足元へ弾丸が刺さった。

「もう無理よ」

 ヒナが、斜面の上に立っていた。

 制服は破れ、額から血が流れている。左の翼も傷ついていた。

 それでも銃口はぶれない。

「退いて」

「退かない」

 私は盾へ手を伸ばす。

 もう一発。

 指先の前に着弾。

「次は腕を撃つ」

「撃てばいい」

「その次は脚。それでも進むなら、動けなくなるまで撃つ」

「やってみて」

 ヒナは撃たなかった。

「先生に頼まれたからだけじゃない」

「何」

「雷帝の遺産を消すことは、私の任務だった。シェマタも探した。万魔殿の情報部も、風紀委員会も」

 ヒナが斜面を降りる。

「見つからなかったけれど、その過程でアビドスの記録を調べた。砂漠横断鉄道と、当時の生徒会長の死亡」

「ユメ先輩を調べたって言うの」

「ええ」

 私の声が低くなる。

「どうして」

「アビドス最強の生徒と行動していた生徒会長が死亡した。原因が事故でも、周辺勢力は調査する。あなたが何をするかも含めて」

「監視してたんだ」

「そうね」

 ヒナは言い訳をしない。

「記録では、ユメはシェマタの存在を知らない。鉄道事業は兵器を運ぶためではなく、アビドスを再生するための路線だと思っていた」

「そんなの、分からない」

「当日の移動記録もある。ユメは契約の残金を自治区外の金融機関へ預けるために出た。資金を守るつもりだった」

「じゃあ、どうして砂漠にいたの」

「砂嵐で交通網が止まり、予定路が変わった。端末の最後の接続地点と発見場所の間に、第三者の襲撃痕跡はなかった」

「ノートは」

「見つかっていない」

「契約書の日付は」

「出発した日と同じ。契約を終えて、そのまま預け入れへ向かった可能性が高い」

「可能性?」

「確定していないことは、確定したように言えない」

 ヒナの答えは冷たく聞こえるほど正確だった。

「じゃあ、ユメ先輩は、この兵器を止めようとして死んだわけじゃない」

「違う」

「誰かに殺されたわけでもない」

「確認された証拠はない」

「私を守るためでも」

 ヒナは少しだけ黙った。

「死亡時の状況からは、そういう事実は確認できない」

 私は立っていた。

 立っているはずなのに、足元が消えたように感じた。

 ユメは、シェマタを止めるために死んだのではない。

 

 アビドスを守る誰かに殺されたのでもない。

 

 私を庇ったのでもない。

 鉄道を残そうとして、金を預けようとして、道を変えた。

 砂嵐に遭った。

 ただ、それだけ。

「じゃあ、何のために死んだの」

 ヒナの目が、ほんの少し伏せられる。

「人の死に、必ず目的があるわけじゃない」

「そんなの」

「納得できないでしょうね」

「そんなの、嫌だ」

 私でも驚くほど、幼い声だった。

「あの人は何も考えてなくて、計算もできなくて、でも学校を残そうとしてた。それで、ただ道を間違えて死んだっていうの?」

「私は、記録で分かることしか言えない」

「だったら、私が意味を残さないと」

「それはユメの意味ではない。あなたが欲しい意味よ」

 言葉が胸へ入る。

 深く。

「あなたは、私より強い」

 ヒナが言った。

「今それを言う?」

「ずっと、そう思っていた。残った学校と後輩を守り続けたから」

「守れてない」

「決めるのはあなたではない。守られた側よ」

 遠くで列車の警笛がした。

 橘姉妹の高速列車。

 先生と対策委員会が大オアシス駅へ近づいている。

「シェマタは、あの子たちが止める」とヒナ。

「スオウは強い」

「あの子たちも強い。あなたが育てたんでしょう」

 私は答えられなかった。

 

      *

 

『ホシノ』

 通信器からカナタ君が呼んだ。

 ヒナとの会話は、開いた作戦回線を通して後方にも届いていた。

「聞いてた?」

『聞いてた』

「盗み聞きだねぇ」

『切られてない回線の担当だ』

「……何か言ってよ」

 私から求めたことに、私は気づいた。

 カナタ君なら言ってくれると思った。

 私は悪くない。

 事故だった。

 ユメはきっと許している。

 帰ってきてくれれば、それでいい。

 

 欲しい言葉を全部、カナタ君の口から受け取ろうとしていた。

 カナタ君は、すぐには答えなかった。

 通信が切れたのかと思うほど長い沈黙。

『俺は、ユメを知らない』

「……うん」

『記録も、最後の喧嘩も見てない。だから、ホシノが悪くないとは決められない。ユメが許すとも言えない』

 胸が冷える。

 けれど、通信器を投げることはできなかった。

『今のホシノが苦しいことは分かる』

「それだけ?」

『それだけしか、分からない』

「恋人なのに?」

『恋人だから、分からないことまでホシノの欲しい答えにしたくない』

 私は目を閉じた。

 痛かった。

 優しい嘘をくれないことが。

 私がカナタ君へ嘘を使った後だから、余計に。

「帰ったら、まだ怒る?」

『怒る』

「そっか」

『帰ったらな』

「……うん」

 頷く。

 その瞬間、別の声が重なった。

 ――帰る場所がある者に、死者の痛みは分からない。

 

 私が目を開く。

 赤い夕陽が、砂漠を染めていた。

 ――意味のない死を認めるのか。

 

「誰」

『ホシノ?』

 カナタ君の声が遠くなる。

 ――君が置いていったから死んだ。それだけは変わらない。

 

 ユメの最後の音声が、記憶の奥で再生された。

 砂嵐。

 途切れる呼吸。

 

 ノートを探して。

 私。

「違う」

 頭を押さえる。

 ヒナが銃を下ろし、一歩近づいた。

「ホシノ。誰と話しているの」

「来ないで」

「何が聞こえるの」

「来ないで!」

 ヘイローの外縁で、赤い火花が一つ弾けた。

 ヒナの目が見開かれる。

 カナタ君は後方で、呼び続けていた。

『ホシノ。聞こえるなら返事をして』

 聞こえている。

 聞こえているのに、二つの声のどちらが私の内側から来ているのか、もう分からなかった。

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