砂の海に、君が流れ着く   作:陽炎帽子

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帰ってきて

 戦いが終わっても、すぐには帰れなかった。

 

 赤色領域が消えたことをプラナの代わりにアロナが確認し、先生が通常人の立入を許可するまで十九分。

 その間に、対策委員会は負傷者を一か所へ集めた。

 最優先はヒナ。

 次にホシノ。

 スオウ。

 橘姉妹とカイザー兵の負傷者。

 所属も敵味方も分けず、呼吸、意識、ヘイロー、出血の順で確認する。

 

 アヤネは声を枯らしながら、救護車の到着順を整理していた。

「ゲヘナの医療班はヒナさんへ。自治区救護車一号はホシノ先輩、二号はスオウさん。軽傷者は橘さんたちの列車を臨時救護所にします」

「アヤネちゃん」

 ホシノは砂の上に敷かれた断熱布へ横たわっている。

 右肩は圧迫固定。

 肋骨には簡易帯。

 頬の傷は洗浄され、細い保護材で閉じられていた。

「おじさん、歩けるよぉ」

「歩かないでください」

「でも、ヒナちゃんの方が――」

「ヒナさんはゲヘナの医療班が見ています。先輩は自分の治療を受けてください」

「はい」

「返事だけは素直ですね」

「会長命令だからねぇ」

「後で話があります」

「はい……」

 セリカが、ホシノの足元で腕を組んでいる。

「私からもあるから」

「うへぇ」

「逃げたら撃つわよ」

「もう撃たれるのは嫌だなぁ」

「撃ったのは先輩でしょうが!」

 声は怒っている。

 目は何度も、ホシノの呼吸を確かめている。

 

 ノノミは回収したゴールドカードを両手で持ち、先生とネフティス側救護員へ引き渡し記録を作っていた。

 シロコは少し離れた場所で、もう一人の自分と話している。

 

 シロコ・テラーは覆面を外し、東の空を見ていた。

 消えきらない鉱物の光が、二人の白い髪へ映っている。

 全員がいる。

 傷ついている。

 怒っている。

 生きている。

 

 ホシノは、それを一人ずつ数えた。

 

「ホシノ先輩」

 アヤネが呼ぶ。

「救護車が来ました」

 砂丘の向こうから、白い車両が現れる。

 先頭の助手席に、濃紺の上着を着た少年がいた。

 

      *

 

 俺は、車両が完全に停止するまで扉を開けなかった。

 許可前に降りない。

 赤色領域の再発警報がないことを確認。

 救護員から行動範囲を聞く。

 それから、砂へ足をつけた。

 ホシノは横になっていた。

 白い髪に砂。

 頬に傷。

 右肩の制服が切られ、固定材が巻かれている。

 目は開いている。

 青と金。

 それを見た瞬間、十九分間保っていた呼吸が崩れた。

 

「カナタ」

 ホシノが起きようとする。

「起きるな」

 強い声が出た。

 ホシノの身体が止まる。

 俺は救護員へ手順を確認し、左側から膝をついた。

「名前」

「小鳥遊ホシノ」

「年齢」

「十七歳」

「ここは」

「大オアシス駅北西、脱線地点の近く」

「今日は何があった」

「ノノミちゃんがさらわれて、シェマタが動いて、私が皆を置いていって……ホルスになった」

 最後だけ声が小さくなる。

「俺が誰か分かる?」

「汐見カナタ。十七歳。身長百七十二センチ。凪津海洋技術校二年生。おじさんの恋人」

「最後は、まだそうだ」

 ホシノの喉が動く。

 安心したのか、傷ついたのか分からない顔。

「瞳孔、左右差なし」と口にした。

 救護員が記録する。

「呼吸、数える。喋らないで」

 胸の上下を見る。

 二十秒。

 左手首へ指を当てる。

 脈は速い。

 

 けれど、確かにある。

 ホシノの指が動いた。

 俺の手首を掴もうとして、途中で止まる。

「触っていい?」

 聞いた。

 俺は答える前に、救護員を見る。

「左手なら。身体は起こさないでください」

「いい」

 ホシノが左手で、俺の指を握る。

 強い。

「少し弱く」

「……うん」

 すぐに緩む。

 親指を俺の手首へずらし、脈を探す。

 

 一度。

 二度。

 三度。

「生きてる」

「言っただろ」

「声だけだと、分からなくなった」

「今は?」

「分かる」

「なら離して。搬送する」

 ホシノの指が固まる。

「離したら、乗らない?」

「俺も乗る」

「本当に?」

「救護員の許可が出れば」

 救護員は頷いた。

「同乗一名。患者を起こさない、固定具に触れない、異常時は席を譲ること」

「守ります」

 ホシノはようやく手を離した。

 担架が持ち上がる。

 俺は左側を歩く。

 触れない距離。

 ホシノの目が、ずっと俺を追った。

 

      *

 

 救護車の中は狭かった。

 ホシノの担架。

 救護員二人。

 俺は壁際の折り畳み席へ座る。

 濃紺の上着には、通信車の窓が割れた時についた白い傷があった。

「上着」

 ホシノが言う。

「着てきた」

「返したから、カナタのだもんね」

「最初から俺のだ」

「そうだった」

 少し黙る。

「また、借りてもいい?」

「今は貸さない」

 ホシノの目が揺れた。

「どうして」

「貸したら、仲直りしたことにして話を終わらせそうだから」

「しないよ」

「俺は、そう思ってない」

「……うん」

 救護車が線路の継ぎ目を越える。

 担架の固定具が軋む。

 俺は手を出しかけ、救護員が確認するのを待った。

 

 ホシノは、その動きを見ていた。

「怒ってる?」

「怒ってる」

「どれくらい」

「南へ行くと言った」

 一つ目。

「四時四十分に皆で集まると言った」

 二つ目。

「別れじゃないと言った」

 三つ目。

「帰るためのキスだと言った」

 四つ目。

「俺が普通の人間だからという理由で、俺に聞かず、俺の安全を決めた」

 五つ目。

「皆に止められて、場所も危険も分かった後、また一人で行った」

 六つ目。

「全部に怒ってる」

 ホシノは目を閉じなかった。

 逃げずに聞く。

「ごめんなさい」

「今、何に謝った?」

「全部、は駄目だよね」

「分けて話して」

「南って嘘をついた。皆で行くって嘘をついた。カナタなら私の言葉を信じるって知ってて、寝るまで待った」

 喉が震える。

「上着を返したのも、変だって思わせないため。抱きしめて、キスして、別れじゃないって言えば、少し長く信じてくれると思った」

 俺の手が、膝の上で握られる。

「あのキスは、したくなかった?」

「したかった」

「抱きしめたのは」

「本当に、離したくなかった」

「でも、目的の一部を隠した」

「うん」

「なら、俺が後であの時のことを思い出すたび、どこまで本当だったか考えることになる」

「……うん」

「好きな記憶だったのに」

 俺の声が、初めて掠れた。

 ホシノの目から涙が落ちる。

「ごめん」

「泣いても、まだ終わらない」

「終わらせない」

 涙を拭こうとして右肩が動く。

 救護員が止めた。

 俺は布を一枚受け取り、左の頬だけを拭く。

「触る」

「うん」

 目元に近づける前に告げる。

 涙を二度、吸わせる。

 それだけで布を離した。

「どうして、一人で決めた」

「カナタが死ぬと思った」

「俺も思った」

「先生の爆発を見て、あれがカナタだったらって。撃たれても立てない。ヘイローもない。だから、私が行けばいいって」

「怖いと話す約束だった」

「話したら、カナタは後ろで手伝うって言う。私が行くのを止めるか、待つ。どっちでも、私が戻らなかったら苦しむ」

「だから、嘘をつけば苦しまないと思った?」

「違う」

 ホシノは息を詰めた。

「苦しむって分かってた。でも、生きて苦しむなら、死ぬよりいいって。私が決めた」

「俺の人生を、勝手に比べた」

「うん」

「それが一番嫌だ」

「うん」

 救護車の外を、明るくなった砂漠が流れる。

「本当は」

 ホシノが言った。

「何」

「追ってきてほしかった」

 俺の眉が動く。

「追ったら危ないから、来ないでほしかった。でも、私がいなくなったって気づいて、名前を呼んで、怒って、帰ってきてって言ってほしかった」

「両方は無理だ」

「分かってる。だから、言わなかった」

「言わないまま、俺に当てさせようとした」

「うん」

 涙が耳の方へ流れる。

「ユメ先輩に、ずっと帰ってきてほしかった。帰らないって分かってるのに、待ってた。カナタが帰る道を探すたび、同じことになると思った」

 ホシノの左手が、毛布の端を握る。

「だったら、いなくなられる前に私が先にいなくなれば、待たなくていいって。馬鹿だよねぇ」

 笑おうとして、失敗する。

 

「本当は、私が言いたかった」

「何を」

「帰ってきて」

 裸の声だった。

 おじさんの調子も、先輩の硬さもない。

「故郷へ帰る道が見つかっても、私のところへ帰ってきてほしい。危ない場所へ行ったら、帰ってきてほしい。朝起きた時にいなかったら、帰ってきてほしい」

 息が震える。

「ずっと、帰ってきてほしかった」

 俺は、すぐには手を伸ばさなかった。

 言葉を聞き終える。

「それは、前にも言ってくれた」

「足りなかった」

「何が」

「怖いっていうところ。戻らないと、私が壊れるかもしれないってところ」

「それを、俺が必ず戻る責任にする?」

 ホシノは首を横へ振ろうとし、固定具の中で止めた。

「しない。戻れない時もある。私が怖くても、カナタが行くことを止める権利はない。だから、言うだけ」

「何度でも?」

「嫌われるくらい」

「嫌になったら、嫌だと言う」

「うん」

「それでも聞かない時は、アヤネや先生へ言う」

「うん」

 俺は立ち上がらず、席から左手を伸ばした。

「握る?」

 ホシノは泣きながら頷く。

「握りたい」

 指が重なる。

 今度は、最初から強くしない。

「俺は、別れたいとは言ってない」

「まだ、恋人?」

「確認の時に答えただろ」

「もう一回」

「恋人だ」

「好き?」

 俺は少しだけ困った顔をした。

「その確認を、許したかどうかの代わりにしないなら答える」

「しない」

「好きだ」

 ホシノの指が、一度だけ強くなる。

 すぐ緩む。

「おじさんも、大好き」

「でも、許してはいない」

「うん」

「今後の規則を、全員と決める」

「うん」

「危険な作戦で位置を偽らない。集合時刻を偽らない。恋人同士の接触を、隠した別れのために使わない。俺の安全は、俺と作戦責任者を入れて決める」

「うん」

「緊急で一人になる必要があるなら、理由、場所、戻る条件を送る。送れない状況なら、後で隠さず話す」

「うん」

「同じ返事ばかりだけど、聞いてる?」

「全部覚える。報告書にも書く」

「アヤネに確認してもらう」

「会長、厳しいからなぁ」

 ほんの少し、おじさんの声が戻った。

 

「キスは?」

 ホシノが聞く。

「今はしない」

 目に見えてしょんぼりする。

「怪我があるから?」

「それもある。怒ってる話を、キスで終わらせたくない」

「終わらせないよ」

「それを、これから確かめる」

「じゃあ、額は?」

「救護員さん」

 俺が確認する。

「患者を動かさず、固定部へ触れないなら短時間」と救護員。

「触っていい?」

 今度は俺が聞く。

「触って」

 折り畳み席から身体を寄せる。

 ホシノの前髪を避け、額と額を軽く合わせた。

 熱がある。

 呼吸がある。

 

 互いに目を閉じない。

「ただいま、カナタ」

 ホシノが言った。

 俺は一度、息を吐いた。

「おかえり、ホシノ」

 三秒で離れる。

 手だけは、つないだままだった。

 

      *

 

 ――Hoshino side

 

 私は眠りたかった。

 身体が重い。

 薬も効き始めている。

 けれど、目を閉じたらカナタ君がいなくなる気がした。

 

 左手の脈を探す。

 

 ある。

「寝ていい」

「起きた時もいる?」

「医療処置で席を外す時は、先に言う」

「学校まで?」

「病院へ寄る。検査が終わるまでいる」

「その後は?」

「アビドスへ帰る」

「私も?」

「医師が帰してくれれば」

「帰してくれなかったら」

「迎えに来る」

 永遠ではない。

 次の場所。

 次の予定。

 それで十分だと、以前教わった。

「カナタ」

「いる」

「もう一回だけ、言っていい?」

「何を」

「帰ってきて」

 カナタ君の親指が、私の手の甲を一度撫でた。

「帰ってくる」

 条件も、道も、話し合うことも消さずに。

 私は、つないだ手を胸元へ置かなかった。

 届く距離にあることだけを確かめ、目を閉じた。

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