砂の海に、君が流れ着く   作:陽炎帽子

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夜明けのホルス

 後方通信車の画面には、前線から届く映像が六枚並んでいた。

 橘ヒカリは、速度計を見なかった。

 見る必要がないほど、針は右端へ張りついている。

「ノゾミ」

「分かってる! 補助推進、あと十八秒!」

 黒黄の高速列車は、大オアシス駅へ続く直線を走っていた。

 後部へ取りついたカイザーの追跡車両が、連結を試みている。屋根ではシロコとセリカが、飛び移ってきた兵士を押し返していた。

 ノノミは側面窓から機関銃を撃ち、追跡車両の砲塔を上へ向けさせる。

 先生は固定座席から指示を出していた。

 医療端末が速度と振動へ何度も警告を鳴らす。

「次の分岐まで二十秒です!」

 アヤネが路線図を読む。

「シェマタは大オアシス駅を通過、北西三・二キロ! 主砲蓄電四十一パーセント!」

「先生」とシロコの声。

「追跡列車を止める。私たちは先へ」

 ヒカリが言った。

「でも、この速度で降りたら――」

「降りられるところまで、近づける」

 ノゾミが笑う。

「あとはあたしたちに任せなって! 特別に、中央管制センター式の多線区間同時制動を見せてあげる!」

「それ、規則にある名前ですか?」とアヤネ。

「今つけた!」

「ない」とヒカリ。

 左右に並走する保守線が近づく。

 

 ヒカリは制動を一度だけ入れ、車体を分岐の中央へ滑らせた。

 ノゾミが補助推進剤を逆噴射する。

 速度が、ほんの一瞬だけ落ちる。

「今!」

 側面扉が開いた。

 先生を中央に、ノノミとアヤネが左右から支える。

 シロコ、セリカが先に跳ぶ。

 砂の斜面へ着地し、転がる。

 続いて三人。

 全員が線路脇へ離れた直後、ヒカリの列車が追跡車両の前へ車体を振った。

 多線区間の二本を使い、互いの進路を削る。

 金属の悲鳴。

 火花。

 二つの列車は速度を失い、砂を巻き上げて線路外へ止まった。

 

『無事』

 ヒカリの短い通信。

『すっごいでしょ!』

 ノゾミの声も聞こえる。

「ありがとうございます」と先生。

 アヤネが顔を上げた。

「シェマタまで八百メートル。動きが止まっています」

「停止した?」

「いいえ。蓄電は継続。前方の制御信号待ちです」

 黒い巨体が、夕暮れの線路を塞いでいる。

 その先頭車両で、銃声がした。

「スオウがいる」とシロコ。

 先生が頷く。

「行きましょう。ホシノが追いつく前に止めます」

 

      *

 

 ――Hoshino side

 

 ユメの声がする。

『ホシノちゃん、怒らないで聞いてね』

 砂嵐の中で録音された、最後の音声。

『ちょっとだけ道が分からなくなって。でも大丈夫。目印は見えてるから』

 大丈夫ではなかった。

 

 目印も、違っていた。

 私は何度も通信を返した。

 座標を送って。

 水を飲んで。

 動かないで。

 最後に確認した場所へ向かうから。

 返事が途切れた。

 私は一人で砂漠を走った。

 

 あの時の私は今より軽く、今より速かったはずなのに、どれだけ走っても同じ砂丘へ戻された。

『ノートを探してね』

 音声が繰り返される。

『大切なこと、書いてあるから』

「どこにあるの」

 現在の私が答えた。

「何を書いたの。どうして、それを私に言わなかったの」

 ユメは答えない。

 代わりに、乾いた声がした。

 ――過去は変えられない。

 足元の砂に、倒れたユメの輪郭が浮かぶ。

 ――身体には限界がある。

 肩、肋骨、脚の傷が一斉に痛む。

 ――心は制御できない。

 後輩たちが武器を向ける。

 シロコが勝つ。

 セリカが知らないと言う。

 ノノミが私で選ぶと言う。

 アヤネが会長になる。

 私を必要としない未来が、正しい形で完成していく。

 ――小さな傷は、致命傷になる。

 最後にカナタ君が現れた。

 旧水路の白い光の前に立っている。

 濃紺の上着を着て、工具袋と方位磁針を持っていた。

『道が見つかった』

「行かないで」

 声が出ない。

『帰れる道なら帰る』

 以前、本人が言った言葉。

 正しい。

 家族へ会いたい。

 故郷へ帰りたい。

 

 止める権利はない。

 だから私は、水路を壊す。

 夢の中で、盾を振り上げる。

 人工管路が潰れる。

 方位磁針を砂へ埋める。

 白い光が閉じる。

 カナタ君が振り返る。

 灰青の目に、恐怖があった。

 

『ホシノが、俺を帰れなくしたのか』

「違う」

 守りたかった。

 

『俺の家族を奪ったのか』

「違う!」

 目を開く。

 夕暮れの砂漠。

 ヒナが目の前にいる。

 私の両手は、私の頭を押さえていた。

「ホシノ。私を見て」

「カナタは」

「ここにはいない」

「いない」

「後方で無事よ。通信が聞こえるでしょう」

『ホシノ。返事をして』

 聞こえる。

 けれど夢のカナタ君も、同じ声で責めている。

「どっち」

『何が見えてる?』

「私が、帰る道を壊した」

『壊してない。探査の設備は残ってる』

「でも、壊したいと思った」

『思ったことは聞いた。実行してない』

「今度はするかも」

『その時は止める』

「止められないよ」

『一人で無理なら、皆に頼む』

 私は笑った。

 笑い方を忘れた顔で。

「ずるいなぁ。もう、私がいなくても皆でできるんだ」

『ホシノがいなくていいとは言ってない』

 ――同じことだ。

 声が重なる。

 ――必要とされなくなる前に、すべてを守り切れ。

 

 ――守れないなら、失う前に終わらせろ。

 

「うるさい」

 ヒナが私の肩へ触れようとする。

「触らないで!」

 赤い火花が弾けた。

 ヒナの手が止まる。

「先生、聞こえる?」

『聞こえています』

 ヒナは私から目を離さず、作戦回線へ告げる。

「精神干渉。急いで。ホシノのヘイローに異常が出てる」

『プラナが解析しています。刺激を減らして、会話を――』

 そこで通信へ強い雑音が入った。

 私の背後で、夕陽とは別の赤い光が昇る。

 

      *

 

 ――Kanata side

 

 中央車両から転送された映像では、スオウがシェマタ先頭車両の主端末へゴールドカードを差し込んでいた。

 画面には、発射地点の候補が並ぶ。

 大オアシス。

 アビドス高等学校。

 自治区中央旧市街。

 指先が震えている。

「私は、負けていない」

 胸部装甲の下が痛む。

 ホシノに倒された記憶が、何度も戻る。

 

「あれを否定すれば、私は――」

 扉の外で銃声。

 一つ目のロックが壊れる。

 スオウは発射先をアビドス高等学校へ合わせた。

 認証釦へ手を置く。

 二つ目のロックが壊れる。

「来るな!」

 扉越しに撃つ。

 反対側から、シロコの弾丸が銃口だけを跳ね上げた。

「射線確認!」とアヤネ。

「右壁の奥にスオウ、端末前! カードは接続中です!」

 ノノミが機関銃を構える。

「私が扉を開けます」

 連続射撃。

 蝶番とロックが削れ、扉が内側へ倒れる。

 スオウは認証釦を押した。

 セリカの弾丸が、釦の保護蓋へ当たる。

 蓋が閉じ、指を挟んだ。

「っ……!」

 シロコが床を滑る。

 スオウの足を払い、銃を遠くへ蹴った。

 ノノミが主端末へたどり着く。

「カードを抜けば止まる?」

「今抜くと、認証状態が固定される可能性があります!」とアヤネ。

 先生が画面を見る。

 蓄電四十九パーセント。

 射撃座標の確定まで、十一秒。

「ノノミ。カードの権限で、使用者を変更できますか」

「はい。でも、会社側の副認証が――」

「旧契約は失効しています。現在の利用者は、誰ですか」

 ノノミは一瞬だけ目を閉じた。

 開く。

「アビドス高等学校です」

 カードへ指を当てる。

「管理者・十六夜ノノミ。兵器運用権限を破棄。鉄道安全管理へ限定します」

 端末が拒否音を鳴らす。

 アヤネが新生徒会の認証記録を送る。

「アビドス生徒会長、奥空アヤネが承認します!」

 残り六秒。

 画面が切り替わる。

 兵器運用権限、失効。

 

 主砲蓄電停止。

 冷却手順開始。

 赤い灯が、一本ずつ消えていく。

 スオウは床に押さえられたまま、画面を見た。

「どうして……」

「一人で動かしたから」とシロコ。

「お前たちだって、ホシノ一人に――」

「だから、今度は一人にしない」

 シロコが拘束具を締める。

 その時、遠い砂漠が赤く光った。

 窓のすべてが白くなる。

 一拍遅れて、衝撃波がシェマタを揺らした。

「今のは?」

 アヤネの端末へ警告が殺到する。

 先生は赤い光の方角を見た。

「ホシノです」

 

      *

 

 ヒナは、光の中心にいた。

「ホシノ!」

 手を伸ばす。

 赤い衝撃が身体を打つ。

 翼が折れ曲がり、地面へ叩きつけられた。

 銃が手を離れる。

 意識が遠のく直前、ヒナが見たのは、形を変えるヘイローだった。

 赤と黒。

 夜明けの太陽を囲むような、巨大な環。

 ホシノの白い髪が、赤い光の中で浮く。

 古い戦闘上着は黒く沈み、身体の周囲へ砂ではない影が集まっていた。

 青と金だった目から、色が失われる。

 

 ホシノは、自分の内側へ落ちていった。

 

      *

 

 ――Hoshino side

 

 そこには、古い生徒会室があった。

 机の向こうにユメがいる。

『ホシノちゃん』

「ごめんなさい」

『何が?』

「全部」

『全部って、どれ?』

「分からない」

『じゃあ、どうして謝るの?』

「私のせいだから」

 ユメの顔が見えない。

 机の上に、濡れたノートがある。

 開こうとしても、頁が貼りついている。

 無理に剥がすと、文字ごと破れた。

「待って」

 一頁。

 また一頁。

 何も読めないまま、ノートが崩れていく。

 背後で扉が開いた。

 カナタ君が立っている。

 首から家族写真を下げていた。

『帰る』

「駄目」

『どうして』

「私を置いていくから」

『ホシノが先に置いていった』

「違う」

『南だと嘘をついた』

「違う」

『キスを使った』

「違わない」

 認めた瞬間、カナタ君の胸に穴が開いた。

 赤い砂が流れ出す。

 ヘイローのない身体は、簡単に壊れる。

 私は抱きとめようとする。

 腕の中に入る前に、姿が砂になる。

「やだ」

 ユメも、机の向こうで砂になっていた。

「一人にしないで」

 ――痛みは、他者に理解できない。

 地下生活者の声が、初めてはっきりと聞こえた。

 ――ゆえに君の痛みは、君だけの真実だ。

「返して」

 ――失う前の形へ戻ろう。

 

「ユメ先輩を」

 ――死を知る前へ。

 

「カナタを」

 ――愛する者が去る可能性のない形へ。

「皆を」

 ――すべてを守れる神へ。

 

 私は、差し出された赤い光へ手を伸ばした。

 それが何者の手か、考えられなかった。

 

      *

 

 ――Kanata side

 

 後方通信車の窓が、衝撃波で割れた。

 俺は机の下へ伏せ、頭を守った。

 

 警報が鳴る。

 方位磁針が首から跳ね上がり、北西を指したまま激しく震えている。

「ホシノ!」

 応答なし。

 生体通信も、旧通信器も接続表示だけが残っている。

 俺は車両を起動しようとした。

 主電源が入らない。

 遠隔安全ロック。

『カナタさん、動かないでください!』

 アヤネの声。

「解除してくれ」

『できません。赤色領域は生徒のヘイローにも損傷を与えています。カナタさんが入れば――』

「分かってる」

『分かっていません!』

 泣き声に近かった。

『今そちらまで失ったら、ホシノ先輩を戻せても帰る場所が減るんです!』

 俺は起動釦から手を離した。

 拳を握る。

 爪が手のひらへ食い込む。

「……回線は守る」

『お願いします』

 十秒ごとに呼ぶ。

 作戦通信を塞がない長さで。

「ホシノ。こちら汐見カナタ。聞こえたら返事をして」

 返事はない。

「ホシノ。俺は後方通信車にいる。生きてる」

 返事はない。

「ホシノ。帰ったら怒る。だから帰ってこい」

 返事はなかった。

 

      *

 

 車載映像の向こうで、先生と対策委員会が現場へ着いた。ヒナはすでに倒れていた。

 その先に、ホシノだったものが立っている。

 赤黒いヘイロー。

 地面へ触れていない足。

 周囲の砂が、重力に逆らって空へ昇っている。

「ホシノ先輩……?」

 セリカが呼ぶ。

 顔がこちらを向く。

 声はない。

 ただ、片手が上がった。

 赤い光が走る。

 ノノミが前へ出て受ける。

 機関銃が弾かれ、身体ごと数メートル飛ばされた。

「ノノミ!」

 シロコとセリカが左右から撃つ。

 弾丸はホシノへ届く前に、黒い砂へ呑まれた。

 アヤネの支援端末が一斉に停止する。

 先生のシッテムの箱で、プラナが告げる。

『神秘の反転を確認。小鳥遊ホシノは、恐怖へ転じています』

「戻す方法は」

『通常の手段では不可逆です。死者を蘇生できないことと、同じ規則に属します』

「通常でない手段は」

 プラナが沈黙する。

『現在、確実に停止させる方法は、ヘイローの破壊です』

「却下します」

 先生は即答した。

『しかし、このままでは――』

「生徒を殺す方法は選びません。別の方法を探してください」

 赤い空の奥で、さらに巨大な影が動いた。

 角を持つ獣のような輪郭。

 世界の外から、ホルスに呼応して近づく憤怒。

 シロコが砂から起き上がる。

 唇の端を拭う。

「私が止める」

「シロコさん」

「昔、ホシノが私を拾った」

 赤黒い光の中の先輩を見る。

「弱かったから、助けられた。今は違う」

 シロコの足元で、白くない光が揺れた。

 かつて別の世界を呑み込んだ色彩。

 先生が気づく。

「シロコ、待ってください」

「私がここにいる理由は、ホシノを止めるため」

 シロコは、その光へ手を伸ばした。

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