「なるほど。クー・フーリンという男は、魂をランサー・バーサーカー・セイバーの三つのクラスに分割してこの街に潜伏しているのか。」
警察署の薄暗い医務室。包帯を巻かれた己の腕を動かしながら、エミヤは状況を咀嚼していた。
彼の前に立つ白衣姿の男――『グリム』は、棚の医療器具をがちゃがちゃと片付けながら、いかにも親しみやすい、どこか知性的で怪しげな学者風の口調で小さく溜息をついてみせる。
「ああ、そういうことだ。奴はあまりにも逸話が多く、光の御子から狂戦士まで『多すぎる側面』を持っちまってる。魔術が完全に廃れ、バックアップの失われた現代じゃ、そのすべてを一つの器に詰め込むのは不可能さ。だから奴は、三連神をイメージして神話の多面性をそのまま削り出すようにして魂を分割し、この国に現界しやがった。」
グリムはそう言って、手元にあったオカルト雑誌をひらひらと揺らした。
「それに、奴らケルトの連中は本来、
「バゼット。警察組織がこの事態を公表しないのは、やはり『魔術』への社会的なトラウマがあるからか」
作戦室の隅で、制服の襟を正しながら直立していたバゼットが、重々しく頷く。
「はい。かつて魔術が治安を悪化させていた暗黒の時代。たった一人の強力な魔術師が、人類が築き上げた平和な社会構造を一瞬で崩壊させていた恐怖の歴史を、現代人は忘れていません。もし『神話の英霊が日本のメディアや人間を模倣し、霊脈を占拠して無差別殺人を犯している』などという情報が表に出れば、国民はパニックに陥る。だからこそ、私とグリムが所属する。この特命部署だけで、夜の闇のなかに潜む怪異を処理しなければならないのです」
バゼットの言葉に嘘はない。彼女自身、この歪んだ隠蔽構造に疑問を抱きつつも、自らの肉体を蝕むマナナンの呪いと戦いながら、必死に治安を維持しようとしている。
「……いいだろう。協力する。」
「助かるぜ、エミヤさん。……じゃあ早速、つい最近居所を掴んだ標的を倒してもらいたい。ネオン煌めく欲望の街、新宿・歌舞伎町だ。そこにケルトの上位陣が紛れ込んでる。アンタの力、見せてくれよ。」
数時間後。夜の帳が降りた歌舞伎町は、喧騒と熱気に満ちていた。
立ち並ぶビルの群れ、毒々しいほどに明滅するピンクや青のネオンサイン。すれ違う人々は酒に酔い、欲望に目を血走らせている。魔術が廃れた現代において、これほど人間臭い「俗」に満ちた街もない。
エミヤはラフな私服を纏い、人混みを縫うようにして歩いていた。バゼットは無線を介し、ホストクラブ周辺の一般人の情報遮断や、万が一の際の避難誘導のために外周の闇へと潜んでいる。
インカムから、グリムの低く楽しげな声が響く。
『標的は、その街で今いちばんデカい超高級ホストクラブのツートップだ。名前はディルムッドとフィン・マックール。奴らも言い伝えの霊だからな、形を保つために、現代日本のキッチュな大衆文化を歪に模倣してやがるんだわ』
エミヤが目的のホストクラブの重い扉を押し開けた瞬間、人工的な高級香水の匂いと、大音量のダンスミュージック、そして女性たちの黄色い歓声が鼓膜を刺した。
きらびやかなシャンデリアの下、VIP席の中央に、その二人はいた。
一人は、完璧に仕立てられたブラックスーツを着こなし、目元に艶やかな泣きぼくろを持つ絶世の美青年――ディルムッド。
もう一人は、豪奢な金髪を優雅にかき揚げ、高価なワイングラスを傾ける、圧倒的なカリスマのオーラを放つ男――フィン。
彼らは確かに人間に化けていた。それは、テレビや雑誌に映る、現代日本人が最も「美しい」と憧れる記号の完璧なデッドコピーだった。しかし、エミヤの鋭い戦術眼は、彼らの周囲に漂う「異常な空気の歪み」を瞬時に見抜く。
彼らが生まれ持つ「魅了」の呪術特性。それが、店のネオンやアルコールと混ざり合い、おぞましい空間を形成していた。
「ディルムッド様ぁ! こっち向いて!」
「フィンさん、私のシャンパン、全部飲んで!」
二人の周囲を囲む無数の一般女性たち。彼女たちの瞳は完全に虚ろでありながら、頬を紅潮させ、トランス状態で彼らに群がっている。彼女たちは彼らの魔力に骨抜きにされ、「人間の盾」として、その周囲を完璧に埋め尽くしているのだ。
(くそ……これでは、
エミヤは奥歯を噛み締めた。
物陰からビルごと、あるいはホストクラブごと彼らを吹き飛ばせば一瞬で終わる。しかし、それをすれば、魅了された何十人もの無辜の一般女性たちが肉片となって飛び散ることになる。
遠距離からの安全な暗殺を完全に封じられたエミヤ。
一般人を傷つけないためには、双剣を握り、あの女性たちの隙間を縫って、至近距離での超難度の
VIP席のソファーで、エミヤの刺すような視線に気づいたディルムッドが、フッと爽やかな微笑みを浮かして立ち上がる。
「おや……歓迎されざる客が紛れ込んだようだ。主よ、ここは私が露払いを」
ディルムッドの手元で、空間が微かに歪み、現代のスーツにはあまりにも不釣り合いな「二本の魔槍」の気配が、音もなく顕現し始めていた。
「一般人に手を出すなよ、ディルムッド。これは私と貴様の、一対一の『商談』だ」
エミヤは感情の消えた声で告げると、魅了された女性たちのひしめくフロアからあえて距離を取り、従業員用の狭いバックヤードへと素早く身を翻した。ディルムッドはフッとテレビの画面から抜け出してきたような、完璧すぎてどこか不自然な笑みを浮かべ、その後に続く。
「ええ、望むところです。無関係の者を巻き込まぬ配慮、感謝いたします」
扉が閉まり、ダンスミュージックが遠のいた薄暗いバックヤード。並べられたリネンの棚、錆びた配管、割れた姿見のガラスがネオンの残光を不気味に反射している。その狭い空間に足を踏み入れた瞬間、ディルムッドの両手に
(……上の命令、すなわちメイヴ様の用意したルールに従い、強者を狩って階級を上げる。それこそが、現界した私に与えられた新たなる『騎士道』。)
「私はあなたと正々堂々と一騎打ちをしましょう」
ディルムッドは微塵の曇りもない、どこまでも澄んだ瞳でそうのたまった。
彼には悪意も、罪悪感すらもない。与えられたルールの中で効率よく人間を殺すことを、自分に課せられた
その決定的にネジの外れた純粋さを前に、エミヤの胸の内にすべてを凍りつかせるような「冷たく冴え渡る怒り」が静かに宿った。
「そうか。……貴様たちの言う誇りとは、ずいぶんと安っぽいものだな」
エミヤの両手にバチバチと激しい火花が散り、白と黒の双刃「干将・莫耶」が握られる。
「はっ!」
ディルムッドの身体が弾丸のように躍り出た。
狭い通路において、二本の魔槍が繰り出す連撃は文字通りの嵐だった。紅い槍がエミヤの
エミヤは戦闘プロとしての冷徹な戦術眼をフル稼働させた。真っ向から打ち合えば、槍の間合いと神話級の身体能力の前にすり潰される。
エミヤはリネンの棚を強引に倒して視界を遮り、割れた姿見の破片に自分の姿を映し込んでディルムッドの勘をほんの数瞬だけ攪乱する。現代の暗殺術と隠密白兵戦を組み合わせたゲリラ戦。だが、ディルムッドの槍は容赦なくコンクリートの壁を砕き、エミヤを追い詰めていく。
「見事な立ち回りだ! だが、これで終わりだ!」
ディルムッドが必殺の間合いを掴み、二本の槍を交差させてエミヤの首を撥ねようとした、その瞬間。エミヤの灰色の瞳が、冷徹に光った。これこそが、彼が張り巡らせた「一騎打ちの罠」だった。
「――『鶴翼、欠けざるべからず』」
エミヤが手の中の「干将・莫耶」を、ディルムッドの顔面へと躊躇なく投擲した。
「そのような直線的な攻撃など!」とディルムッドが槍でそれを叩き落としようとするが、エミヤは即座に次の双剣を投影。さらにそれを投擲し、全方位からの投擲の軌道を重ねていく。
ディルムッドが「武器をいくら投げて――」と槍を振るった瞬間、彼の背後からブーメランのように旋回してきた最初の双剣が、死角から同時に襲いかかった。一見ただの投擲に見えて、実は全方位からの必殺の挟撃へと変化する、対一騎打ちにおける必勝コンボ――鶴翼三連。
「なっ……、しまっ……!?」
ディルムッドの「正々堂々」という
紅と黄の魔槍が防衛の限界を超えて火花を散らし、ディルムッドの肉体は深く切り裂かれた。大量の鮮血がコンクリートの床を濡らし、ディルムッドは膝を突き、限界まで追い詰められる。
バックヤードの奥、特等席のソファーでワインを傾けていたフィンに向け、ディルムッドは震える手を伸ばした。
「我が主……! 助力を!」
しかし、フィンはグラスを傾けたまま、その美しい顔に冷ややかな笑みを浮かべ、ディルムッドの手を黙って見つめているだけだった。
「いやぁ、お疲れ様。君のおかげで、私のNo.1は不動のものだ。感謝するよ」
ディルムッドの肉体が光の粒子となって崩壊していく中、フィン・マックールは現代のトップモデルを模した豪奢な金髪を優雅にかき揚げ、心底愉快そうに笑った。
エミヤは、胸から溢れる血を片手で押さえながら、愕然としてその光景を見つめていた。
「どうして……仲間じゃなかったのか……?」
「仲間? ハハハ、とんでもない。彼とは昔からグラニアの一件をはじめとして因縁がありましてね。それに何より、ここはホストクラブだよ? 私を差し置いて売上No.1の好成績を収めたり、あの謙虚さの足りない態度が鼻についていたんだ。私の方が
フィンにとっては、この現代日本での大量虐殺ゲームも、かつての部下への私怨の腹いせも、すべては「ホストの売上競争」と同レベルの、極めて軽いノリで処理されていた。
その軽薄な言葉を聞いた瞬間、エミヤの脳細胞が、すべてを凍りつかせるような絶対的な「冷たい怒り」によって最高速度へと加速した。
『――おい弓兵、気をつけろ。そいつはフィオナの騎士団長だ。あいつはな、「親指を噛めばあらゆる
インカムから響くグリムの冷徹な警告。
(フィンに親指を噛む時間――コンマ数秒すら実質的に与えない)
エミヤは即座にそう結論を下し、勝利の余韻に浸るフィンの死角から、完璧に気配を断った超高速の踏み込みを見せた。
「おや――」
フィンが異変に気づき、慌てて親指を口元へ運ぼうとする。だが、それよりも早い。エミヤの手から放たれた「干将・莫耶」の投擲が、フィンの腕を狙って空間を裂いた。
フィンは智慧を得るのを諦め、慌てて自身の槍を構え、水を操る魔術の激流で応戦せざるを得なくなる。
バックヤードの狭い空間に、神代の奔流が吹き荒れる。
ディルムッド戦の傷で、エミヤの肉体は悲鳴を上げていた。だが、彼は体内の魔術回路を暴走寸前まで駆動させ、肉体の痛覚を麻痺させて突撃を敢行する。
フィンの放つ激流によって、投影した双剣が何度も粉砕される。しかしエミヤは、「砕かれた瞬間に、次の双剣を内部から投影する」という、常人には不可能な超高速度の投影・修復を繰り返した。
水の壁を無理やりこじ開け、フィンの予想を遥かに超える速度で懐に潜り込んだエミヤ。親指を噛む暇も、大魔術を展開する隙も一切与えられないまま、冷徹に研ぎ澄まされたエミヤの白刃が、フィンの胸元を深く、正確に切り裂いた。
「まさか、この私、が……こんな名もなき、魔術師に……っ!?」
フィンは自らの売上と階級への歪んだ執着と共に、ネオンの光のなかに掻き消えていった。
次の日の夜。警察署の薄暗い秘密部署。
満身創痍の身体を引きずり、エミヤがドアを開けた、その瞬間だった。
「パァン!」
乾いた破裂音と共に、色鮮やかな紙吹雪がエミヤの顔に降りかかる。
「おう、大金星じゃねえかエミヤ! 祝いの宴だ!」
そこにいたのは、安っぽい鼻メガネをつけ、三角のパーティ帽を頭に乗せたグリムだった。ふざけた格好のまま、彼は手際よく治療を開始し、エミヤの傷口をまたたく間に塞いでいく。
エミヤはグリムを「外に出られない不自由な被害者なのに、こんなに明るく自分を歓迎してくれる良い奴」と思った。
「フィンとディルムッドの撃破、お見事でした、エミヤさん。……少し気が早いですが、買い出しのついでにこれを」
街の情報隠蔽工作を終えたバゼットが、大真面目な顔をして両手に持ちきれないほどの荷物を並べる。机の上に置かれたのは、警察の定番である湯気の立った「カツ丼」と、なぜかお祝い用の豪華な「ホールのショートケーキ」だった。
「バゼット……カツ丼の後にケーキを食べるのかい……?」
エミヤは料理人として思わずツッコミを入れつつも、箸を握る。
3人でカツ丼を突き合い、不器用にケーキを切り分ける、部活の放課後のような温かい時間。紛争地域でずっと張り詰めていたエミヤの心が、日本の静かな秘密部署で、ほんの少しだけ解きほぐされていく。
(ケルト人達の野蛮な階級闘争に巻き込まれたこの2人を、私が守らなくては――)
エミヤはそう強く胸に誓う。