アグネスタキオンと冬月、あと提督兼トレーナー 作:AIのタンクもどき
本格的な夏の盛り、太平洋方面に突如として展開した深海棲艦の機動部隊に対し、鎮守府は即座に迎撃作戦を発令した。Tはトレセン学園での業務を一時中断して鎮守府へ戻り、艦隊の指揮を執った。熾烈な航空戦と艦隊決戦の末、敵機動部隊の撃滅には成功したものの、安堵の息を吐く暇は与えられなかった。
ほぼ時を同じくして、今度はフランス、イタリア、ドイツ、イギリスといった欧州各国へ深海棲艦が大規模な同時侵攻を開始したのである。急遽発令された欧州派遣作戦の統括および増援艦隊の指揮のため、そのまま欧州海域へと転戦を余儀なくされ、結局のところ、Tは2ヶ月近くもの間トレセン学園を不在にすることとなったのだった。
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学園の片隅、旧理科準備室を改装した薄暗い研究室。薬品の匂いがかすかに立ち込めるその部屋で、タキオンは白衣の袖をまくり、机の上に並べたビーカーや機器の調整に没頭していた。そんな中で、部屋の反対側、マンハッタンカフェのスペースからは芳醇で深いコーヒーの香りが漂ってきている。
「……美味しい」
マグカップを手に、静かに息を吹きかけて冷ましているのはビリーヴだ。その隣では、同じくコーヒーを手にしたカルストンライトオが、相変わらずの早口で捲し立てていた。
「苦味と酸味のバランスが一直線に喉を駆け抜ける至高の味わい、素晴らしいです。しかしタキオン、貴方の研究室はビーカーだのフラスコだのと曲線だらけで実に鬱陶しいですね」
「やれやれ、相変わらずやかましいねぇライトオ君は。せっかくカフェが差し入れてくれた上質な一杯なんだ、もう少し静かに味わったらどうだい?」
タキオンはピペットを机のスタンドに戻しながら、呆れた声で返す。
9月も中旬を迎えつつあった。間もなく中山レース場で開催される秋の短距離GⅠレース、スプリンターズステークスが間近に迫っていた。そのため、かつて短距離路線で頂点を極めたライトオとビリーヴは、出走を控えた後輩たちからひっきりなしにアドバイスを求められているのだという。
「後輩たちに助言を求められるのは悪くないけど……中々難しいな。レースの前でも基礎から地道に身体を仕上げるのが大事と伝えているんだけれど」
「私は後輩たちに言ってやりました。迷う時間があるなら足を前に振り出せと!なぜか困惑されましたが」
「……それは仕方ないんじゃないかな」
ビリーヴが溜め息をつく。スプリンターズステークスを皮切りに、秋華賞や菊花賞と続いていく秋のGⅠ戦線。トレセン学園全体が夏の空気から一転し、どこかピリピリとした独特の熱気と忙しなさに包まれ始めていた。
「ふむ……」
タキオンは机に肘をつき、手元のフラスコを指先で揺らした。
「さてと。退屈しのぎに、あちらの様子でも見に行くとしようか」
タキオンは白衣を翻すと、研究室の扉を開けて廊下へと足を踏み出した。
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秋雨がしとしとと降り注ぐ静かな校舎を歩き、タキオンはトレーナー室の扉をノックもなしに勢いよく開け放った。
「やあトレーナー君!」
威勢のいい声とともに部屋へ滑り込んだタキオンであったが、室内に漂う空気の重さにピタリと足を止めた。部屋の奥、執務机に陣取るTは、山のように積まれた帳簿とパソコンのモニターを前に、眉間を指で揉みほぐしていた。その傍らの机では、冬月が軍用の通信記録と補給伝票を猛烈な勢いで照合し、淡々とペンを走らせている。Tたち学園に戻ってきたのは9月に入ってすぐのことだったが、その激務ぶりは欧州遠征前と何ら変わっていなかった。
「作戦行動中の燃料および弾薬の消費量が想定を2割近く超過……地中海での戦闘が長引いたのが響いたか」
「提督、今回の作戦後に新たに着任した艦娘たちの慣熟訓練だが、来週の演習計画に組み込んで問題ないか?」
「頼む。資源の再配分と補給線の再編も急務だ。大淀と連絡を取り合って……」
タキオンはソファーにどっかりと腰を下ろすと、長机に両肘を乗せて不満そうに頬を膨らませた。
「トレーナー君、冬月君!2ヶ月ぶりに顔を合わせた担当ウマ娘に対して、その素っ気なさは何事かい?燃料がどうの訓練がどうのと、帰ってきて早々そんな無機質な数字ばかり追いかけていて楽しいのかね?」
Tは執務机から顔を上げ、心底疲れ果てたような目をタキオンへ向けた。
「楽しいわけがないだろう。欧州から戻ったばかりで、後始末の山に埋もれているんだ。悪いがタキオン、今日はお前の怪しい実験薬に付き合っている暇はないぞ。本当に」
「……邪魔をしたら、またつまみ出すことになるからな」
冬月もまた、手元の書類から視線を外すことなく声を返してくる。
「つまらないねぇ。冬月君も機関系統の整備が終わった途端に出撃だったんだろう?たまにはゆっくりしたほうがいいんじゃないのかい?」
唇を尖らせるタキオンをよそに、冬月は一旦ペンを置いて立ち上がった。給湯スペースへ向かうと、手際よく急須を温め、湯気の立つ茶を湯呑みに注ぐ。コト、と静かな音を立てて、Tの執務机の端に湯呑みが置かれた。
「温かいほうじ茶を淹れた。冷めないうちに飲んでくれ」
「すまない、助かるよ」
Tは湯呑みを受け取り、香ばしい湯気を吸い込みながらゆっくりと口をつけた。温かな茶が喉を通ると、強張っていた肩の力がわずかに抜けていく。
窓の外を見やれば、どんよりとした灰色の雲が垂れ込め、府中市の街並みにはじとじとと冷たい秋雨が降り続いていた。夏の猛暑をすべて洗い流してしまうかのようなその雨は、部屋の空気も冷やしていく。ソファーに座るタキオンは、薄手の白衣越しに肌寒さを感じたのか、思わず自らの二の腕をさすった。
「……まったく、急に冷え込んできたじゃないか。トレーナー君たちばかり温かい思いをするのは不公平というものだよ」
ぶつぶつと文句を言いながら立ち上がったタキオンは、トレーナー室の給湯棚を勝手に開け、ティーポットとティーカップ、そして私物として持ち込んでいた紅茶の茶葉を取り出した。ケトルでお湯を沸かし、手際よく茶葉を蒸らす。やがて部屋の空気に、華やかな紅茶の香りが混ざり合っていった。
「ふぅ……よし」
カップに注がれた褐色の紅茶を、タキオンは一口すする。窓を叩く秋雨の音はTと冬月のやりとりにかき消され、執務が続いていった。