東方理想郷~east of utopia~ 作:ホイル焼き@鮭
「ふぅ……流石に、冬の夜は凍えるわねぇ」
ベランダへと出たレミリアの第一声は、そんな普通の言葉だった。
確かに、冬の夜は冷える。本来、パジャマで出るような所ではないのだし。
……本当に、ただ話したいだけなのだろうか。まぁんなわけないと思うけどさ。
「そうだね……じゃあなんで外なんだよ。中でいいだろ中で」
「まぁ、そうなんだけどね。なんというか、気分の問題かしら」
「ほほう。そりゃあ大事だ、間違いない」
「でしょう?くすくす」
レミリアが笑う。それきり、会話が止まる。
話があるというから来たのに、無言というのはどういう了見なのだろう。
しかしまぁ……レミリアの事だ。
何か考えがあるのに違いないけれど。
レミリア・スカーレット。
俺の知る彼女のパーソナリティは、高圧的で我儘、飽き性で貪欲。基本的には高齢らしくおおらか。そして妹思い。姉妹仲は良好。
とまぁ、一元化するならこんな感じか。
ただまぁ、それだけでもない。レミリアという存在は、見た目以上にクレバーだ。
彼女は我儘で、直情的に行動しているようには見えるけれど、その実大局を見るタイプなのだ。自分に求められている役割をきちんと理解した上で、彼女は自分の赴くままに行動する。
そんな風に考えていると、ようやっとレミリアが口を開く―――――その内容は、俺の予測を遥かに超えるものだった。
「……凜。単刀直入に言うけれど――――ここを出ていこうとか、思ってるのかしら?」
――――――――!
驚いた――――いくら彼女が聡明とはいえ、俺は彼女に何も打ち明けてなどいない。
それなのに、ここまで俺の現状を言い当てるなんて―――――そんなにヒントは多かっただろうか?
予想外の言葉に、流石の俺といえど、動揺する――――しかし、その動揺を顔に出すような愚は犯さなかった。伊達に仮面を被り続けてはいない。
「何の話してんだよ。俺はこれでもここの守護者だぞ?ここを出ていくなんて、あるわけないだろうに」
「嘘ね」
「………なんだよ、レミリア。やけに突っかかるじゃないか―――違うって言ってるのに」
「だって嘘だもの。何を勘違いしているのか分からないけれど、嘘を完璧につける人間なんていないのよ――――ましてや、500年生きたものにとって、嘘を見抜く事なんて息をするよりも容易いわ」
………なるほど。分からなくもない理屈だ。
確かに、レミリア・スカーレットは俺の何十倍も生きた年長者だ。だから俺のような若輩がいくら取り繕おうとも意味などないというのは、まぁ割と、わかりやすいお話だ。
………ただ、認めるかは別の話だが。
「ふぅん?本気で言ってるんだとしたら、それは自信過剰だけれど――――仮に。500年の年月を経験した大先輩として、君の顔を立ててそうだとしてみてさ。だから君は何を言いたいの?」
そう、結局はそれだ。俺の考えを見抜いたのは慧眼だとしか言えないにしても、その慧眼を持って、彼女は俺に何を言いたいのだろうか。
引き止めるのか。それとも突き放すのだろうか。
俺にとってもそれは、気になる。今回俺は事情を、誰にも話さない気でいたのだ。思ってもみない機会に、俺も少し興味があった。
レミリアは少しだけ考えた。ただやはりそこに気遣いは不要だと感じたのか、すぐに口を開く。
「……私はね、凜。美鈴のように、あなたに寄り添ってあげたいとは思わないわ。もちろん、あなたへの恩義は私だって感じてる―――出来れば力になりたいとも思う」
「……それはそれは。ありがたいこったね」
「けどね。私は、他人を頼ろうとしない人間を助けようなんて思わないわ―――頼ることが出来るのに頼らないのは、タダの怠慢よ」
……そりゃあ尤もだ。他人を頼らなかった人間は、頼らなかったことに対する責任を重々承知でそれを選んでいるのだから。
要は自己責任である。それで身を滅ぼそうが、タダの自業自得だ。その絶対の壁を越えようとしてまで、レミリアは俺の力になろうとは思わない。そういうことだ。
「すごくスッキリした結論だね。ただあくまで一般論として、頼りたくても頼れない人間、ってのはいるんじゃないの?」
「それは頼れない人間、でしょう?頼らない人間、とは違うわ」
「……なるほどね。そりゃあご尤もだ。君の理論では、俺はその『頼らない人間』だってわけだ――――じゃあ君は俺に、何が言いたいのかな?」
「……私はね、凜。今の生活、気に入っているのよ」
ここでレミリアは、俺と合わせていた目を初めて逸らし、真っ黒な夜空を見上げた。
つられて、俺もその空を眺める。
明かりの少ない幻想郷では、月や星が良く見える。人里よりも、夜空の方が光り輝いているかもしれない。その中でもやはり、月は大きく光り輝いていた。もう少しで満月になろうかという、欠けた月だ。
「幻想郷に来てから、多くのことが変わったわ――――フランとあんな風に笑う日が来るなんて、幻想郷に来る前の私に言ったら卒倒しそうね」クスクス
「……うん。いい事だと思うよ」
「フランだけじゃない。咲夜とも、パチェとも、美鈴とも、こぁとも前よりずっと仲が良くなったわ。こぁの事なんて、タダのパチェの小間使いとしか思ってなかったっていうのにね。咲夜も、タダのメイドだったわ」
「だろうな。昔は君、今よりずっととんがってたからねぇ……」
「そうね。丸くなったものだわ」
実際、彼女は本当に丸くなったと思う。
何度も言うように、彼女は老齢の吸血鬼だ。誇り高い種族としてのプライドは、強かったに違いない。又聞きだが、レミリアとフランの両親は吸血鬼の中でも地位の高い方だったらしいし。本当にブラド・ツェペシュの末裔、ってわきゃあないと思うけれど。
こぁさんなんて、下等な存在とでも思ってたんじゃないだろうか。彼女の種族は、やはり吸血鬼からしてみれば下位の存在だろう。咲夜の事も言わずもがな、だ。
……きっと、気を張ってもいたのだろう。レミリア達の両親がどうしているのか、俺は寡聞にして知らないけれど――――何となく、もうこの世にはいない気がする。
となれば、唯一の肉親であるフランとの不和は彼女にとって大きな心労だっただろう―――自分がしっかりしなければという思いもあったかもしれない。推し量ることしか、出来ないけれど。
ただ―――今のレミリアが違うことくらい、俺にも分かる。誰が見たって一目瞭然だろう。
「それに、新しい小間使いも増えたしね。タチに関しては、なんだか咲夜が気に入ってるみたい。少しは咲夜の、気の休まる時が増えていれば良いのだけれど……」
「……あは、多分それは間違いないと思うぜ」
「あら、そうかしらね。なら良いのだけれど」
うん、間違いない。因みに未だにあの、脅迫映像は俺のケータイに入ってたりする。
……まぁ実際、紅魔館の業務というのはバカみたいな量がある。タチも多分、良く働かされていることだろう。
あと多分レミリアはタチとあまり話せていないだろう。なんかそんな気がする。
「前よりうるさいのよねぇ。いつもフランが誰かと遊んでたり、パチェが魔理沙に手を焼いてたりしてるのよ?うるさいったらないわ」
「あは、その割には、口調が優しいぜ?」
「そりゃあね。……そんな生活が、今はすごく気に入っているの。おかしいわねぇ。こうなればいいなんて、思ってなかったはずなのに。ずっとこうなりたかったような、不思議な気持ちがするの」
そう言ったレミリアの横顔は、とても優しげだった。普段の彼女が見せる余裕のある笑みとは、また違って―――――とても、綺麗だった。
きっとそれは、無意識下の願望だったのだ。
今、家族と呼べる形にまで昇華した紅魔館を。
望んではいなかったけれど――――夢想した日がないわけじゃ、ないのだ。
フランと笑い合える日々を。
咲夜と種族の壁を越えて、信頼し合う日々を。
二人きりでなく、パチュリーとみんなで多くの日々を過ごすことを。
仕事だけじゃなく、美鈴と談笑するような日々を。
蔑視することなく、こぁさんと紅茶でも飲みながら過ごすことを。
レミリア・スカーレットは夢想していたのだ。
今の、紅魔館のカタチを――――――――。
「それは、とてもいい事だと思う――――レミリア。良かったね」
少々不躾かと思ったが、隣で同じ空を眺めるレミリアの頭を撫でる。
レミリアは少しだけ恥ずかしそうだったが、何も言わずに甘んじてくれた。
手を離す。そう言えば、ある友人から聞いた話なのだが、頭を撫でることは吸血鬼にとって服従の証らしい。だとするなら俺はもはやレミリアの従者なのかもしれない。
とか、本当にどうでもいいことを思った。
意外と思い悩んでいるようで、平常運転の俺なのであった。
「えぇ……凜。あなたのおかげよ」
「……そんなことはないと思うけどな」
「あら、あなたがどう思うかなんて関係ないわ――――私が、そう思うの。咲夜だって、パチェだって、こぁだって、フランだって、そう思ってると思うわ」
「それは……うん。嬉しいけどさ」
「そう。あなたがどう思っていようと、事実がどうであろうと、私たちにとってあなたが恩人であるというのは、紛れもない真実よ。真実なんてものは、人の数だけ存在するもの――――まぁ、あなたも分かっていると思うけれど」
「………そうだね」
それは先程も考えたことだったので、その言はスッと納得がいくものだった。結局俺がどう思っているかなんて、個々人の真実には全く干渉しえない―――真実はいつも一つではないのだ。起こった事実は1つだけれど、真実はいつでも、それぞれの胸の内にそれぞれの形で存在している。そんなことは分かりきったことだ。しかし。
「だから結局、なんだって言うのさ―――今更思い出話なんかして。それが俺がここを出ていくかどうかに、どう関係するっていうの?」
「……………………はぁー…………」ヤレヤレ
俺の言に、レミリアは俄にゲンナリした面持ちになって、ヤレヤレとこうべを垂れる。
あっれぇ?なんかそんなに的を外した事言ったかなぁ?
そんなバカを見る目で見られなきゃいけないこと言ったか?
レミリアは暫く大袈裟に嘆いてみせたあと、じとーっとした目でこちらを見た。
「にっぶい人ねぇ、全く……そんなんだからそんなんなのよ、あなたは」
「………いやなんか、期待を裏切ったようで何やら申し訳ないとは思うけれど。そこまで言う?」
「言うわね。言われなきゃダメよね」
「そうなのか………。まぁ、じゃあにぶちんな俺に、どうか教えてくれよ。君は結局、何が言いたいんだ?」
「全く……仕様のない人ねぇ」
レミリアは依然憮然とした表情だったが、少しだけため息を漏らしてそう言う。
何やらバカにされているような気がしたが、まぁそれはそれで仕方がないのでいい。
「………私たちをそんな風にしてくれたのは、あなたなのよ?あなたがそう思ってなくても」
「………いやまぁ、それは分かってるって」
繰り返されなくても。
俺がどう思っていようが、事実がどうであろうが、真実は変わらない。
それは俺だって理解している話だったが、しかし。
その後に続けた言葉は、俺にとっても意外な一言だった。
「だから、私たちはあなたに感謝していて――――そんなあなたの事が、好きなの」
「………………っ」
……知ってはいた。
何度も言うように、俺は人の好意には敏感だ―――にぶちんな訳では無い。
けれど―――心の奥底では、その好意を否定していた。だって、彼女達はあまりにも俺を知らない――――俺の恐ろしさを知らない。
何も知らない彼女達の好意を、そのまま受け取る訳にはいかない―――心では、そう思っていたのだ。きっと、今でも思っている。
彼女が告げた真っ直ぐな好意を、どこかで冷めた目で見ている――――けれど。
気づいてしまった――――そんな冷めた気持ちは、ほんの一部で。
真っ先に思い浮かぶのが――――単なる歓喜であることに。
「今私たちを頼らないのは、あなたの勝手だわ―――でもね。あなたが本当にどうしようもない時。きっとあなたは1人だろうから……その時は、私達を頼りなさいな。いいわね?」
「……レミリア…………俺は」
「返事は聞いてないわ―――だって希望、叶えてくれるんでしょう?」
「…………あ。まさかお前、最初からそのつもりで……?」
その問いには答えず、フフ、と微笑んで、レミリアは俺の目をじっと見つめる。
やれやれ。
レミリア・スカーレット。
彼女はやっぱり、思慮深く、計算高い。
全く――――敵わないなぁ、年には。
「………分かったよ、レミリア―――その時が来たら、絶対に頼る」
「えぇ。まぁ、それまでは1人で抱えてみなさいな―――潰れるまでは、あなたがどうしようと勝手よ」
「うん。そりゃまぁそうだ」
「さて。そろそろ戻りましょうか。冬は流石にこたえるわねぇ……」
「そうだね。戻ろっか」
レミリアは少しだけ伸びをすると、ベランダから中に戻ろうとする。その背中に、俺は何となく、声をかけてしまった。
「レミリア」
「………あら、まだ何かあるのかしら?冷えてきたのも本当なんだけどねぇ」
文句あり気な風を装いつつも、レミリアはこちらを振り返り、コツコツと歩み寄る。
そして再度俺に向き直り、ニイ、と、蠱惑的な笑みを浮かべた。
なぜ、声をかけてしまったのだろう。
無意識の内に出た言葉だった――――自分が何を考えているのか、分からない。
心なし、動悸が激しくなっている気もする。
なんだろう、この気持ちは………?
疲れた頭に、彼女の優しさが染み入り過ぎたのかもしれない―――――傷心の身には、優しさは効きすぎたのか?
いいや―――――多分、違うだろう。
流石に自分がそこまでちょろいとは思わない。
きっと、気のせいだ。
「………あらあら、急に黙っちゃって。言いたいことがあるならハッキリ言いなさい?」
「…………あは。ごめんごめん、少し考え事がね。1つ、言い忘れてたなって思ってさ」
「言い忘れた。ふぅん?いいわよ、言って」
意外そうに目を丸くすると、レミリアは言葉の続きを促す。
うん、きっと俺は、これが言いたかったのだと思う。だから引き止めたのだ。
こんな俺のことを、好きだと言ってくれた彼女たちへの―――心よりの感謝を。
「…………ありがとう、俺を好いてくれて。俺も君たちのこと――――大好きだ」
「…………………………あらあら。あらあらあら。うふふふふ」
うふふ、と、彼女は急に笑い出す。本当に面白いものを見つけたような、本気の笑い方だった。
流石の俺でも、そこまで笑われると心外だ。というか、恥ずかしさを我慢してまで言った感謝を笑うのは流石に不躾ではないだろうか。
「ちょっとー。酷くない?」
「うふふふふ。ごめんなさいね、つい。急にしおらしくなったなぁ、と思ってね?」
「うるせぇなぁ、もう。言わなきゃ良かった……」
「ごめんごめん。でも―――少し、気が変わったわ」
「え――――――」
レミリアは急に距離を詰め、身を寄せるように俺を下から見つめる。
俺の身長は、そこまで高い方ではない―――なので、10代の少女と変わらない体躯のレミリアの頭が胸ほどに来る。
しかし―――何をしているのか、彼女は。
ニヤリと薄く微笑むレミリアは、酷く魅惑的で――少し、妖しげな雰囲気を纏っていた。
「私はね。高位の吸血鬼だから、食事はそこまでしなくていいの。因みにB型が好みね」
「そ、そう……」
さらに因みにを言うなら俺はB型だが、それを告げるのは何故かはばかられた。
良く見ると、レミリアの目が真紅に爛々と輝いている――――今日は満月でもないのに。
吸血鬼にとって両眼の変化は、興奮の証――――彼女は今、何に興奮しているのだろう?
思い当たってしまうのが、少し恐ろしい。
「だからね?私は、好みの人間の血しか吸わないの。男はダメねぇ、味がキツすぎて。何か違うんでしょうね」
「……ふぅん……で、レミリア。何がしたいの、君は……?」
「うふふ。……分からない?分からないかなぁ、この気持ち。うふふふふふ」
再び笑声を上げると、レミリアは急に俺の胸を掴み、ベランダの大理石へと押し倒す。
はぁ、とため息をつく。何故だろう、何をされるか大体想像ついてしまった。さっきそれなんてエロゲをしたばっかりだというのも、勘がいい原因かもしれない。
「………何するのさ」
「うふふ。いやぁねぇ……女性の口から言わせる気?モテないわよ、そんなんじゃ?」
「……言わせるね。生憎、にぶちんなもんで」
「あぁ、そうだったわねぇ。クスクスクス……!」
「いいわよ、言ってあげる―――――貴方のせいで、興奮しちゃったの。だから―――ちょうだい?あなたの」
血液。
あぁ――――――――なんつーか。
やっぱり……?(›´-`‹ )
「一応、聞くけどさ」
「うん?」
「なんで?」
「なんで。うふふ。欲しがりねぇ……さっきのあなたが、すっごく、可愛かったからよ?うふふ、私はフランみたく、あなたに興味はないつもりだったんだけど……。これが一目惚れ、ってやつかしら?うふふふふっ」
「……それは一目惚れとは言わないし、それで吸血に至る理由が、俺にはわかんないなぁ……あはは」
「そうでしょうねぇ。答えは簡単よ―――吸血欲と性欲は、吸血鬼にとってほぼ同じなの。もちろん食事でもあるから、イコールではないけれど。食事の場合は、丸ごとか調理が作法ね」
「……へぇ。そりゃまた、不勉強でしたっと」
「………あら、抵抗しないのね?あなたがその気なら、すぐに抜け出せるでしょうに」
「………まぁ、別にいっかな、ってさ」
「ご立派ねぇ。人助けの精神かしら」
「どうだろうね。まぁ、好きにすれば?」
何となく抵抗する気は起きない。
痛いだろうか。まぁ痛いなら痛いでいいや。
恐らく今、自罰をしたいのだ。うつ病患者ではないけれど、何やら相応の罰が欲しいなぁ、と思っているのだ。
「………ふふ。潔いのね――素敵だわ」
それじゃあ。
いただきます。
彼女は行儀よくも手を合わせると、ゆっくりと俺の首筋にそのぷっくりと膨らんだ唇を寄せた―――――ぷすり。
じゅる――――ぶじゅ、ぐじ、ずるる。
鋭い痛みとともに、身体からナニカが抜き取られていく感覚が脳に走る。
ゆっくりと、確実に身体から力が抜けていく――――これは、思っていたよりも。
「ずる………ふふ。気持ちいい、らしいわね――――本気の吸血ならともかく、少しずつ、ゆっくりと血が抜けていくって言うのは」
そう、気持ちがいい。
もっと貧血みたいに、思考が急激におぼつかなくなったりするものだと思っていたが―――彼女に吸血されるにつれて、身体から徐々に、いらぬ力が抜けていく。頭がぼんやりと揺らぎ、視界が徐々にぼやけていく。ゆっくりと訪れるそれは、言いようもなく、心地よかった。
じゅる、ずっ、ずるるるるっ。
そんな生々しい水音を立てながら、血が緩やかに抜けていく。
「……っ……フラン、起きちゃうぜ…?」
「……あら。そんなことにはならないわ―――そういう運命だもの」
「あは。なら……っ、いいけど……さ」
思考がもはや覚束無い。何もかも、どうでも良くなるような心地良さだった。今日1日、ずっと緊張していた頭の中が、弛緩していく。
暫くそんな状態になってから、レミリアは俺の首筋から牙を抜き、囁く。
「………ふふ。いけないいけない……。のみすぎちゃったわね。不思議……男の血だから、不味い筈なんだけどねぇ。やはり愛しい人だと、違うのかしらねぇ?くすくすくす!」
「っ、あは―――どこまで本気、なんだか……わかん、ねぇなぁ……」
「あら、私はいつだって本気だわ。ここまでしたのだもの―――もうあなたは、私のよ?」
そう言って血に塗れた唇を下で拭うレミリアはとても猟奇的で、恐ろしげであったけれど――――とても、綺麗だった。
ゾワゾワと、背筋に寒いものが走るのは、決して血を抜かれたせいだけではないだろう。
あは―――こんなに俺は、惚れっぽかっただろうか。もしや俺は、レミリア・スカーレットの事を恋愛的に好いているのか?
そう形容してみると、もはやそれが真実であるとしか思えなくなった。爆発するかのごとき熱情が、心の中で渦巻く。
あぁ。目の前の少女が、狂おしいほどに愛しい。彼女に全てを委ねてしまいたい。
きっと、何も考えなくていい。彼女のモノとなれば、全て何とかなるような気がする。
ドクンドクンと、弱くなっていたはずの鼓動が強まる。頭の中を埋め尽くす欲望が、ついには口をついてでた。
「………レミリア」
「……うふふ。なぁに?」
「俺は、君の事が……」
「私のことが?」
「す…………っ!?」
好き、と口にしようとした瞬間、強烈な違和感が脳裏を駆け巡った。
待て。おかしくないか?
俺と彼女との関係は今までタダの友人、或いは心理的貸借関係であったはずだ。
そこからなぜ、こうなる?
彼女の優しさは、それは嬉しかった。吸血行為を認可したのも、その優しさへのお返しという側面もあったくらいには。
ただ、それならば同じだろう。いつだって力になろうとしてくれる霊夢や、寄り添おうとしてくれた美鈴も。
ならばなぜ―――――これほどまで、彼女に心奪われる?
「っ……!事象を理想的にする程度の能力―――――俺にかかっている、ありとあらゆる人為的効果の影響を、ほぼゼロに……!」
ふわりと、俺の中で何かが弾け飛ぶような感覚。
それと共に、俺に馬乗りしたレミリアへの激しすぎる好意が、薄れる――――ハッキリと分かるほどに、その変化は劇的だった。
あら、とレミリアは意外そうに微笑む。
「まさかバレるなんて。すごい精神力ねぇ」
「お前……何をした」
いや……分かる。
何もかもを委ねたくなるような、あの状態では分からなかったが―――今なら、俺に何が起こっていたのかは分かる。
吸血鬼は、多数の特徴を備えている―――十字架が苦手。日光で溶ける。ニンニクが苦手。影に潜む。コウモリに変身する。血を吸う。脅威的な再生能力。
そして―――――『魅了』だ。
「ご明察―――魅了にかけたのは、あなたが初めてよ。あんなにすぐ解けるもんでもないはずなんだけどねぇ」
「………あは。流石にそりゃないだろ、レミリア――――とんだアプローチだ」
「うふふ。やぁねぇ、知っているでしょう?私は我儘だから……好きなものは、全部欲しくなるのよ」
そう言って笑った彼女は、やっぱり綺麗で――――ただ単に魅了の力だけじゃないのだとも思う。
………というかこの子は、本気で俺の事が好きになったのだろうか。
それは大丈夫なんだろうか。
バタフライどころじゃない変化な気がする。
まぁ………いいや。
口ではどうこう言ったが、別に魅了にかけられたことについて怒ってはいない。
そもそも自分が使えるものを自分の目的のために用いるなんてのは、当たり前の話だ。
「………やれやれ。事象を理想的にする程度の能力―――――体内に流れている血液量を、数分前の状態に」
ドクン、ドクン。
俺がそう口にすると、ぼんやりとぼやけた思考が、更にクリアになった。
血が足りないのは事実だったので、スッキリした気分だ。
さて。本当に、そろそろ戻らねぇとな。
血を抜かれたのはやはりそう簡単に戻るレベルの出来事ではなかったようで、微妙な倦怠感がまだ続いていた。ただまぁ、動けないほどじゃない。
「流石ねぇ。そんな簡単に戻るようなら、もっと吸っても良かったかしら?」
「冗談……あれ以上吸われてたら、スキルなんて使ってらんねぇよ。使用の意志とイメージが必要なんだからさ」
「へぇ。意外な弱点ね。じゃあもう少し強く魅了をかけたら、あなたは無力、ってことかしら」
「………うんまぁ、かもしんないね。一応言うが、試すなよ」
「しないわよぉ。そこまで私は尻軽じゃないわ――――それに、こういうのは偶にだからイイのよ?くすくす」
「………はいはい。それじゃあ、戻ろうぜ」
「そうね。行きましょう」
そう言って、レミリアは俺の胸の上からどく。そのまま彼女とともに、部屋へと戻った。フランを起こさないように、ゆっくりとレミリアを部屋の外へ見送る。
「ま、お別れだな、レミリア」
「そうねぇ。名残惜しいけれど―――――あ、そうだ」
「なんだよ」
「私のことは、何か愛称で呼びなさい?レミィでも何でも」
「………そりゃまた急だなおい」
「いいじゃない。好きな人には、特別な呼び方をして欲しいものでしょう?」
「ったく、どこまで本気なんだか……。分かったよ……」
そんなわけで愛称を求められた。
まぁなんでもいいんだけど……やっぱ名前をもじったものがいいんだろうか。
ただレミィってのも捻りがないよな。いやパチュリーに文句があるわけじゃないぜ?他の人と一緒ってのも味気ないってことさ。
レミリア……ミリア……ちょっとアイ○スっぽい……ミア……トラウマが浮かぶから却下……レア……完全に稀感しかない…。リア。
うん。
悪くないんじゃないだろうか。
なんかどっかで見た気もするけど。愛称なんてそんなもんかな?
「じゃあリアで宜しく」
「リア。リア、ね。うん、気に入ったわ。リア、リア……うふふ」
少し頬を赤らめるレミリア…もとい、リア。
地の文でも変える必要があるかはわからんが、まぁ一人称だし(爆)、いるか。
その表情は凡そ、俺の知る恋する乙女とそう変わらないようには見えた。
本当に引っ掛けてしまったのかもしれない。そんなつもりはなかったんだが……。まぁ、彼女のことだ――タダの物欲かも。
そんなこんなで、何やらフラグを立ててしまったらしいリアを見送り、部屋に戻る。
「………お兄様」
明かりも消え、月明かりだけに照らされる部屋の中に、彼女は立っていた。
「……フラン?ごめん、起こした?」
彼女―――フランドール・スカーレットは、とろんとした目で俺を見つめる。
その瞳には、大粒の涙が溢れようとしていた。
「お兄様………幻想郷、出ていくの?」
あぁ――――なぜ今日という日は、予想外のことばかり起こるのか。
なぜ息を吸うより自然に、厄介事が次々と起こるのだろう。
仕方ない――――きちんと言い聞かせてあげるしかない。薄く微笑むと、意地悪っぽい口調でフランに話しかける。
「……あは。盗み聞き?随分と趣味の悪いことで」
「……っ、ごめん、なさい……でも、私」
「わかってるよ―――ごめんな、不安にさせたみたいで。行かないよ、俺の居場所はここだからね」
「………本当?」
「あは。やけに疑うね……それじゃあまるで、俺に出ていってほしいみた―――」
「そんなわけないっ!」
「い………?」
突如激昴したフランに、一瞬の硬直が俺に起こる。いつも通りの軽口のつもりだったが――――何か、気に触ることを言ったのだろうか?鈍い、というリアの言葉が頭に過ぎる。本当にそうなのかもしれない。
フランは先程の激昴からは及びもつかない程に縮こまると、俺の側に近寄り、ぎゅっと俺の服の裾を握る。
「………そんなわけ、ないじゃん。……お兄様のバカ……」
「………悪かったよ。何が悪かったかは分かんないけど、気に障ったなら謝る」
「……ふんだ。だからお兄様はお兄様なんだよ」
「……さっきも言われたよ、似たようなこと。流石は姉妹?」
「当たり前だよ。みんな思ってるよ、きっと」
「……そりゃあなんつーか、申し訳ないなぁ」
それきり、再度沈黙が訪れる。
………俺は彼女に、なんと言ってあげればいいのだろう。
大丈夫だ。俺を信じてくれ。どこにも行かない。ずっとそばにいるから――――――。
どれも薄っぺらく、到底信じられそうにない気がした。
それは至極、当然のこと―――――だって誰よりも、俺が1番俺のことを信用していない。自分のことを、認められていない。
そんな人間の言うことを、誰が信じる?
俺には、彼女にかけてあげられる言葉が分からない。
けど―――今俺の内で縮こまって、泣いているフランを。誰が安心させてあげられる?
………俺以外に、誰もいないじゃないか。
分からないからって、自分のせいで泣いてる女の子を放置していいわけがない。
「……ごめんな、フラン」
「……謝って欲しいんじゃないもん」
「分かってる。……それでも、ごめん」
「…………ねぇ、お兄様。私……やだよ」
「………」
「……今だって、会ってくれる方が少ないのに。幻想郷からいなくなったら……お兄様にもう、会えなくなっちゃう……そんなの、私……っ!耐えられない!」
「…………っ………」
大粒の涙がフランの頬を伝う。
気づけば俺は、フランの小さな背中に手を回していた。じわりと、滲むような暖かさが手に宿る。様々な感情が、頭の中を駆け巡る。
なんで、そんなに不安そうなんだろう。
なにを、この子は俺に求めているのだろう。
なぜ、俺なんだ。俺がそれに応える義務は?この場から逃げ出せば、今の俺は助かるのか?
ぐるぐると頭を巡る思考の中には、俺が認めたくないと思うような悪辣な考えもあった。
それら全てが、俺の揺るぎようのない気持ちなのだと思った。
ただ、その中でも。一層強い気持ちが、確かにあった。
…………目の前の少女を、泣かせたくない。
「……ねぇ、お兄様……さっき、お姉様としてたよね………吸血」
「…………そうだね」
「……お姉様の事……好きなの?」
「………さぁ。嫌いじゃあないと思うけれど、好きかは分からないかな……」
「そう。…………ねぇ、お兄様。ごめんね、困らせて」
そんな風に、フランは言った。
強い子だと思った。不安を押し殺し、そんな風に謝れるフランが、心底強いと思った。
もっと言えば、意外だった―――なんだ。
1人でも、立ち上がれるじゃないか。俺だけが安心させてあげられるだなんて、欺瞞だったんだ。
そう思った。助かった、とも。
けれど――――その後の彼女の行動は、全くの予想外だった。
「でも……ね。少しだけ我儘、言っていい?」
「……うん。いいよ」
「私を―――――安心させてほしい」
ドサッ。
フランに胸元を捕まれ、ベッドへと引き込まれる。たまらず、ベッドに手をつく。ちょうど彼女を押し倒すような体勢になった。
フランの真紅に染まった瞳が、決意を秘めたような表情で俺を見つめる。
「ねぇ、お兄様……」
「………なんだよ」
「私のこと、好き?」
「もちろん。なんでそんなこと聞くのさ―――――って。言うわけにはいかない、かな?」
「うん。ダメ」
「そっか。……なら、分からない」
「そっか。………私もね。よくわかんなかったんだ、実は。お兄様といるのは大好きだし、もっともっと一緒に居たいって思ってたけど。それはみんなとだって一緒だもん」
「…………」
「だから、ただの好きなのかなって。思ってた」
「……今は違うって?」
「うん。……さっきお姉様とシテたの、見てさ。なんだろう……うわーって。嫌だなーってさ。なんでそこにいるのが私じゃないのって、思っちゃった」
………それはなんというか。確かに、吸血鬼の吸血を性行為のソレに近いとするならば、凡そジェラシーととって間違いないようにも思えた。ジェラシーってのは確かに、単なる友愛では発しにくいものではあると思う。
「それに。お兄様がいなくなるかもしれないってわかった時……勝手に、涙が出て。絶対やだって、思ったの」
「…………」
「だからね、お兄様………じゃ、今はダメかな。凜さん。高橋 凜さん」
フランが口を開こうとする。何かを告げようとして開き、また閉じる。彼女の中で、何か迷いがあるのが分かる。
再び、瞳が輝きを増していく。意志によって止められた涙が、溢れ出す。
再び、その瞳に決意が宿ると―――彼女はついに、口を開いた。
「私はあなたの事が……好きです」
…………あぁ。
はっきり言えばその言葉は、予想出来た。
何度も言うように、人から向けられる好意には敏感だ――――敏感というのは、その好意の質も分かるということである。
ありがとう。ごめんなさい。どうして。
様々な返事が頭に巡った。多分、どれも気持ちとしてはあると思う。
でも、彼女の持つソレはきっと勘違いだ。
自分を救い出し、光射す道を示してくれた――――ように見える俺に対しての、行き過ぎた感謝の念だ。
だからここで、「俺も好きだよ」と言うことは出来ない。それに、自身にこれ程の欠陥を抱えながら、他者と付き合うことなんて出来ない。
ただ―――――勇気を出して言ってくれた彼女の目が。真紅に彩られた虹彩が。
どうしようもなく不安そうで―――――全て拒否してしまえば、何処かに消えてしまいそうなほど、儚いんだ。
………嫌だ。見たくない……そんなフランは。
彼女は――――笑ってなきゃ、ダメだ。
そんな一心で――――気づけば、俺はフランの唇を奪っていた。
「んむっ!?」
「………ごめんな、フラン。その気持ちには応えられない。俺は誰とも、恋人になるつもりは無いから」
「だ、だったらなんで……っ!」
「でも。俺は君の事が好きだから――――君の傷つく姿なんて、見たくないんだ」
だから、と言葉を紡ぐ。
今からするこの行動が、倫理的に許されることだとは思わない。
ただ、それでも、俺は。
フランの笑顔が見たい。
「だから、今日だけだ。今日だけ、君の好きにしていいよ。言葉で信じられないなら―――――身体で、だ」
フランは目を見張り、ぽかんとした表情を浮かべる。暫く俺の瞳を見つめてから、クスリ、と口元を綻ばせた。
「……っ、ふふっ、なにそれ。かっこ悪いことをかっこよく言っただけじゃんっ」
「あは―――お前の姉ほどじゃないけど。俺だって、相当わがままなんだぜ?」
「………ふふ。後悔しても、知らないから…ね?」
フランは、ニヤリと口の端を歪める。
普段見る彼女とは、とても似つかわしくないような笑みで――――凄く、綺麗だった。
先程見たレミリアのソレと比べて、瞼が赤いのがそぐわないけれど。
やっぱり姉妹なんだなぁと思う。
「あは。後悔なら、いつだってしてるよ――――だから、今更だ」
「………あはは。もう、調子のいいことばっかり言うんだからさっ」
「生憎と、性分なんだよ。……ま、なんというか。お手柔らかに、だね」
「…………ごめん」
それ、無理かも。
フランがそう言い放つとほぼ同時に、首筋に鋭い痛みが走る―――――ぐじゅ。
薄れていく意識の中、あるひとつの念だけが頭に浮かんでいた―――――――あぁ。
血ぃ、足りるかな――――?
「すぅ……すぅ……んん……おにいさま……」
―――――――数時間後。
本当に長い時間の後、フランは疲れ果てたように寝息を立てていた。
こうして描写してみると、事後のようである――まぁ、彼女たちにとってはそれは行為に似たものであるのだろうけれど。
吸血欲と性欲はイコール………ねぇ……。
あ、なんか期待した?そいつはごめんね★
………あー……頭いった………。
流石に能力があるとは言え、やりすぎてしまったようだ……。というかベッドが血だらけだ……汚い。とりあえず能力で戻しておこ。
「…………」
脳裏によぎるのは、彼女が寝入る前。
お互いに意識もまばらで、思考が覚束無いまま交わした言葉だった。
「………どこにも、いかないよね?」
「うん」
「……私、お兄様がいないと……やだよ」
「……うん。分かってるよ―――大丈夫。そばにいるから。だから、泣くなよ……」
「……うるさい、なぁ……泣きたくて、泣いてるんじゃ、ない、のに………」
「……はいはい。ほら、ぎゅってしてやるから。信じてよ。ね?フラン」
「………うん……お兄様」
「んー?なぁにー」
「………もう一回だけ、ちゅーして」
「…………………バカだねぇ、君は……」
「んっ………えへへ……好き……」
「…………お休み、フラン」
これが一部始終だった。
……………どうしてこうなったんだろうなぁ。
恋人ではないのに。倫理を言うならば、こちらの方がよっぽど最低だ。
………ただ。冷静になった今でも、後悔はしていない。倫理的でなかろうと、フランが安心するにはこれしかなかったんだと思う。
まぁ――アレだ。身体で解決できるんなら、それでいっかな、なんて思ったのも事実。
あはは、身売りで解決するなんて、女の子じゃあるまいし。笑っちまうな、こりゃ。
…………………あー。
頭、痛てぇなぁ………霊夢、どうしてるかな。
ちゃんとご飯、食べてっかなぁ。今日の食事当番、俺だったっけ?
魔理沙に変なキノコ、食わされてないといいけど。
あぁ、でも今日はゆっくり寝れるかなぁ。
いつも五時起きだからなぁ。最近は慣れちゃったから、苦じゃないけど。
今日くらいは、朝寝坊でも、いいかな?
そんなことを考えている内に、寝入ってしまう夜だった……………。