砂の海に、君が流れ着く   作:陽炎帽子

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方位磁針の北

 探査球の信号が戻ったのは、放流から百二十七日後だった。

 

 長さ、〇・八秒。

 受信時刻は、ホシノがホルスから戻った四分後。

 

 信号を拾ったのは、外縁部へ置いた受信局ではない。

 大オアシス旧駅の保線端末だった。

「それって、どういうこと?」

 セリカが画面を見る。

 対策委員会室の机には、三つの地図が広げられていた。

 旧第七水理観測所。

 閉鎖区画三十五―九。

 生徒会の谷と大オアシス。

 先生がシャーレで復元した信号記録を表示する。

「探査球が外の世界へ到達した信号ではない、ということです」

 俺は黙って波形を見る。

 機体識別番号。

 白鴎丸の信号器から移した短い呼出符号。

 間違いなく、自分たちが縦坑へ放流した球だ。

 

 内部時計は百二十七日進んでいる。

 圧力記録は途中で上限を越え、その後、ほぼ大気圧へ戻った。

 

 温度は十四度から三十八度の間を不規則に動く。

 最後の〇・八秒だけ、電力が回復した。

「大オアシスの保線端末が、どうして探査機の信号を拾うんですか?」とアヤネ。

「旧路線の通信線が、水理施設と同じ基幹設備へ接続されていた可能性があります」と先生。

「鉄道と水道が一緒?」

「同じ時期に作られたとは限りません。後のアビドスやネフティスが、砂の下にあった古い設備を流用した可能性もあります」

 ノノミが、ネフティスから提出された図面を開く。

「会社の最初期記録にも、基幹管路は『既設空洞へ敷設』としかありません。誰が空洞を作ったかは書かれていませんでした」

 シロコが地図の三点を指で結ぶ。

「縦坑。生徒会の谷。大オアシス」

「同じ設備の一部」と口にした。

「可能性は高いです」と先生。

 机の中央に、真鍮の方位磁針が置かれている。

 針は北を指していない。

 校舎から見て北西。

 大オアシスの方角へ、七度ほど偏っていた。

「この子も、そこに反応してるのかなぁ」

 ホシノが言う。

 退院から九日。

 右肩の固定帯は外れたが、盾と射撃は禁止されたまま。会長腕章は左腕につけている。

 俺の隣に座り、方位磁針へ触れずに見ていた。

「調べる」と口にした。

 声は平らだった。

「現地へ持っていけば分かる」

「観測計画を作ります」とアヤネ。

「今日すぐ行くのは?」

「却下です」

「だよねぇ」

「先輩は肩の許可が出ていません。カナタさんの帰還調査でもあります。車両、護衛、測定点、退避条件を先に決めます」

 ホシノは反論しなかった。

「じゃあ、明日の会長予定に入れて」

「最短でも三日後です」

「カナタ」

「待つ」

 即答だった。

 ホシノも頷く。

「おじさんも待つよ」

 三日後の午前八時。

 予定表へ、全員の名前が入った。

 

      *

 

 測定は、四地点で行った。

 アビドス校の中庭。

 旧第七水理観測所の地上入口。

 閉鎖区画三十五―九の旧展示館。

 大オアシス駅の通信室。

 方位磁針を水平な非磁性台へ置き、周囲の車両、武器、端末を十五メートル離す。

 基準となる三軸磁力計を二台。

 気圧、気温、地下電流、旧設備の待機電力も同時に記録。

 

 俺は針の振れが止まるまでの時間を読む。

 アヤネが数値を記録。

 シロコとセリカは外周警戒。

 ノノミは旧設備の管理権限を確認。

 先生は各校・企業との立入許可を持つ。

 ホシノは、十五メートルの安全線より外で盾を持たずに警戒した。

「会長なのに、見てるだけだねぇ」

「右肩の回復確認は明日です」とアヤネ。

「分かってるよぉ」

「不満そう」

「不満だよ。でも、守る」

 規則を。

 自分の身体を。

 皆が決めた配置を。

 俺が一度、顔を上げた。

 目が合う。

 ホシノは片手を振るだけにした。

 近づかない。

 今は測定の邪魔をしない。

 中庭では、針は北から北西へ七・一度。

 旧水理観測所では、縦坑方向へ三十四・六度。

 旧展示館では、生徒会の谷の地下へ六十一・二度。

 大オアシス駅通信室では、方位磁針が北を一度通り過ぎ、南西の床下へ向いた。

 同じ場所で、旧設備の待機電力を切る。

 

 針がゆっくり戻った。

 

 真北から二・八度西。

 電力を入れる。

 床下へ向く。

 切る。

 北へ戻る。

 

 三回。

 同じ結果。

「確定」とシロコ。

「まだだ」と口にした。

 方位磁針を別の非磁性台へ移す。

 基準計を入れ替える。

 ノノミのカードを通信端末から外し、旧系統を完全に遮断する。

 それでも結果は同じだった。

「確定」と口にした。

 自分で言った。

 ホシノの胸が、少し軽くなった。

 同時に、その軽さを恥じた。

 

      *

 

 大オアシス駅の床下には、古い環状設備があった。

 シェマタの制御核より小さく、直径は約十一メートル。

 現代の鉄道通信器が、その外周へ後付けされている。

 中心部は封鎖されたまま。

 シェマタ戦の電力変動で一度だけ起動し、旧第七水理観測所の横穴へ接続要求を送っていた。

 その要求へ、探査球が応答した。

「つまり、探査球は?」とセリカ。

「少なくとも信号が出た時には、この環状設備と同じ網の中にいた」と口にした。

「今も大オアシスの下?」

「分からない。機体からの直接電波じゃなく、設備が中継した記録かもしれない。距離も出ない」

「外の海へ行った可能性は」とホシノ。

 俺は画面を見る。

「否定はできない」

「そうなんだ」

「でも、外へ着いた証拠ではない。今ある証拠は、縦坑の横穴と白い光が、アビドス地下の古い施設へつながっているってことだけだ」

 先生が頷く。

「カナタが漂着した異常現象と、この施設が無関係だとも断定できません。方位磁針は嵐の強い磁場で磁化され、同じ設備の磁場へ引かれていた可能性があります」

「でも、故郷の方角を指してたわけじゃない」とセリカ。

「はい」

 俺が答える。

 短い一音。

 その後、誰もすぐには話さなかった。

 

 ――Hoshino side

 

 私は、十五メートルの線を越えなかった。

 抱きしめたかった。

 方位磁針が故郷を指していないなら、カナタ君は今すぐ帰らない。

 

 嬉しい。

 安心した。

 その喜びを、カナタ君の前へ持っていくのが怖い。

 

 カナタ君は、父親から譲られた方位磁針を掌へ載せている。

 宗一。

 澪。

 白鴎丸にいた十六人。

 この小さな針が、どこかで生きている家族へ向いているかもしれないと、何度も思ったはずだ。

 違った。

 私の安心を重ねるには、まだ早い。

 だから、待つ。

 

 カナタ君が立ち上がるまで。

 端末を閉じるまで。

 カナタ君が自分からこちらを見るまで。

「ホシノ」

「うん」

「話せる?」

「話せるよ」

 それから安全線を越える。

「今、触っていい?」

「まだ、やめてほしい」

「分かった」

 隣へ座る。

 間に、手のひら一つ分の砂。

「残念?」

「うん」

「家に帰れないから?」

「道だと思ってたものが、道じゃなかったから」

 カナタ君は方位磁針の蓋を開ける。

 針は床下の環状設備へ向いている。

「父さんがくれた。海なら、これと星があれば戻れるって」

「うん」

「壊れても、何かを指してるなら、向こうとつながってる気がした」

「うん」

「違った」

「うん」

 慰めを探さない。

 アビドスがある、と急いで言わない。

 私がいる、とも。

 今は、失った道が失ったままであることを、隣で聞く。

 

 カナタ君が、ためらいがちに呼びかける。

「ホシノは」

「何」

「安心した?」

 逃げられない質問だった。

「した」

 私は答える。

「少しじゃない。すごく」

 カナタ君の横顔が動かない。

「ごめん」

「謝るのは、違うと思う」

「でも、カナタは残念なのに」

「ホシノが安心したことは、俺が帰る道を壊したことじゃない」

「うん」

「俺に探すのをやめろとも言ってない」

「言わない」

「なら、違う気持ちが同時にあっていい」

 以前、私がユメとカナタ君、二つの名前を胸へ置けると言われた夜を思い出す。

 私は両手を膝へ置いた。

「今は、触っていい?」

 カナタ君が少し考える。

「手だけ」

「うん」

 左手を差し出す。

 重ねる。

 カナタ君の指は冷たかった。

 私は温めようとせず、同じ温度になるまで持った。

 

      *

 

 ――Kanata side

 

 調査報告の結論は、三行だった。

 一、方位磁針は俺の故郷でなく、アビドス地下旧設備の磁場へ反応していた。

 二、縦坑の異常領域は地下旧設備網へ接続するが、俺の世界との接続は証明も否定もされない。

 三、帰還調査は気圧急低下・異常雷・外部受信を長期監視し、次の現象まで人間を投入しない。

 先生が、シャーレの未帰還者調査案件として継続登録した。

 

 白鴎丸の乗員・乗客十六人。

 汐見宗一。

 汐見澪。

 凪津の港。

 名前は一つも消さない。

 ただ、毎朝方位磁針へ答えを求めることだけをやめる。

 

      *

 

 学校へ戻った夜、俺は修理室で方位磁針を分解した。

 

 真鍮の蓋。

 ガラス。

 軸受。

 嵐で不規則に磁化された針。

 父から教わった手順で、弱い交流磁場へ通して磁気を落とす。

 地磁気の基準へ合わせ、改めて磁化する。

 ホシノは隣で、小さなねじを順番に並べていた。

「直しちゃっていいの?」

「迷った」

「そのまま残すこともできるよ」

「うん」

「おじさんが決めていいなら、直してほしい」

「どうして」

「帰る道じゃなかったことを、隠さないため」

 俺は針を軸へ戻す。

 

「俺も、そう思った」

 ガラスを閉じる。

 ねじを対角に締める。

 机の上へ置いた。

 針が揺れる。

 今度は、真北で止まった。

「北」とホシノ。

「北だ」

「アビドスは?」

「ここがアビドスだろ」

「そうじゃなくて、カナタの帰る方角」

 俺は方位磁針を閉じた。

 修理室の扉を指す。

 廊下の先。

 対策委員会室と食堂。

 五人が、遅い夕食を待っている。

 

「今は、こっち」

「北じゃないねぇ」

「北は方角で、帰る場所じゃない」

 ホシノは嬉しそうに、左袖で俺の腕を引いた。

「じゃあ、帰ろっか」

「ねじ、一本残ってる」

「うへぇ。見なかったことにしない?」

「会長がそれを言うな」

 二人で机へ戻る。

 

 最後の一本を締めてから、皆の待つ方角へ歩いた。

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